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07 思いっきり叩いて、引っ張るんだって

 ルーカスが向かおうとしているのは、一番奥の、一番明るい席だった。

 明るいと言っても、他の席と比較してである。外壁に面していて、高窓から差し込む光が程よく当たる、素人目線でも〈特等席〉だとわかる場所だった。

 そこに、見覚えのある三人組が先に座っていた。スレートグレーのオーバーオールに、詰め襟のシャツを着込んだ男たちだ。

 ちらり、と真斗はルーカスを見た。ルーカスも朝、着ていた軽装を脱ぎ、彼らと同じ服に着替え直していた。おそらく、作業着であろう装いに。真斗が路地裏で見た、清掃担当の姿でそこにいた。


「……また仕事なの?」


 真斗は、斜め前で先導するルーカスにそっとたずねた。


「ん? ああ、メシ食ったら〈後処理〉の続きなんス。えっと、その……たぶんオレ、シアユンさんの部屋も片すんスけど」


 ルーカスが顔色をうかがうように、ちらりとこちらを見た。


「……そっか」


 何かを言ってあげた方がいいのかも知れなかった。

 でも、「頑張って」も「よろしくね」も違う気がしたので、真斗はうなずくだけに留めておいた。ルーカスも一つうなずいて、それから特に何も言わなかったので、これでよかったのかもしれなかった。


「おうい」

「来た来た」

「こっち、こっちー」


 三者三様の呼び声に、ルーカスが足を早めたのがわかった。真斗は一瞬、ルーカスの後をついていくか迷って、


「マナトさん?」


 不思議そうにこちらを振り返るルーカスに、逡巡を振り払う。


「ううん、何でもない」


 スープがこぼれない程度に歩を進め、真斗とルーカスは、ついにその〈特等席〉へとやって来た。

 長テーブルの上には、既に食べ物が食い散らかっていた。木杯にはアルコールらしきものが並々注がれていて、そばには、くちゃくちゃに丸まった布切れが点々と置かれている。

 この様子から、だいぶお待たせしていたのは明白だった。


「おっそいぜ、ルーカス! 先食っちまってたぞ」

「先輩を待たせるとはいい度胸だなあ、このっ」

「ちょ、やめてくださいって! 仕方ないでしょお、迎えに行ってたんスから! ほら、ここでメシ食うの初めてだろうし」


 との言葉で一斉に三対の目がこちらを向いたので、真斗は柄にもなく少しだけ緊張した。


「こんにちは」

「ああっ! 今朝の信徒(トーチカ)さんだ!」

「えっ、服違うと全然わかんないもんだなあ」

「すげえ、顔色良くなったじゃん。あん時マジ、真っ白だったもんな」

「なー」

「座って座って」

「ご新規さん、一名入りまーす」

「どいたどいたあ!」


 三人は、芝居がかった口調でそんなことを言いながら、あろうことか彼らの真ん中のスペースに真斗を誘導した。彼らに全然気にした様子がなかったので、真斗の方も、なんだか緊張していたのが馬鹿らしくなってしまうほどだった。


「じゃあ、お邪魔します」

「どうぞどうぞ」

「先輩ら、何飲んでんスか?」

「エールだよ。あの、うっすいヤツ」

「えーいいなあ。オレも取ってこようかな」

「お前、これ好きだなあ」

「水よかマシでしょ。マナトさんのも持ってくるっスね! ここ座っててくださいっス」

「え、ちょっと、ルーカス!」

「だはは、落ち着きねー」

「マナトさん少食だね。だから貧血になんだよ」

「もっと食え食え」

「親戚の爺ちゃんか、お前は」


 というわけで、真斗と三人は自己紹介をした。

 三人は同郷の出身で、赤ん坊の頃からの付き合いだという。同じ村で育ち、同じタイミングで就職し、同じタイミングでこの教会に配属されたと聞いて、真斗はびっくりしてしまった。


