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21 ビンビカ

 ——米粉、卵、山羊のミルク。

 旅嚢から取り出された食材が、焚き火の前にずらりと並べられていく。


「チーズ。塩。バター。あ、蜂蜜もある! すごいね、真斗くん。教会から支給された路銀、全然なかったのに」


 朝餉の支度をはじめた。時刻は早朝といった頃合いだった。

 天井から幾重にも降りそそぐ光は、段階的に強さを増していたものの、陽はまだまだ低い位置にいた。午前五時とか、六時とか、たぶんそのくらいの時間だった。

 早起きといえばそうなのだが、そもそもこの世界に来てから真斗はろくに寝ていなかった。しかし不思議と眠気はそこまでなく——真斗の眠りは深い方なのだが——それはみんなも同じようだった。

 特にシエロとシエラは一睡もしていないとは思えないほどシャッキリした顔で、真斗たちが買い込んできた食糧を物色していた。それは十代という若さがなせる技なのか、それとも生来のものなのか知れないが、とにかく今可及的速やかに満たすべき一番が〈食欲〉なのは間違いなかった。


「なんだこの量。絶対まともな増やし方じゃねえだろ」

「……ギャンブルです」

「ほらな」

「うわぁ」

「待って待って、引かないで! た、たしかにギャンブルはギャンブルなんだけど、そんな怪しい感じとかじゃなくて。……いや、ちょっと治安悪目な感じではあったけども、みんないい人だったし」

「いい人から金を巻き上げたと」

「真斗くん……」

「違うってば! うわーん。あらぬ方向への誤解が止まらないよお。ねえ、オリバーからも何か言ってよ、一緒にいたんだから」

「ギャンブルの何が悪いんだよ。現にそれのおかげで、今メシ食えてんだから、ありがとうだろうが、ガキ共」

「開き直ってきた」

「マジか。ダメな大人すぎる」


 双子の非難の目をへっ、と鼻で笑ったオリバーがおもむろに火に片手を寄せた。その手に握られているものが、あまりに見慣れた、しかしこの世界ではあまり見ていなかったもので、真斗は目を剥いてしまう。いつ買ったのだろう。全然気づかなかった。


「ちょ、ちょっと待って、オリバー。ねえダメだよ、シエロもシエラもまだ十代なんだから。僕たちならいいかもしれないけど、二人には、絶対身体によくないって。なんか変な匂いするし……」


 紙巻きの煙草は、昨晩教会で出会った炎の信徒が吸っていたものと同じような形状をしていた。少し形が歪でフィルターはなく、両側から刻み葉が剥き出しになっている。地球と異なり、この世界の煙草にはそこまで種類がないのかもしれなかった。それか高価で市場にあまり出回っていないか。


「えっと、真斗くんは何を言ってるのかな?」

「お前、私らがバタン・カルイェってわかってねえの? 舐めすぎ。温室育ちのお前よか、百倍は逞しく生きてるわ」

「んん?」

「そもそもコイツ、路上で生きてるガキがどんなもんなのかわかってないんじゃねえの?」

「日本にはいないのかな? 私たちの国は、私たちみたいなの、周りにたくさんいるけど」

「カモは取り合いだしな」

「ねー」

「日本がどうかなんぞ知らんけど、そうなんじゃねえの? この感じ」

「へえ、すごい世界だねぇ。何だか想像つかないや」

「さすが平和ボケの国」

「こら、シエロ」

「ま、ガキ共が幸せに暮らせんなら、それはいいことだわな」

「その弊害で、私らは今、デリカシーのない発言をもろにくらってるわけだけどな」

「シエロってば!」

「あ、あれ? もしかして僕、今怒られてるの? な、何でえ? だって副流煙……」

「誰も副流煙の話してねえわ」

「えっ」

「え?」

「まあまあ、みんな。それより食材使っていいんだよね? 食材わけてくれるお礼に、私が作るよ! ストリート仕込みのスペシャルな食べ物をご用意するから楽しみにしててね」

「スペシャル?」

「Tama 'yan! 真斗くんは甘いものはお好きかな?」


 そう言って、シエラはフライパンを手に取った。

 鋳鉄製の平鍋だった。スキレットと言えるかも知れなかった。そのくらいの小ささだ。例えるならば、パン一つを温める、肉一切れを焼く、くらいで精一杯のサイズ感だった。

 オリバーに言われて、役に立てばと金物屋で買った物だった。キャンプ文化圏のオリバーはともかく、料理がからっきしの真斗は、金物屋店内の陳列の多さに驚き目を回したものだった。フライパンだけで、たぶん、五種類はあった。あれはいったい、どういう理由で使い分けてるんだ。焼ければ一つで充分なんじゃないのか。

