78 飛竜と共に
職人・グストフさんの腕前は見事なもので…俺もちゃっかりその技術を勉強しようと思ってたけど、この技術をまねるだけでもかなりの経験が必要になりそうだと黙って見ているしかなかった。
本当にすげぇんだよ!あの硬い飛竜のウロコを、何の迷いもなくポイッと火の中に放り込んでじーっと見つめてると思ったら、ふと合図でもあったかのようにいきなり手を動かしてそれを火から引き揚げて!
ぼんやりと光と熱に包まれたウロコをそのまま、不思議な形の透明なツボに入れた瞬間!そのツボにキラキラ光る白い砂と、澄んだ青色の水をドバーッと入れて満たして…。
うん、俺、全くついていけませんでした…!その作業、どんな目的があるんだよみたいなのばっかりで…!もしレベルってものがあるなら、俺が道具加工スキルをあと30レベル上げたところで追いつけるようなものじゃない…。
口をポカーンと開けたまま作業を眺める俺の横で、グストフさんは老いも感じさせない手早さでさくさくと加工を進めていく。途中、精霊石を砕いたらしい砂とかも入れてたし。
時間が過ぎて時計の鐘が鳴ってもグストフさんには聞こえてないらしい。時々俺に指示をくれたり説明をくれる以外に無駄話は一切しなかった。
穏やかな爺さんに見えたけど、こうやって見るとまさに『職人』だ。俺が何度か指示された材料や道具を間違えたときも、やんわりした口調だけどちょっと厳しく注意したり。俺もポカーンってなってただけじゃないからな!手伝ってたから!
目もまわるような忙しい作業が一息つくころには、俺もグストフさんも汗をかいてるほどだった。ちょっと懐かしい匂いのするタオルを借りて汗をぬぐってると、グストフさんが工房の隅の棚を開けてるのが見えてそっちへ行ってみる。
何してるんだろう、と覗き込むと、幾つかの金具やヒモ、飾りの小石などをグストフさんが棚から引き出していた。む、これは仕上げの作業が近いのか…!
俺を振り返ったグストフさんは、俺の顔を見てにっこりした。白いもふもふのひげが、口を開くたびにこれもまたもふもふ動くのが…い、癒しだ!
「あと少しでいよいよ笛に加工できますな。初めてのアシスタントにしては、とてもとても優秀ですぞ。弟子に欲しいくらいです」
「いや、そんな!けど俺、やっぱり甘く見てました。もっと簡単で大雑把な作業だと思ったのに、すげぇ緻密というか…細かいというか」
グストフさんは俺の言葉に、ホッホ、と朗らかに笑ってみせた。つぶらな瞳がパチッと瞬き、どこか遠くを見るような表情で語り始める。俺も近くの椅子に腰をおろし、その言葉に耳を傾けた。
「奥が深いのです。剣士が剣を極めるのと同じで、職人もその道を極めるのです。しかし、どれだけ成長できても『極めた』と言い切れる人間はこの世にはいないと私は思うております。言いきれば、そこで『終わり』ですからな。
もし目指す者がいらっしゃるなら、その人に聞いてみると良いですよ。あなたはもうその道を極めたのか、と。そうだと頷かれれば大した器じゃありませんなぁ。まだだ、と言われるなら、その背を追うと良いでしょう。
師に学ぶことは良いことです。友と競うことも良いことです。ですが、終わりのない果てを共に目指せる者でないと、…えぇ、もったいないことですな」
まるで自分に言い聞かせてるみたいだ…。俺から見たら、グストフさんも立派な職人なのに。…きっとグストフさんの師匠はとても偉大だったんだろうな。グストフさんもまだ技術を磨くことを辞めていない。
俺の師匠って誰だろう?ふと考えるとまずヨーウェンさんが浮かんだ。全く薬草学を知らない俺も、ヨーウェンさんのおかげでアシスタントができる程度には成長したんだし…。あとは、なんだろう?
