24,後悔道中
朝、目覚めて手にしたスマホのスクリーンに弘春のメッセージが浮かんでいた。
もう連絡をする事はないかも知れないと思いつつ、知り合って24年も経っていれば、いきなり『赤の他人』に戻れるわけもなく……
(なんだろう?)
動揺する事もなくタップして既読を付ける。
『もう彼氏ができたって嘘だろ?』
お母さんったら……なんでこんなにおしゃべりなの……
『関係ないでしょ』
そう送って、リビングへ向かった。
たまには私が朝食を作ってあげたい。
正直、料理の腕は昴君の足元にも及ばないけど、だからって何もしないのはよくないもんね。せめて、頑張る姿勢だけでもきちんと見せたい。
「おはよ」
もういたんだ。
「おはよ。今日は私がやるよ。パンとご飯、どっちがいい?」
無言で近付き、私に絡みつく昴君。
「どっちも要らない」
手を振りほどきながら、とりあえずお鍋の水をコンロにかけた。
すかさず消される。
「待ってよ……まさか、今から?」
「ちょっとこっち来て」
昴君の部屋に連れ込まれそうになって、足を踏ん張って抵抗する。
「瑠璃の部屋がいいってこと?」
「そうじゃない!」
「え?リビング?まさか、ここでする?」
キッチンで押し倒される。
「ちょちょちょ、ちょっと待って」
「なんで?」
「なんでじゃなくて、やめて」
「やだ」
さすがに困るって!
「瑠璃が悪い」
尻もちをついたまま後ずさり。
ゴンッ
キッチンカウンターに頭をぶつける。
やばい……もう、後がない……
「こんな風にはよくないんじゃない?お互いの気持ち大事にしようよ」
戸惑いながら、『分かって欲しい』という目で懇願する。
「ショックなんだけど」
いやいや。
その顔にショックを通り過ぎて……どうにかなりそうなのは私の方だから……
「俺のこと好きじゃないの?俺は瑠璃ともっとしたいんだけど」
両腕を突っ張って、昴君との距離を保ちつつ、目を見て話す。
「気持ちは嬉しいよ。でもね?こんな風に勢いで相手を押し倒しても気まずくなるだけだって思わない?これからの為にも……」
昴君との将来が上手く思い描けてない私が言う台詞じゃない。
だけど若さの勢いに押されて、我を忘れるような歳でもない。
「じゃあ、今夜ならいい?約束してくれる?」
「うん。そうだね」
一旦この場を収めて、考える時間を確保したかった。
***
なんだかもう職場が一番安心する。
「店長、お客さんっす」
奥の事務所で発注処理をしていた私に、京介君が声を掛けた。
「お客さん?」
「知り合いだから呼んでくれって、カウンターに人が来てるっすよ」
パソコンの保存ボタンをクリックして店内に向かった。
テーブル席でパソコンをいじるお客さん、レジで注文を取っている昴君、温まったお食事を提供するスタッフたち……
ほんの一瞬だった。
長年見慣れた人が、いるはずのない場所にいる違和感……
「弘春?」
「よお」
「どうして?」
「お前が返事よこさないから」
意味が分からない。
「関係ないって送ったよね?」
「その後、見てないの?」
「見てないよ。仕事中だもん」
一体、どうなってんの?
