表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/26

04 ただ世界は〈そういう形〉をしていた

 回廊に出た。

 石造りの回廊だ。正門や礼拝堂との違いと言えば、地面が切り出しの石板であることくらいだった。

 白灰色の床は、靴の音がよく響いた。ドゥルガと真斗、二人分の足音が、回廊の高い天井に反響していた。


「報告を済ませてくる」


 回廊に面した一つの扉の前で、ドゥルガは言った。


「ここで待ってろ」


 ゴトン、というにぶい音がして、扉が閉まった。木製ながら、とても重量のある扉のようだった。

 こげ茶色の表面に鋳鉄の丸いドアノッカーが一つ、ついていた。尖頭アーチの頂に、教会の外壁でも見た何かしらの意匠がほどこされている。その下の記号めいた刻印が、ここが執務室であることを静かに主張していた。

 真斗は、そのオーク材の扉の横で、石壁に背中を預けてしゃがみ込んだ。することもなかったので、膝に顔を埋めて丸くなっていた。


 ——どれくらい待っただろうか。


 回廊の先から、いくつかの靴音が聞こえてきた。まばらで気の抜けた革靴の音だった。遠くからでもわかる軽やかな足取りだった。


「あー、疲れたあ」

「間引きの後処理も、他の処刑の後の清掃と変わんないっスねえ」

「あ、そっか。お前初めてだったんだっけ?」

「はい。オレ、半年前に入ったばっかっスから」

「の割には、態度デカいよな」

「バカだしな。よく教会職員になれたよ」

「ちょ、それ失礼じゃないっスか⁉︎」

「褒めてんだよ! お前、物覚えいいしなあ」

「ちょ、やめてくださいって! 髪乱れるっ」


 聞き覚えのある声だった。あの時、路地裏にいた四人組だ。清掃担当を名乗り、シアユンを袋に詰めた、あの男たちだった。

 談笑はどんどん近づいて来ていた。真斗は身を固くして、さらに深く深く膝の間に顔を埋めた。


「何いっちょ前に髪なんか気にしたんだよ、このっ」

「だぁから、やめてくださいって!」

「どうせ水浴びするんだし、細けえことは気にすんなー」

「てか俺ら、今マジ血生臭くね? うわ、爪の中まで入ってら」

「落ちねえんだよなあ、人間の血ってさ。教会支給の石鹸とか全然役立たねえし。ケチってねえで、ちゃんとしたの買えっての」

「物資調達担当に言っとくなー」

「やめてえ、俺殺されちゃう」

「——あれ? 今朝の信徒(トーチカ)さん?」


 気づけば、あれだけにぎやかだった足音と話し声は、ピタリと止んでいた。真斗の目の前で、ピタリと。

 四つの人の気配が、うずくまる真斗をぐるりと囲んでいた。


「何の信徒(トーチカ)だっけ?」

「花だろ? たしか」

「大丈夫っスか? 具合悪い?」

「つーか、勇者様は? 送ってくって言ってなかったか?」

「長引いてんだろ。間引き(ハルモニア)生き残る奴なんていねえから」

「なーる」

「ここにいると冷えるっスよ。立てるっスか? 花の信徒(トーチカ)さん」


 おもむろに、真斗の肩に熱い手のひらが乗った。


【あー、信徒(トーチカ)の宿舎ってどこだっけ? オレ、まだそっちの方、行ったことないんだよなあ】


 青年の声が脳内に響いた。

 真斗は反射的に、そのマメだらけの手を振り払っていた。


「あ……」

「うわ、顔色わっる」

「貧血? 朝メシ食う時間とかないもんなあ。そう考えると信徒(トーチカ)って大変だよな」

「メシ抜き⁉︎ そりゃダメっスよ! メシは三食きっちりって、婆ちゃんが言ってました!」

「つったって、食える物、何も持ってねえしな……」

「食堂は? 何かあるんじゃないか?」

「まだ開いてねえだろ。今何時だと思ってんだよ」


 真斗は混乱していた。

 何を言っているんだ、という気持ちだった。

 実際、真斗はそう口に出しかけたが、それは喉元でつっかえて音にはならなかった。


「あー、じゃあやっぱ、早く部屋で休んだ方がいいっスよね? オレ、送っていくっスよ! たしか……あっちっスよね?」

「逆だ、バカ」

「おいおい、大丈夫かよ」

「俺らも行くかあ? 元はと言えば、俺らが回収担当に報告、怠ったのが悪かったんだし」

「することもねえしなー」


 御免被りたい展開に、真斗は頭を抱えてしまった。男たちは、今度は誰が真斗を背負っていくかで、もみくちゃになっていた。


 彼らの、シアユンの体をまるでゴミのように袋に投げ入れる姿が、網膜に焼き付いて離れない。離れないから、今目の前の親切な態度との乖離に、眩暈がする。


 この世界に来てから、こういう違和感ばかりを踏み続けている気がした。

 地球に似ている世界。それなのに、その端々で何かが決定的に違ってしまっているような、不協和音ばかりがそこらじゅうに転がっていた。

 彼らも、そのうちの一つだった。


 真斗が、やめてください、と言おうとしたちょうどその時だった。ギギ、と蝶番の軋む音がした。扉の隙間から、稲穂のようなくすんだ金糸が、一房覗く。

 ドゥルガだった。


「……何やってんだ、お前ら」

「ドゥルガさん!」

「どうもっス」

「終わったんですね。お勤めご苦労様でした」


 わらわらと、男たちは、今度はドゥルガに群がった。

 そこで初めて、真斗は男たちの姿をちゃんと正面から観察した。この場にいたのは——真斗を気遣っていたのは——四人揃いの黒いモールスキンに、同色のオーバーオールを召した、歳若い青年たちだった。

