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14 Oliver Walker

 店の外に出ると、肌を指すような冷気が全身をおおった。日陰だからか、水路が近いからか、はたまた男たちの熱気が遠のいたからか。少し寒いくらいに感じるのは、身体が熱っているせいなのかもしれなかった。

 こんなに意識して誰かの思考を観測したのは、初めてのことだった。

 真斗はおぼつかない足取りで、ふらふら水路の淵にへばりつき、ミノムシのように丸くなった。それから、しばしじっとした。吐き気がひどかった。それは、船酔いに近い感覚だった。眩暈がひどく、上体を起こしていられなかったので、真斗は丸まったまま、反動がおさまるのを待つしかなかった。

 どれくらいそうしていただろうか。

 五分か、十分か。あるいは、もっとずっと短い時間だったのかもしれないが、船に乗ったような視界が落ち着いた頃合いを見計らって、真斗は顔を上げた。

 二メートル幅の水路の水面に、真斗の顔らしきシルエットが、ちゃぷちゃぷと波打っていた。輪郭はぼやけ、人らしき影がのぞきこんでいる、ということしかわからないくらいに、水面は上下運動を繰り返していた。

 それは、真斗が意識して深呼吸を繰り返しているからではなかった。おそらくは、水の流れが速いせいなのだった。そんなに水深はないように見えるが、浮き沈む一枚の木の葉が、視界をそれなりの速度で横切っていくのを見て、真斗はそう結論づけた。


「シエロ!」


 ふと、静寂を裂いて、よく通るソプラノが辺りに響いた。真斗はハッと顔を上げた。水路の対岸、張り出た建物の裏側で、少女が二人、もみ合っているのがちらりと見えた。


「嫌だよ、シエロ。危ないよ!」


 その少女たちは、おそらく双子だった。何も知らない真斗がそうと断言できるくらいには、二人はそっくりの容姿をしていた。

 年齢は十代後半くらいだろうか。高めの頬骨に、くりっとしたダークブラウンの、大きな瞳が乗っていた。よく焼けた肌。肩口までのギザギザのショートカット。背は高いが、すそから見える腕はガリガリとしていて、〈快活で引き締まった〉というよりはおよそ〈不健康な〉と表現する方がしっくりくるほど、細身な女の子たちだった。


「ったって、あれがなきゃ、ウチら生きてけねえだろ」

「それは、そうなんだけど……ごめん、シエロ。私が転んで落としたりなんかしたから」

「あー、違えって。泣くなよなあ。こんなのたいしたことねえし、すぐ取ってくっから」

「でも、何かあったら……」

「何もねえって。あークソ、そもそもアイツがしつこく追っかけてこなきゃ、こんなことには——」


 真斗は目を丸くして、言い争う姉妹の会話を聞いていた。というのも、二人の格好が真斗とおそろいだったからである。瞳孔の刻印こそないが、間違いなかった。

 つまりは、彼女らもまた〈信徒(トーチカ)〉なのだ。


「あの」


 と真斗は思わず声をかけた。信徒(トーチカ)仲間だから、というよりは、もっとずっと単純な感情からだった。たいした意図はない。何か困っていそうだな、と思っただけだった。

 しかし、こちらを認識した瞬間の少女たちの表情を見て、真斗はすぐに、己の軽率さを恥じることになった。なぜなら、その二対の瞳は、恐怖と警戒に満ち満ちていたからである。

 そも真斗は、そこまで威圧感のある見た目ではない。むしろ顔だけで言えば、どちらかというと女性的なくらいだったし、幼い頃など、しょっちゅう女の子に間違えられたものだった。

 しかし、今の真斗はそれなりに上背があったのだった。成人の、それも男の信徒(トーチカ)が急に声をかけてきたら、たしかに怖いかもしれなかった。パッと見で、真斗が最弱の信徒(トーチカ)であるとは、誰も思うまい。

 真斗はあせあせと居住まいを正した。それから、


「その、僕も何か、手伝おうか……?」


 と言ってみた。可能な限り柔らかい声音を意識したつもりだったが、どうやら効果はなかったらしかった。

 それを聞いた瞬間、少女は弾かれたように、もう一人の少女の手を取っていた。


「シエラ、来い‼︎」

「え、でも——」

「いいから早く!」


 短いやり取りだった。二人は示し合わせたように身をひるがえし、あっという間に、路地の奥へと走り去っていった。水路沿いの石畳を軽やかに蹴り出す靴音が残滓のように木霊して、そして消えた。本当に一瞬の出来事だった。

 真斗はぽかんと口を開けて、それを見ているしかなかった。


「……へ?」


 いなくなってしまった。そんなに怖い顔をしていただろうか。

 真斗は両手で表情筋をもみながら、そんなことを考えた。褒められることの多い容姿だが、こんなふうに逃げられたのは初めてである。普通にショックだった。


「何してんだ、お前」


 今度は背後から別の声がした。全裸の——否、いつの間にか全裸じゃなくなった男の声だった。

 無事取り戻せたのか、信徒(トーチカ)の装いに身を包んだ男が、木杯を片手に立っていた。真斗はゆっくりハンズアップをして、何も、と誤魔化した。


「一応、アイツらが中で休めるよう掛け合ってくれたみたいだぜ。どうする?」


 酒場の小さな窓と扉の隙間から、心配そうにこちらを見ている沢山の強面に、真斗は小さく会釈した。そんな真斗を見て安心したのか、張りついていた顔面が蜘蛛の子を散らすように離れていく。


