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苦い恋は珈琲のあとで  作者: あおあん


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28/33

28,『愛とか恋とか』を歌わないで

毎朝感じる、決して弱まることのない胸の痛み。


「おはよう」


ぽつりと呟いて、朝食の支度をする。


昴君の部屋に入って、帰ってきてないことを確認する。


彼の居ない生活に慣れることのないまま、気付けば一カ月が過ぎていた。


一人でも「いただきます」と言ってから食べる。


昴君はここには居ないけど、私の心の中にいる。


職場は昴君の居ない状況に、あっという間に慣れた。


「最近、『こだわりさん』来なくない?」


「そうだね。引っ越しでもされたのかな」


昔からハンドドリップの珈琲を頼まれる、中年の男性。


「ずっと昴にやらせてたから、俺、腕が訛っちゃってるんだよな」


「私に淹れてくれてもいいんだよ?」


「嫌だよ。昴の味に惚れてるやつに提供できるほど、俺のハートは強くない」


茶化して言ってくれてるけど、無理をさせているかもな。


「ごめん」


「謝んなよ。今日は本社に行くんだろ?店頭に並べる新商品の説明会だっけ?俺も一緒に行っていいか?」


「もちろん」




***




四半期に一度、シーズンの切り替わりに合わせて、店頭に並ぶスナックの入れ替えがある。


キッチンで軽く調理をする物の他に、テイクアウトや、その場でちょっと食べたいスイーツなんかが対象になっている。


夏には提供できなかったチョコレート菓子が紹介された。


「試食を兼ねて今日はお味を見ていただきたく、お持ち致しました」


大きな会議室の前方にメーカーの担当者が立っていた。


「『こだわりさん』じゃない?」


資料に目を落としている山室君に耳打ちする。


「あ。ほんとだ」


「あの人、お菓子作ってる人だったんだね」


会場にいる全員に、小袋に分けられたチョコレートの粒が配られる。


『コーヒーチョコレート』


「ローストした珈琲豆をチョコレートでコーティングしたものです」


市販で似たような物を食べたことがあったので、味の想像は容易についた。


手の平に2粒出して、口に放り込む。


チョコレートの奥から、香ばしく苦い珈琲の香りが漂ってくる。


柔らかく肉厚なチョコレートはダークな中にもしっかりとした甘味があり、上質なカカオを使っていることが想像できる。


カリッ


中の珈琲豆を齧ると、ぶわっと強いパンチの効いた珈琲が口いっぱいに広がった。


「旨いな」


ぼそっと呟いた山室君に、驚きを持って頷く。


正直、この手の商品はどれも同じような味と言うか、感想を持ってしまうものだけど……


「レベルが違うね」


口には出さないけど、昴君を思い出さずにはいられない。


彼がこれを食べたら、どういう反応を見せただろうか……


商品開発課の代表が締めの言葉を述べていた。


「これまで自社開発にこだわってきたので、正直、外部からの仕入には抵抗はあります。ですが、ここまで完成度の高い製品が開発部に作れるかと問われれば、情けないですが、『不可能』と答えるしか無いでしょう。調理を伴う軽食は引き続き、開発を進めて行きますが、この『コーヒーチョコレート』に関しては、我が社の珈琲との相性も鑑みて、採用するに至りました」


これだけの質が担保できるなら、自社で開発するより、仕入れた方が効率が良いだろう。


納得の決定だと思った。


会議がお開きとなり、私と山室君は荷物をまとめていた。


「あの……」


『こだわりさん』が声を掛けてくださった。


「清水と申します。たまに、お店に……」


「はい。ハンドドリップを好まれるお客様ですよね。覚えてます」


固い表情で、言葉に詰まっておられる?


「申し訳ありませんでした」


清水さんが深々と頭を下げた。


「えっ。どうされたんですか?頭を上げてください」


山室君二人して清水さんの体を起こす。


「渡部昴さんのこと、引き抜いたりして……本当に申し訳ございませんでした!」


「どういう事でしょうか」


山室君の声がワントーン下がった。


「私はあの日、意図せず天才を見つけてしまいました。開発中の『コーヒーチョコレート』に何かヒントになるものを探している最中でした。彼に……彼のハンドドリップに私は恋をしてしまったんです」


「それで?引き抜いたとは?」


「ダメ元だったんです。聞いてみるだけのつもりでした。商品を彼に食べてもらい、アドバイスを貰えたらと、軽い気持ちだったんです。でも、思いの外、彼は前のめりに私の話を聞いてくれました。一緒に開発に携わって欲しいと言う、私の言葉を彼は受け入れてくれました」


「ふざけんなよっ!」


突っかかる山室君を引き止めた。


「昴君の才能を見染めてくださった方が、ここにも居たってことだよ?彼は自分の力で、チャンスを引き寄せたんだから……」


新入社員を引き抜かれれば、誰だって不快に思う。


だけど、昴君は私にとって、ただの部下じゃない。


「彼は……昴君は、元気にやっていますか?」


やっと近況を聞ける人に出会えた喜びで、声が震えた。


「はい。この商品は、彼の渾身の力作です。お味、みていただけましたよね?」


「ええ。とても美味しかったですと、お伝え願えますか?」


「はい。お約束します」




***




「人事に訴えるか?」


帰り道、山室君の憤慨は納まっていない。


「今更でしょ。うちの人事部は昴君を評価していなかったし、無駄な軋轢を生むだけだよ」


それに、たぶん、社長はご存じだ。


山室君は昴君の素性を知らない。


だけど、彼は社長のお孫さんで、しかも仲が良い。


私に行き先を問う連絡が来ていないという事は、社長は全てをご存じのはずだ。


「お帰りなさいっす」


京介君が笑顔で挨拶をしてくれた。


彼もまた、昴君の近況を気にしている一人だ。


「これ。食べてみて。昴君が作ったみたいなの」


さっき配られたサンプルの『コーヒーチョコレート』を渡す。


「え!まじっすか?!ちょっと、奥で食って来ていーっすか?」


返事を待たずに、京介君は走って行ってしまった。


「しゃべって良かったのか?」


「ダメな理由なんてある?」


私も手元の『コーヒーチョコレート』を口に入れた。


目を瞑って味わう。


(昴君の味だ……)


甘さ、苦み、酸味、全てが飛び抜けているのに、ロースト具合が調和を計って、絶妙なバランスを保っている。


「迎えに行かないのか?瑠璃のこと、待ってるんじゃないか?」


「待ってないと思うし……そんな資格も、勇気も持ち合わせてないよ」


居場所が知れただけでも充分だ。


これからは、昴君の味も身近になる。


名前の付かないこの溢れ出てくる気持ちの行き場はない。


『失恋』を認めて先に進むこともできないし、昴君に許しを乞う勇気もない。


誤った選択をした事に後悔はあるけど、昴君と居た時の苦しさからは解放されている。


私にはやっぱり、そんな勇気なかったんだな……


歳の離れた、非現実的な恋愛を掴みとる勇気なんて無かった。


「店長、これマジ旨いっす!どこで買えるんですか?」


「ここで買えるようになるよ」


「ここ?」


私に耳の痛い、もっとも重要な指摘をしてくれた男の子、京介君。


昴君の歌声を聞かせてくれたあの時間に、私は感謝している。


「レジ横に並べる商品に選ばれたの。たくさん売ってね」


「マジっすか?昴スゲー!」


「だよな京介もそう思うよな。昴はやっぱりただ者じゃ無かったんだよ」


「同感。でもちょっと悔しいよね……」


「「え??」」


男性2人の声が揃った。


「その実力は、ここで発揮させてあげたかったなー、なんてね」


3人で笑った。




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