40話
ラオス上空の攻防。
タイ-ラオス国境地帯
谷村大佐率いる第5歩兵連隊と宮本大佐率いる日本国防陸軍第2戦車師団がタイ陸軍戦車師団及び歩兵部隊とラオス陸空軍各部隊と協力し、ラオス奪還に向けてタイとラオスの国境線を超え、北上していた。
最もメコン川に架かっていた橋梁は中国軍が陣地を北上させる際に爆破しており、3か国合同陸軍部隊はこれらの橋の残骸を取り除くのに数日かかり、中国軍はその間にも防御陣地を更に強固なものにしていた。
だが、これに対応可能な秘策が3か国軍にはあったのである。
そう、日本国防空軍のF-15MJ及びタイ空軍のJAS-39とラオス空軍のMig-35の3か国3機種の計3個中隊の制空戦闘機に護衛されたタイ・ラオス両国の空軍が使用する練習兼攻撃機であるYak-130攻撃機である。
タイ空軍のYak-130は自衛用に2発の英国製のASRAAMミサイルを搭載しているのに対してラオス空軍のYak-130は英国製のASRAAMではなくロシア製のR-73を搭載している事以外は多連装ロケットランチャーと3連装爆弾ラックに搭載されているなどは共通しており、地上制圧能力は高い。
同部隊の進行に先立ってFE/F-15による中国軍の対空誘導弾陣地に対する猛烈な爆撃がなされ、中国軍の対空防衛能力は低下していた。
だが、油断してはならない。当然、ラオス奪還を予見した中国軍はJ-10戦闘機やJF-17戦闘機を多数ラオスへ配備し、タイ・ラオス連合軍の進行に備えていた。
だが、日本国防空軍とタイ・ラオス両国の空軍の戦闘機乗りは交戦に備えていた。
「各機、敵との距離が70(㎞)になったところで射撃を許可する」
護衛戦闘機部隊の隊長を務める日本国防軍のF-15乗りである栗本総一少佐がそう言うと17機の僚機の操縦士が”了解”と言う。
どうでも良いが彼は海軍のエース栗本順子の双子の兄で、同時に国防軍航空学校に入学した妹ともども、彼の操縦技術も決して見劣りしない。
彼の統率の元、一糸乱れぬ編隊を組んでいる3種類18機の4世代戦闘機はE/P-1Bとロシアがラオス支援に派遣したA-50と言う2機種AWACSの支援の元、いつでも攻撃出来る様に準備していた。
『スノー・レインよりイーグル隊及びタイ軍機に告ぐ!本機は中国軍の戦闘機を捕捉したからこれより情報を送信する!そちらが情報を受信次第、攻撃を開始せよ、あとラオス軍機と一部タイ軍攻撃機へ告ぐ。システム上、本機の得た情報を送信は不能だが、タイ軍の一部とラオス軍に対してはロシアのボルガ2が送信するのでご安心を!!』
早期警戒機のオペレーターがそう言うと俺含む3か国軍の各中隊長が一斉にそれに返答するとその直後にロシア訛りの英語でロシア軍早期警戒管制機のオペレーターが俺たちに対してスノー・レインに近い事を言い、ラオス軍機への情報送信は可能だが、日本機とタイ機の一部へ情報送信が不能な事を述べたのである。
まぁ、そんなのどっちでも良いけどね。閑話はここまでとして本題へ戻ろう。
何やかんやで通信が終わると18機の制空戦闘機から各機2発、計36発の空対空ミサイルが一斉に放たれ、目標へと飛翔するのであった。
その種類もAAM-6にAIM-120に、ロシア製のR-73と計3種類で、まるで現用ミサイルの博覧会みたいな状態だなと俺は思いつつもレーダーを睨む。
敵の機種は・・・・・・ほぅ、J-10とJ-20、中々骨のありそうなのだな。
俺は特にJ-20に関しては妹が落としていると言っていたから是非とも撃墜したいと思っていた。だから飛んで火にいる何とやらと思い、次の1発をいつでも撃てる様にミサイルに情報をインプットしていた。
