05 ——君は忘れない
息が詰まるような感覚に、真斗は跳ね起きた。
「——ッ」
胸をさする。乾いた唇を舐め、冷や汗をぬぐい、乱れた息を整える。心臓が痛いほどに脈打っていた。
夢、を見ていたのかもしれなかった。その内容は思い出せなかったが、何か恐ろしいものを見た後のような、言いようのない不安が背筋をなでていた。
「どれくらい、経って……」
真斗は窓辺に視線を移した。差し込む光の強さは増していたが、陽の位置はそこまで変わっていないようだった。寝ていたのは一時間か、二時間か、おそらくはそんなところだった。
真斗は前髪をかき上げ、一呼吸分、目を閉じた。そして、ぐっと力を入れて立ち上がる。
胸の奥にくすぶるざらつきが消えない。このまま寝直す気にはとてもなれなかった。真斗はそのまま部屋を後にした。
通路を抜けた。
薄暗い視界が一気に開けて、そのまぶしさに真斗は目を細めた。中庭に降りそそぐ光の帯が、中央をまあるく照らし、まるで何かの舞台装置のように輝いていた。
朝よりも高くなった陽が、石畳を温めていた。
風に揺られる低木の影が、床に柔らかな模様を落としている。端の小さな噴水が細く水を垂らす音と、遠くで聞こえる鳥のさえずりが、穏やかな午後の様相を形作っていた。
真斗は吸い寄せられるように歩き出した。
中庭に出る。空が広かった。本当にいい天気だった。
真斗は、腰掛け石の一つにそっと座った。ポカポカとした温もりが背に移るのを感じながら、そのまましばらく空を見ていると、
「あれ?」
ふいに、背後から間の抜けた声がした。
「信徒さん?」
真斗はバッと振り返った。回廊から見覚えのある青年がこちらをのぞいている。濡れた髪を無造作に拭きながら、軽装のまま手を振っていた。
あの四人のうちの一人だった。
「どうもっス! さっきは大丈夫でした? 顔色だいぶよくなったっスね」
二の句が告げない真斗を気にした様子もなく、青年はあろうことが真斗の隣にストンと腰を下ろした。真斗の心臓は、またバクバクと跳ねていた。何で隣に? とは、やっぱり言葉にはならなかった。
「いやー、風呂最高だったっスよ! すげえ、サッパリしたっス! って、信徒さんは、まだ泥だらけのまんまっスね……たぶんなんスけど、信徒だからって、職員用の浴場が使えないことないと思うんスよね。もしよければ、オレ、案内しましょうか?」
「どうして——」
「ん? 何スか?」
「どうして僕に、構うんですか?」
青年はきょとんとしていた。鳩が豆鉄砲をくらったような顔で固まっていた。青天の霹靂、というような表情をしていた。
「どうして、って……」
すぐに青年は破顔した。にっ、と歯茎を見せる笑い方は、彼の幼なげな印象をより強めた。鼻の上にそばかすがあった。彼の快活さを如実に引き立てるように。
「なんつーか、オレ、アンタと話してみたかったんスよ! 先輩らに聞いたんスけど、初日の間引きを生き残った信徒って数百年ぶりだったらしいじゃないっスか。すげえ、ってみんなで話してて、しかもあのセオドールがいる地区でって——」
(……すごい?)
喉の奥がぐっ、と鳴った。
すごいって何だ。人が、一人——死んでるのに?