小物細工も俺の趣味の範囲だから、誰かに学んだわけじゃない。盗賊の時は…学ぶ前に、自分からその術を覚えてきた。戦い方も、自分のスタイルに合わせて出来上がったものだし。
「師匠かぁ…」
「無理に師を仰がなくともよいのですぞ。そうですな……、私も若い頃は、この人に勝ちたい、見返してやりたいの一心で学んできましたのでな」
グストフさんが手にしていた金具を作業机の上にバラッと並べた。工房の端でときどきキラキラ光る煙を発しているツボを見てから、グストフさんは俺を見てホッホとまた笑う。
「おりますかな、そのような人が」
「……はい。いろんな面で敵わないけど…いつかギャフンと言わせたい奴が」
「ならばギャフンと言わせるしかありませんな、ホッホッホ!」
頭に浮かぶのは、やっぱりあいつだ。あの野郎に参りましたと言わせるまで俺は立ち止まれないな!何が氷の城だ、何が魔王だ、何がノイモントだ!関係ない。そうだ関係ない!そんな問題さっさと片付けて、あいつをボコってやる!
ガタッと椅子から立ち上がると、グストフさんが片眼鏡をかけた顔をこっちに向けて、さぁ、と口を動かした。
「昼を回りますが、あと少しです。それでは仕上げに入りますかな?」
「はいっ!」
**
小さなトンカチがコツコツコツと机の上でリズムに乗ってる。そのたびに机の端にばらまかれた砂の山がサラサラと音を立てて崩れていく。俺は真剣に作業を続けるグストフさんの後ろで、ごく、とつばを飲み込みながらその作業を見ている。
グストフさんは小さな金属のパーツや木のパーツ、それとあんなに硬かったのに今はぐにぐにと柔らかく曲がる竜のウロコ、あと小さな飾りの石を綺麗にくっつけていく。大きさは手の中にすっぽりと収まるほど小さい。
確かにこれは犬笛と勘違いされても仕方ないかも、という大きさのそれはグストフさんの職人技によってだんだんと形になっていく。小さい筒状の呼子笛、つまりホイッスルだ。基礎は金属や木のパーツ、それにウロコが木の皮のように巻きつく。
巻きつけたウロコの端を銀色に光る糸で縫いつけると、針で飾りの模様を小さく彫って最後に小さな黄緑の小石を飾りとしてくっつけた。ピンセットが震え、ことんと机に置かれるとグストフさんが息をついた。
…お、終わりか?俺がグストフさんの顔を覗き込むと、にこっとお爺さんの笑顔が返ってきた。
「できました!これが竜笛…人が吹いても音は聞こえませんが竜には届く、今や幻の道具です!」
「うおーっ!かっこいい!グストフさんすげぇーっ!」
ほれ、と渡された竜笛が俺の手の平にころんと転がる。ぎゅっと握ると、まだほんのりと熱を感じる。かりかりと爪でひっかいてもウロコは剥がれないし、飾りの小石も取れない。…ちっちゃいけど、なんかすごい気がする!
って、待てよ!そういえばグストフさんは若い頃、竜笛をうっかり壊したって言ってたよな!?せっかく作ったのに俺が壊したりなんかしたら、と俺が動きを止めると、グストフさんが笑った。
「ホッホ、安心なされ。私なりに、強度を上げておりますのでな。大剣で叩いても壊れないはずですが、竜笛には特性があるようです。これも調べたことですが長く使えば使うほど、ウロコはまた硬くなり壊れにくくなると。
伝説で、竜のウロコを使った剣があるとご存知ですかな?何よりも固くしなやかで強い竜の剣は、そのウロコの特性…長く使えば使うほど強靭になるという特性があってこそなのです。
その竜笛は差し上げますので、どうか大事に使ってくだされ」
「…本当に俺が貰っていいんですか!?」
「最初にそう申し上げましたでしょう。私はただ、この笛を自分の手で完成させたかった…それだけなのですからな」
片眼鏡を外し、グストフさんがその白いひげをなでる。古びた工房の中で、ほんわかと淡くオレンジに照らすランプが少しお爺さんを照らした。優しい光が、グストフさんの穏やかな表情をほんわかと映し出す。
俺はもう一度、手の中の竜笛を見つめた。…もう一度、あのワイバーンを呼べるかな?また会えるかな?そんな期待が、ランプの光のように淡く心の中で灯されてるのを感じて俺は顔を上げた。
「…ありがとうございます!大事にします!」
「いえいえ、よいのです。私も若いあなたとお話しできて新しい刺激になりましたのでな。しばらくさぼりがちになっていたこの工房ですが、また新しい作品を作る気力がでてきました。
この老いぼれグストフに希望をくれた、シエゼ・ルキスの少年。どうか最後に、名前をお聞かせくだされ」
グストフさんが工房の出口にゆっくりと歩いて俺を振り返る。あ、…俺、名乗るの忘れてた!ぎゅっともう一度竜笛を握りしめ、朗らかな笑みを浮かべるお爺さんに歩み寄る。お爺さんと最後に握手して、俺は負けない笑顔を見せた。
「俺、ステイトっていいます!またネーディヤに来たら…ここに遊びに来ます!」
「ホッホ!是非、工房ラドーニの名を広めてくだされ」
グストフさんに見送られて、俺は宿に戻る。…早く竜笛を試したい、そんな気持ちを抑えながら何気ない顔をして宿に戻るのは俺にはちょっと難しい。思わずにやにやしてしまう表情を、宿のおばさんが呆れ笑いで迎えてくれた。
**
昼、俺は装備を整えて一度町を出た。人けのない草原をしばらく歩き、障害物も魔物も人間もいないだだっ広い草原の真ん中で、一人大きく深呼吸。すーはー………、よぉし!
