32,昴と町
新しい店舗にはスタッフが3人しかいない。
繁忙のピーク時間も、客層も、人気のメニューも、東京の店舗とは異なった。
「ほら、店長、そこの椅子どかして」
車椅子のお客様が来られたので、椅子を動かした。
「そっちじゃないでしょ。ベビーカーの邪魔になるわよ」
「あ。すみません」
ここのスタッフは、ベテランの(おばちゃん)3名で、とても息の合った動きでお店を支えてくださっていた。
「あなたみたいな若い子が東京で店長なんてやって、務まってたの?できなくて飛ばされたとか?」
60代の皆さんには、私はまだまだ若手に見えているらしい。
「もう43歳なので、そんなに経験は浅くないんです……」
「あら!見えない!もっと若く見えるわよー!でも、私たちからしたら娘みたいな歳だから、偉そうにしゃべっちゃうけど許してよね」
「とんでもないです。教えていただくことばかりで……」
この店舗は回転数は低いが、店内でゆっくりとお食事をされる方が多い。
テイクアウトもドリンクのみというよりも、お食事を一緒に頼まれるので、客単価は高いと言える。
来られるのはほぼ常連のようで、接客の事は、スタッフ達に聞きながら徐々に覚えていくしかない。
私は案外、この新生活を気に入っている。
「ほら!来たわよ。店長のボーイフレンド」
昴君は仕事終わりに寄ってくれる。
珈琲を飲むこともあるけど、だいたいは一緒に上がって、夕飯の買い物をして帰る。
「ボーイフレンドだなんて……」
こっぱずかしい呼び名を、昴君は気に入ってるようで、ヘラヘラしている。
「あ、おばちゃん、お触りなしで。俺、赤いぶつぶつ出ちゃうから」
「あらまあ、変な体質ね。免疫が足らないんじゃない?私が手伝ってあげるわよ」
昴君はひょいっと交わしながら「瑠璃がやってくれるんで大丈夫っす」と逃げ回っている。
お客さんも含めて皆でそのやり取りを笑っている。
今はこれが日常だ。
怖がって手を伸ばせなかった先に、こんな未来が待っていたなんて……
あの時も幸せだって思っていたけど、今と比べ物になるかな……
「準備できたよ。お先に失礼します」
挨拶をして店を出て、昴君と手を繋ぐ。
今も前も、きっと同じ。
誰も私たちのことなんて見てない。
どうしてあんなに自意識過剰になっていたんだろう。
「なに食いたい?」
料理はほとんど昴君がやってくれる。
「お好み焼きとか?」
「ソース!いいね」
大型スーパーは遠いから、野菜は八百屋さんで、肉はお肉屋さんで買う。
「シーフードミックス欲しいよな」
「じゃ、コンビニ行く?」
ここでは、コンビニの店員さんでさえ顔見知りになる。
「おお、昴君、瑠璃さん、今日も仲が良いね!」
そんな冷やかしにも、いちいち顔を赤らめることは無くなった。
こんな不釣り合いな私たちを町の人達は温かい目で見守ってくれる。
「瑠璃、青のりってあったか覚えてる?」
「うーん……一応買っておこうか。余ったら、また磯辺揚げやってよ」
心も胃も昴君に首ったけな今の私。
遠慮が無くなって、図々しくないかな……と不安に思う時もあるけど、昴君の態度が私の不安を打ち消してくれる。
「瑠璃が食いたいもん、なんでも作るよ」
にかっと歯を出して笑っている。
そんな満面の笑み、どこで覚えたんだか……
他の女子に見られたら惚れられちゃいそうで、心配になる。
キョロキョロしてる私に、昴君が顔の動きを合わせる。
「なに探してんの?」
「いや、別に……」
「なに?言えよ」
じっと見つめられると、なんでも白状してしまう。
「今の笑った顔、誰かに見られてないかなって……」
「なんで?」
「可愛かったから……」
さすがに俯く。はずい……
「これかぁ!」
昴君がしゃがみ込んだ。
私の顔を覗き込むように見上げている。
