28,『愛とか恋とか』を歌わないで
毎朝感じる、決して弱まることのない胸の痛み。
「おはよう」
ぽつりと呟いて、朝食の支度をする。
昴君の部屋に入って、帰ってきてないことを確認する。
彼の居ない生活に慣れることのないまま、気付けば一カ月が過ぎていた。
一人でも「いただきます」と言ってから食べる。
昴君はここには居ないけど、私の心の中にいる。
職場は昴君の居ない状況に、あっという間に慣れた。
「最近、『こだわりさん』来なくない?」
「そうだね。引っ越しでもされたのかな」
昔からハンドドリップの珈琲を頼まれる、中年の男性。
「ずっと昴にやらせてたから、俺、腕が訛っちゃってるんだよな」
「私に淹れてくれてもいいんだよ?」
「嫌だよ。昴の味に惚れてるやつに提供できるほど、俺のハートは強くない」
茶化して言ってくれてるけど、無理をさせているかもな。
「ごめん」
「謝んなよ。今日は本社に行くんだろ?店頭に並べる新商品の説明会だっけ?俺も一緒に行っていいか?」
「もちろん」
***
四半期に一度、シーズンの切り替わりに合わせて、店頭に並ぶスナックの入れ替えがある。
キッチンで軽く調理をする物の他に、テイクアウトや、その場でちょっと食べたいスイーツなんかが対象になっている。
夏には提供できなかったチョコレート菓子が紹介された。
「試食を兼ねて今日はお味を見ていただきたく、お持ち致しました」
大きな会議室の前方にメーカーの担当者が立っていた。
「『こだわりさん』じゃない?」
資料に目を落としている山室君に耳打ちする。
「あ。ほんとだ」
「あの人、お菓子作ってる人だったんだね」
会場にいる全員に、小袋に分けられたチョコレートの粒が配られる。
『コーヒーチョコレート』
「ローストした珈琲豆をチョコレートでコーティングしたものです」
市販で似たような物を食べたことがあったので、味の想像は容易についた。
手の平に2粒出して、口に放り込む。
チョコレートの奥から、香ばしく苦い珈琲の香りが漂ってくる。
柔らかく肉厚なチョコレートはダークな中にもしっかりとした甘味があり、上質なカカオを使っていることが想像できる。
カリッ
中の珈琲豆を齧ると、ぶわっと強いパンチの効いた珈琲が口いっぱいに広がった。
「旨いな」
ぼそっと呟いた山室君に、驚きを持って頷く。
正直、この手の商品はどれも同じような味と言うか、感想を持ってしまうものだけど……
「レベルが違うね」
口には出さないけど、昴君を思い出さずにはいられない。
彼がこれを食べたら、どういう反応を見せただろうか……
商品開発課の代表が締めの言葉を述べていた。
「これまで自社開発にこだわってきたので、正直、外部からの仕入には抵抗はあります。ですが、ここまで完成度の高い製品が開発部に作れるかと問われれば、情けないですが、『不可能』と答えるしか無いでしょう。調理を伴う軽食は引き続き、開発を進めて行きますが、この『コーヒーチョコレート』に関しては、我が社の珈琲との相性も鑑みて、採用するに至りました」
これだけの質が担保できるなら、自社で開発するより、仕入れた方が効率が良いだろう。
納得の決定だと思った。
会議がお開きとなり、私と山室君は荷物をまとめていた。
「あの……」
『こだわりさん』が声を掛けてくださった。
「清水と申します。たまに、お店に……」
「はい。ハンドドリップを好まれるお客様ですよね。覚えてます」
固い表情で、言葉に詰まっておられる?
「申し訳ありませんでした」
清水さんが深々と頭を下げた。
「えっ。どうされたんですか?頭を上げてください」
山室君二人して清水さんの体を起こす。
「渡部昴さんのこと、引き抜いたりして……本当に申し訳ございませんでした!」
「どういう事でしょうか」
山室君の声がワントーン下がった。
「私はあの日、意図せず天才を見つけてしまいました。開発中の『コーヒーチョコレート』に何かヒントになるものを探している最中でした。彼に……彼のハンドドリップに私は恋をしてしまったんです」
「それで?引き抜いたとは?」
「ダメ元だったんです。聞いてみるだけのつもりでした。商品を彼に食べてもらい、アドバイスを貰えたらと、軽い気持ちだったんです。でも、思いの外、彼は前のめりに私の話を聞いてくれました。一緒に開発に携わって欲しいと言う、私の言葉を彼は受け入れてくれました」
「ふざけんなよっ!」
突っかかる山室君を引き止めた。
「昴君の才能を見染めてくださった方が、ここにも居たってことだよ?彼は自分の力で、チャンスを引き寄せたんだから……」
新入社員を引き抜かれれば、誰だって不快に思う。
だけど、昴君は私にとって、ただの部下じゃない。
「彼は……昴君は、元気にやっていますか?」
やっと近況を聞ける人に出会えた喜びで、声が震えた。
「はい。この商品は、彼の渾身の力作です。お味、みていただけましたよね?」
「ええ。とても美味しかったですと、お伝え願えますか?」
「はい。お約束します」
***
「人事に訴えるか?」
帰り道、山室君の憤慨は納まっていない。
「今更でしょ。うちの人事部は昴君を評価していなかったし、無駄な軋轢を生むだけだよ」
それに、たぶん、社長はご存じだ。
山室君は昴君の素性を知らない。
だけど、彼は社長のお孫さんで、しかも仲が良い。
私に行き先を問う連絡が来ていないという事は、社長は全てをご存じのはずだ。
「お帰りなさいっす」
京介君が笑顔で挨拶をしてくれた。
彼もまた、昴君の近況を気にしている一人だ。
「これ。食べてみて。昴君が作ったみたいなの」
さっき配られたサンプルの『コーヒーチョコレート』を渡す。
「え!まじっすか?!ちょっと、奥で食って来ていーっすか?」
返事を待たずに、京介君は走って行ってしまった。
「しゃべって良かったのか?」
「ダメな理由なんてある?」
私も手元の『コーヒーチョコレート』を口に入れた。
目を瞑って味わう。
(昴君の味だ……)
甘さ、苦み、酸味、全てが飛び抜けているのに、ロースト具合が調和を計って、絶妙なバランスを保っている。
「迎えに行かないのか?瑠璃のこと、待ってるんじゃないか?」
「待ってないと思うし……そんな資格も、勇気も持ち合わせてないよ」
居場所が知れただけでも充分だ。
これからは、昴君の味も身近になる。
名前の付かないこの溢れ出てくる気持ちの行き場はない。
『失恋』を認めて先に進むこともできないし、昴君に許しを乞う勇気もない。
誤った選択をした事に後悔はあるけど、昴君と居た時の苦しさからは解放されている。
私にはやっぱり、そんな勇気なかったんだな……
歳の離れた、非現実的な恋愛を掴みとる勇気なんて無かった。
「店長、これマジ旨いっす!どこで買えるんですか?」
「ここで買えるようになるよ」
「ここ?」
私に耳の痛い、もっとも重要な指摘をしてくれた男の子、京介君。
昴君の歌声を聞かせてくれたあの時間に、私は感謝している。
「レジ横に並べる商品に選ばれたの。たくさん売ってね」
「マジっすか?昴スゲー!」
「だよな京介もそう思うよな。昴はやっぱりただ者じゃ無かったんだよ」
「同感。でもちょっと悔しいよね……」
「「え??」」
男性2人の声が揃った。
「その実力は、ここで発揮させてあげたかったなー、なんてね」
3人で笑った。




