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苦い恋は珈琲のあとで  作者: あおあん


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8/9

8,愛のままに我儘に私はシャンプーを入れ替えない

まさか、まさかの昴君は社長のお孫さんだった。


『じじい』は見た目がそうだからというわけではなく、『おじいちゃん』と愛称で呼ぶようなものだったみたい。


「それにしても……」


昴君の食欲には圧倒された。


気持ち良いくらいによく食べてくれた。


はた目から見たら仏頂面なんだろうけど、もう私には分かる。


彼はご機嫌で、浮かれていた……と思う。


「お家でもよく珈琲を淹れるの?おじいさまに教わったって言ってたよね?社長でしょ?」


「淹れねえよ」


「あら。意外。でも、そっか、だからわざわざ店舗に飲みに来られたのかな?職場にちゃんと馴染めてるか心配されてたのかもね」


「知らねえよ」


気を遣って話を盛り上げようとしてるのに、ぶっきら棒な一言しか返ってこない。


でも、これが昴君らしくて、ほっこりしてしまう。


「さっき、叩いちゃったけど、ごめんね」


さすがにお尻を叩くなんて、店長が部下にやっていい事じゃなかったと反省している。


「いいよ。女アレルギー発動しねえし」


「あ。それなんだけど、私だからっていうんじゃなくて、『おばさん』のことは『女』認定してないだけなんじゃない?」


自分のことを『おばさん』って初めて言った。


少なからぬ衝撃を受けて……くらくらしてくる。


「年齢は関係ない」


「そうなの?じゃあ、目上の女性って言うか、親しくなり得ない関係の人にはアレルギー反応を起こさないとか……」


昴君は私の言葉を無視して、「すみません」と店員を呼んだ。


「トッポギ追加でお願いします。あと、ウーロン茶おかわり」


そう言って、空いたグラスを手渡した。


「あ、気が利かなくてごめんね……」


テーブルに残っているお皿をきれいに並べていた。


「ほら」


昴君がそう言って、Tシャツの首をグインと下げた。


「え……」


赤いポツポツが広がっている。


「あのおばちゃんと指が触れた」


「そうなの?こんな一瞬で?痛くない?大丈夫?」


昴君は黙ってニヤニヤしながらチキンを口に入れた。




***




昴君と別れて、一人帰路につく。


「まったくもう……」


あの若い男の子に振り回されて、疲れちゃったよ。


ふと、通りがかったドラッグストアでシャンプーの新商品が目に入る。


昨日、詰め替えたばかりだけど……


人の目を気にしない昴君に、私はある意味感銘を受けていた。


自分をしっかり持っていれば、他人の評価は気にならないのだと。


テレビコマーシャルで流れていた、フローラルのシャンプー&コンディショナーを買ってしまった。


ピンクのボトルをぶら下げて帰る。


もう誰に気遣う必要もない。


好きにさせてもらおう。




***




「おぉ!おぉ!」


小さく驚きの感嘆を漏らしながら、頭を洗った。


なんていい香り、なんて素晴らしい泡立ち……


これを今まで知らずに生きてたなんて、損した気分。


昨日は、一人でお風呂ではしゃいでしまった。


あまりにも気分が上がるので、今朝は朝シャンまでしてしまったくらいだ。


「おはよう、昴君」

「おはよう、店長」


『ございます』はまあいいか。

お客さんにはちゃんと挨拶してるし、私は『身内』ってことで。


「店長、匂い」

「え?」

「変えた」


私に近付いて、耳のあたりをくんくんと嗅いでいる。


「ああ、シャンプーをね……分かるんだ。さすが、鼻がいいんだね。あのさ、ちょっと、距離近くない?」


ふんっと振り返って行ってしまった。


昴君は私と身長が変わらない。


だからだろう……


ドキドキしてしまった。


「気を付けろよ」


声と同時に、背中にドンッと軽い衝撃があった。


「山室君、おはよう」


ドキドキしてたことを見抜かれてしまったようで恥ずかしい。


「息子だっておかしくない歳だぞ。いくら彼氏にフラれて寂しいからって、手を出していい相手じゃないだろ」


「そんなつもりじゃないよ。ちょっと距離感バグってるって、今、注意したところだし」


「ふーん。分かってるならいいけど」


意地悪な言い方するな。


山室君と睨み合っていたら、昴君がコーヒーカップを両手に持ってやって来た。


「はい」


私と山室君にひとつずつ。


「淹れてくれたの?」


カップを口まで持ってきたとき、鼻に通る華やかな香り……


(これ好き)