無論、ここで敵のミサイルが来ると言う事も計算済みだ。俺はすぐさま、3か国合同航空隊に対して旋回や上昇、降下する事でミサイルを振り切れる様にと命じる。
俺は即座に機体を上昇させ、俺の部隊の僚機とタイ空軍機とラオス空軍機に対しても回避機動に移るように命じると旋回や降下する機に、上昇する機体とそれぞれの行動をとっていた。
無論、この間にも3種類のミサイルはリンク16やロシア軍のリンクシステムを通じて目標へとしっかり誘導されていたのである。
八社から2分後、24機いた中国軍機の内6機がレーダーから消失し、中でも俺が放った2発のAAM-6の内、1発がJ-20を撃墜し、同機を海面へと叩き落としたのである。
そして中国軍機のJ-20による反撃で1機のラオス空軍のMig-35が撃墜されると、俺はそのラオス軍機を撃墜した敵機に対して即座にAAM-6を放つ。
だがそのJ-20は超低空まで降下し、何と俺の放ったAAM-6を山がちなラオスの地形を生かして回避したので俺は格闘戦に持ち込むことにした。
俺は即座にAN/APG-63をHUDとHMDに加え、後方警戒レーダーにIRSTなどを連動させた格闘戦モードへと切り替えたのである。
格闘戦へ突入すると何度もインメルマンターンやバレルロールを繰り返して、その都度、雲を引きつつ激しい機動を繰り返した。そしてようやくその敵機をHUDの斜め上方に位置してAAM-7の照準を合わせる。そして操縦桿の左側面に装備されている赤外線誘導弾発射用ボタンを押す。
すると左主翼下に装備されている連装ラックからAAM-7が目標であるJ-20に向けて飛翔する。
だが、それと同時に俺は操縦桿の上に装備されているJ/M-61の発射ボタンを押した次の瞬間、機銃弾が目標へ飛翔する。
機銃弾は敵機の胴体の中心部に命中し、弾痕を形成する。
俺はA・Bを炊いて愛機をそのままは急降下させる。
理由は被弾した敵機が爆発した際に発生する破片から逃げるためだ。
暫くして敵の方角を見やると敵機が四散して砕け散るのが見えた。
その後、俺は敵と交戦した高度5000mから2800mに機体をそのまま降下させたが、2800mを前にすぐに機体を急上昇させる。
俺は速攻で5000mの僚機と再び合流すると更に各1機の敵機を格闘戦と視程外交戦で撃墜する戦果を挙げ、1日に4機撃墜の記録を叩き出した。
俺は空戦を終え、タイの空軍基地へ戻ると、撃墜されたラオス空軍のMig-29操縦士が戦死したと聞いたが、特に驚きはしなかった。
これが戦場だから、仕方ないと思いつつも彼の遺族に対して出来るだけ配慮してくれとラオス空軍中隊の指揮官に要請すると、指揮官もそれに同意した。
一方で陸上攻撃は成功した事で中国陸軍の陣地は壊滅し、日タイラオス陸軍の歩兵隊と戦車隊は順調にビエンチャンの真南へ到着したのである。
「よし!!東南アジアの荒廃はこの一戦にかかっている。総員奮励努力せよ!」
宮本大佐が日本海海戦の際の名言に準えてそう言うと日本国防陸軍の兵士にタイ・ラオス軍の兵士も彼に対し、歓声を上げたのである。
ビエンチャンへの入城ももうすぐだ。ラオス奪還は遠い道筋だが、最初の勝利はもうすぐである。その雰囲気が皆の士気を高めたのである。
陸戦同様に海上でも南海艦隊所属の戦略原潜と攻撃原潜が日本国防軍の蒼龍型潜水艦や巡洋艦による執拗な対潜攻撃によって全て海底へ葬られ、海南島を母港とするキロ級潜水艦もほとんどが米潜水艦による軍事港湾施設に対するトマホーク攻撃で燃料が枯渇し、出港不能に陥っていた。
それに対して中国海軍は艦隊を上海へ集めて最終決戦に備えていた。
その中には最新鋭空母定遠の姿もあった・・・・・・
栗本総一のモデルも菅野直です。




