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それから時は経ち、夏休みが目前に迫った矢先。花咲ちゃんはいつもと違い、興奮した様子で駆けてきた。
「ねぇ、聞いて!今日美術の授業で、隣に座った子に上手いねって声かけられたの」
「へぇ、すごいじゃん!良かったね」
私も彼女に釣られて興奮気味に返答する。太陽の暑さに負けないほど、少女は自ら全身を火照らせる。
「うん。きっと芽生ちゃんのおかげかな?」
「まだちょっとしか教えてないよ。花咲ちゃんの元々の画力だと思うな」
花咲ちゃんはううん、とそれでも否定し私に感謝してくれた。
「それで、すっごく嬉しくて……それからいろいろその子と話せるようになってさ。ちょうど班のグループも同じだったから、帰りまでたくさん話したんだよね」
私はうんうん、と相槌を打ちながら耳を傾ける。彼女はウキウキした様子で続ける。
「その子から、今まで気になってたけど話しかけづらかったって聞いたの。私があまり自分から話さなかったから、どういう人か分からなくて迷ってたんだって」
なるほど、確かにその同級生の気持ちは分かる。花咲ちゃんは話してみると人懐こく素直で可愛らしい年頃の女の子だ。
しかし、初見ではその綺麗な顔立ちに思わず一歩引いてしまうかもしれない。人見知り故に、緊張で強ばった顔がクールで近寄り難い印象を抱かせてしまったのなら納得ができる。
「良かったね。お友達できたんだね」
「うん。昼休みにその子のグループの子たちとも仲良くなれて、夏休みも遊びに誘ってくれたんだ」
「おぉ、快進撃だ。やったね」
私は大袈裟に驚いて見せた。一番長い休み期間、流石に同級生たちと遊べないのは辛いだろう。私は花咲ちゃんに友達ができたことを心から祝福した。おめでとう、といつも以上に丁寧に細かく描きこんだイラストを捧げた。
そうこうしていると、いつの間にか空は雲がかり、次第に風が吹くようになった。
「あれ、一雨くるのかな?」
「天気予報晴れだったのに。じゃ、そろそろ帰るね」
花咲ちゃんは帰り支度を始め、私のイラストを大事そうにランドセルへしまった。私も同じように片付けながら、確認するように問いかける。
「それで、夏休みはお友達とたくさん遊ぶんだね」
「そうなるのかな、楽しみだなぁ」
嬉しそうに微笑む彼女に、なぜか不意に心がざわつく。つい魔が刺した私は、ほんの意地悪のつもりでポツリと残念そうに呟いた。
「あーあ、せっかく夏休みも会ってあげようかと思ってたのに」
花咲ちゃんの動きがピタリと止まった。同時に風が強く吹き始め、向かいの並木たちがザワザワと激しく音を立てる。
彼女の長い髪がしなやかに靡く。横髪が顔にかかり、私からその表情は見えなくなった。
一体、どんな反応を望んでいたのか自分でもわからない。しかし、彼女のことだからきっと困ってしまったのだろう。「ごめんね」と謝って「でも芽生ちゃんとも会う時間作るよ」だとか、取り繕ってくれるに違いない。
大人気なかったな、とすぐ反省したが放った言葉は取り消せない。せめて巻き返さなければと頭を回転させる。
ショックを与えてしまったのなら、ちゃんと「私のことは気にしないで」「同年代の子と遊んでおいで」と大人らしく送り出してあげなければ。私は自身の言動に冷や汗をかきながら、彼女の返事を待った。
しかし、花咲ちゃんから発せられた言葉は私の予想外のものだった。
「え?なんで?」
瞬間、時間が止まったように感じた。
「なんでって……ほら、毎日会ってたから」
「そうだけど、平日だけだったじゃん。夏休みは休みだから会わないと思ってた」
花咲ちゃんはさも当たり前のように、きょとんとした顔で言った。
私は呆気に取られ、目を丸くする。それを悟られないように、すぐに笑顔に切り替え先の発言を撤回した。
「なんてね。冗談だよ。わざわざ夏休みまで会うことないよね」
喉に何かが詰まったように、絞り出した声。
「なんだ、びっくりしちゃったよ。芽生ちゃん急に変なこと言うから」
再び花咲ちゃんは笑顔になり、私たちは笑いあった。そして帰り支度を済ませた彼女は、急ぐように別れを口にした。走りかけたところで、あっと思い出しように最後に叫ぶ。
「明日は終業式で午前中に終わるから、今日が最後ね!バイバイ!」
いつもの調子で帰っていく彼女の背中に、私は思わず呼びかける。
「待って!」
しかし、その声は直後の強風にかき消され、彼女に届くことはなかった。
取り残された私は、どこか釈然としない気持ちでいた。何かモヤモヤするような、唐突な不快感と湿気がまとわりついてくる。
風の音が激しくなり、鼓膜へと響く。やがて雷が鳴り始め、やっと重い腰を上げ自宅へ歩き始める。帰り道、先程のやりとりを思い返した。
私はそんなに変なことを言っただろうか。なんとなく、夏休みも会うものだと思っていた。あれほど毎日、濃密な距離にいたというのに。
しかしよく考えればおかしい話だ。年も離れた最近知り合ったばかりの他人と、なぜ休みの日まで会う必要があるのか。彼女の疑問はもっともだ。
元々、私だって分かっているはずだった。子供は子供と遊ぶ方が楽しいに決まっている。出会った当時、あんなに寂しそうにしていた花咲ちゃんに、せっかくクラスの友達ができたのだ。側で支えていた私だからこそ、一緒に喜んで然るべきだろう。それを邪魔するなど、無粋だ。
それでも、私に会う時間を割いてくれるだろうと過信していた。いつの間にか自分と同じくらい、彼女の心にも自分がいるものだと思っていた。
しばらく考えているうちに、自宅の玄関までたどり着く。ドアを開いた直後、示し合わせたように雨が降り始めた。
薄暗い部屋の中で荷物を下ろし、湿気でベタついた髪を結び直す。花咲ちゃんのサラサラとたなびく綺麗な髪が脳裏に浮かぶ。
なぜ、こんなにも違いがあるのだろう。年齢も見た目も性格も、気持ちでさえすれ違うなんて。
「いいなぁ……」
自然と口から言葉が漏れる。と、同時に稲光が一筋、部屋を照らした。その瞬間、この暗雲のようなモヤの正体にやっと気が付いた。
私は理想の大人とはほど遠い、幼稚な嫉妬心に不甲斐なさを感じた。




