24 腹ぺこ《ミテーリエ》
青鷺かと思った。真斗は大の字で道の上に寝転んで天を仰いだ。今度こそ本当に食われたかと思った。馬がいた。
馬だった。たぶん、荷馬というやつだった。
ずんぐりとした輓馬だ。胴が太く、胸板が厚く、首も幹のように肉厚で筋肉質だった。肩口まででシエロとシエラの身長くらいある。大きい。その巨漢の馬が、真斗から無理やり奪い取った背負い袋に鼻先を突っ込んで、何かムシャムシャとしていた。
真斗は転ばされた体勢のまま、頭上で鳴り続ける咀嚼音をBGMに、鼻の頭をひくつかせた。甘塩っぱい匂いが辺り一帯に広がっていた。オヤツにしようと二度焼きして真斗の鞄に入っていたシエラのビビンカが、はちゃめちゃに食い荒らされている。
「ぎゃー‼︎」
と方々で悲鳴が聞こえた。シエロとシエラの声だった。慌てて起き上がると、二人が鍋やらフライパンやら木のヘラやらを構えて臨戦体勢を取っていた。その後ろで真斗と同じように尻もちをついたオリバーが、口の空いた旅嚢を地面に叩きつけ、拳を振り上げて怒っている。
「痛ってえな! お前ら何すんだ!」
「だって武器がいるだろ!」
「化け物が出たー‼︎」
「落ち着けよく見ろよ! あれのどこが化け物なんだ!?」
「あんなデカい馬がいるか!」
「いるだろ! 荷馬なんだろうがッ」
たしかにオリバーの言う通り、街道脇数メートル後方の木陰に荷車が一台が置いてあった。
大きな荷馬車だ。木製の箱型の台に巨大な鉄の車輪が四つ付いている。弓なりの帆骨には、雨避けと思われる油の染みた帆布が掛けられていて、その陰から木樽やら麻袋やら木箱やらがゴチャゴチャと積まれているのが見えた。
行商の荷車なのかもしれなかった。御者の姿は見えないが、馬にはくたった革製の装具とリードロープが付いていた。木に繋がれていたのだろう。無理やり解いたのか、傍の木の幹には深い擦傷が付いていた。
「あーあ、私たちの貴重な食糧が……」
恐慌状態からいち早く抜けたらしいシエラが、フライパンをおろしながらそう言った。
「馬の飼い主に文句言ってやる!」
「まあまあシエロ。落ち着いて」
「おい大丈夫か、真斗」
「あ、うん。でもリュックが」
「おら! 返せ! このッ」
「うわあ……涎でべちょべちょだ……」
「え、悲し……」
お世辞にも無事とは言えない状態で真斗の背負い袋が手元に帰ってきた。もっとも、かの馬は本当に食べ物にしか興味がないらしく、それ以外の物に被害はないようなのは幸いした。口周りについた食べカスを舐め取りながら鼻息荒く尻尾を振る馬を尻目に、真斗はそっと服の下をめくる。シアユンの手帳も無傷だった。良かった。
「中身は?」
「平気……なのかな? これは。ご飯はなくなっちゃった」
「全部?」
「全部」
「こりゃ陸路で決定だな。街道沿いに南下すりゃ、さすがに村の一つもあるだろ」
「そうだね」
「ぶん殴ってやる!」
「だからシエロ、落ち着いてってば!」
真斗は改めて騒動の元凶を見た。未だ食べ足りなかったのか、馬は濡れた鼻を地面に擦り付け、道端に生えた草を貪り食っていた。落ち着かないように踏み替える後ろ足はモフモフとした毛に覆われていて、黒い鬣と対極の色をしている。白い毛流れが風で乱れるのを眺めながら、真斗はよいせ、と立ち上がって、
「ぎゃー‼︎」
突然、後方でバッシャン、と盛大な水音がして、真斗は飛び上がって驚いた。なんだなんだ、と見回していれば、次いで間髪入れずカラン、コロコロと何かが転がる音もする。背後からだった。
「ミテ、ミテーリエ‼︎ お前、おま、またかッ」
振り返って見た。赤毛の男がいた。
齢四十といったところだった。ヒョロリと背が高く猫背気味で、丸い眼鏡をかけていた。鳥の巣のような癖の強い髪と柔和なそばかす顔。爛漫な見た目と明るいカラーリングはどこかルーカスにも似ていたが、しかしヨレヨレとした生成りのシャツと草臥れたパンツが、愛嬌のある容姿をこれでもかと台無しにしていた。早い話が、普通に頼りなさそうな中年のおじさんだった。
そんな赤毛の男が、木桶を放り投げ、もの凄いスピードで真斗たちに駆け寄ってきていた。乱暴に踏み分けられたシロツメクサの花が散るのを、真斗は思わず目で追った。それと同時に、何かお香のような香りが鼻腔をくすぐる。植物を燻したような匂い。走り寄る男から、風に乗って漂ってくるようだった。不思議な匂いだ。
