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15 最初の一歩

 酒場の中に戻ると、ハラハラドキドキ様子をうかがっていたらしい男たちに、真斗は、わあと囲まれた。


「大丈夫かあ?」

「そんなひょろっこいから気分悪くなるんだよ」


 などと若干失礼なことを言われながら、黒パンやら豚の腸詰めやらをにぎる丸太のような太い腕があちこちから差し出されてきたので、真斗はなんだか少し面白くなってしまった。いかつい外見とは裏腹に、気のいい人たちである。結局真斗とオリバーは、そのままの流れで、男たちと昼食を共にすることになった。


 兵団らしかった。

 何が、と言えば、男たちが、である。一応彼らは、北方に位置する国の正規兵だそうで、この街には討伐依頼を受けてやってきたと、相席している副団長の男——もとい、ハロルドは言った。


魔獣(モル・オネ)?」

「ああ。魔獣(モル・オネ)の討伐は、俺たちみたいな、魔獣(モル・オネ)討伐専門のチームでないと駆除が難しい。だからまあ、こうして国境を越えて遠征することもある」

「待て待て待て。そもそも魔獣(モル・オネ)が何かが、俺らわからねえんだけど。な?」

「えっと……はい」

「え? ——ああ、そうか。ここは〈はじまりの地〉だもんな。降臨したての信徒(トーチカ)様が知らねえのも無理ねえか」


 テーブルの上の燻製肉を、ハロルドの太い指が一枚さらっていく。それを横目で追いながら、真斗は目の前の煮込みを落ち着かない気持ちでかき混ぜた。


「まあ簡単に言えば、とある病気の〈末期症状〉だな」


 ハロルドは、味の濃いパストラミをエールで流し込みながら静かにそう言った。


「その成れの果てが魔獣(モル・オネ)だ」

「末期、症状」

魔素(モル)の過剰生成で——とか言ってもわからねえか。とにかく、ある日突然、体にこぶが出来る病気っつーのがあってだな。その病気が悪化して起こる、まあ言っちまえば、〈異形化〉だな」

「あー待て待て。また知らねえ単語が出てきたわ。魔素(モル)っつーのは?」

「魔力の源。要は体内物質さ」

「あー、つまり? その体内物質の異常が、魔獣(モル・オネ)化?」

「ああ、そうだ。そうなっちまった奴らを処分して、被害を食い止めるのが、俺らの仕事ってわけだな」

「それって……」


 真斗はそっと木匙を置いて、ハロルドを見た。


「殺す、ってことですか?」


 そんな真斗の問いに、何か面白い要素でもあったのか、太い眉尻をわずかに下げて、ハロルドが笑った。まるで聞き分けのない子供をなだめるような笑みだった。

 そうしていると、ハロルドは真斗たちよりもずっと歳上に見えた。なんだか少しだけ、懐かしい気持ちになる。


「そうだ。——それが何であれ、誰であれ」


 カラになった木杯が、コトンとテーブルに置かれた。


「それが魔獣(モル・オネ)である限り、俺が殺してやるよ」


 静かながらに重みのある言葉だった。その含まれた語圧の強さに、真斗は一瞬、自分が何を言われたのかわからないほどだった。ハロルドの顔と手元のスープ皿を交互に見遣って、それから「え?」と息をのんだ。視界の端で、隣に座っていたオリバーが、「縁起でもねえなあ、おい」とパンをかじる。


「そうかもな」


 真斗の動揺を感じ取ったかのように苦笑してから、ハロルドはもう一枚の肉片に手を伸ばした。その動作が、あまりに〈何でもなさそう〉だったので、真斗はいつの間にか、円卓の下で拳を握ってしまっていた。

 彼にとっては、本当にそれは何でもないことなのかもしれなかった。異形の姿となった者を、〈モノ〉として殺す。それだけの覚悟と自負が、挙動の端々から読み取れるようだった。

