26,『愛とか恋とか』を歌わないで
がらんとした部屋で一人支度を済ませ、早い時間に出勤する。
昴君はきっといる。
そう信じて来たけど、
いたのは山室君だけだった。
「おお瑠璃、早いのな。昴は?」
なにかしゃべったら、涙が出そうだった。
「やっぱ、そうなるよな。昨日も、ぎくしゃくしてるみたいだったし、ちゃんと説明できてねえの?」
首を横に振る。
「説明したけど許してもらえねえの?」
もう一度、首を横に振る。
「説明して、許してもらったのに、気まずいままなの?」
縦に頷く。
「あちゃー」
この件を軽くいじってくれてよかった。
少し気が楽になったかも。
「「おはようございます」」
昴君と京介君が一緒にやって来た。
昴君はすっと私の横を抜けて、更衣室に行ってしまった。
***
忙しい時間帯に差し掛かる。
出勤前にテイクアウトを希望されるお客様で店内の活気が増す。
全体を見回しながら列を整え、声を出しながら回転させてゆく。
ドキンッ
一瞬、心臓が跳ねた。
(やだ……なんで……)
弘春が昴君のレジで注文している。
支払いを済ませ、テイクアウトのカウンター前できょろきょろしている。
私と目が合い、手招きをされた。
「何しに来たの?」
「コーヒー買いに来たんだよ。なんて。彼氏の偵察、なんつって」
怒りが込み上げてくる。
無視して背を向ける。
「ちょっと待てよ。瑠璃のお母さんから、連絡もらったんだよ。もう、いい人見つけたみたいだから、よりを戻す話はなかったことにしてって。勝手だよなあ?」
山室君を見ている。
「そんなにイイ奴なの?バツイチなんだって?同期らしいじゃん」
なんでも筒抜けなのが、腹が立つ。
「彼じゃない」
「へ?」
「私の恋人はあの人じゃないの」
「そうなの?じゃ誰?」
弘春の視線が店内を行ったり来たりする。
「あの、弘春のレジやった人。昴君って言うの」
「はあ?」
変な声を出して、弘春が笑い出した。
「あいつ、いくつだよ。ってか、お前、自分の歳分かってんのかよ」
これくらい言われても平気。
昴君を失う怖さに比べれば、何てことない。
「彼は22歳で、私より21歳も年下なの。とても大切な人だから、近付かないでくれる?」
「ふざけんなよ。いい歳して、恋愛ごっこでもするつもり?あんな若いの囲って恥ずかしくないのかよ」
「ごっこじゃないし、恥ずかしい事なんてない。彼はとても立派な人だから」
弘春のオーダーが出て来たので、手渡す。
「ありがとうございました」
(さっさと帰れ)
弘春の背中を見送って大きく息をつく。
頭に血が昇っていて、少しくらくらする。
今からでも遅くないかな。
昴君を盗み見る。
胸がぎゅっと締め付けられる。
いや、遅くても頑張るしかない。
***
この瞬間を狙っていた。
仕事終わりに、昴君を待っている。
「一緒に買い物して帰ろう」
決めてる言葉を練習しておく。
目が合うと、言葉を失いかねないから。
昴君より先に、山室君が出てきた。
「お疲れ様」
山室君の後ろに目をやる。
(まだかな……)
「あのさ、瑠璃、今日、メシ食ってかない?」
「ごめん、今日はちょっと……」
早く昴君との関係を修復したいから、今夜はどうしても帰りたい。
「なんでもお願い聞く、約束は?」
「あ……でも……」
昴君が出てきた。
「さ、行こう。瑠璃」
山室君に鞄を引っ張られてしまった。
「お、お先に……」
無表情の昴君からは、返事がなかった。
「ねえ、山室君、引っ張らなくていいから」
鞄を放してもらって、並んで歩く。
「どこ行く?食いたいもんある?」
「どこでもいいよ」
絶望的な気持ちになる。
山室君に話を聞いてもらってもいいかもしれない。
「じゃあ、中華だな」
前にも来たことがある、地元の中華料理屋に入った。
「今日、元彼、また来てたな。なに話してたの?」
「昴君のこと。恋人だから、近付かないでって言った」
「おお。言えたんだ。で?昴は?そのこと知ってんの?」
「ううん。知らない」
「あのさ、友達として言わせてもらうな?悪く思わないで欲しいんだけど……瑠璃、やっぱさ、昴は難しいんじゃないか?」
「え?」
「息子でもおかしくない程の歳の差って、長いことやっていけんのか?ご両親とか家族の事を考えたらさ、相応の相手っておのずと決まってくるもんなんじゃない?」
耳がじんじんしてくる。
「今なら、昴も瑠璃も時間的なロスは最小限だし、考え直すなら今が潮時なんじゃないか?」
山室君にも私たちは似合わないカップルだと思われてたんだ。
「でも……私……もう、すごく好きになっちゃってて……」
「恋愛ってさ、最初は誰でもそうじゃない?盛り上がって、他に目が行かなくなって、上がりっぱなしの体温がこのまま一生続くって思うんだよな。だけど、時間が経てば冷めてくる」
それは私にも経験がある。
「もう俺たち気持ちが乱高下する恋愛を楽しめる歳じゃないだろ?落ち着いて、毎日、一定のぬるま湯的なっていうの?そういう、ほっとする相手を選んだ方がいいと思わないか?例えば……俺……みたいな……」
ビックリして息が止まった。
「瑠璃さ、俺とのこと考えてみてくれないか?もう離婚したし、正式にフリーの男としてさ、瑠璃に交際を申し込みたいんだけど」
「ごめん」
「即レスすんなよ」
「ごめん。ホント、ごめん」
昴君しか考えられないから。
「ま、分かってたけどな」
山室君は無理に笑顔を作った。
「先、帰っていいよ。俺、もう少し食ってくから」
ずっと気に掛けてくれて、味方でいてくれて、安心できる相談相手だった。
「ごめんね」
「謝んなって。惨めになるわ」
「ありがとう。お先に」
昴君の顔がどうしても見たくなって、山室君を置いて店を出た。
***
「ただいま」
明かりをつけて部屋に入る。
「昴君?」
玄関に靴は無かった。
今日も話せないのかと思うと、お腹の中から熱い塊が込み上げてきて、私は声をあげて泣いた。
ごめんなさい、ごめんなさい。
なんてことをしてしまったんだろう。
いつも私に本音をぶつけてくれた、あの素直で純粋な青年を、私は自分の都合で傷つけてしまった。
取り返しのつかない事をしてしまった。
昴君のベッドに潜り込む。
温かい彼の匂いに包まれる。
(お願い、帰ってきて)
願う事しか出来なかった。
うつらうつらと寝たり起きたりを繰り返して、そのまま朝を迎えてしまうまで、私は涙を流し続けた。
朝日を浴びながら、昴君の本棚を眺める。
分厚い参考書のような書籍が並んでいる。
「難しい専門書ばっかり……」
出会った時からそうだった。
彼はこだわりが強く、探求心を持って真実と向き合う。
そこには他人の目を介在させない、彼らしい強さがあった。
それは彼にはあって、私には無い、見習うべきところだったのに。
こんなに近くにお手本となる人が居ながら、私は自分の悪いところ全開で、あるべき姿の真逆を行ってしまった。
どうしたら許してもらえるだろうか。
やり直そうと言って聞き入れてもらえるだろうか。
次に否定されたら、私は生きて行けるだろうか。
震える心を守るように自分を抱きしめる。
また昴君に愛してもらえるよう、勇気を出さなくちゃ。




