68 魔物使いの黒頭巾
やべぇぞ。これは…ダメなパターンだぞ。謎の5階に遊びに行ったらでっかい黒狼の魔物に遭遇して追い詰められて、逃げ込んだ先は行き止まりの狭い屋上!今俺は、屋上の入り口の扉の前で唸る黒狼を屋上側から睨んでいた。
扉の大きさは普通の人が通れる程度のサイズだから、馬よりもデカい狼はこっちに入るのに苦労してるらしい。丸太みたいに太い黒くてフッサフサした前脚が、狭い扉の枠からダンダンダンと出ては俺を引きずり出そうとしてる!
ややややべぇ!どうしよう!武器もないしトルメルの力も使えないし俺は魔物と会話できたりしないし!いや、魔物に知性はないんだろうけど!
狼魔物はさっきから何度も枠に体当たりして体をこっちに押し入れようと必死だ、けど来ないでくださいお願いだから!まだ死にたくねぇんだよ俺は!
そうだよ、ゾイが仮に俺を殺さないと約束してくれたって、魔物に襲われて死んだらそれは事故だから仕方ないに決まってるじゃんか!でもまさか魔物がすみついてたなんて思わなかったし…!
ダシダシダシ、と狼の太い前脚が引っ込んでは出てを繰り返してる。その前脚から逃げるように俺は屋上の壁にもたれかかった。もしここで壁を狼が突き破ってこっちに来たら…俺は美味しく食べられてしまう…。
もちろんお断りしたいけど拒否権はなさそうだ!グルルルと低いうなり声が絶えず聞こえてくる…!
俺はなんとか逃れるすべはないか壁を指でなぞる。何かこう…屋上なんだからさ!隠し通路への何かとかねーのかよ!?けど灰色の石壁はところどころが苔むしていて、ツタまで這ってる始末。長い間使われてないみたいだ。
それに特に何も見つからない。スイッチとかねぇのかよ、あるだろ普通!そこからどこかに抜け出せるとか…っ!
「ガウッ!」
「あーもう!どうすりゃ………、お?」
出てこいや、とでも言いたげに見える狼の魔物の咆哮に頭を掻いてると。ふと壁の一カ所がキラッと光った気がしてすぐに俺はそこに張り付いた。後ろで狼がまた頑張って前足を伸ばしてるのも後回しだ!
俺が本気で跳躍しても越えられそうにない屋上を囲む壁、その上から丸く見える星空。その星のわずかな瞬きのように輝いた『そこ』を探しだし、周りに生えている苔を指と爪で掘り出す。すると!
「これ…鍵穴?」
そう、見えたのは鍵穴。小さな銀のプレートが生えていた苔の後ろに隠されてた!その親指の先ほどの銀プレートの真ん中に、小さな穴がある。よく見ると鍵穴…か?何だこれ?よく見ないと分からないな。
だけど、もうちょっとよく見ようと俺が顔を壁に近づけるのと、狼が思いっきり体当たりして入り口から体を屋上にねじ込んだのは同時だった!
「ガルルルッ!」
「ぎゃあああああ!!?」
ちょ待て待て待て今はダメダメダメダメ!いきなりかよ!狼がびょーんっと入り口から!飛び出して!来た来た来た!バッと勢いよく!その大きい口がガバァッと開いて、俺は動けないまま叫ぶしかできずに…!
世界がスローモーションに見えた。あぁ…まさか魔物に殺されて終わりとは…。ごめんな、俺と関わってきた楽しい仲間たち、王都の愉快な皆、そしてバカニコラを始め俺を怒らせた大勢の人たち…!ここで俺は…お別れだ…!
と、思った時。
「おすわりー」
「ガウッ!」
と、と、突如。俺がこの世とのお別れの挨拶を必死に頭に思い浮かべていたときだ。ぐにゃっと捻じ曲げられた入り口の方から、くぐもった声が聞こえた。あれ、聞いたことある声だ…と思うと、なんと狼が大人しく指示に従った!