当然、ここまで来たのは貰ったばかりの竜笛を試すためだ!町で試したら大騒ぎになるかもしれないし、町に来る前に出会ったガラの悪いハンターたちがいても厄介だ。誰もいないことをちゃんと確認してから、俺はポケットから竜笛を出す。
掌に収まる小さな笛。恐る恐る口に当てて、俺は思いっきり息を吹き込んだ!
――――・・・・・・・・・……
…む、無音…。
あ、音は竜にしか聞こえないんだっけ。力んで勢いよく吹いたはずなのに無音だから、まさかもう壊しちまったのかと一瞬焦った!もしこれで周りに人がいたら、アイツ何やってんだろうって不審な目で見られそうだ…!
けど何かが起きる気配はない。おかしいな、と思って笛を口から離したとき。
――――ヒュオオオッ!
つい最近聞いた、風音のような鳴き声。はっとして顔を上げたとき、空が暗くなって強い風が吹いた!…ほ、本当に来たのか…!?
俺が顔を上げたのと、その鳴き声の主が草原に舞い降りたのは同時だった。まだお別れして間もないのに、元気そうな姿を見てほっとした。…あのワイバーンだ!ちょっと小柄で、それでも馬や牛なんかよりは遥かにデカい飛竜!
思わず見上げて言葉を失っていると、ワイバーンの首がひょっと伸びて俺を草原に押し倒す。うおっ、元気そうってレベルじゃなかった!あまりふかふかでない草原に転がった俺に、甘えるように飛竜がその首を摺り寄せる。こ、こらこら!
犬猫じゃねぇんだから!しかもウロコざらざらしてるし!けど俺も懐っこい飛竜に、やがて声を上げて笑っちまった。
「ちょ、や、やめろって!元気そうで何よりだ、いきなり呼んで悪いな……ってくすぐったいからやめろ!」
すりすりと俺の体に身を寄せていた飛竜が、黒の目をきょろっとしてそっと体を離した。竜笛、ちゃんと機能するんだ!飛竜は俺の言葉にヒュオォ、と声を上げた後、また黒の目でじっと俺を見る。
狂暴なはずのワイバーンだけど、こうやって見るとけっこうカワイイような気もするな。俺が背を撫でてると、キン、と頭の中で何かの音がした。ん、と首を傾げた時。
『呼ンデ、クレタ。嬉シ』
突然頭の中に、片言で雑音交じりの声が聞こえた。へ、とびっくりして顔を上げると、飛竜がファサッと翼を誇らしげに広げる。……え、え?さっきの、…!?恐る恐る顔を上げて俺は飛竜の目を覗き込んだ。
「お前、…喋ったりした?」
『ヒトノ、コトバ、難シ。オレ、べんきょーシタ』
「…この短時間で?」
『話セタ。嬉シ』
またヒュオオ、と声が上がる。…こ、こ、こいつ!俺と出会って別れてそんなに日も経ってないのに…俺にまた会えると確信して人の言葉を勉強したのか!?う、う、うわぁ…飛竜ってすげぇ…!やっぱりただの魔物とは違うのか!
思わず感動しちまった俺は、飛竜の首に思いっきり抱きついた。ひんやりしてるし犬猫みたいにふわふわしてるわけじゃないけど、…す、すげぇよ!こいつ…!
「すげぇ!お前、すっげぇよ!飛竜と話すなんて…おとぎばなしじゃねぇんだぞ!」
『ホメラレル、嬉シ』
「あ、他の仲間は元気か!?』
『ナカマ、ゲンキ、楽シ』
草原の真ん中、ここにいるのはデカい飛竜とちっちゃい俺だけ。他には誰もいないし何もないけど、俺はすごくわくわくして感動している!だってだって、飛竜だぞ!?おまけに話せるようになってんだぞ!?どんな進化だよ!
