30,Cofee Chocolate
天気の良い土曜日の朝。
珈琲を淹れ、布団を干し、洗濯機を回す。
そして、お気に入りの昴君の『コーヒーチョコレート』を口に入れる。
つい笑顔になってしまう。
(美味しい)
本当に彼らしさが出ていると思う。
ここに居ても昴君の事ばかり考えてしまう。
散歩がてらお昼は外で済ませようと、出かける準備をしていた。
ピンポーン
チャイムが鳴る。
(昴君?)
期待してインターホンを覗いた。
***
「こんにちは。初めましてじゃないわよね」
「はい。その節はどうも……」
「結婚式?それともホテルでの食事会のこと?」
昴君のお母さまは勝手にスリッパを出して、リビングのソファに座った。
「話があってきたのだけど、お時間いただけるかしら?」
きょろきょろと周りを見ている。
「昴君ならいません」
「やっぱり本当だったのね!お父さんが勘違いしてるのかと思ったけど……なるほどねぇ。私にも珈琲いただける?」
「気が付きませんで……」
改めて淹れ直した珈琲をお出しした。
「あなたたち別れたんでしょ?悪いんだけど、瑠璃さんっておっしゃったわよね?ここを出て行っていただけないかしら?」
頭が真っ白になった。
「実はね、ダーリンと新居を探しているのだけど、ここより良いところは無いなって思って、昴は、ほら、言っても息子だから、一緒に暮らせるけど、あなたは……ごめんなさいね」
当然の主張だと頭では分かっている。
でも、今すぐ承服するわけにはいかない。
「別れたわけではないです」
「なに言ってんの?昴は出て行ったんでしょ?ここで帰りを待とうって魂胆なの?無駄よ。帰ってこないし、帰ってきたとしてもどうせ続かないわ」
このまま引っ越してしまえば、昴君との接点が無くなってしまう。
「図々しいお願いで申し訳ありませんが、彼ともう一度話をしますので、少しお時間をいただけませんでしょうか」
「やだ。本当に図々しい。ちょっと見た目がいいからって、調子に乗ってるんじゃないの?昴は私の息子なのよ?どうしてこんな……」
年齢のことを言われると覚悟をした。
「年甲斐もなく、みっともないお願いは承知しています。でも、昴君ときちんとお話をするまで退去は待っていただけないでしょうか」
「駄目よ。私たちも家が無くて困ってるんだもの。荷物をまとめて今すぐにでも出て行ってちょうだい」
恥を忍んで頼んでみたが、聞き入れてもらえなかった。
しょんぼりした気持ちで、自室に鞄を取りに行こうと振り返った……
「えぇ!」
あまりに驚いて空気を飲んでしまった。
ケホッケホッ
昴君が背中をトントンしてくれる。
「大丈夫?瑠璃」
「ちょっと、あんたなんで勝手に入ってきたのよ!驚くじゃない。相変わらず礼儀知らず」
「ここ、俺んちだから。そっちこそ家主の不在中に上がり込んで勝手に何してんだよ」
「本来の住人が戻るって言ってるの。仮住まいのその方には出て行ってもらうのよ。昴は……居たければ居ればいいわ」
「んなわけないだろ」
「行こ。瑠璃」
昴君に手を引かれて玄関に向かう。
「ちょ、ちょっと……」
「話がある。あいつ邪魔だから、外行こう」
有無を言わさない姿勢に気圧されて、私は大人しく従った。
***
コンビニで珈琲を買って公園のベンチに座った。
「なかなかやるよなぁ」
一口つけた昴君が言った。
「これだけのクオリティを安価で出されたらさ、たまったもんじゃなくね?」
「ふふ。そうだね」
両足を投げ出し、背もたれに頭を乗せて、昴君は空を眺めていた。
「俺、出て行く」
ドキンと心臓が跳ねた。
「あの家出て行くことにした。今、会社の近くに借りてる家に移る。中途半端なことしてごめん」
涙が出てこないように、瞬きを我慢した。
「ずっと向き合えなくてごめんな。俺、自分のことしか考えられなくて、瑠璃の気持ちとか分かってなかったかも知れない」
「相手の気持ちなんて誰だって分からないよ」
「そうなの?瑠璃も俺の気持ち分かってなかったの?」
