31,Cofee Chocolate
「昴にはまだ分からないだろうが、この決断は瑠璃さんの人生設計に関わるところだ。この場ですぐに答えが出せるものでは無いだろう。あの店舗の店長まで昇り詰めるのには相当な……」
「お願いします!」
あ。話を遮っちゃった。
慌てて口を閉じる。
「なんと?」
「なんて?」
社長は怒ったような顔で、昴君は半笑いで言った。
「お願いします。私もそちらに移動したいです。昴君と一緒に住みたいんです」
だんだんと恥ずかしくなってきて、首の後ろまで熱く感じる。
「いいんですか?」
社長が怖い顔で聞いた。
「一旦キャリアを降りると、そう簡単には戻せませんよ。次を狙っている社員は多くいる」
「分かっています。仕事よりも大事にしたいものが出来てしまったんです。それに……私はそもそも店長になりたくて勤めていたわけではありません。珈琲が好きで、接客が好きで、長年働いていたら、店長になっていただけなんです」
昴君に抱き付かれた。
「ちょっと……社長が見てる……」
「おぉ!おぉ!よかったな、昴!お前の気持ちに瑠璃さんが応えてくれたんだな」
昴君を引き剥がして、涙ぐんでる社長に向き直す。
「違います。私の気持ちに昴君が応えてくれたんです。外面ばかりを気にして、素直になれませんでした。もう呆れられたのだと、半ば諦めていたんです。そんな私に、昴君は再び手を差し伸べてくれた。今度は掴みたいんです。離したくない」
「瑠璃……」
こっぱずかしい演説を終えて、昴君と家に戻った。
「もう、鍵くらい置いて行きなさいよね!」
不貞腐れたお母さまが、部屋で待っていた。
「1ヵ月くれない?俺たち出て行くから」
「本当?昴は居てもいいのよ?」
「断わる」
昴君はどこまでも冷たい態度だ。
「仕事と新しい家の都合をつけますので、1ヵ月の猶予をください。早められるようであれば、出来るだけ早く出て行きますので」
お母さまは「ふんっ」と放って、出て行った。
「なんなんだよ……あれ。恥ずかしいよ」
昴君が半目のまま口角を片方吊り上げて、呆れ顔をしている。
「さあて。瑠璃、やっと2人きりだ!」
ぱっと表情を変え、私に両手を広げて立っている。
私は素直に昴君の胸に飛び込んだ。
優しい手つきで髪を撫でられる。
「俺、誤解してたかもしれなくて、ごめんな?」
「ううん。私の態度がそう思わせちゃったんだよね。私の方こそごめんね」
「仕事、勝手に辞められて困っただろ?もう、瑠璃と顔を合わせられなくて、なんつーか……パニくってた……はは」
照れてる昴君が可愛い。
でも『可愛い』って言ったら、きっと怒る。
「実はさ、あっちの家、殆ど何もなくて、俺……ここの持って行こうかと思ってたんだけど、新しいの買おうか?どうせあのベッドじゃ瑠璃と一緒に寝れないし……どう?」
私の意見を聞いてくれるんだ、って感心してしまった。
「そうだね。一度、あっちのお家を見に行こうかな。そしたら、宅配便だけで引っ越し出来ちゃいそうだしね」
「あ、車あるから、それで運ぼうかと思ってる」
そうだった。鼻にかけないけど、昴君はボンボンだった。
「じゃ、そうと決まれば……」
足元がふわっと浮いて、昴君に抱かれていた。
「ひゃ」
なんだか怖くて、昴君の首に手を回した。
「このベッドともお別れだからな。最後の思い出は瑠璃と、なんてな」
冗談を言ってるように見えるけど、本気が伝わってくる。
「いいだろ?」
こういう少し強引な物言いが好き。
断わる隙が無いのが、私みたいな優柔不断には逆によかったりする。
黙って唇をつけた。
「ああ!もうっ!瑠璃!」
何に怒ってるのか、昴君は苛々しながら、私の服を脱がした。
嫌なはずがない。
愛する人に触れられて、その体温を体中で感じて、幸せじゃないはずがない。
