21話
場面転移は宋中佐の尋問→中国軍前線司令部と行きます。
某閣下シリーズ真っ青なシーンもあります。
~在比中国軍最後の抵抗の前日~
日本海軍巡洋艦暁のとある部屋
あれからどれ位経っただろうか、俺は日本海軍の艦に救出され、ヘリ甲板まで這い上がった所で力尽きて意識が途絶えた。
俺はその軍艦の士官室の応急担架で寝ていた。
そして俺が目を覚ますと俺と同年齢くらいの士官がやって来た。
俺は嫌な予感がしたので、身構えたが彼は俺に対して落ち着く様に言う。
「君があの船の副長だとあの船の乗員から聞いた。私は君の尋問を担当するこの船の主計長の宮原だ」
それにしても彼は凄い流暢な中国語を喋っている。留学経験があるのか?
俺はすぐに日本語が喋れる事を伝えると、彼はすぐに日本語を変える。
「えーと・・・・・・名前は何だったけか?」
その士官がメモとボールペンを取ると俺に名前を聞く。
すぐに俺は自分の名前を伝え、経歴の一部を話す。
「ふーん君はキャリア組か、俺は高校を卒業して下士官候補生として入隊した、それと中国語は入隊してから独学で勉強した」
「そうなんですか・・・・・・俺は大学の留学プログラムで大阪の大学に留学してそこで日本語を勉強した・・・・・・あと海口の乗員たちは?」
「海口の乗員?・・・・・・あぁ、あの駆逐艦の乗員の事か?それなら僚艦が彼らを救出したから安心しろ」
彼がそう言うと俺は安心して自らについてや参謀としての話について言う。
部下にすら作戦機密事項を話すなんてすれば銃殺刑ものだが、もうすでに俺はとち狂った連中や虐殺命令を下した連中への忠誠など全くと言う程に無い。
どうせあんな腐敗した国に帰る気は無いんだからドンドン話してやろう。
俺は紙を渡されると生き残った艦の名前を書き、現在パラワン島へ彼らが向かっている事を彼に伝えると、彼は疑い深そうに聞き返す。
「本当なのか?だが俺はまだ信用していない・・・・・・」
彼がそう言うと俺は部屋にいるマシンガンを持った警備の下士官2人の内、壁際に立っていた方に対して衛星通信の地図で確認してくれと頼む。
その下士官は俺を信用していないように見えた。暫くして交代要員がやって来ると俺の話を疑っていたマシンガンを持った警備要員の下士官が別の下士官にマシンガンを渡して去っていく所を見ると俺は話が通じたと思った。
そして5分が立つとそのさっきの下士官が衛星写真を持っていた。
「確かに君の言う事は正解だったな・・・・・・しかしなぜ知っているかが気になる?まさか君は艦隊の幕僚の1人か?」
彼がそう聞いてくると俺は静かに首を振り否定した。
俺が話したのは作戦がもし失敗に終わった時の撤収場所を伝えたのだ。
つまり、俺が言いたいのは作戦が失敗したと言う事だ。
正直言ってもう俺は初出撃だからと勇んでいたマニラ上陸作戦の頃と違い、この戦争を始めた中国政府にうんざりしていた。
だから日本軍だろうがアメリカ軍だろうが、豪州軍だろうが。誰であろうが中国政府や軍の敵に協力してやろうと思っていた。
何が中華民族の偉大な復興だ。何がアジア統一だ。
俺はそう思いつつ尋問担当の士官と話を続けた。
そして最後にこう言い加えた。
「戦争が終わっても俺を中国へ返さないでくれ・・・・・・」
彼は当初、むぅと言う顔をしたがすぐに言い返した。
「わかった・・・・・・俺の知人の外交官に何とかして貰おう。あと君は豪州か米国、それとも日本のどこに住みたいのか?」
「人里離れた場所でのんびり暮らしたいな・・・・・・農村部出身だから隠居するならたらそう言う場所で暮らしたかったし・・・・・・」
俺は実はと言うと北海道の美瑛町に観光で行った事があるからそう言う所で暮らそうと考えていた。まぁ、故郷でもそんな景色があるのだが。
環境汚染とか考えればゾッとする話だから。もう15年も帰郷していない。
そうこうしている内に俺の尋問は終わり、食事が出て来た。
彼に聞くとこの日は疲弊していると思われている捕虜である俺たちに良い食事を出すのに対して、彼らは戦闘食を食べると言う。
俺は久しぶりのちゃんとしたご飯に涙を流しつつ、船の行先を聞いた。
さすがにそれは機密らしく教えてくれないが、多数の捕虜が乗る暁とサンプソンが6時間後にダバオに到着すると、海口の艦長と共に米軍の輸送機でハワイへと向かった。