「それは……」
好意を持ってもらっているのは分かっていた。
私が分かっていなかったのは私自身の気持ちだった。
「瑠璃はいつ出られる?」
「もともと身の回りの物を詰めて来ただけだから、すぐにでも。帰ったら支度するよ」
当分はホテル暮らしになりそうだ。
「あー。そんなすぐじゃなくていいだろ。とりあえず、じじいんとこ行こか」
「え?あ、そうだね。お世話になったし、ご挨拶しなきゃだよね」
危ない。黙って出て行く、恩知らずになるところだった。
爽やかな風が公園を抜ける。
子どもたちのはしゃぐ声が、風に乗って宙を舞っていた。
「新しい職場には馴染めたの?」
「うん。清水さんに会ったんだろ?あの人、いい人で、ってか『本当に大丈夫?』ってくらい俺の提案丸呑みして、どんどん実現していく。不思議な人だよ。他のおっさん達も皆そんな感じ」
「へえ。楽しそうだね」
「瑠璃の店が楽しくなかったわけじゃないけど、接客はそもそも向いてないって分かってただろ?」
「最初はね。でも、最近はだいぶ板についてきたなって思ってたよ」
「まじで?何気に嬉しいんだけど」
はにかむ笑顔が苦しくて直視できない。
「瑠璃は?店は変わったことあった?」
昴君から近況を聞かれるなんて……大人になったな……なんて、上から目線かな……
「特に変わってない。これを置くことになったことくらいかな」
ポケットから『コーヒーチョコレート』を出す。
「ホントに持ち歩いてんだな!京介が言ってた通りじゃねえか。ウケる」
「笑いを提供できて何よりです……」
恥ずかしくなって、口に一粒入れた。
「俺にも」
パカッと口を開けてこっちを向いてる昴君。
「はい」
一粒放り込んだ。
「まじかぁ!」
昴君が笑い出した。
「清水さんに言われたんだ。これは俺の『恋心』の味だって。言われた時は『はぁ?』って思ったけど、今わかった。こういう事ね」
一人で納得している。
何のことかいまいち不明だけど、昴君の『恋心』……
もう、それには終止符を打ってしまったの?
同居を解消して、新しい生活をスタートさせようとしている若者に縋りつけるほど、私は強くない。
***
「手ぶらで来てしまったよ?」
社長に会うのが不安でならない。
「いいんだよ。家族にいちいち土産なんて持って来ないよ」
昴君にはおじい様でも、私には会社のトップで……
「私の身内じゃないから、あ……」
また勝手に鍵開けて黙って入って行く。
「じじい!いるか?」
「おお。昴、久しぶりじゃないか。元気にしてたのか?」
「ああ。瑠璃も連れてきた。頼みがあって」
そう言いながら、昴君はキッチンに立った。
「コンビニのより旨いことを証明して見せるから、ちょっと待ってて」
「それは知ってるから、大丈夫だけど?」
笑っちゃう。
「そうだぞ。瑠璃さんはお前の珈琲は『控えめに言っても日本一』と評価している」
昴君の顔!
「なんつう顔をしてるんだ。瑠璃さんはお前に惚れてるから、だいぶ下駄を履かせているようだからな。私の評価では『控えめに言っても当社比で日本一』だ」
「何が違うんだよ!」
「ははは。それで、頼みってのはなんだ?」
社長は珈琲カップを手に、真顔に戻った。
「あの家を出る。かーちゃんが住みたいって」
「いいのか?断っていいんだぞ?あれは、ほら、いつもあんな感じだから……」
社長は気まずそうに口ごもった。
「いいんだ。だから、瑠璃を別の店舗に移動させてほしいんだ」
「「は?」」
私と社長の声が重なる。
「昴君、私、聞いてないんだけど……」
「あ、そっか。俺んちからこっち出て来るの2時間くらいかかるから、通えないと思って。あっちにさ、店舗あるだろ?瑠璃を移動させてよ」
唖然。
「瑠璃さんはその気が無いように見えるが?昴が先走ってるだけじゃないのか?」
「そうなのか?ちょっと田舎だけど、いいとこだよ?瑠璃も気に入ると思うけど。あ、家は今のとこよりしょぼいけど、元彼と住んでたところとはいい勝負だし……え……嫌?」
呆然。