 ここにいる兵団の男たちも、みんなそうなのかもしれなかった。優しく人想いで、きっと恐ろしいくらいに、理性的な人たち。


「まあ、大丈夫さ。この病気にかかるのは、たいていが家畜か野生動物だからな。人間種にはそうはないし、心配しなくていい」

「…………」

「そんな顔をするな、マナト。変な話をして悪かったな」


 それからハロルドは、重くなった空気を変えるように、そういやお前たちはこれからどこに向かうんだ? と真斗に聞いた。

 真斗は乾いた唇を一度だけ舐め、それからモタモタと地図を取り出す。そうして、南東の裂け目を指差した。


「第四断層? なんでまた、そんなところに」

「つーか、それ、俺も知らねえんだけど。勝手に隣町にでも向かうのかと思ってたわ。他の信徒と仲良しこよしがしたいんだろ?」

「それは、そう、なんだけど。実はその……教会でこんな走り書きを見つけて」

「〈ネヘレムを目指せ〉?」

「何だ、これは」

「ここのことかわからないんですけど、他に行く宛もないし、ちょっと気になるから、行ってみようと思ってて……だめ? オリバー」

「いいぜ、相棒。言ったろ、死ぬまではよろしくな、ってな。付き合うぜ」

「ありがとう!」

「……とはいえ、少し気になるな」

「?」

「何がだ?」

「南東は人の手があまり回っていないんだ。今話したから、というわけではないんだが、そういう場所は何かと澱みも多い。じゅうぶん気をつけろよ」

「ご忠告どうも」

「ありがとうございます、ハロルドさん」


 それから少しの雑談ののち、真斗とオリバーは昼食を済ませて酒場を後にした。ハロルドは本当に気前のいい男で、例のゲームで勝ち越した分の金も、真斗たちの懐に忍ばせてくれた。信徒(トーチカ)様には親切にしなきゃな、などと、うそぶきながら。


「さようなら」

「あばよ」


 表通りに戻ってきた。

 人気のなかった〈流れ樽(ドリフ・カスク)〉の通りからこちらに出てくると、生活音も街行く人の声も、どこか騒がしく感じるものだった。商業区画の整理された街壁を尻目に、真斗はその雑踏に負けないように、少しだけ声を張り上げて聞いた。


「この格好じゃ目立つよね?」

「服買わなきゃな。あとはなんだ、食糧ももう少し欲しいよな。それに夜営をするなら、火起こし道具と、ナイフと、毛布と——足はどうする?」

「足?」

「馬でも買うか? ハロルドが寄越してきたので足りそうだけど」


 真斗は一瞬口をつぐんだ。想像してみたのだ。馬に乗る自分。鞍とかつけるんだっけ? またがる時はどうするの? 紐みたいなのを引っ張って——


「……乗れないかもぉ」

「だと思ったわ。つーか俺も。まー良いだろ。歩けなくなったら、そん時考えようぜ」


 それから真斗とオリバーは、順繰りに店々を回って買い物をした。二人して、厚手のチュニックの上から短い外套に身を包み、粗末な手袋をはめて象牙色の背負い袋を背負った。

 すべての買い物を終える頃には空が半分ほど茜色に染まっていた。日没が近い。ルール上、もう長居はできなかった。


「おい、真斗」

「なあに?」

「なあ、ここから出た方が近いと思わね?」


 とオリバーが示したのは、南門に向かう途中で見つけた南東向きの小門だった。

 たぶん、水門だった。城壁の下に、排水用らしい穴が穿たれていた。高さは二メートルほどで、半円のアーチ上にくり抜かれており、上げ下げ式の鉄格子が頭上にくくられていた。

 水抜き穴に、人が一人通れるだけの隙間を足したような代物だった。水路の一部が外へと流れ出し、絶えずしめった音を立てている。

 真斗は少し考えて、それからうなずいた。というのも、先ほどオリバーと話していた内容が一瞬頭をよぎったのである。曰く、街を出た瞬間、他の信徒(トーチカ)と戦闘になるかもしれないな、と。

