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安アパートの一室、扉を開けると散乱したゴミが出迎えてくれた。玄関にはみ出たペットボトルをいつものように払いのけ、ベッドへ直行する。
枕元に置いてあったパンを掴み、荒々しく袋を破る。はぁー、と大きく息を吐き出しながらベッドへ腰掛ける。本来食事をするために使っていたテーブルと椅子は、すでに多くのゴミに占拠されていた。
私は片手でスマホを取り出し、それを起動すると視界は小さな画面でいっぱいになった。
締め切ったカーテンから日差しが漏れている。その僅かな光など頼りにしなくとも、今の私はスマホのバックライトだけで十分だった。
私は先ほど感じた怒りが間違いではないかを確かめようとした。あれほど打ち解けあって共に過ごした、とても可愛がっていた花咲ちゃんに、こんな醜い感情を抱いてしまうなど、嘘であって欲しかった。
確かに、嫉妬していた気持ちはあった。彼女は自分に無いものを持っていて、だけど同じように孤独だったから、私たちは仲良くなれた。
なのに、私を置いて新しい集団へ移っていく姿を見ていたら、彼女を純粋に応援できなくなった。持ち前の明るさ、人懐こさ、容姿まで揃っているのに、それ以上手に入れられるなんて不公平だ。
何も変われない自分がどんどん惨めになっていた。だけど、それでも側にいたかった。コンプレックスの差が開いても、無下にされたとしても、花咲ちゃんの中では私も大切な一人なのだと、思っていたかった。
ここらで気持ちをはっきりさせないと、いつまでも先へ進めないだろう。
私はもう片方に持ったパンを齧りながら、意識を集中させるように花咲ちゃんのアカウントを見返した。
日常の呟きと共に、毎日上がるイラストの数々。閲覧数が増えるにつれ、変なリプライも増えていく。
しかし、流石というべきか、不快に思うような返信は完全にスルーされていた。そしてポジティブな意見にだけ、気まぐれに返事をしているようだった。
以前聞いたように、きちんと親がチェックしているのだろう。個人情報に繋がるような内容も一切見られない。
最新の投稿は、昨日上げたイラストで止まっていた。固定ファンもついているようで、相変わらず即座に拡散され、いつも通り「いいね」は一夜で三桁を獲得していた。
平均評価を維持することがどれほど難しいか、本人は分かっているのだろうか。流行を素早く取り入れたり、絵描き同士で互助会のように拡散し合ったり、何かしら努力をしている人間がいる。
その横で気まぐれに、適当に描いたイラストで簡単に多くの認知を得られている。彼女と比べて、必死に描き続けなければ見向きもされない自分が惨めに見えてきた。
やはりこの感情は間違っていないのかもしれない。纏ったモヤが少しずつ、一箇所にまとまり始める。
少し休憩しよう。不摂生が祟り、心身ともに疲弊を感じてきた。私は残りのパンを一気に平らげ、そのままベッドに横になる。
数時間後、冷えを感じ自然と目が覚める。寝ぼけ眼で小さな時計に目をやると、ちょうど夕方五時を過ぎたところだった。
秋の夕方は室内にいても少し肌寒い。起き上がり身体を震わせた後、グッと伸びをする。カーテンから差し込む光もなくなり、部屋は真っ暗になっていた。慣れた足取りで電気のスイッチへ向かう。
ぱちっと明かりをつけると、散らかったワンルームが鮮明に瞳に映る。私はそれを見ないふりして、またベッドへ腰掛ける。
手は自ずとスマホを掴み、流れるようにSNSを開いた。
たった数時間で大した変わりはないだろう。そう分かっていても、それはすでに癖になっていた。
下校時間も過ぎたし新たな呟きがあるかもしれない。ちょっとチェックしてから、改めて彼女のことを考えてみよう。気持ちの正体にもうすぐ辿り着けそうなのだ。
タイムラインを更新し、再度花咲ちゃんの投稿を見直す。その瞬間、私は自分の目に飛び込んできた情報を疑った。
見間違いだろうか。そう信じたかった。先程見たばかりの花咲ちゃんの最新イラスト、その「いいね」の数が今までと明らかに違う。
「え?……四千?」
その独り言はポツリと溢れた。私は瞬きも忘れ、食い入るように画面を見つめる。
一瞬の驚きの間にも、それらの数は物凄い勢いで増え続けた。私の戸惑いなど知る由もなく、ついに拡散と「いいね」は経験したこともないような数に達する。
スマホを持つ手が小刻みに震え出した。一体何が起きたというのか。私は原因を探るためリプライ欄をタップした。
好意的な反応がずらりと並ぶ。陳腐でありきたりな賞賛コメントの中、どうにかして手がかりを探す。
その手は、あるアニメアイコンのユーザーの呟きで止まった。
『菫さんがRTしてるの珍しいと思ったら、小学生?!これはビックリ』
そのコメントにも同意を示す「いいね」が多くついていた。もしや、と直感が働く。
私はそのユーザーのホームへ飛び、フォローしている中から「菫」という人物を探した。
見つけたその人は、何万ものフォロワーを持つ有名なイラストレーターだった。
画像欄を見ると、いくつかライトノベルの挿絵を担当していたり、ゲームキャラクターのデザインをしていたりと幅広い活躍をされているようだった。
