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青い蕾  作者: 碧 真白


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 私はふと思い立ち、おもむろに鞄からペンとノートを取り出した。ノートは普段仕事のメモに使っているもので、A5程の大きさだ。

 なんとなく、この景色を描いてみようと思った。それが気分転換か、はたまた現実逃避なのかは自分にも分からなかった。

 適当なページを開き、スケッチを始める。シャッ、シャッという音が鼓膜に響き心地よい。だんだんと心が穏やかになるのを感じた。

 普段はキャラクターなどの人物ばかり中心に描いているが、風景を描くことは嫌いじゃない。単純に綺麗な景色は好きだし、時間に余裕のある時は写真を見ながら背景まで描写することはある。かといって、そのイラストの反応の差に大きな違いは無いが。

 やはり、自分は絵を描いている時が好きなのだと改めて実感する。しばらく夢中で描いていると、ふいに声が聞こえた。

「わぁ、上手!」

 ハッと見上げると一人の少女がそこに立っていた。集中していて気づかなかったが、いつの間にか小学生の下校時刻になっていたらしい。

 朝は通学後の出勤で、夜も遅い帰宅時間だったので、今まですれ違っていたのだろう。ここが通学路だということを、今初めて理解した。その瞬間、無意識にシャットアウトしていた聴覚に、子供たちの喧騒が一気に入り込んできた。

 少女はニコニコしながら続けて言った。

「お姉さん、すごいね。ここの景色そっくり」

「あ、ありがとう」

 急に声を掛けられ、反射的にお礼だけ述べた。視線をすぐに下に戻し、それで終わらせようと思った。

 しかし、少女は何故か私の右隣へ腰掛け、話し始める。

「私、いつも一人で帰ってるんだけど、ここの景色好きでさ。立ち止まって眺めることもあるんだけど、今日は珍しくお姉さんの姿が見えて……気になったから来ちゃった」

 気さくに話しかける少女に戸惑いながら、私は「そうなんだ」と相槌を打つ。

「私さ、今月転校してきたんだ。でも、なかなか友達ができなくて……。みんなもうグループができちゃってるから入れなくって」

「あぁ、そういうのあるよね」

 私はどう返したらいいか手探りで答えていた。少女は私に気を遣る様子もなく、その小さな身の上話を進める。

 六月という微妙な時期に転校とは、確かに不運かもしれない。女子だと特に、早めにグループ形成を済ませ、安全圏を確保することが優先される。

 多くの者は四、五月中には自分の居心地の良いグループを見つける、あるいは元から仲の良い友達とクラスが一緒ならば、そういった過程もなくスムーズに過ごせるだろう。その中に急に一人で後から放り込まれるとなると、既存グループに加入するのはなかなか難しい。

 おそらく、そういった不安と寂しさから、誰か話し相手が欲しかったのだろう。それがたまたま今日、私という非日常を見つけ、思わず話しかけてしまったのだ。彼女の堰を切ったようなお喋りを聞きながら、私はそう推測した。

 少女はこちらの返答を流しつつ、聞いてもいないクラスでの状況などを話し続けた。抜け出すタイミングを失った私は、適当に相槌を打ちつつ、手元のスケッチをコソコソと進めた。

 しかしこのご時世、よく他人にこれほど容易く近づけるなぁ。そう感心しつつも、少し心配になった。いくら同性とはいえ、自分より遥か年上の女にこうも気安く話しかけるだろうか。

 もしかしたら、いつもはもっと気をつけているかもしれない。しかし、その警戒心すら無下にしてしまうほど、彼女は仲間というものに飢えていたのだと察した。

 今いるこの位置も、道路との高さは五メートルほどあり、よほど注意深く周囲を観察していなければ、人を見つけて降りてこないだろう。普段見慣れない異質な存在に、何か可能性やシンパシーを感じたのかもしれない。

 そう思うと、すぐに立ち去るのも忍びなく、私はもう少しここへ留まることにした。彼女の言葉から感じる、一人だけ違うベクトルにいる疎外感。それは、私も身をもって知っているものだった。

「ねぇねぇ、人の絵は描ける?」

 不意に、彼女は話を変え、私のイラストへ関心を寄せた。

「人、ってキャラクターとかかな?」

「うん。朝にやってるアニメで……」

 そう言って彼女はとあるアニメキャラクターの名を上げた。私はノートのページをめくると、迷いなくそのアニメの男性主人公を描き始めた。わぁ、と隣で感嘆する声が聞こえる。