 ここならばその心配はないように思えた。地図にも乗っていないような管理用の水門で、当然人の気配はなく、断裂域(ネヘレム)にも近い。

 真斗たちの旅立ちには〈おあつらえ向き〉な場所に思えた。


「行こう」


 特別な感慨はなかった。真斗とオリバーは慎重に街の外へと出た。新世界(マキナ)に降り立って最初の一歩は、雑草の生えた崩れかけの石畳を踏んでいた。

 その石畳道は、水路に並走するように下流へと細くしかれている。真斗とオリバーは無言で顔を見合わせて、それから道なりに歩き始めた。


 陽が落ちてきた。

 たぶん、三十分くらいは歩いていた。街灯もない道の闇は濃く、このまま陽が完全に沈みきれば、周囲はほとんど見えなくなるだろうことは明白だった。ふとこぼされた「夜は動かねえ方がよさそうだな」との言葉に、真斗も同意する。


「見て、オリバー。何かある」


 水路脇に、細長く黒い塊が見えてきた。倉庫のようだった。ところどころ屋根が抜け落ち、石壁と木骨だけが残っているそこは、ずいぶんと昔に廃棄された場所らしかった。

 木屑の他に、食物らしき種の殻や虫食った麻袋、壊れた小舟の残骸が落ちていた。おそらくは旧交易路で使われた穀物倉庫だったのだろう。宿泊場所としてはお粗末なものだが、初めての夜営地としては充分すぎるほどだった。


 崩落の比較的少なかった壁側に陣取って、真斗とオリバーは寝支度を始めた。と言っても、テントもなければ寝袋もない。せいぜいが乾いた枝や木屑を拾ってきて、焚き火の準備をするくらいである。

 真斗が探索して回収した燃料は、火打石で見事な着火を見せたオリバーの手によって、即席の炬火となった。上手だね、と真斗が言うと、アメリカはキャンプ文化だからな、という簡潔な答えが返ってくる。


「お前も出来るようになってくれなきゃ困るんだけどな」


 それから、オリバーからの火の起こし方のスパルタ指導が入ったので、真斗は少しだけ泣きを見ることになった。街で買った革袋の中には、フリントとスチールの他に、墨塗りの火口布と火付け繊維が入っていて、真斗は特に、この火口布から炎を立ち上げるのに苦労した。やっとこさ出来るようになった頃には、辺りはすっかり暗くなり、手のひらも真っ黒になっていた。


「手、洗ってきまーす」

「ほーい。いってら」


 放棄された穀物倉庫は、水路のほとりに建てられていたので水源には困らないように見えた。しかし、流れる水はお世辞にも綺麗とは言えず、飲むのに向かないのは間違いなかった。

 水路の底には苔なのかヘドロなのかわからないものがびっしりとこびり付いていて、水面は澱み、流れも心なしか街で見た時より遅い気がする。もしかしたらこの先、飲み水の確保には苦労するかもしれないな、と真斗は今更ながらにそんなことを思った。


 夜になった。

 真斗とオリバーは、丸くなって火を囲み、夕食として少しのパンと乾燥果実をかじった。小さめの鍋や豆、根菜も調達はしていたが、何だか疲れてしまったので、結局は作らなかった。隣り合って座り、色んな話をした。


「ジュビナイル……ディビジョン?」

「juvenile division——日本じゃなんて言うんだ? 少年課?」

「じゃあオリバーは、僕を非行少年だと思ってたってこと⁉︎」


 お前みたいなガキと話をする仕事、と言われたことを思い出して、真斗は憤慨した。ダハハ、とオリバーが笑う。


「そうじゃねえって」

「信じられないんだけど! ちゃんと真面目に家に帰ってましたぁ。そもそも僕、成人してるし!」

「はいはい、わかってるって」


 吹き抜けの屋根の隙間から、大粒の星が幾つも輝いていた。風は冷たかったが、残っていた石壁のお陰で意外と軽くしのぐこともでき、真斗とオリバーは初めての夜を穏やかに過ごした。


「そろそろ寝ようぜ。一応、見張りはするか? 交代で」

「うん」

「じゃあ二時間おきにしようぜ。この程度の焚き火なら、ちょうど燃え切るまでに六十分ほどだから……二回燃え切ったら交代な。火起こしは?」

「もう出来るよ!」

「Good Boy, Baby. じゃあ先寝ていいぜ、時間になったら起こすから」

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