12 同じ釜の飯を食わなきゃ、だろ?
——それは南東の方角にあった。
「……断裂域?」
「大昔の大災害で出来た場所だよ。おそらくは、地殻の変動によるのだろうね。大地が大きく裂けてしまった」
なるほど、だから〈断裂域〉なのか。老人の言葉に、真斗は神妙にうなずいた。
「当時、世界各地でそういうことがあったそうだよ。この地方で一番近い断裂域は、第四断層のフラクタ・クリフだろうか。そう、この辺りだね」
「少し距離がありますね」
「そうだね。歩いて二日ほどかかるかもしれないね」
二日か。真斗は口を引き結んで眉根を寄せた。当然だが、真斗は二日も歩き続けたことなどない。運動は苦手ではないが、慣れない土地で野宿も込み。ましてや、この街を出たら真斗は他の信徒に命を狙われる身でもある。うーん、とうなる。
「この世界の人たちは、どうやって長距離を移動するんですか?」
「荷車か、馬車か、そんなところだろうか。ただ、それなりにお金がかかるものだからね。歩ける範囲で生活をする者が大半だよ。私も含め、生まれてから街を出たことがない者など大勢いるのさ」
「……ちなみにおいくらくらいですか?」
「さあて、距離にもよるのだろうが、金貨五枚はくだらないと思うよ。旅の行商に上手く出会えれば、途中まで乗せてくれるのかもしれないが」
そこで真斗は、懐で温めている麻袋の中身を思い出した。銀貨がニ枚と、銅貨が五枚。銀貨一枚が銅貨十枚だから、全部で銅貨二十五枚。金貨は銀貨十枚分だから——と考えて、悲しくなったので、真斗はきっぱり馬車をあきらめることにした。
「ありがとうございました、おじいさん。僕、もう行きます」
「断裂域に向かうのかい? あそこは人の立ち入れない魔の地と言われているよ」
「魔の地?」
「魔力を吸う鉱石があると言われているんだ。近づいただけで気分を悪くした者がいる、という話も聞くよ。いくら信徒様でも無事ですむかどうか……」
真斗は一瞬考え込んだ。この書き置きが、真斗にあてられたものとは限らない、という事実は、何一つ変わっていないからである。
しかし、行くあてがないのも事実だった。今日の夕方には、真斗はこの街を出発しなければならない。むやみに歩き回る方が危険な気もするし、ここまで聞いてしまっては、その断裂域に何があるかも気になってしまうではないか。
本当に危ない場所なら引き返せばいい。真斗はそう自分に言い聞かせて、立ち上がった。
「はい、気をつけます。それと、もう一つ聞きたいことがあって——」
老人と別れ、真斗は街にやって来た。
白い壁に赤茶色の屋根が折り重なる商業区画は、昼に差し掛かった頃合いということもあり、人も多く活気に満ちていた。わあ、と思わず声が漏れてしまうほど数多の店々が街道に沿うよう立ち並び、ところどころに食べ物を売り出す露店も見られた。そこから非常に空腹をくすぐる匂いがただよってくるので、真斗は、あふれそうになるよだれをぐっと堪えて歩かなければならなかった。
さて、網目状に流れる水路を横目に、真斗は足早に街道を抜けた。目的地は服屋である。さすがに教会から支給された信徒の格好では目立つとの考えだったが、この辺りはどうやら街並みが入り組んでいるようで、二十分ほど歩いてもまだ見つからなかった。
「おじいさんが言ってたお店、多分この辺りなんだけど……」
右にうろうろ、左にうろうろしながら歩いて来たので、今更元来た道に戻るのも難しかった。真斗は、だんだんと薄暗くじめつきはじめた道に困惑しながらも、何とか大きな通りに出ようと歩を進めて——
「ぎゃっ」
と何かに突っかかってすっ転んだ。
「痛って!」
別の声もした。それは真斗が突っかかった塊から聞こえてきていた。
ひえー、と真斗は思った。それは明らかに人間の形をしていた。素っ裸の男だった。
変質者だった。それは間違いなかった。いくら表より人通りが少ないとはいえ、外で全裸なのは変質者以外の何者でもない。