一般的に『美味しい珈琲』というのは存在する。


苦み・酸味・甘味・コク・後味とバランス、この味の構成が豆の産地や焙煎など様々な要素と絡み合って、最終的にはバリスタの抽出技術でどう引き立ってくるか……


この一杯は、これまでの昴君の珈琲とは少し違う。


でも、私はこっちの方が『好み』だった。


「昴、なに変えた?ずいぶんと……華やいだ……って言うか、お花畑みたいな香りだな。店の豆だろ?なんでこんな味出るんだよ」


山室君の言う通りだ。


やりたくて、やろうと思っても出来ない芸当を、昴君は無自覚にやっている。


「店長が好きかなって」


あ。シャンプー。


私が好きなフローラル……だよね……


さっき私の髪の匂いを嗅いで、インスピレーションでできちゃうわけ?この珈琲が?


「へえ。そういうこと」


じとっと目を細めて、こっちを睨む山室君。


「そんなんじゃないってば」


「あれ?好きじゃない?」


「あ。違う。昴君に言ったんじゃない。好きだよ。こういうのすごく好き。ありがとうね」


珈琲が好きだって言ってるのに、『好き』って言うのが恥ずかしくて、赤くなってしまった。


「さあ、店開けるぞ」


山室君の合図で、はっと我に返る。


飲みかけのマグカップを持って、更衣室に行く。


スツールに腰掛け、続きを堪能する。


舌に触る繊細なフレーバー、鼻から抜けるアロマ、その余韻に浸りきる。


(最高)


これは、私史上一番美味しい珈琲に違いない。


そして、これをおそらく私の為に淹れてくれた昴君を思い浮かべる。


胸がぎゅっと締め付けられる。


彼の根底にあるのは恋愛感情じゃないと思う。


ただ、アレルギー反応が起きない私を珍しいと思って接しているだけだ。


20歳も離れてるんだよ?


私が昴君の歳の頃には、もう弘春と付き合ってたんだよ?


非現実的な恋愛の年齢差に愕然としながら、自分の心の持って行く場所を探す。


彼は、美味しい珈琲を淹れたいだけ。


相手の好みを読み取る能力に長けていて、それを天性の才能で表現できるだけ。


勘違いするな、瑠璃。


万が一、勘違いじゃないとしても、勘違いを押し通せ。


……大人なんだから。




***




制服に着替えてカウンターに入った。


朝食を兼ねて来てくださるお客様のオーダーに、目まぐるしくスタッフが動く。


レジに立ち、違和感のない微笑みを浮かべて接客をしている昴君を見て、彼の方が大人かもって思った。


(ダメだダメだ)


あり得ない恋愛を妄想している暇なんてなかった。


ここは一等地のオフィス街にある店舗。


採算の取れない売上の店舗は容赦なく閉店させられてしまう。


全体の流れを読んで、足りないところへサポートに入る。


カウンターから出来上がったホットサンドを持って、テーブルのお客様に運ぶ。


戻るときに、空いたテーブルを片付け、ダスターでさっと拭く。


「いらっしゃいませ」声をかけつつ、お水を補充して歩く。


テイクアウトの袋詰めと手渡し……


やることは次から次へと湧いてくる。


「瑠璃、ちょっといいか?」


山室君に呼ばれる。


「『こだわりさん』が来てるんだけど、昴に淹れさせてもいいか?」


『こだわりさん』とは、黒縁メガネをかけた中年男性で、当店のメニューにある唯一の『ハンドドリップ』の注文をくださるお客様だ。


マシーンを使う珈琲がメインなので、ハンドドリップの注文は山室君がいつも淹れていた。


「昴君、大丈夫かな?」

「むしろ俺より喜ばれるだろ……」


すっかり自信を喪失してるっぽい同期の肩をポンポンと叩き、励ます。


「山室君が付いててあげてね。『こだわりさん』がお気に召さなければ、山室君が淹れ直して差し上げて」


「おう」


『こだわりさん』はいつも、カウンターの前に立ったまま、珈琲を淹れるところをじっと見てお待ちになる。


それは、手が震えるほどの緊張感があって、私には耐えられない。


昴君は大丈夫かな……


遠目でちらちらと確認しながら仕事をした。


昴君が淹れた珈琲を持って、『こだわりさん』がテーブルに着く。


口元にカップを持って来て、驚いたように一度離す、そして中を見つめて匂いを嗅ぎ直した。


いつもと違うって思われたんだな。


息を詰めて様子を見守る。


『こだわりさん』は珈琲を口にし、僅かに口角を上げた。


(おめでとう、昴君)


レジ打ちをしている男の子に、心の中で拍手を送った。




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