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青い蕾  作者: 碧 真白


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 翌週から、宣言通り私の勤務時間は調整された。シフトのことは、すでに従業員全員の耳に入っているのだろう。同時刻に上がったパートさんは気まずそうに素早く着替え、簡単に挨拶だけして先に帰ってしまった。

 元々この職場も、前のバイトを辞めるタイミングで、たまたま募集をしていたから運良く入れただけだ。大した思い入れはない。親しい人もいないし、今更どう思われようとどうでもよかった。

 私は横目で彼らを見送ってから、ワンテンポ遅れてタイムカードを押し、スーパーの裏口から出ていった。


 先日と同じ昼下がり。私は何となくまた同じように土手に座った。

 周囲は太陽の光をたっぷり浴びた、健康そうな草むらが生い茂っている。今年は梅雨の時期でも雨が少なく、河川の水は安定した量で流れている。

 私は気持ちを切り替えようと深呼吸を数回した後、スマホを取り出し求人情報のサイトを開いた。

 画面には様々な求人募集が載っている。選り好みできる立場ではないのだが、どうしても給与や条件の項目で妥協できず、ただただ読み流していた。

 新しいアルバイトを探すのは簡単だ。今の待遇と比べなければ、すぐにでも近くの同系統のスーパーの応募フォームに進むべきだ。

 だが、自分ももう三十になる。そろそろ定職に就くことを視野に入れた方がいいのだろうか。

 今までフラフラとしていたツケがここで回ってきた。いや、タイミングとしてはちょうどいいのかもしれない。このままグダグダとフリーターを続けていて、将来のビジョンが見えるかと言われると、そんなわけはない。

 もしかしたら店長はそれも見越して、あの助言をしてくれたのだろうか。他人に促されてようやく、自分の立ち位置が見えてきた。

 しかし、だとしても扱いが雑すぎる。彼の憎らしい顔と腹が浮かんで、私は眉を顰めた。

 今まさに人生の岐路に立とうとしている。いい加減、この怠惰な生活に終止符を打つべきか。経験も乏しく資格もない人間を、正社員で雇用してくれるところなどあるだろうか。いや、あるだろうがいざ就活と考えると途端に腰が重くなる。

 すっかりこの環境に甘え切っていた私は、哀れにもいつまでもこの日々が続くと思っていたのだ。

 焦っているのは事実だ。幸いにも、浪費癖はなかったため、貯金だけはしていた。しばらくはそれを切り崩しながら生活はできるだろう。だがそんな状態を続けていても、半年後には家賃を払うだけで精一杯となってしまう。

 いっそのこと実家に帰った方が良いのだろうか。そんなことも思いつく。しかし、そうしたらいよいよ上京した意味を無くしてしまう。何も成し遂げず、ただ数年間流されるまま生きただけで終わってしまう。

 反抗して出てきた手前、夢も就職もまともに叶えず逃げ帰る、という道を選べなかった。不甲斐ない姿を見せまいと、私はこの数年間でずいぶん意固地になってしまっていた。

 ここまできて、求職に手が進まないのは、決断できない足枷となっているものは、一体何なのだろうか。ぐちゃぐちゃな頭の中を整理する。

 この先、フリーターとして細々この暮らしを続けていくのか、あるいは本腰入れて正規雇用を目指すのか、それとも。

 その時、ちらりと先日の光景が頭をよぎる。

 脳裏に鮮明に焼きついている、この河原での出来事。失敗ばかりで要領の悪い私が、他人から賞賛を受けた唯一の特技。自分の描いた絵で喜んでくれたあの少女の顔。ネットの中の、顔の知らない他人ではなく、目の前のリアルな反応。

 あの一瞬、何とも言えない高揚感に包まれた。他のことを忘れられるくらいその瞬間が気持ちよくて、心地よくて。自分が認められたような感覚。私の力で引き出した笑顔、満足感。あんな気持ちになったのは本当に久しぶりだった。

 もっとたくさん、その姿が見たくなった。あの子の喜びは私の喜びにもなり、私は数年ぶりに興奮を取り戻した。それは空虚な日常に刺激を与えてくれ、私がいかに生身のリアクションに飢えていたかを教えてくれた。

 もしもう一度会えたなら、これからすべき答えがわかるかもしれない。そう思いながら、私は半ば上の空で手を動かす。スクロールしながら求人情報に目を通すが、もはや内容は頭に入ってこない。