早く立って逃げねば、と真斗は思った。昼間にこんなところでフルチンで寝転がるような人間に、まともに言葉が通じるとは思えなかったからだ。ごめんなさいっ、と叫ぶように告げてから、真斗はほうほう起き上がり、駆け出そうとした。一歩踏み出して、そして——またすっ転んだ。
「ぎゃっ」
それはけっして、真斗がドジなわけではなかった。真斗の名誉のために言うと、真斗が転んだのは、真斗の足首を変質者の武骨な手のひらがガシッとつかんでいたからに他ならなかった。
真斗はちょっぴり泣いた。普通に怖かった。
「は、離して……」
「兄ちゃん、人を足蹴にしておいてそりゃないって。普通に痛かったんだけどぉ、俺」
「ご、ごめんなさ——」
「ってあれ? お仲間?」
変質者の言葉に、半泣きの真斗はパッと顔を上げた。変質者と目が合った。えっ、と真斗は驚愕した。
男が全裸なのには変わりはなかったが、こちらを見るそのブルーグレーの瞳に、とある刻印が浮かび上がっていることに気がついたからだ。
(——信徒だ)
渦巻き模様の横に月桂樹の葉が描かれた刻印を、その男は瞳に飼っていた。この証——間違いない。催眠の信徒である。また非常に強い能力の信徒に出会ってしまったものだ。
真斗は思わず目を逸らした。
「えっ、お仲間だよな? その服、信徒のだろ? でも刻印は……まだ出てないな。お前、何の信徒なんだ?」
真斗は唇をきゅっと結んだ。結んでから、はっとした。
(……何をしてんだ、僕は)
みんなで生きるなら、他の信徒を勝手に怖がって、勝手に遠ざけるなんてあってはならないのだ。どうやって地球に帰るかも、本当にそんなことが出来るのかもわからないけれど、とにかくまずは話をしてみなくちゃならない。協力関係には、まずは信頼から、である。
「花の、」
視界をちらつく男のイチモツからは目を逸らして、真斗は言った。
「信徒、です」
男は呆気に取られた、というような顔をした。口をあんぐり開けて、肩のそばで両手を広げて見せた。ありえない、とでも言いたげなオーバーなリアクションだった。
「おま、ええ? お前、バカなの? 俺が催眠の信徒だってわかってるよな?」
「え? はい……」
「それ自分はザコです、って言ってるようなもんじゃん! 花の信徒って何の役にも立たねえのに、バカ正直に言ってどうするよ。殺してくれってアピールしてんのと同じだぜ? それ」
ひどい言われようだった。しかし事実であったので、真斗は何も言い返せなかった。
全裸の男は続けた。
「まだ街の中だからって油断してんの? バッカじゃねえの。そんなの夜には無法地帯になんだから、そんなこと聞かされたら、俺、真っ先に殺しに行くぜ?」
ひええ、と真斗は震えた。その通りだった。だけれども、真斗の目指す道の前では、絶対に嘘をついてはいけないのはわかっていたので撤回はしなかった。
とはいえ、全裸の変質者に言われることでもなかったので、真斗はなけなしの勇気を振り絞って反撃した。
「……花の信徒だって偽って、貴方をだましている可能性も、ありますよ」
「そんなプルプル震えて何言ってんだ、お前」
男は鼻で笑った。なかなか堂に入った仕草だったが、すっぽんぽんでは迫力も半減だった。
「それに嘘じゃねえのもわかってんだよ、こちとら。そういう能力だもんで」
能力。転移ボーナスのことか。真斗は今更ながらに気づかされた。
——信徒に配られる三つの能力。
真斗に〈人の心を読む〉力があるように、他の信徒にだって別の力が与えられているに決まっていた。目の前の男はきっと、〈嘘か本当かを判別できる力〉なのだ。そんな当たり前のことを、真斗はすっかり忘れていた。信徒は、何も真斗だけが特別なわけじゃない。
ならますます、と真斗は思った。思わずこぶしを握った。よし、と内心でうなずいた。
