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13 三竦みゲーム〈トリグラフ〉

 男はどうやら、賭博で金を増やすつもりらしかった。

 真斗はほとほと呆れてしまった。賭博で負けたから、お金どころか身ぐるみはがされて全裸だったんじゃないのか。どうやら懲りていないらしい。


 男が寝転んでいた場所——もとい、真斗がすっ転んだ場所はとある酒場の前だった。

 〈流れ樽(ドリフ・カスク)〉という酒場だった。

 石造りの二階建てで、外壁はくすんだ灰色、ぶあつい木枠の窓が小さく二つついている店だった。入り口の脇に、樽や空き箱が無造作に積まれており、男はそこでひっくり返っていたようだった。その頭上には、さびた鎖の吊り看板が、船をこぐようにギコギコと鳴っている。

 男は座り込んだままの真斗を、あごでしゃくった。誰がどう見ても、それは〈ついて来い〉以外の何物でもなかった。

 正直一人で行ってくれないかな、と真斗は思った。

 そもそもの話、真斗は品行方正で真面目な日本の大学生である。人に言えないことなど——まあ、なくはないが——とにかく、ギャンブルも薬も煙草も未経験。真斗は二十歳にして未だ、そういった裏世界を知らない、ピュアピュアの堅気なのである。

 見るからに治安の悪そうな店。見るからに危なそうな男。そして、見るからに賭け事の気配。ここまでそろっていて、無事にすむとは、真斗には到底思えなかった。お金は自由に使っていいから、と真斗は思った。外で待っていたかったのだ。

 真斗は一応、小さく首を横に振ってみた。男の眼光が鋭くなった。変に律儀な男は、真斗の金を、真斗の前で使おうとしているらしかった。

 真斗は男の眼圧に負けた。重い腰を持ち上げた。その足は生まれたての子鹿のように震えていた。


 扉を押し開けると、まず鼻についたのは、焦げた油と酒の匂いだった。昼間だというのに、店内は夕闇に沈む地平線のようにほの暗く、木造りの床はところどころ黒ずんでいた。

 中は結構賑わっていた——というのは、少し違うのかもしれなかった。街の労働者然とした格好の者は本当にまばらで、店の席の大半を占めていたのは、全身黒のタイトスーツに、メタルグレイの甲冑を革のベルトで締め上げた、屈強な男たちだったからだ。

 明らかに堅気ではなかった。全員チームで、何かしらの戦闘行為を日常的に行っているのが丸わかりな風貌だった。彼らの人相が、よくよくそれを物語っていた。

 真斗は思わず後ろを振り返った。脱出経路を確認したのだ。それから、きっと彼らにからまれたら、真斗には逃げる隙も与えられないだろうなと思った。その心はさながら、狐にくわえられた兎のそれだった。


「え、おい。また来たぜ」

「もう賭けるもんもねえだろー。帰んな、帰んな」

「相手が悪かったんだって、信徒(トーチカ)様。そいつ、マジで運いいからさあ」

「俺らも負けたとこが見たくて賭けてるくらいだしなあ」

「お、細っこい信徒(トーチカ)様が増えてる」

信徒(トーチカ)様って群れることあるんだ」

「脅されてんじゃね?」


 いくつかもわからない視線が、真斗を——というより、正確には、全裸の男を向いていた。けれど、どちらにせよ、人の感情が同じ形をし始めると感度が上がる。真斗は拳を握って胸骨をなで、浅くなり始めた息を何とか誤魔化した。

 全裸の男は、そのたくましい男たちの中でも、更に大柄な男に、恥ずかしげもなく近づいていった。こんな場所で一人にされても困るので、真斗も仕方なくついていく。大柄な男は一度、チラとこちらを見たっきり、きしんで今にも壊れそうな店の椅子に深く腰掛けながら、ジョッキを静かにかたむけていた。


「よお。リベンジマッチと行かないか? 色男」


 返事はなかった。全裸の男は、大柄な男の前に平然と座った。え、大丈夫? 真斗は何だかハラハラしてしまった。ハラハラしているのは真斗だけのようで、他の者は皆、すぐに興味を失ったらしく、思い思いに酒と談笑を再び楽しみだしていた。


「俺には勝てねえよ」


 第一声。その印象にそぐわぬ、岩を割るような渋い声だった。


「こちとら、負けっぱなしの人生だが、あいにくと往生際は悪くてね」

信徒(トーチカ)様に選ばれるってのは、この世界じゃ栄誉あることだがな」

「人生最大(This is)の汚(just)点だ(peachy.)よ」


 男たちのテーブルには、ジョッキとツマミが入っていたであろう木皿の他に、数多の硬貨が積まれていた。金銀銅とりどりの金は、賭け事で得たものなのだろうが、それにしてもおびただしい数だ。目の前の男がギャンブルに強いという話は本当らしい。