どうやら俺は米太平洋軍司令部で作戦を立案する際の中国軍の戦略に関するアドバイザーとして特別に呼ばれたらしい。
俺が乗るC-130はゆっくりと離陸して暫くすると隣には6機のF-16戦闘機が護衛として一糸乱れぬ様にピッタリとくっついていた。
夕暮れの空を力強く飛ぶ米軍のF-16戦闘機の姿がとても印象的だった。
4月16日深夜、マニラ中国軍司令部では・・・・・・
空港の地下にある司令部のドアが閉まると1人の陸軍大将の男が地図に指をさし、司令官と思しき還暦間近の男に戦況を報告していた。
「敵は広範に渡り作戦行動中、北部ではルソン島北東部を占拠し進撃中、南部ではダバオからの航空攻撃が、東部では機動部隊の猛攻で制空権喪失、西部海域では日米合同艦隊が進撃中・・・・・・」
50代の男がそう報告すると司令と思しき男が更に続く。
「広東機動部隊さえやってくれば大丈夫だ・・・・・・」
司令と思われる男がそう言うと大将Aが口籠りつつも答える。
「鄭司令・・・・・・大変言いにくいのですが・・・・・・」
今度は海軍大将が大将Aに続いて発言する。
「広東機動部隊はたった今、壊滅的打撃を蒙り、パラワン島へ離脱。艦隊自身も継戦能力がありません」
大将Bがそう言うと鄭援運司令が陸海空軍の司令と自身の幕僚以外に退出する様に命じ、一般の士官や下士官、それに兵士たちは退出した。
「何であの広東機動部隊が簡単壊滅するんだ!!フィリピン占領軍司令たる私の言う事聞かなかった結果だろう!何だかんだで役立たず目!」
司令がそう言うと空軍大将が反論する。
「ですが空軍だってマニラ防空に手一杯です!」
「マニラ防空って言っても落ちるのはこっちの機体だけじゃないか!」
「司令、それはいくら何でも言いすぎです!」
「じゃあ何か反論してみろよ、この無能な臆病者めが!」
司令がそう怒鳴っていたのが聞こえていた将兵の内、2人いる空軍の女性戦闘機乗りの内、1人が泣いており、もう1人がその彼女を慰めていた。
「仕方ないのよ・・・・・・あの司令は疲れているのよ・・・・・・」
そして暫く怒り続けた司令は最後の作戦命令を下した。
「明日朝5時を以て在比占領軍の陸海空の使える全ての戦力を投入、最後の反撃作戦を開始すると・・・・・・これで日米豪3国軍を打ち砕く事が出来なければ、この戦争は負けだ・・・・・・」
司令がそう言うと彼は自ら戦闘機に乗り込み、最後の反撃作戦の陣頭指揮を執ると言う旨を北京へ暗号無線で送ったのである。
翌朝、4時30分。
マニラ空港のエプロンには精鋭とも言える部隊に所属する6機のJ-31戦闘機と別の航空隊からマニラに命からがら追撃を逃れて到着した1機のJ-31と在比中国軍初期からいるJ-11戦闘機が1機、J-10が17機並んでおり4個中隊は構成可能な戦力が残っていた。司令は自らが搭乗する機体としておそらくこの中で最も高性能なJ-31戦闘機に乗り込んだ。
「何か嫌な予感がするな・・・・・・まぁ、良い・・・・・・行くぞ!」
そう言ったのは6機のJ-31で構成された精鋭部隊の副隊長、瀋軍明中佐であった。彼はセレベス海上空で発生した日本軍の精鋭部隊とJ-31を装備する我が軍の精鋭部隊との空戦で6対6のフェアな条件で、加えて機体の性能に関してもこっちが上であったにもかかわらず、相手に被害を与える前にこちらが被害を受けて2機が撃墜された話を思い出したのである。
一方、ダバオ空港でも日本国防空軍の杉野率いるデーモン中隊と周率いるオリオン中隊のF-2戦闘機計12機と笹村率いる6機のF-15が米空軍のF-35やF-15C/D/EとF-16Cに加えて豪州空軍のF-18E等合計36機と共にマニラ奪還作戦の前哨戦である完全制空権掌握の為に飛び立ったのである。
そしてダーウィン空軍基地からはその数時間前に米空軍の早期警戒管制機であるE-3”コールサイン・スカイコマンダー”が飛び立っていた・・・・・・
そして海でもパラワン島から最後の出撃に備え、巡洋艦上海、駆逐艦銀川等が一斉に出港し、艦隊決戦に備えて陣形を整えていた。
無論、日米豪3か国艦隊は扶桑、M・モンサーを中心に、金剛型CG、愛宕型CG、秋月型CG、ホバート級CG、初霜型CMにアーレイ・バーク級DDGにアンザック級フリゲートなど40隻が一斉に集結していた。




