山羊の名 6
日が傾いてきたが、村人たちはますます盛り上がっていた。
かなりヨハネスも飲んでいたが、三人組と共に、さらに酒を求めて天幕に歩いていった。
そこには、いままで見なかった修道女が数人いた。彼女たちは革袋の中身を杯にあけ、机に並べている。
そして老婆マルガレータが杯を手に取って、村人たちに一人ずつ手渡しをしていた。
——麦酒は品切れなのか?
そう思ったヨハネスも、杯をもらおうと近寄ったが、
「おっとあんたは、駄目だよ。これは特別なんだ」
と、老婆に断られた。
「あ、いっけね。そうだった。すまんな、ヨハネス」
クンツも、わびを言ってくる。
「ああ、うん。わかった」
ヨハネスは、率直に言って、天幕を離れた。
——いやいや、ここまできて、お預けはないよなぁ。
と独りごちると、いつの間にかちょろまかしていた杯の中身を口に含んだ。
酒には違いないが、舌に妙な苦みが残った。
本格的に、日が暮れてきた。
マルガレータの前に一匹の豚が連れてこられた。
村の女たちが豚を押さえ、その頭を老婆が木づちでたたいた。
豚の悲鳴が響き渡り、豚はぐったりとした。
大きな桶が持ってこられ、女たちが豚を解体した。
それ自体は、特に珍しい光景ではない。
ただ、豚が調理されている間に、老婆が内臓の残りかすをたき火に投げ入れた。煙と独特の匂いが辺りに広がった。
ヨハネスは、少し酔いが回ったのを自覚した。
目がしょぼしょぼして、たき火などの強い光を見ると痛かった。
暗がりに目をやると、若い男女が抱き合って動いているのが見えた。
絡み合っている男の方と目が合った。イェルクはヨハネスを見て、にやっと笑った。
ヨハネスは慌てて目をそらした。
気づくと、豚が大鍋で煮られていて、マルガレータがそれを皆に振る舞っていた。
マルガレータの周りには数人の男女が集まっていた。
すると老婆はほうきにまたがり、鍋を抱えたまま垣根を飛び越えてしまった。
村人たちも鍋を追って、次々と垣根を飛び越えていく。
ヨハネスも、それを追った。
垣根の向こうは森になっていた。
走っているうちに足を取られ、ヨハネスは地面に手をついた。
その方が走りやすかったので、ヨハネスはそのまま四つ足で森を駆けた。
マルガレータと、それに従う村人たちを追い、森の中を駆けていく。
やがて、ぽっかりと開けた草地に飛び出した。
そこにはイエルクリングがいた。
その周りには、イエルクリングが従えていた柄の悪い輩たちがいた。
ヨハネスは真っ先に飛び出し、鋭い牙でイエルクリングの手首をかみちぎった。
周りでは、マルガレータや村人たちも敵と戦っていた。
彼らが細い葉のついた草の茎を振るたび、敵はまるで剣で斬られたように倒れた。
やがて全ての敵が倒れ、ヨハネスは勝利の雄叫びを上げた。
「んっ……はっ」
眠りから覚めたヨハネスは、何か柔らかいものに抱きついているのに気づいた。
すっかり夜になり、かがり火がたかれていた。
ヨハネスがいるのは、木立の中らしい。
少し離れたところに五月柱が見えた。
「目、覚めた?」
間近に聞こえた声に驚いて目を向けると、ヨハネスに寄り添うようにアポロニアが横たわっていた。
「祭りのお酒、飲んじゃったんでしょ。あれは本当は、飲む人が決まってるんだからね」
アポロニアは少しおかしそうに言って、小さく笑った。
「ああ、うん……」
ヨハネスは、まだ夢を見ているような気分だった。
どうも変な酔い方をしてしまったようだ。
「あれ? どうしてここにいるの?」
ヨハネスはアポロニアに尋ねた。
アポロニアはそれには答えず、ヨハネスを見つめていた。
かがり火の明かりが、アポロニアの瞳に映り込んで揺れていた。
ヨハネスは、そこから目を離すことができなくなった。
不意に、それを彼女が望んでいることに気づいた。
ヨハネスは顔を近づけ、その唇に自分の唇を重ねた。
ヴィーとヨハネスはさらに二日、フラウエン・アルアハの女子修道院に滞在した。祭りの後片付けなどを手伝うためだ。
そして、二人が帰り支度をしている時、異変が起こった。
大勢の村人たちが、女子修道院へ押しかけてきたのである。
彼らは一人の、身なりの良い男を連れていた。
その男は毛皮の縁取りのついた、上質な旅装に身を包んでいた。
対応に出た女子修道院長を、村人たちは取り巻くようにして、わあわあと口々に何かを言い立てた。どうにか修道院長は彼らを落ち着かせ、話を聞いた。
それによれば、その身なりの良い男は、ヨハネス・ハルトリープという名で、ミュンヘンのアルブレヒト公の顧問だそうだ。
彼はバーゼルで開かれている公会議からの帰途、ニュルンベルクに立ち寄り、知己のいるフラウエン・アウラハ女子修道院を訪ねたのだという。
「私も確信があるわけではないのですが……」
そう前置きして、ハルトリープなる男は、この村では悪魔信仰が行われている可能性がある、と話を切り出した。
まず彼は、この地域の五月祭りが非常に独特であることを指摘した。
豚を供物としてささげるような儀式。
特定の者だけに振る舞われる薬酒。そして、その酒を飲んだ人間が獣に変じた、などと証言していること。
その一切を得体の知れない老婆が取り仕切っていること。彼女が、黒い山羊を飼っている事。
「それに聞けば、豚の病が広がっているそうではないですか。しかも、その豚に食わせるライ麦のふすまに、何か黒い粒を混ぜている老女がいる――そういったうわさも聞きました」
ハルトリープは、恐ろしいことだと言わんばかりに十字を切った。
「バーゼルの公会議では、さまざまな地域で行われた裁判について話を聞きました。こういった事柄は、魔女が悪魔への信仰をちまたに広めている時に現れる現象なのです」