 それとは別に、真斗の目を引いたのは、テーブルに散らばっている木札である。ざっと見ても数十枚はあった。白樺の薄い木片で、表面にだけ獣の皮が貼ってあった。

 真斗は、そのうちの一枚をひっくり返してみた。革の真ん中に、剣の模様が彫られていた。


「気になるか、ボウズ」


 その言葉に、真斗は慌てて手を離した。特に気にした様子もなく、大柄な男は涼しい顔でその木札を集めている。全裸の男が、


「ゲームに使うんだよ」


 と半笑いで言った。


「ゲーム?」

三竦みゲーム(トリグラフ)だな。剣は杯に強く、杯は盾に強く、盾は剣に強い。三つのマークが彫られた木札はそれぞれ二十枚ずつあって、ディーラーから一ゲームに一枚、プレイヤーに配られる」

「なるほど……」

「プレイヤーは、参加費の銅貨一枚の他に、賭け金を上乗せしたり、降りたりできる。カードのシャッフルは一回のみ。両者準備ができたらショウダウンだ。やるか?」

「大丈夫です」


 つまりは、早い話が〈じゃんけん〉である。役もなく、六十枚のうちから一枚、配られた木札のマークで戦う完全な運のゲームということだ。それで、これだけの金額を勝ったのか。

 真斗はチラリと大柄な男の顔をうかがった。灰褐色の瞳もこちらを見ていた。目が合ってしまったので、真斗は慌てて視線をそらす。


「副団長。俺、ディールしますよ」

「頼む。——いいか?」

「どうぞぉ、こっちはチャレンジャーなんでね」

「じゃあ始めます。チップを」


 ピン、と投げて寄越された銅貨を確認して、大柄な男——もとい副団長の、そのまた部下らしきディーラーは木札をシャッフルした。革が擦れるシャッシャッと音が一帯に広がった。

 一ゲーム目、全裸の男の盾の木札は、副団長の杯の木札に負けた。銅貨二枚が、副団長の積み上がった硬貨の山に投げ込まれた。


「まだまだ」


 その様子をぼんやり眺めながら、「これは……」と真斗はうめいた。勝つのが、あまりに〈簡単すぎる〉のではないかと思ったのだ。相手のマークを〈当てる〉だけで勝ててしまう。変な駆け引きも、裏もない。

 二試合目。全裸の男のマークは剣だった。そして、真斗には副団長のマークが盾であることがわかっていた。

 ——だって、そう聞こえるのだ。


「カードを変えてください」


 真斗は言った。


「それじゃ、負けちゃう」


 その瞬間、男はポカン、と口を開けた。副団長も、目を見開いてこちらを見ていた。

 真斗はようやく己の失言を悟った。一対一のゲームに横から口を挟むとは何事か。


「ご、ごめんなさい」

「……いや、気にしなくていい」

「は? え? なんでお前にそんなことわかるんだよ」

「ごめんなさい」

「いや、ごめんなさいじゃなくてだな」

「違うんです、本当に。邪魔するつもりはなくて……」

「——どうする? 札を変えるか?」


 その言葉は、真斗ではなく、全裸の男の方に向けられていた。副団長は本当に気にした様子はなかった。ただ淡々とした雰囲気が、逆に真斗を落ち着かなくさせた。

 それはまた、全裸の男も同じなのかも知れなかった。全裸の男は、うつむく真斗をしばらくじっと見つめていた。そして言った。


「いやー、実はこれ、コイツの金でさ」

「え?」

「だからまあ、俺らは二人で一人ってことで、いいよな? 色男」

「ふ、面白い。いいだろう」

「え、え?」

「よっしゃ! 頼んだぜ、相棒!」


 男は何のためらいもなく、木札を変えた。盾のマークが来た。ショウダウンで引き分けだったけれど、銅貨二枚がディーラーのものになっても、男は真斗を責めるどころか、じゃんじゃん行こうぜ! と真斗を鼓舞した。


「次だ、次!」


 三回目、四回目、五回目、と続いた。真斗は毎回、カードを変えるよう要求しながら、戦々恐々としていた。

 一度目に配られる木札のマーク。それは当然、毎回全然違うものなのに、初手のままでは絶対に副団長に負ける手になるのだ。ディーラーの男が不正をしている様子もない。つまりは本当に、この副団長は最強に〈運がいい〉。