驚きと感動がごちゃまぜでずっと抱きついてたけど、さすがに苦しいかなと思って離れた。そういえば、こいつの名前を知りたいな。また見上げると、黒の目がきゅるっと動く。
「そうだ。お前の名前ってなんて言うんだ?」
『ナマエ!オレ、うぃる!すてーと、呼ンデ!』
ウィル、か。いい名前じゃん!それに、俺の名前覚えてくれてたんだ。まるで犬みたいに俺に懐いちゃっているウィルが、目をきらきらさせて俺を見てるのに思わず笑いながら名前を呼んでみる。
「ウィル、これから何度か呼ぶだろうけどよろしくな」
『嬉シ!オレ、すてーとニ命、助ケラレタ。ヒト、キライ。ケド、すてーと、違ウ。オレ、助ケラレタ。オレ、すてーとノ、役ニ立チタイ』
バサァッと翼をはためかせ、ウィルが草原に風を巻き起こす。不思議と優しい風を受けて、俺は微笑ましい気持ちで目の前のワイバーンを見た。竜の恩返し、って!笑う俺を不思議そうに見ながら、ウィルが続ける。
『オレ、すてーと、助ケル。ナカマ、ソレ許シタ。今モ、すてーと、探シテタ。ウロコノ音、聞コエタ。すてーと、見つけた』
「…つ、つまり…お前は俺を助けてくれるってことか?」
『オマエ、違ウ!うぃる!』
なんだこの可愛い生き物は。俺よりも何倍もデカくて強くて威厳があるはずの飛竜なのに、ぷんすかと俺の言葉に怒ってるのが分かって…なんていうか、ちっちゃい子供を見てるみたいで可愛いっていうか…!
俺がまた笑い出したのを見て、ムッとしたのかウィルがまた風をブワッと起こした。そ、そんなことして力を見せられても、…あはは!こいつ話してみたら面白い奴じゃん!
それじゃ、と俺が手を前に出すとウィルが不思議そうにその手を見た。握手はできないけど、と俺は笑ってみせる。
「じゃあ、友達ってことで。ありがたくウィルの力を借りるぜ、よろしく頼む!」
『……嬉シ!』
片手に握ったままだった竜笛がじんわりと温かくなる。俺が差し出した手に、ウィルはまたその鼻先をぐいぐいと押し付けた。うーん、やっぱりこう見ると犬っぽい!かっこいいんだけど、…何故か可愛い!
覚えたての言葉なんだろう、ウィルは何度も『嬉シ!』を連発しまくってたから俺も言葉を教えてやらなきゃと心の中で密かに決意してたり、な。
**
その日の夜、俺は宿を出た。頃は真夜中になるちょっと前だけど、もう出て行くと宿のおばさんに行っても怪しまれたりはしなかった。きっとおばさんもこんな夜に出て行くようなワケアリの客には慣れてるんだろうな…。
空は曇っていて星も何も見えない。町を出て草原をしばらく歩いても、塗り込められたような闇が続いていた。
なんで俺がそんな夜に町を出たのか。それは、飛竜のウィルの助けを借りて一刻も早く『帝都』を目指すため。昼間にウィルを呼んだら目立つかもしれないし、それ以前に俺の旅支度が日中には終わらなかっただけなんだけど…!
ウィルに直接帝都まで連れて行ってもらうんじゃなくて、近くの山か草原かで下してもらおうと思う。ウィルはあまり人間を好いてないし、俺だってまたガラの悪いハンターたちに見つかりたくはないしな。
ある程度草原を歩き、魔物や人の気配がないところで俺はまた竜笛を吹いた。すぐに風の音が聞こえ、ウィルが闇の空から舞い降りる。昼間に相談しといたから、ウィルに説明し直す必要はないよな。
『ソラ、寒イ。すてーと、平気…?』
キン、と頭の中に澄んだ音が聞こえた後にウィルの『声』が流れ込んでくる。俺は翼を広げて姿勢を低くしてくれたウィルの背にゆっくり乗りながら、その背のウロコをさすった。
「大丈夫だ!俺の着てる服、特別製で寒さも完全ガードできるし。それより、夜中に飛んでもらってごめんな」
『オレ、平気!行キ先、ヒトノ大キナ町。時間、カカル。…ダイジョウブ?』
「あぁ。…ありがとうウィル、世話になるぜ」
『役ニ立テル、嬉シ!』
バサァッと翼が大きく動く。俺もしっかりウィルの体に腕を回して、振り落とされないように必死!しばらく俺は目を瞑ったままだったけど、頬に緩やかな風を感じるようになってそっと目を開いた。…もう、飛んでるんだよな?