「すごい仲良しだね」

「腐れ縁なだけだけどな」

「てか、改めて考えると逆に怖くね? 俺ら呪われてんじゃね?」

「一生離れられない呪いってか」

「いやーん」

「マナトさんは? 兄弟いる?」

「兄弟はいないけど、三つ下の従姉妹がいるよ」

「従姉妹!」

「可愛い?」

「なあに、その質問。素直ないい子だよ」


 ひゅー、と場が湧いたところで、ルーカスが帰って来た。


「なになに、何の話っスか?」


 身を寄せてくる彼の手には、木製のジョッキが二つ握られている。


「これが、エール?」

「そうっス! エールってないんスか? 地球(プルクラ)に」

「どうだろう? ビールならあるけど……僕、あんまりアルコールには詳しくないからなあ」


 そう言いながら受け取ったジョッキでは、サラサラとした液体が水面を揺らしていた。色味は蜂蜜に近いが、泡立ちはなく、ほのかに甘い穀物の香りがする。

 真斗は一口飲んで、数回瞬きをした。それから、もう一口飲んだ。

 何とも言えない味がする。後に残るわずかな酸味以外は、ほとんど水だった。


「……うーん?」

「だはは、マナトさんもこっち側かー」

「うーん、だよな。わかる。俺も初めて飲んだ時同じ反応だったわ」

「それな。まあ、美味くはないわな」

「そうっスか? オレは結構イケるっスけどねえ」

「バカ舌」

「何スかそれ! 失礼っスよ!」


 それから真斗は、食事をしながら四人の様々な話を聞いた。教会のこと、仕事のこと、三人の故郷のこと。聞きながら真斗は、自身の学生生活のことを想起した。話をしている相手も、している場所も、している内容も違うのに、どこか懐かしい気分になるのはなぜだろう。温かくて、視界がにじむ感覚に、真斗はそっと瞬きをした。


「マナトさん、聞いてる?」

「ぼーっとしてんね。疲れちゃった?」

「お前の話がつまんねえからじゃねえの」

「そう言われちゃ黙ってらんねえな! というわけで、俺たちのとっておきの話を聞かせてやるぜ」


 そう腕まくりした青年は、ソリスといった。三人の中で一番の年長らしく、この場で一番、体格もよかった。

 ソリスは、おもむろに腰に差していた木片を取り出して——おそらくは仕事用のメモ板である——それに炭筆で〈ソリス〉と書いてみせる。


「ソリス?」

「それ、先輩の名前っスよね?」

「うわ、またこの話すんのかよ。もう何百回も聞いたわ」

「なー」

「また?」

「俺らの村じゃ、しょっちゅうその話が出んの。小さい村だからね。みんな知っててさ、もー、飽きたっつーのに」

「風物詩なんよね。ほんとに偶然だからさ、コイツ気に入っちゃって」

「んん?」

「いいだろお、別に」


 頬を膨らませながら、ソリスは自分の名前の下に、続けて〈ヴェスパー〉〈ノクス〉〈ルーカス〉と書いていた。それがみんなの名前であることは明白だった。


「あ!」


 と、ルーカスが何かに気がついたように跳ね起きた。真斗にうんうんうなずいた後、勢いよく手を挙げる。


「はい、ソリス隊長!」

「何だね、ルーカスくん」

「全員、〈空〉であります!」

「大正解。ルーカス隊員には特別に、今日の夕食のパンを一つ進呈しまーす」

「ちょ、いらないんスけど! 今食べたばっかりじゃないっスか! てか、オレこんなにパン持ってきてましたっけ? すげえ量あった気がするんスけど……」


 ヴェスパーと目があったので、真斗は小さく舌を出してみせた。


 ふと、遠くから鐘の音が聞こえてきた。

 それと同時に、食堂にいた人々が一斉に立ち上がった。一時よりだいぶまばらになっていたものの、食堂にはまだそれなりに人数がいたので、その大移動に、真斗は思わず目を丸くしてしまった。


