33,昴と町
家で横になっていた。
気が付いたら眠っていた。
足音がして、昴君が部屋に走ってきた。
「瑠璃、具合悪いんだって?店のおばちゃんたちが……泣いてる?」
あ。
気付かなかったけど、泣いていた。
「なにがあったの?話してくれる?」
昴君が私の後ろから、座ったまま抱きしめてくれた。
うなじに顔を埋めている。
たぶん表情を見ないで、話しやすくしてくれてるんだ。
病院に行った……もしかして……妊娠……いや、もしかしてじゃない……産みたくないなんて……言える?……何から、どうやって……
頭の中がぐちゃぐちゃで言葉に出来ない。
「話したくない?」
返事ができない。
「質問してもいい?」
小さく頷く。
「もしかして妊娠してる?」
息が止まった。
「答えたくない?」
鳥肌が立つ。
「俺はどっちでもいいよ」
「え?」
はっと振り返る。
「瑠璃の体だから、瑠璃が決めていいよ。どっちの選択も尊重する。瑠璃が望むことで、俺に出来ることなら何でもする。約束する」
そう言って、昴君はキッチンに向かった。
「そうめんなら食えそう?」
大きな声が飛んできた。
「うん」
青のり入りの竹輪の磯辺揚げと、薬味がたっぷりの素麺がテーブルに並んだ。
「よかった。食べられそう」
昴君はふっと笑った。
「どうして分かったの?」
「なんとなく。様子変だなって思って」
昴君はどうでもいい話でもしてるかのように、豪快に素麺を啜っている。
「どっちでもいいって……あれ……」
『ん?』ととぼけた顔でこっちを見られると、拍子抜けしてしまう。
「なんでもない」
昴君がせっかく私に考える時間をくれたんだ。
まだ、妊娠初期。
選択肢はある。
***
昴君の言葉に嘘は無かったようで、それからも私の体に気遣いつつも、妊娠の事には触れないで生活してくれた。
内科で紹介状をもらってから3日。
私の心は変わりつつあった。
昴君とこの調子でやっていけるのなら、子どもができても大丈夫なんじゃないかと……
どうやら私は、せっかく叶った彼との生活を邪魔されるんじゃないかと、お腹の子に変な嫉妬心を抱いている自分に気付いてしまったのだ。
だけど、昴君の変わらぬ態度に、安心感を抱きつつある。
私を一番に考えてくれているなら、私の心の安寧は得られる。
そろそろ産婦人科にも行かねばならない。
高齢出産となれば、リスクが高まるのは聞いて知っている。
「昴君、今日、病院行ってくる」
「ふーん。俺も行った方がいい?」
「ううん。お昼に行くから一人でって思ってる」
「気を付けてね」
そうは言ったものの、昼が近付くにつれ、緊張して落ち着かなくなってきた。
「店長、まだ体調戻ってないの?」
休憩に入ったスタッフが、私が何も食べていないのを見て気遣ってくれた。
「胃の調子が悪くて、ちょっと食欲が……」
「そう。旦那が使ってるいい胃薬があるのよ。何だったかしら今度、持って来るわね」
「ありがとうございます。それで、午後、少しまた抜けていいですか?」
「はい。どうぞ、どうぞ。ここは私たちにお任せください」
ここのスタッフ3名は、朝、昼、夜のシフトを自分たちで組み、開店準備や閉店の戸締りまで何でもこなす頼りになる方達で、とても助かっている。
ただ、週末はそれぞれのご自宅の事情で、あまりシフトを入れたくないようだった。
なので、土日は昴君にお店を手伝ってもらっている。
私が働けなくなったら、この店はどうなってしまうのだろう。
人員を増やしてもらうよう本社に掛け合わなければならない。
東京の繁盛店から、この田舎の小規模店舗に移動してきた私は、キャリアを離脱したと思われている。
もちろん、バリバリに働き続けたいわけでは無かったけど、キャリアを捨てたわけじゃない。
小さくても、一店舗の店長だもの。
責任を持ってやっているつもりだった。
子育てしながらなんて継続できるの?