「もう大丈夫です」

「持病か? それ」


 真斗の横にあぐらをかいて座りながら、男はなぜかそんなことを聞いてきた。


「いいえ」

「身体が弱いとか?」

「いいえ」

「なら——能力的なものってことだよな」


 真斗は一瞬黙った。それからすぐに、そういえばこの人には誤魔化してもしょうがないんだよなあ、と思い直した。


「はい。たぶん、人が多くなりすぎて、読みきれなくなったんだと思います」

「読みきれない?」

「気持ちが」


 それから真斗は、すみません、と謝った。男は、水の入った木杯をこちらに寄越して、そうして片眉を上げた。


「は? 何が?」

「だって、せっかく勝ってたのに」

「別にいいって。俺一人じゃ絶対勝てなかったし、死ぬ前に結構面白い体験できたしな」

「……死ぬ前?」


 真斗はパッと男を見た。男は肩をすくめた。


「……え? 死のうとしてたって、ことですか?」

「何驚いてんだよ。別に普通だろ、俺ら信徒(トーチカ)なんだから。どうせすぐ死ぬさ」

「死、にたいんですか……?」

「別に。けど、生きてたところで、何かいいことあったかって言われると、そうでもなかったしなあ。他の信徒(トーチカ)殺してまで叶えたい願いもなけりゃ、そこまでして地球に帰りたいわけでもない。まあ、最後くらい景気良くいっとくかと」


 それで、有り金すった挙句に全裸でここに。何を言ったらいいのかわからず、真斗は無言でジョッキに口をつけた。


「そもそもこんなん、素人じゃ、どんだけ能力が強くたって勝てないだろ。人殺したことあんの? お前。何人かやばいのいたし、どーせ勝つのはソイツらだって」

「ヤバいの?」

「教会で見かけなかったか? 職業軍人なんだか犯罪者なんだかしらねえけどさ」


 真斗は何となく、昨晩出会った中年の男を思い出した。家族想いの炎の信徒(トーチカ)。彼もまた、そのうちの一人なのだろうか。


「……そういうの、見てわかるものなんですか?」

「ま、一応、お巡りさんだからね」

「え⁉︎」


 お巡りさん⁉︎ 今度こそ真斗は目を剥いてしまった。ずいぶんと破天荒なお巡りさんもいたものである。世界は本当に広いな、と何だかズレたことを考える。


「失礼なヤツだな」

「だって、裸で呑んだくれてたし」

「お巡りさんは酒呑んでギャンブルしちゃいけないんですかあ?」


 真斗は再び、両手を広げて降参のポーズを取った。


「つっても別に、俺だってそこまでくわしくはねえけどな。刑事課ってわけでもなかったし」

「じゃあ、何をしてたんですか?」


 男はうーん、とうなりながら、真斗の顔をしばし、なでるように見つめた。そうして、


「お前みたいなガキと、お話する仕事」

「?」


 首を傾げた真斗を鼻で笑って、男はとうとう立ち上がった。たしかに、警察官と言われれば納得できる肉体美だったので、真斗の「もう成人してますけど」という言葉は、声にはならなかった。


「ほらよ」


 おもむろに麻袋が降ってくる。教会の刺繍の入った硬貨袋。真斗が男に貸したお金である。それがほぼほぼ二倍になって返ってきていた。銀貨の表面に、驚いた顔の真斗が反射していた。


「それ、お前の取り分な」

「お、多すぎます、けど」

「何言ってんの? お前が勝って巻き上げた金だろ」

「ええ……?」

「普通、全部寄越せってなるところだろうが。変なヤツ。いや、俺みたいなのに金貸す時点で頭おかしいか」


 不本意な評価に、真斗はムッとした。仲間になりたいなら金を貸すように言ったのはそっちなのに。失礼はどっちだ!


「なあ、ここで飯食って行かね? 体調が平気ならだけど」

「え?」

「え、じゃねえよ! 何驚いてんだよ、さっきから。俺言ったよな? まずは、同じ釜の飯を食わなきゃなって」

「言、いましたけど……え?」

「だから、お前の仲間になるっつってんの。約束は約束だしな。——まあ、お前の言う〈みんなで仲良く〉ってのは、正直実現できるとは思ってねえけど。別に何かすることがあんのかって言われれば、特にねえしな」

「えっ、え?」

「まずはお近づきのしるしに名乗っとこうか? 俺はオリバー。オリバー・ウォーカー」


 木立真斗です、とは言葉になったかはわからなかった。急な展開に真斗は目を回していた。

 しかし、その男——オリバーが、


「死ぬまでよろしくなあ、相棒」


 と言ったので、言いたいことはちゃんと伝わったのだろうと真斗は思った。

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