「あーあ、仕業の鐘、鳴っちゃったっスねえ」

「時間かあ。さあて、お仕事お仕事」

「いっちょやるかー」

「ごめんね、マナトさん。俺らもう行かなきゃだわ」

「うん。あとは片しておくよ。任せて!」

「マジか! 助かるー。あの木箱に全部入れとけば大丈夫だからさ」

「ありがとな、マナトさん。食堂は閉まったりせんから、ゆっくりしてて」

「つーか、むしろもっと食べな。じゃないと、この先、身体持たねえぞ」

「——ちなみにさ、今すごく怖いこと言っていい?」

「なに?」

「やめてえ」

「あのさ、俺ら、焼却炉の申請って出したっけ?」

「……ルーカス!」

「出してないっス‼︎」

「バカタレ! 急ぐぞ‼︎」


 じゃあな、と軽く手を挙げて、男たちはギャアギャア騒ぎながら出て行った。本当に嵐のような人たちだった。

 何だか無性におかしくなってしまって、真斗は小さく笑った。笑ってから——立ち去ったはずのルーカスが、いつの間にか目の前に立っているのに気がついて、わっと後ろに飛び退った。心臓が飛び出るほど驚いた。


「ルーカス‼︎ びっくりさせないでよ!」

「びっくりしたのはこっちっスよ! 急に大声上げないでくださいっス!」

「嘘つけ、わざとでしょ!」


 悪戯が成功した子どものように、無邪気に笑ったルーカスは、それからおもむろに拳を握った。そうして、


「一瞬なら大丈夫っスか?」


 と言った。


「ん? 何の話?」

「グータッチ、したくて」

「へ?」

「オレ、オレね、マナトさん。代理戦争の信徒(トーチカ)さんには、不思議な力があるって知ってるんス。魔法(モーラン)じゃない、不思議な何か。……きっと、マナトさんのは、〈そういう力〉なんスよね?」


 ——僕に、触らないで。君たちの心の声なんか、もう聞きたくない


 真斗の脳裏に自身が投げつけた言葉が蘇る。二の句が告げず、真斗は息を呑んだ。


「マナトさん。多分オレら、今日の仕事、夜中までかかるんス。もう、会えないと思う。だから」


 ルーカスが拳を力強く突き出した。


「またねっス、真斗さん! 絶対また会いましょうね!」

「うん……うん、ルーカス。またね!」


 それから一瞬、真斗とルーカスはコツンと拳を合わせた。大きく手を振りながら走り去っていくルーカスの後ろ姿を、真斗は最後までずっと見つめていた。そうして見えなくなってからは、テーブルに突っ伏して、腕の中に顔を埋めたまま、じっと動かず、目を閉じていた。

 開けたらたぶん、涙があふれてしまうと真斗は思った。ここで泣いたら、二度と立てなくなる。だから、真斗はじっと歯を食いしばってそれに耐えた。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 日向の席が少しだけ肌寒くなったように感じて、真斗は顔を上げた。深呼吸をして、立ち上がる。五人分の食器を重ね、部屋の隅の木箱に入れる。それから、丁寧に、丁寧に、机を拭く。

 ふと、視線を感じた。

 パッと振り返れば、あの信徒らしき女性がこちらを見ていた。その視線はすぐに逸らされたが、真斗は目をそらさなかった。

 真斗は布巾を片し、彼女に近寄った。彼女は変わらず、凛と背筋を伸ばし、隅の席でじっとしていた。テーブルには未だ手をつけられていない料理が冷え切って鎮座していた。

 真斗はカラになったパン皿を見て、具のない汁だけのスープ皿を見て、言った。


「……思いっきり叩いて、引っ張るんだって」


 女性がバッ、と勢いよくこちらを見た。目が合ったが、真斗はすぐに、彼女から視線を外した。出口へ向かう。刺すような視線を背中に感じる。

 それでも振り返らずに、真斗は食堂を後にした。

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