な、なんだよコレ!どういうこと……?俺は腰をぬかしてぺたんとしりもちをついた。目の前で狼が俺をじーっと見ながらおすわりしてる!その後ろからぬっと現れたのはその声の主だった。
「からかってごめんって言いたいけど、俺も前に騙されてるからねぇ。これは仕返しってことで」
「あ、…黒頭巾!」
黒狼の隣にあくびをしながら現れたのは、黒いフードに緩いふわふわの茶髪が見え隠れする、ぼーっとした表情の青年だった。赤い目の下には相変わらずクマができていてちっとも健康的には見えない。
星明りに照らされたその表情は僅かに笑み、へたりこむ俺に手を差し出す。…黒頭巾!そうだ、俺が前に騙してボコって逃げた…噂では魔界でも有名な魔物使い。ロザが認めてるんだからきっと実力はあるんだ。
「よぅ。久しぶりー、少年」
「仕返しならしゃーないな。…けど、俺のことを王都で捕まえたのもお前なんだろ?」
「まぁね。オカゲで生活には困らないほどのお金が貰えたからなー」
シェンユゥみたいに無表情、ってわけじゃない。ただぼんやりして何もかもがめんどくさそうな表情を浮かべてる、気だるげオーラ全開の青年…黒頭巾は俺にとっては謎の存在だ。
今も見事に服従させた狼魔物をのほほんと撫でながら、くあぁ、とあくびをしている。俺は黒頭巾の手を掴んでゆっくり立ち、すっかりおとなしくなった狼の魔物を見つめた。
「…こいつ、お前の魔物なのか?」
「ん、そう。俺は魔物と意思疎通し、操ることができるから。中でもこいつは俺の一番の相棒…。俺、たくさんの魔物を操れる。その中でも5匹は俺の相棒たち。こいつは一番強い。つか、弟…みたいな感じ」
黒頭巾の言葉に、ガウッと小さく狼が吠えた。俺はその狼を見ながら、あれ、と首をかしげる。だってこいつ魔物なんだろ?魔物って知性も何もないはずなのに、こいつはなんだか…。
「魔物らしくない、ってこと?」
「へ?……うん。だって、魔物って感情とかさ、そういうの無いんだろ?生き物って言うよりは『現象』に近い存在って言うか…」
俺の心を見透かしたように黒頭巾が赤い目を揺らした。高い夜空から降り注ぐ星明りが、黒の狼をほんのりと照らす。黒頭巾はぎゅっとフードを深くかぶり直してぼそぼそと答えた。
「そう。最初は現象。けど、命を吸収すればするほど、そして魔力を取り入れるほど強くなるし『命』に近くなってくる。こいつはほとんど『命』だから、知性も感情も備えた魔物ってこと」
「へぇー…そんな魔物いるのか」
「説明、めんどい…。…俺の相棒たち、皆そんな奴ら。こいつ、怖く見えるけどお茶目でイタズラ好き。さっきも少年を見て、遊びたいって尻尾振ってたから解放した」
「…それは嬉しくない」
だって本気で死ぬだろ、こんなでっかいのと遊んでたら!くっそー、こいつに殺す気が無くても遊んでるつもりでも、俺は死ぬかもしれないんだよ!人間は軟弱なんだっての!
そんな思いで狼を睨むと、狼がグルルル、と低く唸りだした。うおっ!けど俺がそれに一歩退いた瞬間、ぴたっと唸り声を止めて涼しい顔で尻尾を振り始める。……こいつーっ!
「あーもう、この狼絶対に俺のこと馬鹿にしてるだろーっ!」
「うん」
「即答ーっ!黒頭巾、こいつに伝えてくれ。俺で遊ぶな、と」
「ん…っと。…尚更遊びたくなってきたって」
…。俺はその返事に、黙って星空を見上げた。うん、諦めた。つーか、冷えてきたな…。そろそろ部屋に戻るか、って待て!俺はぎゅんっと勢いよく黒頭巾を振り返って睨む。
助かったーっていうのと、黒頭巾と再会したことで疑問がすっかり吹っ飛んでた!
「そうだよ!何でお前、こんなところにいるんだ!?しかも魔物まで自由に解放して!」
「あれ?魔王から聞いてない?…まいった、俺、説明苦手…。めんどい…」
「いいから!説明!」
「んあー…。…監視員。少年を捕まえた俺とシャムロック三兄弟で、少年の監視員になった。それで、俺と俺の魔物は5階を貰った。シャムロック三兄弟は数日後に来ると思う…」
…。…なんですと!?しかも5階、お前の階かよ!んだよゾイの野郎、何が『自由に使っていい』だよ!こいつらの城じゃねーか、そんなんだったらまた後で来るらしいシャムロック三兄弟なんて、棟制圧してきそうなんだけど!
思いっきり文句を言おうと黒頭巾に詰め寄る俺の前に、スッと黒狼が出てきて大きな前足を俺の頭にボスッと置いた!うお!力強いっ!