ゆっくりと下を見下ろしても、もう夜の闇しか見えない。辺りを見回しても、上を見上げても、そこには闇しか続いてなくてちょっと不安になる。だって、俺もハッキリ見えるのなんて自分の手元ぐらいだ。
それでも風が顔に吹き付ける。ウィルが翼を動かす音が、風を切る音に混じって聞こえてくる。…あぁ、飛んでるんだ。じわじわと実感が湧き起こるとワクワクするのと不安になるのと両方の感情が溢れてくる。
たまらなくなってぎゅっとウィルの体に力を込めてしがみ付く。お、落ちたりしたらどうしよう!いやでも、…考えるな俺は大丈夫俺は大丈夫ダイジョウブ!
変わらない空の暗さにもう一度目を閉じると、ウィルの『声』がまた頭の中に流れ込んできた。
『すてーと、恐イ?』
「…ちょーっとビビっただけだから平気平気!」
『……すてーと、オレノコト、……信ジテ』
一瞬、頭の中の声が鮮明に聞こえて俺は目を開いた。流れてくるウィルの声は雑音が常にかかっていて、性別も年齢も何も分からない記号のような『声』なんだけど…さっき聞こえたのは、すぐ近くで誰かが呟いたようなはっきりした声だった。
俺と同じくらいかもうちょい上かって年頃の、少年…いや、青年?低くはないけど、聞こえやすくてしっかりした声音。開いた目に飛び込んだ景色は相変わらずの暗闇だ。それでも…さっきよりは目が慣れたかも。
…ウィルが俺を落ちつかせようと減速したことに俺が気づいたのは、頬に感じる風が弱く穏やかになっていたからだ。
上空にぼんやりと薄明りを感じながら俺はウィルの背のウロコを撫でた。…あぁ、情けないな…こんなことにビビるなんて。どうせなら…楽しんでいかないと損だよな!
苦しくない程度に、と遠慮しながらもう一度ウィルの体に強く抱きつくと、ウィルがまた少し速度を上げた。
「…ありがと、ウィル。もう落ち着いた。もう恐くねぇよ」
『……すてーと、アッタカイ』
飛竜に乗って飛ぶ気分はどうだ、って誰かが聞いても俺は上手く答えられないだろうな。けど、慣れたらきっと悪いもんじゃないんだろう、とウィルの背で俺は見えもしない遥か下の地上を見つめた。
朝はまだ、随分遠そうだ。
**
昼間は山の洞窟を探して休憩して、夕方と夜はまたウィルの背に乗って飛ぶ。朝が近づくと休憩できる人里離れた山や草原に下りてまた休む。それを繰り返してもう数日経った。
馬車で三週間以上はかかるって聞いてたからな…。道も障害物も関係なく飛んで行けるウィルにとっても長い距離には違いない。まだ帝都に着くまでは数日かかりそうだ…。
ずっと黙ってるのもツラかった俺は、ときどきウィルに言葉を教えたり雑談したりして時間を潰した。休憩に下りた山や森を歩き回ったりするのもけっこう楽しいし!
魔物も確かに見かけるけど、空を飛ぶ魔物はウィルの堂々とした態度に恐れをなして逃げていったり、それでも襲って来た奴はウィルの攻撃にあっさりと消えていった。…た、頼もしいな飛竜…!
んじゃ俺は働いてるのかって?…いやいやいや、山や森、草原で襲ってくるやつは俺が倒し……たかったんだけど、ほとんどこれもウィルの威嚇で戦わずに済んでるというか…。
…完璧に俺、ただの荷物です。ハイ。
ほんと、群れを離れてまで俺を運んでくれるウィルには感謝しかできない。いくら命を助けたって言っても、これじゃ俺の方が助けられてるようなもんじゃねぇか…!
なんとかウィルを労われないか、と考えてみるけど…ウィルが喜ぶものって何だろう。飛竜って何か趣味でもあるのかねぇ…?