ならばますます、嘘はつかないで良かった。
「——僕は」
声が掠れてしまったので、真斗は咳払いをした。心臓がドキドキしていた。期待と不安でおかしくなりそうだった。
「みんなが、殺し合わないですむ道を、探したいんです。だから……貴方と、仲間になりたいです」
「は?」
「急にこの世界に連れてこられて、神様の代わりに殺し合えって言われて、そんなのおかしいって思っているのはみんな同じだと思うんです。きっと、話して仲良くなれば、何かいい方法が」
「——それは命乞いか?」
喉の奥がきゅっとしまった気がした。真斗は息を呑んだ。言葉が続かない。何か言わなければ、と思うのに、真斗の口はそれ以上何も発さない。
「自分で戦う能がないからって、命乞いか? 強い奴と仲間になって、守ってもらおうって? それはずいぶんと虫のいい話だなあ、ええ?」
真斗は首を横に振った。そうじゃない。そうじゃないけれど、たしかにそう取られてもおかしくはなかった。だって、真斗は最弱の信徒なのだ。この提案は、強い信徒がしてこそ意味がある。男の言う通りだった。
悔しい。
男は何も言わなくなった真斗を見て、ちっ、と舌打ちをした。それから、深く深くため息をついて、不揃いの短髪をガシガシとかいた。
「まあいいや。じゃあさ、そんなに俺と仲間になりたいならお金貸せよ」
「……え?」
「貸せるよな? だって、お前が言う仲間ってのは、みんなで力を合わせるもんなんだもんな。俺、今困ってんだよなあ。有り金全部すっちゃってさあ……お前は困ってる相手を見捨てたりしないよな? じゃあ貸してくれよ」
それは明らかな挑発だった。真斗もようくわかっていた。
「いくら、ですか?」
「そうだなあ。それはお前の〈お気持ち〉次第かもな」
真斗は目を閉じた。逡巡した。でも一瞬だけだ。己の中で答えは出ていたから。
「いいですよ」
真斗は笑って言った。
「そんなに持ってないですけど、それでもよければ」
真斗は懐から、教会の刺繍の入った麻袋を取り出した。草臥れた革紐で結われたシンプルな巾着である。それをそのまま、男の手のひらに乗せた。
「僕は本気です。本気で、みんなと一緒に帰りたい。だから、弱い僕が、こんなことで信用を得られるなら、迷う理由はありません」
「は?」
今度は男の方が驚いているようだった。自分で言ったくせにである。変なの、と真斗は思った。ここで初めて、真斗は目の前の男がそんなに悪い人ではないのかもしれないなと思った。そう思ったら、何だかおかしくなってしまった。真斗は小さく笑った。
「だあー‼︎ クソッ」
男が急に叫んだ。どうやら脱衣癖だけではなく癇癪持ちでもあるらしかった。真斗がそんな想像をしているとはつゆほども知らず、男は頭をかきむしって悪態をついていた。それはたぶん英語だったが、早口すぎて真斗には聞き取れなかった。とりあえずとんでもないスラングが発されていたことだけは、何となくわかった。
「あー、クソ! お前ムカつくんだよ。俺みたいな奴を平然と信用しようとすんな、バーカ‼︎」
真斗は呆気に取られてしまった。男はたぶん真斗より年上だが、何だかずいぶん子供じみた罵倒だった。へへ、と今度こそ真斗は声に出して笑った。
「笑ってんじゃねえよ!」
「ごめんなさい」
それからようやく落ち着いたのか、男がため息をついて立ち上がった。立ち上がられると、その身長の高さがよくわかった。身体つきもがっしりとしており、よく引き締まっている。昼間から酒、賭博、全裸、という三拍子揃っていたので、真斗は勝手に男をろくでなしだと思っていたが、その印象に反して、それは、それなりに鍛えている男の身体だった。太い首を回しながら、男が言った。
「おい、何してる」
「?」
「仲間になんだろ。ならまずは、同じ釜の飯を食わなきゃ、だろ?」
短い爪が、一枚の銅貨をピンと弾いた。
「まあ、食えるかは運次第だけどな」