「ガウ」
「そいつ、アディーン。他の仲間もまた、紹介する。…よろしく、少年」
「よろしく、じゃねーよ!つかこの狼、名前あるのか」
見上げると、狼はまたグルル、と唸る。けど敵意は感じられない。こりゃ俺のことを舐めてやがるな…。って、名前。そうだ、気になってたんだよな…『黒頭巾』の名前。ぱっと黒頭巾を見ると、赤い目がぼんやりと闇に輝く。
「何」
「いや。黒頭巾って名前じゃないんだろ?お前には名前、ねーの?」
俺の問いに黒頭巾はふーん、と息をついてから狼の魔物…アディーンに触れた。不健康な細く白い手が長袖の服から見えて、闇の中に白く浮き上がってるように見える。
「…そうだなぁ。周りは黒頭巾って呼ぶから。それに、名前聞かれたこと、ない」
「ないのかよ!普通気になるもんだけど…」
「自分ではつけてるけど、黒頭巾って名乗ってたら皆そう呼ぶようになった」
「じゃあ、お前が自分につけた名前、教えろよ」
冗談っぽく笑いながら黒頭巾に言うと、黒頭巾は真面目な顔で考え込み始めた。ふと、もう俺自身が対して魔族に…まして自分を捕らえたこいつにも敵意を抱かなくなったのに気付いた。
もちろんここにいる間は、俺がおとなしくさえしていれば敵じゃないんだ。そりゃ俺のことをよく思わない魔族には会いたくないし、突然狼をけしかけてきた恨みはあるけど!でも…。…やっぱり、こんなところで見たことある奴に会うと、な。
ロザが会いに来た時は不本意ながら、実は一番安心した。いつもはムカつくのとウザいのとしかないロザでさえ、…なんだか嬉しかった……なんて絶対に言わないけどな!ほんとに!
あぁぁ、もう知るか。一人で髪をガシガシと掻いてると。ぽつり、と黒頭巾がうつむいたまま答えた。
「ノーリ。……少年は?」
「え?」
「少年の名前。まだ、聞いてない」
名前。素直に教えてくれた黒頭巾…ノーリは、ゾイのように俺の本名を求めてるわけじゃない。それにゾイなんて、通り名も本名も教えたくせに『トルメルさん』としか呼んでくれない。シャムロック三兄弟も、ロザも俺の名を呼ばない。
ふとそう思うと、急に寂しくなった。そうだ、ここに来てから俺は、一度も名前を呼ばれてない。俺の慣れ親しんだ名前…ヨーウェンさんに貰った名前、アリシアの付けてくれた愛称。皆が呼んでくれた名前を。
「…少年?」
「ステイト。…スティ、って呼んでほしい。ここに来てから、誰も名前で呼んでくれないからさ…」
はは、と笑ってみせる。情けないしさ、できるだけ弱気になってるところを見られたくない。…けど、ノーリはアディーンのふかふかな背を撫でながら、うん、と頷いてくれた。
「じゃあ、俺はノーリでこいつはアディーン、少年はスティ。そうだよな?」
「……ありがとう、ノーリ」
「ううん。俺も、その名前を他人に呼ばれるのは…もしかしたら初めてだから」
ガウ、と隣で狼が元気に吠えたのを、俺は少しだけ穏やかな気持ちで撫でることができた…、と思う。
**
「今日は4階を掃除したいと思います!」
「……」
朝、食堂にて。俺はシェンユゥに朝飯のパンを焼いてもらいながら、ふんっと気合を入れて宣言した。シェンユゥもこくっと頷き、パンの焼け具合を確認している。
テーブルの方ではゾイが行儀悪く座って肘をつき、もうちょっと向こうの方ではノーリが机に突っ伏して寝てる。なんだか、この寂びれた棟も賑やかになってるような…。
ゾイがグゴォ、といびきをかき始めたノーリをちらっと見ながら俺に言った。
「こいつのこと、俺話したか?」
「いや、けどもう本人と話してるから。俺の監視なんだろ?あとシャムロック三兄弟もまた来るとか…」
「ってことは昨日の夜、出歩きやがったなトルメルさんよぉ」
「めーんご☆」
てへっとピースしながら舌を出すと、うわ!ゾイってば片手に氷がバキバキと!ギラァッと赤の目が輝き、ほーう、と犬歯をむき出しにして笑う!
