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長剣と銀貨 十五世紀ドイツ剣客譚  作者: ビルボ
第七話 山羊の名
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山羊の名 5






「ご挨拶だね。豚の病気のことで、手を貸してやろうかと思ってたのに」


 ヴィーは腕を組み、あごを上げてマルガレータという老女を見下ろした。


「はっ、お前に助けてもらう必要なんか、ないね。あんなもの、あの黒い粒まじりの麦を捨てちまえばいいんだ」


 マルガレータは、ねじれた撞木杖(しゅもくづえ)で何度も地面を小突いた。


「それ、ちゃんと村の衆に説明したのかい?」

 

「聞き分けの良い奴には、教えてやったよ。安物買いの銭失いどもは、どうせ言っても聞きやしない」


 確認するヴィーに向かって、マルガレータは憎々しげに吐き捨てた。


 ヴィーは、わざとらしくこめかみを押さえて、ため息をついた。


「エリーザベトは、あんたを心配している。村の衆は、市認定の宣誓産婆を雇えないか考え始めているよ」


「あの恩知らずどもめ! あいつらほとんど、あたしが取り上げてやったんだぞ!」


 老女は怒り狂った。村人たちを呪い、悪態をついた。


 おそらく長年、身内同然に付き合ってきた人間に向けられる悪意は、路地裏育ちのヨハネスさえ寒気を覚えるほどだった。


 耐えがたくなったヨハネスは、少し離れた所に杭につながれている黒い山羊を見つけ、そちらへ向かった。


 老女が飼っているのだろう。その山羊も年老いていた。


 背中をなでてやると、手をなめてくる。主には似ない、愛想の良い奴だった。


 ここまで離れれば、老女の悪態は耳に届いても、何を言っているのかまでは分からない。


 ヨハネスは、ここで話が終わるのを待つことにした。

 


 


 

「でも、取り上げられなかったやつも、いるだろ」


 ヴィーは、悪態の隙間に口を挟んだ。


「あたしらは、どうしたって恨みを買いやすい。なのに、あんたみたいに相手によって扱いを変えていたら、どう思われる? 心得がない素人だって、真剣にやってくれてるかどうかぐらいはわかるんだよ」


 老女はあごをかみしめ、歯がギチッとかすかな音を立てた。


「じゃあ五月祭りの祭祀は誰がやるんだい? ああ? まさかあたしにそんな扱いしておいて、祭祀だけやってくれって言うのかい?」


 マルガレータは、まるでヴィーが村人であるかのように問い詰めた。


「村の連中は、もう来年は、祭祀はやらなくていいんじゃないかって話し合ってるよ」


「は? 代々受け継いできた、大事な伝統じゃないか!?」


 さらに興奮した老女は、撞木杖(しゅもくづえ)を振り上げるような仕草をした。


 ヴィーは、つい、と一歩さがった。


「代々も何も、もう村の半分近くはよそから来た連中じゃないか。何度も疫病が流行って、人が入れ替わっちまったんだから」


 ヴィーは言った。


「それにエリーザベトは寛容だけど、町の司祭は良い顔をしないからね。そんな古いしきたり、やめちまえって人間も多いのさ」


 老女は、何か言い返そうとしていたようだが、息が続かなくって、黙り込んだ。


「あんたは、大勢の命を救ってきた。でもここで短気を起こすと、その功徳も水の泡だよ。これからの振る舞いを、よく考えるんだね」


 ヴィーはそう言うと、話はそれで終わりだとばかりに、背を向けて立ち去った。


 



  

 ヴィーが話を切り上げて、帰途についたのが見えた。


 あわてて、彼女を追った。


「あの婆(ばあ)さんとは、産婆さんの兄弟会とか、そういうつながり?」


 ヨハネスは、ヴィーの背中に尋ねた。


「そこまで、ちゃんとしたものじゃないね。昔から知ってるってだけさ」


 ヴィーは、そう答えた。


「やっぱり、あの麦を疑ってた」


「そうだね。あとは、エリーザベトの仕事かね。修道院にはニュルンベルクのお偉方の身内もたくさんいるからね。くだんの仲買商は、後悔することになるだろう」

  

「じゃあ、俺はもう、お役御免ってことでいいかな?」


「そうだね。助かったよ。ただ、明日は五月祭だから、混ざって楽しんでいきな。ごほうびだよ」


 次の日。


 五月祭りに華やぐ村を、ヨハネスは眺めていた。


 ——街の五月祭りとは、ちょっと様子が違うな。


 五月柱が立つのは同じだが、バイオリン弾きなどの芸人はいなかった。輪舞はやっていたが、太鼓の拍子に合わせて踊る素朴なものだった。


 村人の興味は、主に飲み食いのようだった。男も女も、ともかくよく酒を飲んでいた。


 ヨハネスも、振る舞われた麦酒(ビーア)を飲んだ。


 青空の下、そよ風の吹く原っぱで飲む酒は格別だった。


 酒で陽気になった村人たちも、気軽に声をかけてくる。


 特に三人組の若者たちと、ヨハネスは意気投合した。


「俺は、ニュルンベルクのパン屋で徒弟をやってる。親方の使いで修道院に用があったんだ」


「そうかい。俺はクンツ。ここで豚飼ったり、畑やったりしてる。なあ、ニュルンベルクさ行ったら、うまい麦酒飲める酒場ってあるんけ?」


 ヨハネスは、田舎の村人が訪れても不快な思いをせずに済みそうな酒場を、いくつか教えてやった。


「麦酒はうまいんだけど、少し腹が減ってさ。何か食べるもの、どこかでもらえないかな」


「んじゃ、俺も今からもらいに行ぐべ。いっしょに来いよ」


 そう声をかけてきたのは、ハインツと名乗った若者だった。


 ハインツに連れられて、ヨハネスは広場の一角に張られた日除けへ向かった。そこでは焼いた腸詰(ヴルスト)が振る舞われていた。


 ヨハネスはさっそく一本もらって舌鼓(したつづみ)を打った。


「これ、うまいなあ」


「んだべ、んだべ。うちの村の豚は評判がいいんだ」


 ハインツはヨハネスの反応に満足したように笑った。


 クンツのところへ戻ってみると、もう一人の村の若者が何やらぶつぶつとつぶやいていた。


 ヨハネスがクンツに目を向けると、


「こいつ、イェルクっていうんだけど、今から娘っ子を踊りに誘おうとしてるんだ」


 と教えてくれた。


 イェルクは、すでにしかめ面を真っ赤にしていた。


「そんな面してたら、娘っ子に逃げられちまうど」


 ハインツがいかにもおかしそうに言うので、クンツもヨハネスも笑ってしまった。


 それで、イェルクも少し肩の力が抜けたようだった。







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