『きっと大丈夫』と『やっぱり無理』の天秤が釣り合ってしまっていて、答えが出せない。
「店長、ボーイフレンドが来てますよ」
スタッフの一人に言われて、表に出る。
病院に行くつもりで、私服に着替えていた。
「暇だから、清水さんが半休くれた」
本当かどうかは調べようがないけど、私に負担を掛けない言い訳を有難く思う。
「じゃ、一緒に行こう?実は、ちょっと怖くなってたの」
情けない気持ちを吐露して、開き直ったら、気が楽になった。
***
産婦人科の先生はごっつい感じのおじさんでちょっと嫌だった。
エコーで子宮を確認し、妊娠が確定した。
「お待たせ、昴君」
待合室で気まずそうに携帯をいじっていた彼に声を掛ける。
「もう終わったの?」
「うん」
どうしようかな。相談しようかな。
「渡邊さーん」
受付に呼ばれて立ち上がった。
「これを区役所に提出して、次回の受診までに母子手帳をもらってくださいね」
そう言われて、用紙を受け取った。
このままだと、自然と産む感じに流されてしまう。
だからって、『産まない場合はどうしたらいいですか?』なんて聞ける雰囲気でもない。
迷ってる人はどうしたらいいのだろう。
「瑠璃、迷ってるなら、やめときなよ」
初めて昴君の意見を聞けた。
「俺は今のままで充分幸せだし、産んでから後悔しても遅いんだよ。俺、ほら、かーちゃんあんなでさ、母性とかゼロの人だから、寂しい思いは結構したよ」
こんな話をしながらも、足は区役所に向かっていた。
「もちろん子どもが生まれたら大事にするよ。愛情持って育てる。だけど……それが俺のやりたいことってわけじゃないから、瑠璃がいれば、それでいいし。正直、俺も迷ってる」
20代前半で父になるかも知れないなんて、私以上に悩ましいことだよな。
「入籍もしてないし、ま、どうせ、ワタナベ同士だから、漢字が違っても子どもにはあんま影響ないかもだけどな」
「毎日考えてるんだけど、その度に答えが変わるの。産もう、育てよう、昴君となら大丈夫って思って、すぐ次の瞬間には、やめとこう、できっこない、仕事もあるしって……ころころ気分が変わってしまって、どうしたらいいか分からないの」
「はは。だよな。俺も一緒」
昴君は私の手を繋いで、方向を変えた。
「今日は答えを出すの、やめとこうぜ。区役所なんていつ行ったっていーんだから、家帰って、なんか旨いもんでも食おう」
「そうだね。へへ」
大事な事を先延ばしにしちゃう癖は似てるのかも知れない。
「私、すっごいピザ食べたい気分!」
「ピザか……少し時間くれれば、家で焼けるよ」
「嘘でしょ?!そんなことできんの?」
「簡単だよ。発酵させるのに、少し寝かせる時間がかかるだけで、後は具を乗っけて焼くだけだから」
そんな大層な手間をいとも簡単に言いのけてしまう……やっぱ普通じゃない。
「珈琲飲みたいな」
つい口走ってしまった。
一応、カフェインや刺激物を控える生活を送っていたから、物足りなかった。
「あー、気付かなくてごめん。カフェインレスのやつ買って行くか」
「あれは……あんま美味しくないから……」
普通の珈琲が飲みたい。
「美味しく淹れればいいんだろ?任せろ」
昴君が言うと、不可能じゃないように思えてくる。
これから先、どんな無理難題も昴君となら、私たちらしい答えを導き出せるんじゃないかって気になってくる。
「昴君、ずっと一緒に居るなら入籍しとく?」
昴君が立ち止まって、数歩、置き去りにしてしまった。
「したい……けど……無理してない?」
「いや。してない。なんか自然と口から出ちゃった。へへ」
自分でも驚いてるくらいだ。
だって、今、ぶわぁっと昴君との未来像が頭に浮かんで……
結婚指輪をして、子どもの手を片方ずつ私たちが引っ張って……
「どうした?瑠璃?」
一瞬のイメージに囚われて、我を忘れていた。
「どうしたんだろう。なんか変だな。夢見た」
「ははは。歩きながら夢見たの?妊娠って大変だな」
「もう、ホントそう。昴君と家族になった夢が見えた。子どもの手とか繋いじゃって、3人で並んで歩いたりして。なんか変なホルモン出てるんだと思う。情緒不安定ってやつかな?」
自分の妄想を鼻で笑いながら歩く。
「なあ、瑠璃。その夢悪くないんじゃない?」
「へ?」
「俺、その夢、叶えたいかも」
そう言って笑った昴君の目には涙が溜まっていた。
完