 元々、キャラクターなどの人物を描く方が好きなのだ。絵を描き始めたきっかけも、趣味のアニメ鑑賞や漫画から影響を受けたからだった。かつて自慢げに披露していたイラストは、その頃流行したアニメや漫画のファンアートばかりだった。

 もちろん、彼女が求めたキャラクターも知っている。昔から長く続くシリーズ物の主人公だ。どの世代にも一定の人気があり、知名度も高い。私も今まで何度も練習してきた。それはもう手癖で描けてしまう程に。

 簡単に全体図を描き終え、そのページを丁寧に破る。それを彼女に手渡すと、歓喜の声を上げ、礼を述べてくれた。

「私、このキャラ好きなんだ。ありがとう!」

 そこで、やっと私はその少女にしっかりと目を向けることとなる。

 艶のある長い髪、透き通るような絹肌とパッチリ開いた大きな目。高学年くらいだろうか。大人びた雰囲気を感じるが、丸みを帯びたあどけなさの残る顔立ちが、チグハグな印象を強める。綺麗な黒髪は、光に当たった部分が薄らと紫がかって見え、その透明感を高めていた。

 バランス良く配置された、少女の一つ一つのパーツに、私は思わず数秒見とれてしまう。すると、受け取った絵を見つめていた彼女が、こちらにスッと視線を移した。目が合うと、何故か少し気まずくなり、私は咄嗟に顔を逸らした。

「お姉さん、これからもここに来る?」

「うーん、どうだろう。多分、居るかもしれない……かな」

 彼女の問いに、歯切れの悪い返事をする。シフトを減らされたせいでここに居る、など格好悪いことを子供の前で言えるはずもない。ましてや、今後の予定など何も考えてすらいないというのに。

 私の曖昧な答えに少女はその意図を汲み取ったのか、躊躇いながら呟く。

「急に色々話しちゃってごめんなさい。なんだかお姉さん優しそうだったから。でも、たくさん話せて楽しかったな。ありがとう」

「ううん、こちらこそ褒めてくれてありがとうね」

 裏表のない無垢な感謝に、自分もつられて本心を伝える。私の方も、直接イラストを褒められたのは久方ぶりで、嬉しいと感じたのは確かだった。

 この返事に、少女は好意的に受け取ったのか笑顔で切り出す。

「じゃあ、また会ったら話しかけていい?私、花咲(かえ)っていうの」

「あ、私は……芽生(めい)です」

 その勢いに押され、反射的に名前を返してしまう。

「じゃあ芽生ちゃんって呼んでいい?」

 彼女は身を乗り出して、曇りのない瞳で見つめる。その眼差しから、友達との距離感で接したいという思考が見て取れた。私は快く許可し、微笑み返す。

「あっ、遅くなったら怒られちゃうから帰るね。またね、芽生ちゃん」

 一言二言会話を交わした後、そう言い残し、少女はまるで嵐のように足早に駆けて行った。やがてその背中は見えなくなり、私はやっと一息つくことができた。

 しかし、あの子と話したおかげか、なんだかスッキリしたような気分になった。彼女と同じように、私も少なからず満足感が得られたようだった。

 辺りを見回すと、人の気配はいつの間にか消えていて、草や川はうっすらと夕焼け色に染まり始めていた。

 私は手に持っているノートの、ちぎれた部分をまじまじと見つめた。先程描いたイラストは、かつての自分を思い出させてくれた。ネットではない、リアルでの反応。ただ好きなものを描いて、周りの友人たちから持て囃されていたあの頃の自分。

 私は自分が思っていたよりも、過去の経験に囚われているのだろうか。夕焼け空が相まって、またもやアンニュイになってしまう。私は小さな懸念を脳内でブンブンと振り払い、帰り支度をした。

 アルバイトが終わり、帰宅しても一人。玄関を開け、慣れた手つきで電気をつける。必要最低限のもので構成された、彩りのないワンルーム。質素だが、物が少ないので掃除がしやすく、小綺麗に整えて過ごしている。

 朝はカーテンを開けると爽やかな日差しが舞い込み、気持ちもリセットされる。壁が薄いせいで、顔も知らない隣人の大袈裟な物音が時折耳障りだが、おおかた不自由ない暮らしだ。

 だが、この空間もこのままでは手放さなければならなくなる。否が応でも見つめなければならない現実が目の前に迫り、私は何度目かの溜息を漏らした。


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