本人のタイムラインはシンプルで、仕事の告知や宣伝などが主だった。直近の個人的な呟きといえば
『最近AIの技術がめざましい。もしかしたら生成画像など繁栄していく可能性もある。これからそういったところに注意するべきかもなぁ』
といったような、淡々とした意見を述べているものだった。
普段から他人と馴れ合いはしないが、過去を遡ると、たまに目についたイラストを拡散することはあるようだった。花咲ちゃんのイラストも先ほど拡散した跡が見えた。
この人の拡散によって閲覧数が増え、そしてそれに賛同する多くのフォロワーが花咲ちゃんのイラストを持ち上げた要因なのだと悟った。
大物に目をつけてもらえるなど、この世界では流砂の中の一粒を掬い上げるようなものだ。SNSの中に住む大量の人々から見つけ出されるには、どれだけ運に賭けても難しい。
だがまさに今、花咲ちゃんはその運命に選ばれたのだ。私よりも先に。私が望んでいた、その枠に。
ギリッ、と無意識に歯ぎしりの音が響く。なぜこんなにも差が生まれているのか。
彼女が小学生でなかったら、こんなに持て囃されることはなかったのだろうか。そもそも、私がきっかけで絵を描き始めたはずなのに、どうして私よりも反応が貰えているのか。黒いモヤは歪に揺らめきながら縮小を続ける。
私はふと、数年前就活用に作成した使っていないメールアドレスを思い出した。そしてこの指は何かに乗っ取られたように勝手に動き始める。
私は新規アカウントを作り、プロフィールもアイコン設定もしないまま、花咲ちゃんのアカウントをフォローした。つぎに、一縷の望みを込めて入力する。
『とても上手です。描き方は誰かに教えてもらったのですか?』
勢いのまま送信し、天を仰いだ。
きっと私はまだ藁にすがっていたかったのだ。ここでもし、彼女から私のことに触れる言葉があれば、引き返せる。そう思ってしまった。
このコメントを読んだら、「河原で出会ったお姉さん」のことを話してくれるだろう。彼女にイラストの楽しさを教えてもらい、自分も描き始めたのだと。
そのタイミングで、私は素知らぬ顔で花咲ちゃんをフォローし、さりげなくイラストのアカウントもあることを伝えたらどうだろう。
そしたら、花咲ちゃんはその流れで私を紹介するかもしれない。彼女が注目されている今、私のアカウントもその勢いに乗り、一気に飛躍する可能性だってある。
最初はフォロワーの少なさに恥をかくだろが、構わない。その先で花咲ちゃんと約束した夢が待っているのだから。私はプロのイラストレーターになって、花咲ちゃんとあの河原で微笑み合うんだ。
お馴染み、お得意の妄想が炸裂する。きっと今のこの辛さも、未来へ繋がる一過性のものなのだ。私は自分にそう言い聞かせる。
その矢先、ピコンと通知音が鳴った。先ほどの投稿に返信がついたようだ。
私はバッと画面に視線を戻した。が、次の瞬間、衝撃を受ける。
『ありがとう!自分でいろいろ資料とか見ながら頑張ったよ!』
そんな、短い返信がそこにはあった。
「は?」
思わず声が出る。
いや、いやいやいや。思考が揺らぐ。今さっき思い描いた理想郷が瞬時に砕け散る。
この子は、何を言っている?なぜ自分の力だけで全てやったようなことを?私の存在は?そんな疑問が一斉に押し寄せる。脳内で様々な考えがぐるぐる巡る。
ベッド脇にある小さな目覚まし時計。異様に大きな針の音だけが部屋に響く。チクタク、チクタク。
さっきまで肌寒かったはずなのに、じわりと汗が頬を伝う。しばらく呆然としたまま、私は動けずにいた。
どれほど経ったか、帰宅ラッシュで窓の外が騒がしくなり、隣人の物音も聞こえ始めた頃。そこでやっとあることに気づく。
思い返せば、今までの呟きの中で私に関することは一切言及していなかった。彼女がありのままを曝け出す場所に、家族友人のことは触れても、ただ一人、年上の友達のことは何一つ書かれていなかった。まるで最初から彼女の世界に、私など居ないみたいに。
ふつふつと怒りが込み上げてくるのを感じた。脳裏に浮かぶあの子の笑顔が、歪んで変形する。私を見下すような、蔑むような笑みへ変わる。
私はあんなに良くしてあげたのに、支えになってあげたのに。この子は恩を仇で返すのか。どうして私を蔑ろにするのか。かつての友人たちのように、またそうやって私を置いていくのか。
私は湧き出てきた感情をコントロールする術を知らなかった。黒いモヤは小さく凝縮され、ついにある箇所にまとまった。
気づけば先程のコメントを消去し、新たにそのイラストへの返信を入力していた。
今までの努力が無に帰すようだった。あの積み重ねた時間、期待、希望、それらが全て一瞬にして崩れ去った。
そして心に留まった黒いモヤは種となり、邪な気持ちとなって新たに芽生えた。震える手で文字を打つ。
チクタク、チクタク。時計の音が今日はやけに気になる。私は一度深呼吸し、それからもう戻れないことを決意して、送信をタップした。
『下手くそ』
思い切った書き込みは、その他の押し寄せるコメントに紛れ、数多の返信の一部となった。果たして彼女は、この百件近くあるコメント全てに目を通すのだろうか。
当然、中には私と同じようなアンチコメントもある。自分だけじゃない。そう安堵しながら、かつて嫌悪したその情けない人たちの仲間入りを果たしたことに、心底バカらしく感じた。




