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それから、花咲ちゃんと会うことは日課になっていた。最初の方は、彼女のマシンガントークが止まらず、日の入り近くまで一緒にいることもあった。ここ最近では暑さの影響もあり、一時間ほど話し明るいうちに解散するというのが恒例になった。
月曜日から金曜日の放課後、アルバイトの帰りに河川敷で彼女を待つ。土日はかろうじて、まだフルタイムで入っているため、休みは必然的に平日となる。
しかし、その休日でさえ時間を見計らって同じ場所で待機した。普段着と仕事着の違いはエプロンの有無くらいなので、格好を意識する必要もなかった。
私と彼女が互いに必要な存在となっている以上、その期待を裏切れなかった。私が毎日ここにいることは、自然と義務になっていた。
河川敷にはいつも早めに到着する。私が居ないと思い込み、そのまま帰られてしまってからでは遅い。彼女が通りかかる時点で待機していないと意味がないのだ。
私に足りないものが身近な存在だとわかったところで、現状がすぐに変わるわけではない。これからどうするべきかの答えは、まだ見つかっていない。
今の生活を続けても、収入は雀の涙。フリーターを続けるにしても就職するにしても、とにかく今の状態から早めに脱出しなければならない。そう分かっていても、私は優先的にここへ出向く選択をしてしまう。
仕事探しはその待ち時間に行なっていた。せめて答えが出るまでの繋ぎとして、何でもいいからと応募フォームまで進めるが、どうしてもその先をこの手が拒む。
花咲ちゃんの笑顔や、あの時の光景がちらついて邪魔をする。そうしてだらだらと時間を潰していると花咲ちゃんが現れる。
そうなると、自分のことをしている場合ではない。さっとスマートフォンをしまい、ペンとノートに持ち替える。そして、隣に座る少女の求めるものを与えていく。
「あ、スミレ」
私が描いている横で花咲ちゃんが呟く。
「うん?どこ?」
釣られて周りを見渡すが、辺りには生き生きと茂った雑草ばかり広がって、それらしい花は見当たらなかった。
「ふふ、今はもう花は咲いてないよ」
くすっと笑うと、彼女は足元の草花を指差した。
「今日たまたま理科の授業で習ったの。これ、蕾があるの見える?」
私は描くのを中断し、目を凝らして彼女の指さした方を見つめる。そこには小さな萼に嘴のような緑の蕾を付けた花があった。よく見ると、その一帯には他にも丸みを帯びたものや似た形状のものが多く存在していた。
「スミレって、綺麗に開いて咲く花と蕾みたいな形の花があるんだって。理科の授業で先生が言ってた」
私は相槌を打つ。小学生の時の授業内容など覚えている訳もなく、新鮮な気持ちで耳を傾ける。
「ヘイサカって言ってね、こっちの花はこの中で自家受粉をして、それでまた春に咲けるように種を増やすんだって」
「へぇ、よく覚えてるね」
「うん。なんか印象に残ってるの。おまけで話してたことだったから詳しくは忘れたけど、とにかく生存戦略の一つらしいよ。雑草って強いね」
そうだ、と呟いて彼女はランドセルからスマホを取り出し、その花の写真を撮った。思わず、今時は小学生からスマホを持っているのか、と感心した。周りに当事者がいないので、他の年代についての最新事情が全然分からなかった。
そういえば花咲ちゃんの淡い紫色のランドセルも珍しい気がしていたが、今では普通なのかもしれない。キョロキョロと他に下校中の子供達を盗み見ると、みんな色とりどりのランドセルを背負っていて、とてもカラフルな光景だった。
花咲ちゃんはキラキラした目でスミレの群生を眺める。私は彼女の言葉に共感しながらその青々とした緑を一瞥した。
草花にはそれほど興味がなく、授業でスケッチした思い出くらいしかなかった。ましてや蕾の状態など、そう面白いものではない。誰だって綺麗に開いた花の方が魅力的に映るだろう。
きらめく花咲ちゃんの横顔に、美しく咲き誇った色とりどりの花が背景に現れた。それは刹那の幻で、瞬きすると途端に消えてしまった。
自分のことだけでなく、最近はそんな他愛もない雑談もしてくれるようになった。小学生らしく興味の幅が広く、次から次へと話題は変わる。花咲ちゃんはまた次の話をペラペラと喋り出した。