 多様なフライパンの中で、とりわけ小さなものがそれだった。一番軽かったのが決め手になった。当時買い物は終盤で、背負い袋がなかなかの重量になっていたので。

 しかし、その小さな平鍋を手にしたシエラはいささか不満そうだった。四回かぁ、という顔に見えた。

 なるほど、真斗は想定していなかったが、たしかにそうである。本当に一人分でいっぱいいっぱいの大きさなので、四人全員分の朝食を用意するには、たしかに少々手間かもしれない。街へ出たら、今度は大きなフライパンを買い足してもいいな、などと真斗は思った。


「甘いご飯なの?」

「私たちの国の、伝統的なお菓子みたいなものかな? パンと干し肉齧るだけじゃ味気ないでしょ? ……バーマンス——えーと、真斗くんの国だとなんて言うんだろう。冬のイベントで、なんかお祝いの、」

「……クリスマス?」

「そうかも? その時期に、特に屋台で売られる食べ物なの」

「へえ」

「あの時期、街中がとっても美味しい匂いになるんだよね。私も本物を食べたのは小さい時の一回きりなんだけど、露店で作られてるのはよく見てたから、たまに上手く食材が手に入った時は、シエロと二人で似たようなの作ったりして」


 クリスマスかあ、と真斗は思った。そういえば、両親とセブ島に旅行に行ったのも冬だったことを真斗は思い出した。たしかあの時は、祖父の屋敷で、タツと一緒にテレビを見ていたのだ。特集していたリゾート地の海を見て、僕も行ってみたいとこぼしたのがきっかけだった。

 タツから亮へ、亮から藤堂へ、藤堂から圭介さんへと伝言ゲームもびっくりの速度で伝わり、圭介さんからその話を聞いた祖父がチケットを用意してくれたのだった。母は呆れていたけれど、三人で旅行に行くのはあれが最初で最後だったので、真斗は屋敷のみんなに感謝しなければならないのだった。

 真斗は懐かしさに目を細めた。みんなは元気だろうか。大人数で暮らすのに慣れていたから、今こうして四人で火を囲むのは、あの頃みたいで少し楽しい。


 袋から、次いで木製のボウルが出てきた。これはオリバーが買った木椀だった。シエラはそれに、卵を二つ、穀物粉を一つかみ、ミルクを一周半注いだ。計量カップなどという高尚なものはなかったので目分量である。

 視界の端で、シエロがフライパンに動物脂をひいている。焚き火にかけられた底はシュウシュウと音を立てていて、更に腹が減るような心地がした。

 シエラの細腕でめちゃめちゃにかき回された器の中身は、生成りにドロっとした液体へと変わり果てていた。表面に残るボツっとしたダマが、真斗にホットケーキを連想させた。そのホットケーキのような液体がフライパンにまあるく垂らされる。ミルクと蜂蜜の匂いがふわっと広がる。


「いい匂ーい」

「ココナッツミルクがあったらなぁ、もっと近い感じになるのに」


 蓋もないので、シエラはこれまた仕方なさそうに、煮込み用の深めの鍋を持ってきてフライパンの上にずらして重ねた。鍋の側面に音が反響してジュウジュウとあたりに響いた。


「本当はね、バナナの葉っぱに乗せて焼くんだよ」

「バナナ?」

「そう、こう、葉っぱをお皿みたいにして包むの。それからね、チーズをこうやって散らして——」


 その手つきに既視感があった。真斗は記憶の糸をたぐるように、完成形を想像した。葉っぱにくるまっていて、蒸しケーキで、ココナッツミルクの南国の甘い香りがする。表面はカリカリのチーズがかかっていて、食べると甘塩っぱい。


「ビンビカ?」

「え?」

「ビンビカ、じゃなかったっけ? それ」


 露店でいい匂いがして、両親にねだって買ってもらったのだった。乾季のため快晴の多いセブ島は、十二月でも泳げるほど暑く、幼い真斗はビーチで海水浴を楽しんだ後、ホテルに戻る道すがらその匂いを嗅いだのだ。

 甘くて蕩けるように美味しそうな、柔らかいいい匂い。


「……真斗くんってさ、」

「?」

「ハハッ、シエロと同じ間違いしてんじゃん」


 隣で話を聞いていたらしいシエロが、ニヤリと笑って言った。


「え、間違い?」

「……ビビンカってお菓子なの、これ」

「えっ」


 真斗は驚愕した。ごめん、と言った。ひぇーと顔を覆った。恥ずかしい。知ったかぶりなどするものではない。


「あーおもしろ。昔のシエラもそう言ってたよな。同じ音、続けて発音出来なくて、ビンビカ、ビンビカって」

「シエロ!」


 シエラの顔も真っ赤だった。なので真斗も羞恥を忘れ、ついつい笑ってしまった。「なんだなんだ、ずいぶん賑やかだな」と、外で煙草を吸ってきたらしいオリバーが戻ってくる。苦味のある匂いが、甘い香りと混じり合って天井へと昇っていった。