腹の底が煮えたぎるようだった。
それはたぶん、怒りというものだった。
勝手にこの世界に連れてこられて、勝手に命の危険に晒されて、勝手に仲間を殺されて、そして勝手にその死を踏みにじられた、その憤りだった。
「——っ、君は」
あまりの激情に、真斗はあえいだ。声が震えて、聞き取りづらいかもしれなかったが、それでも良かった。
わからせたいとか、理解してほしいとか、そういうことではなくて、ただただ感情が漏れただけだったからだ。
「——君たちにとっては」
「……信徒さん?」
「僕らは、ただ、消費されるだけの、存在なのかもしれないけれど」
ああ、イライラする。
「仲間が、死んで、良かっただなんて思うような人間にだけは——、っ」
イライラしすぎて、死にそうだ。
「僕は! なりたくなんかない‼︎」
バサバサ、と鳥の羽ばたきが聞こえた。
その音に、真斗は我に返った。それでもくすぶる炎は消えなかったし、それでもいいと思ったので、真斗は謝らなかった。
信徒さん、と心配そうに伸びてくる青年の手を叩き落として、目尻ににじむ涙を雑にぬぐって、きつくにらみ上げた。
「その、オレ——」
「僕に、触らないで。君たちの心の声なんか、もう聞きたくない」
それから、真斗と青年の間には重苦しい沈黙が落ちた。バードバスの水音と、木々の葉がこすれる音は変わらず聞こえていたが、会話はなかった。
ズッ、と真斗は鼻をすすった。次から次へとあふれてくる大粒の涙を無言で拭い続けた。
拭っても拭っても、それは追いつかなかった。
「赤く、なっちゃうっスよ」
目の前に差し出された白いタオルに、真斗はますますみじめな気分になった。
これが善意以外の何物でもないことがわかるから、余計にそうだった。
「——ごめんなさいっス」
布地が目尻に寄せられる。それを押しのけようとして、真斗は目を見張った。
「わかんなくて、ごめんなさいっス。信徒さん」
青年は笑っていた。寂しさに満ちた、どこか困ったような笑みで。
たぶん、自分より歳下の男の子なのだ。そんな子にそんな風に笑わせる自分に、八つ当たりをした自分に、また涙が出た。もう頭の中がぐちゃぐちゃだった。
「オレ、バカだから……信徒さんが言ってくれたこと、いまいちピンと来てないんス」
青年は、穏やかな顔で、真斗の目元に優しくタオルを当てながら言った。
「代理戦争って、信徒さん同士が殺し合うルールじゃないっスか」
「…………」
「だから、何なんスかね……信徒さんって、他の信徒さんが死んだら嬉しいんだと思ってました」
真斗はそっと目を伏せた。口の中が異様に渇いていた。
「……そんなことない。望んで信徒に選ばれた人なんか、一人もいない」
「そうっスよね」
青年はうなずいた。
「そう、だったんスよねえ……」
柔い風が中庭をそっと吹き抜けていった。
ふと、ほのかな石鹸の香りが鼻腔をくすぐった。真斗と青年は、二人して空を見つめていた。
「信徒さん」
「……なに?」
「あのね、オレ、信徒さんの名前、教えてほしいっス。——あの夜に死んだ、信徒さんの名前も」
「…………」
いつのまにか、真斗の中であれほど沸き立っていた激情は鳴りをひそめていた。その代わり、焦土の上に初めて命が芽吹くようなわずかな清々しさが、そこにはあった。
「……僕は、真斗。木立真斗。——彼女の名前は、シアユンって言って、夏の雲って、書くんだって」
「よろしく、マナトさん。オレはルーカスっス。夜明けに生まれたから、ルーカス」
それから真斗とルーカスは、ポツポツとたわいのない話をした。真斗は問われるままに地球のことを話したし、ルーカスもまた、自分が教会の新人であること、その前は遠く離れた小さな村で家族と暮らしていたことを話してくれた。
「シアユンさんって、どんな人だったんスか?」
「すごくね、優しい人だったよ。明るくて、前向きで、僕も何度もはげまされちゃった……それと、歌手になりたかったんだって」
「歌手?」
「シアユンの国の出身にね、世界的な歌姫がいて……シアユンは彼女に憧れてたって言ってた。その人の歌を、ここでも何度も歌ってて」
「へえ! どんな歌っスか? マナトさん、覚えてます?」
「うん、たぶん。えーと、たしか……」
それから真斗は、少女の淡い面影をなぞるように、彼女が歌ってくれた歌詞を口ずさんだ。
ルーカスは隣で足をぶらぶらさせながら、それをニコニコ嬉しそうに聞いていた。ルーカスは物覚えが本当に良くてすぐに旋律を覚えてしまったので、それからは、二人で何度も確かめるように歌った。
澄んだ風が胸いっぱいに広がるような感覚に、真斗はそっと口角を上げた。そんな経験は、この世界に来て初めてのことだった。
「あー……さすがに、腹減ったっスね」
「そうだね。長居しすぎたかも」
「マナトさん、これからどうするっスか? 一緒にメシ食います?」
真斗はほんの少しだけ逡巡して、それから首を振った。
「ううん、大丈夫。それより少し、お願いがあって」
「お願い?」
真斗は立ち上がって、うーん、と伸びをした。
それから、不思議そうにこちらを見上げているルーカスに笑いかけて、言った。
「お風呂に案内してくれない? 僕もサッパリして来ようと思って」