しかし、私が何者なのか、普段何をしているのかなど聞かれることはなかった。小学生からしたら自分が第一で、ただの一大人の生活などさほど興味はないだろう。それが逆に、私にとって好都合でもあった。
この二人きりの時間は唯一の癒しだった。私は花咲ちゃんの話を聞いてあげる。花咲ちゃんは私の絵を褒めてくれる。何を描いても「すごい」と全肯定してくれる。それが心地よかったし、子供の純粋な裏表のない言葉に、私の心は救われていた。
彼女にとって私は、話を聞いて絵も描いてくれる都合の良い存在なだけだったとしても、この関係は大事な絆だと感じている。彼女と私は、いつの間にかお互いの心の拠り所となっていたのだ。
聞くかぎり、花咲ちゃんの家庭はとても温かな場所だ。親の都合で転校することになった少女に両親は引け目を感じているようで、とても優しく接してくれるという。欲しいものは何でも買おうとしたり、遊びに出かけない娘を気遣い、外出に誘ってくれたりと、大切に育ててくれているそうだ。
花咲ちゃんもそれに甘んじてされるがまま、というわけではない。しっかり自分の意見を持っていて、不必要なものは断り、都度感謝を伝えているようだ。
薄々気になっていたので、私について話しているのか聞いたところ、友達が一人できたと報告したようだった。
「ただ、同級生じゃないって話すとなんかいろいろ言われそうだから……」
「そりゃそうだよ。私は無害なつもりだけど、親御さんからしたら心配だと思うよ」
お互い苦笑いをし、この言葉にしにくい不思議な関係をどう説明するべきか、思考を巡らせた。結局答えは出せず、しばらくこのまま黙っていても良いのではないかと結論づけた。
花咲ちゃんと別れたあと、ふと自分の両親を思い出す。前回届いたメールは三月末頃。フォルダを開いて確認する。
『まもなく世間は新年度となり、新しい門出を迎える人々で溢れます。その中で、貴女は今何をしていますか?ちゃんと就職できているのか、はっきり教えなさい。うまくいっていないのなら……』
改めて見ると目眩がするような、嫌味なのか心配なのか絶妙に分かりづらい内容が綴られていた。相変わらずのお小言にうんざりし、違うことを考えるよう頭を切り替える。
よし、と閃いて私は歩きながらスマホを操作する。先ほど話題に出たスミレについて少し調べてみよう。花咲ちゃんが興味を持っていたみたいだし、豆知識みたいなものを持っていた方が大人としてかっこいいかもしれない。
私は少しでも彼女にとって大切な、かけがえのない人だと思われたかった。なんて安易で浅はかな思考だろう。それでも、表面上だけでも格好つけていたかった。
スミレはスミレ科スミレ属の多年草。関東地方で多く見かけ、淡紫色の花をつける。春に花を咲かせ、虫に蜜を吸わせ受粉、結実する。一般的にスミレといえば、こちらの「開放花」が有名だろう。
しかし、初夏に入ると花弁が大きくならず萼も小さいままの蕾のような花をつける。これを「閉鎖花」といい、この花は自分自身で花粉を雌しべに受粉し種子をつける。
昆虫を使って花粉を運び他の花と交換する「他家受粉」、虫に頼らず自分の遺伝子だけで種子を作る「自家受粉」、スミレはどちらの方法も取り入れ繁殖してきた。
閉鎖花は主に秋まで、まれに冬にもつけることがある。下向きについた蕾は徐々に真上を向く。やがて熟すとその実は三つに裂いて開き中に詰まっている種を弾き飛ばす。
興味本位で調べてみたが、なるほどと思わず感心する。確かに他家受粉ならば多様な遺伝子を残すことができるが、蜜を作るコストや昆虫のいない環境になると種子を残せないデメリットがある。閉鎖花をつけることで、同じ遺伝子にはなるが、確実に子孫を残せるというメリットが生まれる。この戦略で雑草としてここまで繋いできたのだと、その生命力に感動した。
いくつかサイトを漁ると、実際の写真も何枚か確認できる。特に印象に残ったのは、実が裂けサヤが開いている状態の画像だ。三つの舟型のサヤに、それぞれ小さく粒々した茶色の種がぎっしり詰まっている。
なんだかその見た目が少しグロテスクに感じ、私は思わず苦笑する。そして、多少の知識を仕入れたところで満足し、上機嫌でアパートへと向かった。