「よかったな、シエラ。同類がいて」

「シエロ! いい加減にしないと怒るよ!」

「——タマルか?」

「ビビンカって言うんだって」


 十年以上前の記憶なんてこんなものだろう。真斗は焼き上がった一つ目の蒸しケーキを見ながら思った。真斗はワクワクしながら、チーズが雪のように降りかかるのを眺めた。生地の表面を、ナイフで削られた薄い白が踊っている。


「一番最初の焼きたては、真斗くんにあげましょう」

「ありがとう!」

「ちょっと焦げちゃったから」

「え、ひどい……僕の感動返して……」

「うそうそ、ごめんね。ちゃんと焦げ取ったから」

「そういう問題なのか?」

「真斗。お前、パン何個食う?」

「そんなにたくさんあったっけ」

「結構買っただろ。いや、四人だとそんなないか……?」

「わけてみようよ。干し肉も足りるかなあ」

「途中で街なりありゃいいんだが」

「節約する?」

「抜くなら夜だろ。明るいうちに動けた方がいい」

「そっか。ねえ、シエロ。シエロはどうする? パン一人三個は食べられそうだけど」

「…………」

「? ねえ、シエ——」


 と言いかけて真斗は固まった。シエロの視線の先に何があるかを悟ったからである。

 それは迂闊としか言いようがなかった。まぎれもなく真斗の失態だった。

 手元をのぞき込もうと四つん這いになっていたせいで、気がづかなかったのだ。真斗の足首は剥き出しだったのである。

 ひゅっ、と肺に息の入る音がして、それはいやに耳についた。心臓が壊れたエンジンのようにバクバクと音を立てていた。


(……見られた?)


 いや、見られたからと言ってどうということもないのだった。

 真斗の両のかかとには傷がある。もう随分昔の傷だ。この傷を見ただけならば、たぶん、ただの手術痕と思われるだけだ。


 そう、誰も——切られたとは思うまい。


 真斗は目を伏せた。さりげなさを装って、ズボンのすそを下にぐっと引っ張った。かかとにある縫合痕を隠した。

 シエロと目が合う。射抜くような彼女の視線に、真斗はなんと言うべきかを考えて、結局目を泳がせるにとどまった。

 シエロは何も言わなかった。ただ、その目は何かを雄弁に語っているように、真斗には思えた。


「どうかした?」

「いや」


 シエラの言葉を否定したのは、真斗ではなかった。シエロは何ごともなかったかのように立ち上がって、シエラの焼いた二つ目のビビンカを手に取った。

 真斗はつめていた息を吐き出した。無意識にさすっていたらしい右手を止めて、代わりにその手を米神へとやった。髪をいじるのが、昔からの癖だった。


「真斗」


 オリバーが呼んでいる。


「そろそろ靴乾いたんじゃねえか? お前、火に近づけすぎ。燃えるって」

「あ、うん。ごめん」


 立ち上がった。少しだけふらついた。それはおかしなことだった。もう完治していて、多少の後遺症はあれど、足に異常はないからだ。

 今までは何もなかっただろ、と真斗は己を叱責した。意識すればするほど、〈歩けなかった頃の自分〉を思い出して、足の力が抜けそうになる。頬を叩く。気合いを入れる。


 ——貴方のお家はここでしょう? 天使様なのだから、ここに居てくださらなきゃ

 ——そうだ、羽を捥いでしまえばいい。そうすれば、もう居なくなったりなどしないだろうから


「真斗」


 考えるな。忘れているうちは、何も感じないのだから。普段は痛みだってないじゃないか。違和感も。

 真斗は顔を上げた。オリバーを見た。片眉を上げたオリバーが、真斗のブーツを片手にこちらを見ていた。


「はあい」


 歩いて近寄る。笑いかける。


「——きめえ顔」


 間髪入れずとんでもない暴言が返ってきたので、真斗は思わず嫌な記憶も吹っ飛んでしまった。いいのか悪いのかわからない。


「ねえそれ、僕以外に言っちゃだめだからね」

「お前以外に言わねえし」

「それどういう意味⁉︎」

「ほらそこ! 喧嘩しないの」

「つーか、腹減ったんだけど。ぐちゃぐちゃ言ってねえでさっさと来いよ、真斗」

「え、怒られるの僕なの? オリバーがひどいこと言ったのに?」

「みんなきめえ笑い方だと思ってるってことだろ」

「失礼な! 僕の容姿、ちまたでは結構人気あるんだからね」

「はいはい」

「天使みたいって言われてたんだから!」

「あーね」

「オリバー! 聞いてるの?」

「聞いてるよ。悪かったっつの」

「ねえ、せっかく作ったのに冷めちゃうよ! 早く食べようよ。お腹すいたって」

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