 そしてもう一つ、戦々恐々としたのは、全裸の男が一切真斗の指示を疑わない、ということだった。四回連続で引き分けに終わったにもかかわらず、男は、真斗が札を変えるように言えばすぐにそうした。人を簡単に信じるな、って言ったくせに。本当に変な人である。


「何だ、面白いことになってるな」


 六回目のゲームが始まろうとした時、ふと、鈴蘭のような柔らかな香りが、真斗の鼻腔をかすめて通り過ぎた。団長! とざわつく周囲を気にもせず、白銀の髪を高い位置でくくった大柄な女性が、テーブルに手をついておかしそうに笑っていた。


「団長」

「ディール、私が変わってもいいか? 近くで見たい」

「はあ……アンタがそう望むなら。お前たちもいいか?」

「どうぞどうぞ」


 慣れた手つきで札を切る女性を、真斗はそっと観察した。服装は男たちと同じだったが、しいて言えば、肩口の甲冑から黒い布地が伸びていた。それはまるでヒーローマントのようだった。

 カッコいい女性、をイメージするなら、百人中百人が想像しそうな容姿だ。

 団長と言うだけあって、その女性は、女性ながらに、屈強な男たちを従えるに値するだけの見事な体躯をその身にまとっていた。腕まくりをした前腕は筋肉で盛り上がり、非常に発達してして、肩幅も装備によく映えるほどはっきりしている。手のひらも分厚く大きく、木札が小さく見えるほどだった。


「さあ、六ゲーム目だ」


 真斗は細く息を吐いた。やっぱり初手は、副団長の勝つ手になる。杯のマーク。こちらの手は、盾。


「どうする? 相棒」

「……変えてください」


 新しい札が来た。とここで初めて、流れが変わった。真斗は思わず息を呑んだ。


「——勝てる」

「何だって?」

「お金、上乗せしてください」

「は? 今?」

「今、全額」


 オールインかよお、と男は言った。でも抵抗はしなかった。


「もっとやってたかったんだけど、俺」


 そう言いながらも、男はちゃんと残っていた十九枚の銅貨を全額レイズした。したのを見届けてから、真斗はハッとした。すごくあからさまだったので、受けてくれないかもしれない。真斗は副団長の顔色をうかがった。


「いいだろう、受けて立つ」

「面白い! では、両者、ショウダウン」


 テーブルの上には、杯の木札と剣の木札が並んだ。わっ、とギャラリーが沸いた。十九枚の銅貨は、三枚の銀貨と十枚の銅貨になって返ってきた。


「マジかよ……」

「すっげえ! 副団長が負けた!」

「天変地異起こるぜっ」

「やるな、ボウズ」


 口をあんぐり開けて、全裸の男がこちらを振り返った。そんな顔で見られても困るので、真斗は、えへ、と口角を上げるに留めた。ある意味これはズルなので、勝って当然である。


「七ゲーム目だ!」


 それから、多分、十回ほどプレイをした。おりたり、引き分けたりもあったが、勝てるゲームには勝った。いつの間にか、真斗たちのテーブルには、酒場にいた全員が集まって観戦するほどの盛り上がりを見せていた。真斗の〈予言〉が何ゲーム目で外れるか、賭けにする者まで出たくらいだった。

 非常にむさ苦しい空間だった。汗と腋臭とアルコールの匂いでむせ返るほどだった。しかし、それよりもひどい酩酊感に真斗は襲われていた。息苦しい。気持ち悪い。思考がうるさくて、頭がガンガンと痛んだ。


「また、お前たちの勝ちだな。次はどうす——大丈夫か?」


 団長の女性の言葉に、ノロノロと真斗は顔を上げた。冷や汗が止まらない。数歩後ろにタタラを踏んだ。


「顔色悪いな。貧血か?」

「おいおい、大丈夫かよ」

「悪い! 立ちっぱなしだもんな、ここ座れ」

「誰もフルチンが座ってたところ、座りたくねえだろ」

「誰がフルチンだ!」

「椅子持ってきたぞー」


 わらわらと集まってくる男たちの、純粋な心配の声が聞こえる。それに応えなきゃと思うのに、それがうるさくて敵わない。真斗はそっと首を振った。壁に手をついて、片手で口をおおって、それから、ちょっと外に、とだけ告げてフラフラと扉へ向かった。

 着いてこようとする人の波を制して、外に出る。一人の方がいい。

 これが能力のオーバーフローであることは、自身が一番よくわかっていた。

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