帝都まであと数日。そんな夜、俺は岩山の洞窟で体を休めるウィルに思い切って聞いてみた。
「なぁウィル!俺、お前に何かお礼ができたらと思うんだけどさ…何か欲しい物とかあるか?」
『欲シイ、モノ?』
黒い目がきゅるっと動いてじーっと俺を見つめ返す。果物ぐらいなら町に着いたときや森でも探せるんだけど、と思いながら返答を待つ。しばらく迷ったらしいウィルは、ムゥ、と呟いた。あ、俺の頭の中で、なんだけど。
『…モノ、ジャナイ。…スゴクナリタイ』
「す、すごく?強くとかじゃなくて?」
『強ク、賢ク、成長シタイ。ソウスレバ…』
一度目を閉じたウィルがその黒い目をゆっくり開いた。なんだろう…?強く賢く成長とか俺もそうしたいんだけど。薄暗い洞窟の中で、黒いウィルの目がちょっと輝いているようにも見えた。
『…ヒトガタ、ナリタイ。偉大ナどらごんノヨウニ。オレ、マダ未熟。ヘンカマホウ、使エナイ』
「ひ、人型?確かにドラゴンは人型にもなれるもんな…。けどなんでまた。ワイバーンもかっこいいと思うけどなぁ」
かっこいいじゃん、飛竜。最初見たときはだいぶビビったけど、こうやって仲良くなってみればウィルも頼もしくて立派なワイバーンだ。どこかのドラゴンを見てみろ。こんなに立派じゃねーぞ、ワガママで腹黒くてうるさくて!
まだまだお子様なドラゴンのエルピスを思い出し、ため息をつきそうになっているとぽつりと頭の中にウィルの言葉が流れてきた。
『…トモダチ』
「ん?」
『オレ…友達イナイ。…ナカマ、家族。ケド…友達イナカッタ。すてーと、初メテ』
「…そっかぁ。俺が初めての友達なのか。お前ラッキーだぜ、こんなにナイスでグッドで素晴らしいステイト君とお友達になれたんだからな!なんちゃって」
あっはは、と笑ってみるとウィルはその首をこくんと頷かせた。お、おいそこは笑うところなんだけど?けど俺のそんな一人ズッコケも気にしない様子で、またしみじみとウィルが続ける。
『ヒト、コワイ。キライ。ケド…すてーと、イイ奴。オレ、モット仲良クナリタイ。ヒトガタ、ナレタラモット…仲良クナレル?』
「俺はそんなこと気にしないって!そりゃ一緒に街を走り回ったり店に行ったりするのは楽しいかもしれないけど…」
ウィルが人型になったらどんな奴なんだろう?一人称はオレだから、多分…オス?犬っぽいから弟系?いやでもしっかりしてるし…うーん。俺より強そうなのは間違いないな。
勝手に想像して唸ってると、ふいに視線を感じた。おっと、ウィルを置いてけぼりに妄想するのはダメだよな。よいしょ、と乾いた洞窟の岩場に腰を下ろして、俺は首を傾げた。
「けどそうなるとお礼じゃないよなぁ…。うーん」
『…モノ、イラナイ。代ワリニ、…願イ事、アル』
「よぉし。何でも言ってみろ」
暗がりの中で、洞窟の入り口から入ってくる陽の光を見ながら俺は頷いた。ウィルは一呼吸おいてから、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
『…オレ、コトバべんきょースル。スゴクナル。ヒトガタ、ナレタラ…町デ遊ビタイ…』
最後の方の声が、また鮮明に聞こえた。やっぱり少年か?いや青年か…?ってそんなことは今はいいよな!すぐに俺は親指をぐっと立ててウィルに笑う。
「じゃ、俺もウィルと一緒に町で遊べる日が来るの、楽しみにしとくぜ!俺の出身…シエゼ・ルキスの王都、シューティヒアを案内してやるよ!」
『…楽シミ!オレ、頑張ル!』
ちょ、ウィル!頑張るのはいいけどこんな狭い洞窟で翼広げるな!思った通り思い切り翼を岩壁にぶつけた目の前の飛竜に俺は声を上げて笑っちまった。
帝都まで、あと幾つかの夜を超えれば辿り着く。ネーディヤ帝国の中心…帝都・ヴィーシニャ。何かときな臭いネーディヤ帝国の要へ…もうすぐ着く。
余計なことには首突っ込まずにさっさと氷の城についての情報を集めて進まなきゃな!
まだぶつけた翼を痛がるウィルに笑いながら、俺も心の中で新たに決意する。
…あぁ、本当に余計なことには絶対に首突っ込まないんだからな!