 真斗と同じか、下手をしたら少し下くらいに見えてもおかしくない出で立ちだった。


「お前らな……騒ぎすぎだ。中まで聞こえてきたぞ」


 ドゥルガが呆れたようにため息をつき、首に手を当てて肩を回しながら、そう言った。


「え、マジっスか」

「ヤッベ。司祭にドヤされる」

「逃げろー」

「じゃあ、俺たちはここで! 道中お気をつけて!」


 それだけ言い残し、男たちはじゃれ合いながら走り去っていった。その無邪気な小突き合いと、はつらつとした声は、中庭を越えて、執務室の向かいの扉の、そのまた向こうに消えるまで響いていた。


「——何かあったか?」


 静けさの戻った空間に、ドゥルガの問いがぽつりと落ちた。真斗は緩慢に、それを否定した。

 嘘ではなかった。真斗が勝手に不快になっていただけで、彼らは終始親切だったから。

 そしてもうここまで来れば、真斗もいい加減わかっていた。彼らの無神経とも言える発言は、彼らのせいじゃない。

 ただ世界が、〈そういう形〉をしているだけなのだ。


「そうか」


 ドゥルガは変わらず言葉少なだった。


「待たせたな。行くぞ」


 回廊は、矩形の中庭を中心に、囲うように続いていた。

 片側は石壁、片側は吹き抜けになっていた。低い石の欄干の向こうに、整然と管理された低木と生垣が見える。朝の光が差し込み、その帯のような薄い陽光が、真斗とドゥルガの歩く床石に淡い影を落としていた。

 回廊を抜けた。

 二人は終始無言で、細い渡り廊下を進んだ。天井はずいぶんと低くなり、完全な日陰に入ったからか、空気が冷えて肌寒いほどだった。

 信徒の宿舎は、礼拝堂や執務室のあった棟とは隔離された区画にあった。

 実を言うと、この先に見えてきた、あの石造りの建物が目的地であることを、真斗は既に知っていた。知ってはいたものの、歩いて来たルート取りが昨日とは違ったので、まるで別の〈知らない場所〉に来たかのような錯覚を、真斗は痛烈におぼえていた。

 中庭の暖かさを見てからこちらに来ると、これほどまでに寒々とした印象を受けるものだとは、本当に、これっぽっちも、知らなかったのだ。


「着いたぞ」


 真斗がこの部屋に戻るのは、昨日の朝ぶりである。

 変わらず簡素な部屋だ。

 そこは、小さな窓辺に、粗末な木の机と椅子が一脚、置いてあるだけの部屋だった。壁際の寝台に、布団と替えの服が几帳面に畳まれて置いてある以外には、昨日との違いはなかった。


「外出は禁止されていないが、教会の外には出ない方がいい」


 部屋には入らず、扉の奥からドゥルガはそう言った。


「せっかく間引き(ハルモニア)を生き延びても、すぐに規定違反で処分されちゃ、バカらしいだろ」


 元より外に出かける気力などなかったので、真斗は素直にうなずいた。


「代理戦争〈総則〉第九条——信徒は、降臨の儀以後、三日以内に教会を出立しなければならない——。聞いているとは思うが、明日には、お前はここを離れる必要がある」


 真斗はドゥルガを見た。逆光でその表情は見えなかった。しかしドゥルガも、こちらを真っ直ぐに見つめているように、真斗は感じた。


「どちらでもいい。英気を養うのでも、この先の戦闘に備えて、準備をしておくのでも。武器庫が見たければ、案内の者を寄越すが」


 真斗は首を横に振った。ドゥルガもうなずいた。


「なら俺は行く。またな、木立」


 扉が閉まった。キイ、という軽い音がした。吹けば飛ぶような戸だった。

 真斗は、ほうほう服だけ着替えた。黒麻のシャツとパンツは、着替えることで、白麻のシャツとパンツに変わった。

 脱ぎ捨てた服はドサリ、とにぶい音を立て床に落ちた。乾燥した血液がパリパリとはがれた。

 先ほど、男たちが自分たちを血生臭いと評していたのを、真斗は思い出した。床に打ち捨てられた服を見る。今の真斗の方がよほど血に濡れていた。

 疲れていた。真斗は構わず、きしむ寝台に横たわった。


 ——真斗!


「……シアユン」


 ——争わなくても、みんなが生きれる道は、きっとあるよ! 私たちが諦めなければ、きっと!


 目を閉じる。

 窓から細く伸びる朝陽が、まぶたの裏を赤くにじませていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