「うぜぇ、凍らすぞ」
「へいへいすいませんでしたつい起きちゃったんだよそれで5階に探検に出たらノーリの狼に追いかけられたんだよ!」
「ノーリ?」
「黒頭巾の名前」
シェンユゥが竈から焼き立てパンを取り出す横で、俺は確かに見た!ゾイがノーリの方を見て首をかしげたのを!…ほんとにノーリの名前、誰にも知られてねぇんだな…。俺の声が聞こえたのか、ノーリがゆっくり机から体を起こす。
くあぁ、と欠伸を一つしてから、ずれた黒フードをかぶり直すとちょうどゾイと目が合ったのか、ぺこっと小さくノーリが頭を下げた。
「…魔王様、おはようござーます」
「お前、ノーリっつーのか」
「名前、誰にも聞かれなかったんで。スティが聞いてきたから…おはよ、スティ少年」
「ん、おはよー」
のほほーん、というかマイペースなのんびりくぐもった声が食堂に響く。相手が魔王でも物怖じしない様子のノーリは俺にひらひらーっと手を振った。俺もしっかり声をかけ直して…気づく。
「…あれ?俺、なんだかここに馴染んでる?」
「今更」
「…」
ゾイの低い声とシェンユゥの『こくりっ』に俺はため息をついた。馴染む気はないんだけど!俺が不満の声を上げる前にちょうど朝飯の準備ができたらしく、シェンユゥがテーブルに皿を運ぶのを黙って手伝うことにする。
自分の分とゾイの分に皿を持っていき、シェンユゥがノーリに持っていく。そういえば、シェンユゥって魔族連中からあまり好かれてないんだよな…、ノーリは大丈夫なんだろうか。
だけど心配ご無用だったみたいだ。ノーリは相変わらずの疲れ顔のままで、特に表情を変えることはなかった。むしろ早速口に放り込んだパンを気に入ったのか、シェンユゥに手を振ってるし。
「このパン、美味しいなー。えっと、…コックくん」
「…」
シェンユゥは無表情なままぺこ、と頷いた。でもその中には少しの緊張と安堵があって、大きな目をぱしっと瞬かせてる。なんだか微笑ましい…。俺も朝飯、貰うか。
ほくほくの焼き立てパン、あと卵料理とサラダ。今日の朝飯は俺がよく今まで食べてるような、魔界じゃない世界のご飯だ。ちょっと俺も手伝ったんだぜ!悔しいことに、いつも俺が作る分よりこれの方がかなり美味しいけど…!
ゾイも普段は魔界料理だから、ちょっとこの味は珍しかったらしい。一見冷たくもみえるその精悍な顔つきが不思議そうに緩んでるのを、俺はばっちり目撃した。
そういや、とふと思い出す。夜中屋上に逃げ込んだとき、屋上の石壁に小さな銀プレートと鍵穴らしき謎の穴を見つけた。あれ…何だったんだろう?ゾイに聞いてみるべきかな、と俺は顔を上げた。
「なぁゾイ…」
「ん?」
「……あ、いや。えっと、…この棟の5階ってさ、もうノーリに全部明け渡してるのか?」
「言い忘れてたか。5階はそいつとその直属の魔物、それから部屋が空いてんならシャムロック三兄弟に充てるつもりだ。掃除は不要…というか、そろそろトルメルさんも疲れてきたんじゃねーか?」
「ば、馬鹿言うな!確かに昨日はもうヘットヘトのクッタクタだったけど、今日こそ余裕で片づけてやるぜ!」
そりゃ昨日はけっこう疲れちまったけど…!…。…あの小さな鍵穴のことは黙っておこう。もしかしたら…脱出の手掛かりになるかもしれない。あの鍵穴に合う鍵を探すか、またハリガネ工作するか…だな。
がつがつと飯を食い終わり、流しに運ぶ。シェンユゥがじっとテーブルの方から見つめてくるのに気づき、俺は台所から声をかけた。
「シェンユゥはまた後で俺の部屋、来てくれよ。そうだゾイ、掃除のときに楽な服装がいいから服くれ、あと靴も。俺の部屋、ヘンテコな民族衣装っぽいのしかなくてさ」
「服はまたシェンユゥに持っていかせる。民族衣装っつーか、あれは…。…ま、今はいいさ」
ん、なんか最後の方、聞こえなかったけど。まぁいいか!やっと靴と服、ちゃんとしたやつを貰えそうなんだし。一人ニマッとするゾイを放っておいて、その後ろの方に座るノーリを見た。
「ノーリは?掃除、手伝わね?」
「無理、めんどいこと嫌い…。俺、5階でのんびりしてる。アディーン達と遊びたくなったら来て…。今日の監視係、コックくんみたいだし俺寝る」
「なんつーマイペースな…」
やる気のなさ加減は変わってないようで。ノーリはさらっと俺に答えてからパンをもしゃもしゃと食べ始める。
頑張るぞシェンユゥ、とノーリの隣にいるシェンユゥを見るとまたやる気満々らしく両手でぐっと拳を作る彼を見られたので、もう俺はこの子を頼りにしようと思います…!