気を取られているうちに、いつの間にか真斗の目の前まで来た男は、その流れのまま地面にこれでもかと額を擦り付けた。いわゆる土下座だった。
スライディング土下座というやつだった。真斗は生まれて初めてそんなものを見た。さすがに驚きすぎて開いた口が塞がらなかったし、ぶん殴ってやる、と息巻いていたシエロでさえ、そのあまりに流れるような謝罪に面食らったようだった。
「大っ変、申し訳ありませんでしたぁ‼︎」
御者の男は、鳥の巣のような赤毛を更に振り乱し、半狂乱でそう言った。男の広い額は半分地面にめり込んでいた。地殻まで到達しかねないほどの必死さで、男は何度も何度も謝罪の言葉を口にしていた。
「すみません、本当に、何とお詫びすればいいか。こい、コイツ、本当に食い意地が張りすぎてまして、だから〈腹ぺこ〉と名付けたくらいで、」
ブルルル、とまるで応えるように、馬——もといミテーリエが鼻を鳴らす。
「あんなにきつく縛っておいたのに。いや、すみません。持ち物とか食べ物とか、平気じゃないですよね。本当、もう、何でこんな。勘弁してくれミテーリエ。これで何回目だ? いくら弁償してもしたりないよぉ……」
そうしてとうとう、男はおいおい泣き始めてしまった。「ええ……」と背後でドン引きする声も聞こえた。駄目だよ、シエロ。そんな目で見ちゃ。
とはいえ同情の余地がないわけでもなかった。真斗はオロオロとした。何だか段々彼が可哀想になってきてしまったのだ。まあ、彼自身が悪いわけではないし、動物のしたことだし。そりゃあたしかに管理不足だったのかもしれないが、資金はあるのだから食糧はまた買い直せばいいじゃないか。
真斗はオリバーを見た。心底情けないヤツだな、という顔をしていた。いや、初対面のオリバーも大概だったからね。
真斗は絶対零度の視線を送る双子を見た。汚物でも見るような眼差しだったが、拳は握っていなかった。ぶん殴らないならまあいいか。
真斗は決めた。泣き止んで、次から気をつけてくださいねと言って、円満に帰ってもらおう。うん、それがいい。自分より一回りは歳上であろう大人が道端に座り込んで号泣する光景は、見ている側の精神衛生にも良くないので。
「あの、」
努めて穏やかに、真斗は男の前にしゃがみ込んだ。男は更に小さく丸まって嗚咽を漏らしていた。真斗は宥めるように、男の骨の浮いた背中を撫でながら、弁償は大丈夫ですから、と言った。
男の身体が小刻みに震えている。
——よし、このまま押し切れそうだ。あと数分は泣いたフリをして……
「いや、めっちゃ強か!」
真斗は横転してしまった。これが泣いたフリ⁉︎ 演技派すぎる!
真斗は別の意味で感心してしまった。すっかり騙されてしまった。これはこの男の常套手段なのかもしれなかった。男は普段から、何かあればこうしてやり過ごしているのだろう。
真斗は薄々まずいことをしたのでは、という気持ちになってきた。自分は何を口走ったか。弁償はいいとか言ったような気がする。背後から突き刺さる三対の視線が痛い。
(言質を取られちゃった、とかそういうこと……?)
今度は真斗が天を仰ぐ番だった。「真斗、またお前は……」とかそう言われている気がする。オリバーとか絶対言ってる! ごめんってば……
「あの、騙されると普通に悲しいので……出来ればやめてほしいなって……」
とりあえず話し合いませんか、と真斗は意気消沈して言った。ため息がそこらから聞こえてきた。真斗は身を縮こませた。
おもむろに男が頭を上げる。男の陽に焼けた頬は過分に濡れていたが、眼鏡の奥の瞳はやけに冴えざえとしていた。
男は何かを考えるように口に手を当てた。それから「後ろの三人だけかと思っていたのですが」と打って変わって落ち着いた声音で言った。
「なるほど。貴方もそちら側でしたか」
嗚咽も乗らぬ流暢な口調が、唐突にそう告げる。
「えっ」
「〈嘘の涙を出す〉魔法を使って損しましたね。魔力の無駄でした」
「?」
「真斗下がれ」
「こっち来て!」
「こと〈魔法〉という分野において、私のような凡人が、貴方がた信徒様に勝てるわけもない」
「……何者だよ、テメェ」
「はじめまして、信徒様がた。私はフェルヴォール。怪しい者ではありません。ただのしがない……魔法使い専門の行商人ですから」
以後、ご贔屓に。そう言って立ち上がった詐欺師——もといフェルヴォールは恭しく一礼をした。