 ただ今は、あの感覚をもう一度味わってみたい、そのことに気を囚われていた。しばらくそうしていると、やがて聞き覚えのある声がして我に返る。

「芽生ちゃん、来てくれたんだね」

 パッと横を見ると、そこには先週出会った少女、花咲ちゃんが立っていた。またもや、意図せず下校時間までここで過ごしてしまったようだった。

「あ、うん。なんとなくね」

 そう言いながら、自分も浮き足立っているのを感じた。ちょうどもう一度会いたいと思っていたのだ。願ったり叶ったりだ。

「えへへ、また会えて嬉しい。この前、すごく楽しかったから!」

 花咲ちゃんは屈託のない笑顔で話した。少し一緒に居ただけなのに、どうやら随分懐かれてしまったようだ。

 前回の会話で彼女は五年生と分かったのだが、それにしては少し幼稚に見えるというか、人懐っこいというべきか。もう少し小さな子供と話しているような感覚になる。その親しみやすさがあれば、クラスでも普通に馴染めるのではと不思議に思った。

 だが、おそらくは同級生と大人で接し方が変わるのだろう。思春期ならではの難しい問題だな、と私は勝手に達観した。

 そして彼女の発言に対しては、私も同じ気持ちだった。あの日この子と会合できたおかげで、気持ちが少し軽くなった。今日ここへ自然に足が赴いたのも、また会えるかもと期待したからでもあったのだろう。

 そして念願叶った私は、先ほど考えていたことの答えを見つけるため、再び彼女に親身に応じた。


 前回と同じように、花咲ちゃんのリクエストを描きながら話に相槌を打つ。今日学校で起きたこと、ハマっているもの、クラスメイトについての相談、花咲ちゃんは溜め込んだエピソードを私に向かって発散する。

 私もその新鮮な話に都度リアクションをした。今ではすっかり馴染みのなくなった小学生事情を、彼女を通してたくさん知ることとなった。

「はい、描けたよ」

 今回リクエストされた、とあるアニメのヒロイン。スマホの資料を見ながら、自分流にアレンジしながら描いた。完成したものを、前と同じようにページを破って手渡す。

「やっぱり上手だね、ありがとう!次は何を描いてもらおうかな」

 花咲ちゃんはそう言ったあと、はっとした顔をして

「えっと、これからも居てくれると嬉しいなぁ。芽生ちゃんと会いたいし……」

 と、上目遣いでお願いをした。

 人形のように大きな瞳は、まっすぐに私を見つめる。それがイラスト目当ての建前だとしても構わなかった。綺麗な水晶に思わず吸い込まれそうになるのを堪え、笑顔で返す。

「うん。花咲ちゃんのリクエスト、これからも描いてあげるよ。練習にもなるしね」

 すると、ぱぁっと嬉しそうに花咲ちゃんは笑った。その姿を見ると、なんだか頼られているように感じ、私自身も満たされていく気がした。

 友達がいないと嘆く少女と、私の境遇は似ているように感じた。連絡を取り合うこともせず、SNSのタイムライン上の情報しか知らない希薄な繋がりの友達。最後に会ったのはいつだったか。それすら思い出せないほど、私の今の生活は孤独だった。

 私自身、住む世界が変わって興味が無くなってしまった。しかし、それは彼女たちも同様だ。きっと、私抜きで定期的に会っているのだろう。複数の料理や数人で囲んだテーブルの写真を見るたびに、気づいてはいた。だが、そんな投稿も気に留めないほど、彼女たちに対する関心は消えていたのだ。

 一人取り残されている私は、誰にも頼れず頼られず、同じ毎日を過ごしていた。今までは、そこに寂しさなど感じていなかった。いや、感じないようにしていただけかもしれない。

 シフトを詰め込み、今を生きることだけを考え、自分自身に向き合う時間を避けてきたのだ。同じ日々のルーティンをこなし、ただそうやって時が過ぎていくことを望んでいた。

 それが今、花咲ちゃんとの出会いを経て、改めて自分が一人きりだということに気付いてしまった。

 目の前にいる寂しい少女に自分を重ねた。彼女と接して自分の中の迷いがわかった気がする。私もまた寄り添ってくれる人が欲しかったのかもしれない。

 この子と話している間は、心の棘がなくなる。童心に戻ったような、懐かしい気持ちにさせてくれる。彼女といれば辛い現実を忘れさせてくれる。

 人肌に飢え、精神もすり減ってきた状況で出会った私たち。そのとき、これは運命なのだと直感した。


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