**
ほんとシェンユゥできる子。今日は4階の、俺の部屋よりも広めで豪華な客室4部屋お掃除だったんだけどさ。…もうシェンユゥってばほんとできる子!エライ!
服と靴持ってきてくれたり、使いすぎた掃除道具や雑巾を交換に行ってくれたり、いなくなったぞと思ったら休憩のケーキ持ってきてくれたり!あ、それ昨日の残りか。飲み物もさりげなく運んでくれるし…。
もちろん俺もしっかり働いたから、部屋の絵画ややたら豪華なソファややけに凝ったデザインの棚や鏡台や、ありとあらゆるものを一生懸命掃除して…そして昨日よりも早く終わった!しかもたいして疲れてない!
これが慣れってやつなのか、と片付け終えた4回最奥の客室を改めて見回す。よっしゃ、カンペキ!今から誰かが泊まりに来てもすぐ使えるレベル!これはゾイに見せつけてやらねーとなぁ…!
廊下には、箒とデッキブラシ・塵取りや雑巾が大量に入ったバケツなど掃除用具を山のように抱えてるシェンユゥがいる。俺は部屋の窓を閉めなおしてから廊下に出て、先に掃除用具を片付けに行ったシェンユゥを追った。
「シェンユゥー!今日はお疲れさん、明日に2階を掃除したらもう大掃除は終わりだぜ!」
「…」
こくりっと頷いたシェンユゥは表情が無いように見えるけど、その目を見ていると嬉しいとか悲しいとかそういった気持ちが俺にも少しずつ分かるようになってきたぞ。
シェンユゥは俺が行くことはできない結界が張ってある渡り廊下の向こうの棟に、借りてきた掃除道具を返却するため去って行った。俺はそれを見送ってから、早めに食堂へ行く。まだ昼までには時間があったけど、他にやることもないし…。
**
昼からはどうするかな。
昨日と比べりゃすっごく体力は余ってるし、かといって掃除をする気もない。と、くれば…!
「城の中を探検、か」
「…」
昼飯後の食堂で、俺はゾイに渡された『駆風の棟』内の地図を机に広げながら呟く。隣ではシェンユゥが俺と同じく地図をじーっと見てて、俺の言葉にいちいち頷いてくれる。
なんかすっかり懐かれてる?それともシェンユゥはあくまで俺の監視をしっかりとこなしてるんだろうか…?ちらっとその表情を盗み見ても、変わらず大きな目がパッチリ見開かれたまま口は一文字。パッと見だとやっぱり表情がないみたいだ。
「…?」
「あ、ごめん。なんでもねぇよ……そうだ、シェンユゥ。中庭にさ、『庭師』がいるんだろ?」
「…」
あ、シェンユゥの目がじらっと動いた。もう昼飯も終わってゾイは城の本館に帰って行ったしノーリも5階で魔物の面倒を見に行ったらしい。他に誰もいない食堂で、俺は僅かに揺れたシェンユゥの顔に苦笑いした。
「ちょっとイヤ、って感じだな」
「…」
こくり。お、素直。どうやらシェンユゥは『庭師』をあまり好いてないみたいだ。けどそれは本当に嫌ってると言うよりはもっとコミカルに見える…つまり鬱陶しいとかそんな感情なのか?
じっと見上げてくるシェンユゥの目にはもう俺が読み取れる意思はない。ただ、中庭に行きたいのかと問いかけられてるような気がして、俺は頭を掻きながら頷いた。
「いやさ、一応どんな奴か見ておきたいなと思って。せっかく同じ棟にいるんだしさ、それに中庭の植物も見てみたいし」
「…」
な、と俺が手を合わせると。シェンユゥはぱちっと一つ瞬きをしてキッチンの方に入って行った。すぐにゴソゴソと物音が聞こえ、シェンユゥがまた出てくる…、けど…あれ?
