03 生き残ったことは罪じゃない
教会に戻る道すがら、ドゥルガは一言もしゃべらなかった。
そしてそれは、真斗も同じだった。二人の間には、言葉の代わりに重苦しい沈黙があった。それがかえって、周囲の喧騒を際立たせていた。
カラン。どこかでベルの鳴る音が聞こえた。たぶん、角の仕立て屋が誰かを迎え入れた音だった。
ふと、香ばしい小麦とバターの香りが漂ってきた。たぶん、向かいのベーカリーが焼きたてを店先に並べた香りだった。
パタパタパタ。にぎやかな足音が聞こえてきた。ドゥルガが止まる。真斗も止まる。目の前の道を街の子供が楽しそうに横切っていく。
たぶんそうなのだろう、と真斗は思った。
ここにあるのは、〈いつも通りの朝〉なのだと。
再び歩き出したドゥルガに引っ張られるように、真斗もうまく動かない足を何とか前へと踏み出した。それは、本能とか義務とかそういったたぐいの衝動に突き動かされてのことだった。
これは断じて、真斗の意思などではなかった。
石畳の街道をなだらかに上ると、開けた場所に出た。
広場だった。小祠と布告柱がひっそりと佇み、わずかなベンチが点々と置かれている。
どことなく、わびしい場所だった。町民と思しき人々がまばらに見える。そのほとんどが、老いた者だった。
雑然としていて、そこらじゅうが活気に満ちていた商業区画とは異なり、この教会前の広場は異様な静けさに満ちていた。この静けさの原因は、空が広いからかもしれなかった。間引きのフィールドだった街の外郭では、空は建物に切り取られ、細く長く伸びていた。逆に、目立った建造物のないここは、視界が開け、澄んだ空が惜しみなく晒されている。
それはもう、怖いくらいに。
(……それとも)
真斗は目を伏せた。それとも、ここが異様に静かに感じるのは、今の真斗が〈独り〉だからだろうか。昨日隣にいた明るくてまぶしい大切な〈隊長〉が、いなくなってしまったからなのだろうか。
「どうも」
突然、声をかけられた。それは第三者の声だった。聞いたことのない声だ。ひどくしゃがれていた。
痩せた白髪の小さな老人が、腰を折ってそこにいた。
「お勤めご苦労様です」
それは労りの言葉だった。当然、真斗にかけられたものではなかった。真斗はただの駒なのだから、それは当たり前だった。
平身低頭されたドゥルガは、わずかに顎を引くだけで何も言わなかった。その背中に変化はなかったが、ただ少しだけ、その歩が早まったのがわかった。だから真斗の歩幅も、必然的に大きくなる。
ドゥルガは何事もなかったかのように、ピンと背筋を伸ばし、ミリタリーブーツをカチャカチャ鳴らして歩いていた。真斗も、何をするという立場でもなかったので、そっと後に続いた。
そのひなびた老人は、何の反応が得られなくとも、真斗とドゥルガの姿が小さくなるまでずっと頭を下げていたようだった。
「着いたぞ」
いよいよ教会の外壁が見えたところで、振り返ったドゥルガがそう言った。その深みのある低音を、真斗は久々に聞いた気がした。
「先に報告を済ませる。疲れているだろうが、実務が先だ。その後、部屋まで送るから着いてこい」
教会の外壁は白かった。表面はカサついていて、少しだけ苔じみていた。まるで城砦のような外門を、真斗とドゥルガは無言でくぐった。
前庭を抜けた。
この先には整然と続く石造りの回廊がある。そしてその脇には、礼拝堂へと通じる側扉がひっそりと鎮座している。
真斗は足を止めた。ふいに歌が聞こえてきたからだった。
それは合唱だった。そして、斉唱だった。
真斗は決して宗教については明るくなかったが、今聞こえているのが讃美歌であることくらいはわかっていた。祈りに来た人々の、神を讃える歌が、〈天に最も近いであろう場所〉から漏れ聞こえてきていた。
「祈るか?」
かけられた言葉に、一瞬真斗は、何を言われているのかわからなかった。
真斗は目を見張った。ドゥルガは何かを勘違いしているのかもしれなかった。
真斗が立ち止まったのは、ただ、歌が——シアユンが愛した〈歌〉という存在が、たまたま耳に入ったからに他ならなかった。誓って、神に祈りたいなどと思ったわけではなかった。
神のせいで、神に殺し合いを強いられている身で、よもや神を讃え、救いを求めようとしているなど、あるはずがなかった。
「別に止めはしない。すがるものは誰にだっているだろう」
「……い、いえ」
真斗はうめくように否定した。
「いいえ。必要、ありません」
「そうか」
どちらでも良かった、というようなトーンだった。
ドゥルガは無感動にそう言った。そしてすぐに、踵を返した。
その様子を見ながら、真斗はふと思う。
ドゥルガが言った〈祈るか〉の意味は、もしかしてシアユンの冥福を〈祈るか〉ということだったのではないかと。
「あ……」
血の気が引くようだった。真斗は青ざめた唇を手で覆った。何でそれが真っ先に出てこなかったのだろう、と真斗は震えた。
——どうして、自分の救いを真っ先に考えたのだろう。
「どうした?」
その問いに真斗は答えられなかった。生唾を飲み込み、息を吸うのに精一杯だった。呼吸の仕方を忘れてしまったかのようだった。
「……ごめんなさい」
ドゥルガは、そんな真斗を、三歩ほど先から見つめていた。不思議なことに、彼もまた、今までの迷いない言動とは打って変わって、珍しく何かを逡巡しているような様子を見せていた。
「俺は——」
いや、とドゥルガが頭を振る。
「いいか、木立真斗。忘れるな」
どこか雨の匂いのする突風が、二人の髪をザア、とかきあげ、回廊の奥へと吹き抜けていった。風にあおられた木の葉が一枚、大扉の神の意匠をなでて地に落ちる。
「誰が何と言おうと、生き残ったことは罪じゃない。人は死んだら、そこで終わりだからだ」