「女子の言う『可愛い』に初めて喜んじまった!んだよー。瑠璃の方が可愛いつーんだよ」
乱暴に肩を抱かれ、私は昴君に頭を預けて歩いた。
***
好きなアイテムで埋め尽くされたキッチンと、そこに立つ愛する男性。
これ以上の幸せはこの世にない気がする。
手伝うつもりだったけど、異様に眠くて、リビングで眠ってしまっていた。
「瑠璃、できたけど?」
昴君に優しく起こされる。
「疲れてるね、食べられる?」
ちょっと調子が悪いかも。
「せっかく作ってくれたのに、悪いんだけど……」
さっきまでの食欲はどこに行ってしまったのだろう。
頭がぼーっとして、耳の奥がキンキン鳴っている。
「シャワー浴びて寝なよ」
立ち上がる足に力が入らない。
「俺が風呂に入れてあげようか?」
「あ、いや。大丈夫」
頑張ってシャワーを浴びに行った。
そう言えば、生理周期が遅れている。
昔から、忙しい時期にはよくある事だったから、引っ越しで疲れたのかも
新しい町で、緊張していたのもあったと思う。
『もしかして』と思わないでは無かったけど、『まさか』って方が圧倒的に強かった。
頭を乾かしていたら、だんだん元気が戻ってきた。
「昴君、やっぱり食べてもいい?」
「おう。いっぱいあるよ」
香ばしいソースと、薬味がたくさん乗った、昴君独特のアレンジお好み焼き。
「最高!」
口や鼻が『美味しい』で溢れ返る。
なのに、不意に吐き気を催す。
実際に吐くことはないんだけど、胃の底から込み上げてくる何かのせいで、飲み込むのが困難になる。
嫌な汗が背中を伝う……
(望んでない)
私は今の昴君との生活が、最高で、最強で、これ以上の変化はなに一つ望んでいない。
どうか私の勘違いでありますように。
***
どうやら昨日のアレは、ただの体調不良だったみたいだ。
朝から元気いっぱいだし、昴君が作ってくれた朝食もペロリだった。
「店長!温め過ぎですよ!」
スタッフに指摘され、トースターを確認する。
本当だ。パニーニが熱々になっていた。
(おかしいな)
味覚と同じくらい、嗅覚が大事な職場なのに、どうも鼻が利かない。
体調不良も気になるから、とりあえず内科に行くことにした。
「30分くらいで戻ってきますので」
中抜けして、近くのクリニックに向かう。
この町はどこからも緑の風が吹いてくる。
少し砂っぽいと感じる時もあるけど、乾いていて、とても心地がいい。
店舗から歩いて5分の内科のクリニック。
私と同じ歳くらいの女医だった。
「どうされましたか?」
「ちょっと胃の調子が悪いみたいで」
脈を診て、血圧を計り、紙コップを渡された。
「尿検査をしますので、お小水を取って来てください」
トイレに案内された。
しばらく待つように言われ、私は待合室のテレビを見ながら時間を潰した。
「渡邊瑠璃さん」
名前を呼ばれ、再び診察室に入る。
「紹介状を用意しましたので、こちらに行ってくださいね。おめでとうございます」
固まる。
「あれ。自覚無かったですか?妊娠してますよ。初期だから……4週目ってところかしら。あ、でも詳しいことはそちらの産婦人科で調べてもらってくださいね」
紹介状を受け取り、診察料を払って、職場に戻った。
(どうしよう)
ドキドキが納まらず、仕事にならない。
(昴君になんて言おう)
頭がそんなことばっかり考えちゃって、ドジってばっかりだった。
「もう、店長、どうしたんですか?具合が悪いなら、さっさと帰ってください。ここは私たちだけで大丈夫ですから。ご心配なく」
どうやら、逆に迷惑を掛けてしまっているので、お言葉に甘えることにした。
「すみません。お先に失礼します」
どうしよう……昴君になんて言おう……どうしよう……産むの……?
自分が親になるなんて、これっぽっちも想像できない。
なんで……欲しくなんてなかったのに……