俺は再び現れたシェンユゥを凝視した。シェンユゥ…服が変わった?さっきの一瞬で早着替え?…シンプルなコック服だったシェンユゥの服は、もっとポケットや布地の多いゴテゴテした服。ぶかぶかで、袖から手の先が見えない。
あれはポケットや隠し収納つきの服だ…、俺はすぐに察した。だってさ、俺もこれでも元盗賊!あんなコートみたいなごてごて服、武器か道具を大量に隠し持つためのカバンみたいなものだ。俺も世話になったことあるし!
「シェンユゥ、何隠し持ってんだよ」
と、俺はちょっとドヤ顔で笑いながらシェンユゥに声をかける。シェンユゥは俺の言葉に躊躇いもなくコートの前をバッと開けて見せ、袖の中も開いて見せてくれる。そして俺はススス、とシェンユゥに近づき…唖然。
だってコートの裏側!ナイフナイフナイフ果物ナイフナイフ、他にも尖った棒みたいなのが何本もあるし、フォークまで!あ…このでっかいポケット…ほ、包丁入ってる!袖にも…またナイフか!
その装備の多さ、周到さに俺は思わず叫んだ!
「お前手品師か!?」
「…」
今度はシェンユゥがコートの背中側に手を突っ込んでスッと何かを引き出す。つ、次は何隠し持ってるんだ…!?なんと現れたのは…っ!
―――ジャキッ!
「……って、フライパンかよ!」
「…」
まさかのフライパン!しかもデカい!
…これは、シェンユゥが完璧に戦闘モードだ。つかシェンユゥ、魔族なのにこんな武器持ってるなんて。魔族は基本的に魔法で何でも解決するもんだと思ってたから、こんなに武器を扱うなんて思わなかった。
さぁ行くぞとばかりに俺を置いてスタスタ歩き始めたシェンユゥを、慌てて俺は追う。シェンユゥ…もしかして気合入ったのか?いや、中庭の『庭師』だ。いったいどんな奴なんだろう…。
一階の廊下をしばらく歩くと、廊下の両側の壁がなくなり道の両脇には古びた柱が並ぶ神殿のような造りになっていた。外に広がるのは芝生、そして花が飾られた花壇に石のオブジェ。庭、なんだろうか。
けど『庭師』がいるのはもっと先みたいだ。俺の一歩前を何故か気合の入ったオーラを出すようにずんずん大股で進むシェンユゥを見ながら、俺はふと軽い気持ちでさっきの疑問を口にした。
「なぁシェンユゥ、」
「…?」
「お前さ、魔族なのにそんなたくさん武器持ってるんだな。魔族って魔法に秀でてるって聞くけど…シェンユゥは魔法より体術や武器での戦闘をするのか?」
「……」
けど、俺の質問に振り返ったシェンユゥはなんとも言えない表情だった。いや、ほとんど無いに等しい表情だ。しばらくシェンユゥは俺をじーっと見た後、頷くとも首を傾げるともいえない微妙な動きをしてからまた歩き始めてしまった。
なんだろう、…やっぱりこんなときに話せたらいいのに。きっとシェンユゥはハイともイイエとも違う何かを俺に伝えたかったんだろう。けど、声を持たないシェンユゥからその意思を正確に伝えてもらうのは困難だ。
筆談も、と考えたけどあいにくここにはペンもメモ帳もない。ゾイはだいたいならシェンユゥの言いたいことを理解できてるから、また今度ゾイにでも聞いてみよう。
前を静かにすたすたと歩いて行く彼の背中を、俺は黙って見つめた。魔族…本当にいろんな奴がいるんだな。ロザみたいなおかしなやつ、シャハンみたいなお調子者、ゾイみたいな俺様野郎に…もう、色々。
思えばすっかり魔族の知り合いが多くなっちまった。おかげで、王都に引きこもってたならきっと知ることもなかった魔族について…少しずつ分かってきた気がする。
魔族も人も…変わらない。いろんな奴がいて、ただ得意なことが違うだけ。いや、魔族の中だけでもいろんなところが違う奴らばかりだ。人間と何も変わりはしない…。
「…あーぁ」
「…?」
「…なんでもねぇよ。中庭、行こうぜ」
俺のため息に足を止めたシェンユゥの背を軽く押しながら、俺は少しだけ苦い気持ちになった。
―――魔族と人間が一つの大陸で、世界を分けることなく共存してさ…みんなで楽しく過ごせたらいいのに。魔族と人間のどっちでもない俺が、架け橋になれたらいいのに。
石の廊下にぬるい風が吹く。甘い考えだと俺を笑うように。全くその通りだよな、そう思っても…俺は前を歩くシェンユゥを見ながら自分の考えを否定しきれないでいた。