私はこれまでに無いくらい、昴君に夢中になった。
***
まったりと狭いベッドで寝転ぶ。
「土日休みなの?」
「うん、そう。9時始業で、17時まで。いい職場だよな」
「研究とか開発とかしてるの?」
「まあな。俺は思ったこと言うだけで、あとは清水さん達があれこれ頑張ってる感じ」
離れていた間に、昴君がどんな事をしていたのか、気になっていた情報を埋めていく。
「今の家は?どうやって探したの?」
「会社が借り上げてるマンションがあって、本当は家族連れか、独身なら2人で住まなきゃならないらしいんだけど、今は、俺しか独身がいないから独り占め」
「私も……行っていいのかな?」
「いーんじゃね?ダメって言われたら出てくよ。なんか、いいね。瑠璃、すげー聞いてくんじゃん。もっとないの?知りたいこと、なんでも聞いていいよ」
うつ伏せで2人で並んで、ちらちらお互いの顔を見ながらおしゃべりは続く。
「あの歌……『愛とか恋とか』練習したの?」
「めっちゃした。失敗したくないから、カラオケ籠ってずっと歌ってた。よかった?」
少し心配そうに私の顔を覗き込まれた。
やばい……顔が……
「すごく、よかったよ。胸がぎゅってなった」
「じゃ、なんで追って来なかったの?連絡とかくれると思ってたから、俺、すげぇ凹んだよ」
「ごめん……あの日は京介君に止められて、その後も、どうしてだろう、上手く言えないけど、もう終わったんだって思ってた」
「え。じゃ、清水さんが俺のこと言いに行かなきゃ、やっぱ自然消滅だった?」
「それは、嫌だなって思ってたから、もう少し気持ちが落ち着いたら探そうとは思ってたよ」
昴君は体を反転して、私に覆いかぶさってきた。
「逃げられると思うなよ」と言われて、
「もう離さないよ」と言い返した。
***
電車を乗り継いで2時間ちょっと、素朴な駅に着いた。
「こっち」
昴君に付いて行くと、民家と畑が入り交ざる通りを過ぎていく。
「こっちは田舎だけど、駅の反対側はもうちょっと栄えてるよ。コーヒーショップはそっちにあるから」
引っ越し先のお家を見学しに来た。
「家具とか買っちゃう前に、私が入居してもいいか聞かなきゃ駄目だよね?」
「ああ。分かった。明日、清水さんに聞いとく。とりあえず、持って来たい本があるから、車であっち戻るよ。瑠璃とドライブだ」
こんなウキウキしてる昴君を見たのは、サッカー観戦の時以来だ。
「ここ。エレベーターないよ。2階だからいい運動とでも思って」
「ふふ。運動不足の解消になるね」
部屋は2LDKで、住みやすそうな間取りだった。
周りに高い建物が無いから、日が入るし、ベランダ越しに遠くまで見渡せる。
「明るい部屋だね。家賃は?」
「5万ちょっとだったかな……給与から天引きするって。俺が払うから瑠璃は出さなくていい」
「そういうわけにはいかないでしょ?ま、でも、食費と生活費を私が出そうか。それでどう?」
私の方が年上だからとか、お給料をもらっているからとか……
そういう自分で作り上げたプライドで関係を壊しかけた過去を教訓にする。
甘えることも大事なんだ。
「ありがとう。じゃ、それでお願い。さて、東京に戻りがてら、どっかでメシ食おう。腹減った」
昴君が車のキーを持って下に降りた。
「あれ?軽トラだったっけ?」
前に見たのと違う車だった。
「ああ。乗り換えた。あっちは見た目ばっかで使い勝手がよくねーし、たまに仕事で車出すことあっから……あ。瑠璃はあっちの方がよかった?」
「別に、どっちでもいいけど、社長にもらったんじゃ……」
「じじいには断わりを入れたよ。好きにしろって言われた」
私が心配しなくても、昴君は会社や家族とちゃんと関係を築けている。
「引っ越しにも家具買うのも、こっちの方が断然便利だね!」
「だろ?さ、しゅっぱーつ!」