「俺、やり直そうって送ったんだけど」
「はい?」
私の不自然な接客応対をスタッフが見ているのが分かる。
「今のやつってどいつ?」
弘春がきょろきょろしている。
「いいから、ちょっとこっち来て」
店内の視線が気になって、特に、昴君の方が見られなくて、私は弘春を店の外に連れ出した。
「やり直したいって言われて、私が『はいそうですか』って戻るとでも思ったの?彼女はどうしたのよ。結婚するんじゃなかったの?」
「やっぱり瑠璃じゃないと駄目だなって、お前と別れてから思ったんだよ。もう俺たち夫婦みたいなもんだったし、瑠璃のお母さんにも言われたけどさ、一緒になった方がよかったよな」
「ごめんなさい。お断りします。私は弘春とやり直す気はさらさら無い」
「ここにいるんだろ?新しい彼氏は職場の人って聞いたんだけど?」
「私の話聞いてる?もう帰ってよ」
弘春の背中を押す。
「あ、あいつか」
弘春の視線の先には、レジに立つ昴君ではなく、その隣で珈琲を淹れている山室君の姿があった。
「俺たちの歴史には敵わないよな?瑠璃、もう一度考えといて。あの家、まだ解約してないから」
私に腕をバシバシと叩かれて、弘春は「じゃ」と言い残し、ようやく去った。
***
「なんだったのアレ?」
一緒に休憩を取っている山室君に、半笑いでからかわれる。
「元彼……」
「へえ。あれが噂のね。何しに来たの?復縁でも迫ってきたとか?」
「……」
「え?マジで?」
山室君は持っていたサンドイッチの具をお皿に落っことした。
「別れたことが母に知られてね、母が連絡したらしいの。そんで、私に新しい相手がいるって聞いて見に来たみたい」
「ふーん。驚かれただろ。まさかの昴だもんな」
「それがね。山室君と勘違いしていったっぽい。ごめんね。迷惑はかけないから」
お皿に落ちたエビを食べようとした山室君は、今度はそれを床に落っことした。
「訂正しなかったのかよ?」
「怖くてできなかった。明日、両親が来ることになってて、彼氏に会わせろって言ってきてるんだけど、昴君には会わせないつもり。弘春から余計な情報を母に告げ口されたくないし」
「明日どうすんの?」
「まだ決めてない。このままバックレちゃおうかな。電話に出なきゃ話さなくて済むし。引っ越し先言ってないし」
「職場はバレてんだろ?」
「そうだった……」
にやっと笑って、舌を出した。
どうせ、私にバックレるなんて大層な事はできっこない。
「俺が行ってやろうか?」
大真面目な顔で、背筋を正した山室君が言った。
「いいの?」
私も思わず姿勢がよくなる。
「ご両親に会って、彼氏のふりをすればいいんだろ?バツイチだけど、俺でもよければその役引き受けるけど」
嘘をつくことはよくない。
だけど……時には必要な嘘もあるよね。
「お言葉に甘えて、お願いしてもいいかな?お礼はなんでもするから」
「なんでも……ね。忘れんなよ」
***
昴君とキッチンに立って、トンカツを揚げている。
私はスライサーでキャベツの千切り担当。
「今日、来てたのって元彼?」
「鋭いね。そう」
「なに話してたの?」
「別に。引っ越しの事とか」
「嘘だ。イチャイチャしてた」
「してないし」
可笑しい。
あの状況をイチャイチャとは絶対に言わないよ。
「瑠璃、今朝の約束覚えてる?」
「約束?」
もちろん覚えてる。
私が今、少し浮足立ってるのも、そのせい。
「はぐらかすなよ」
「ごめん。覚えてるよ」
揚げ物の匂いと音で、リビングが満たされている。
こうして昴君と並んで料理するのは、かけがえのない幸せな時間になっている。
誰の目も気にする必要のない、この2人だけの空間は、私の宝物に間違いない。
失いたくないし、手放したくない。
手にするのをあんなに恐れていたのに、手に入れてしまったら、失う怖さとは比にならなくなっていた。
「昴君……私と結婚……」
言いかけて、言葉を飲み込む。
こっちを黙って見つめる昴君。
その瞳から、『期待』の輝きを見て取って、勇気をふり絞る。
「結婚してくれる?」
私の言葉は空気に溶けて無くなったみたいに、昴君は前を向き、料理を続けた。
恥ずかしくて居られない。
こんなに傷つくなら、言わなきゃよかった。
後悔が体中に駆け巡って、痺れて動けなかった。
揚がったトンカツをキッチンペーパーに取り上げて菜箸を置き、コンロのスイッチを切った昴君は私の手を引っ張って、ソファに連れて行った。
「はい。もう一度」
「え?」
「さっき、手が放せなかったから。もう一度」
まさか、もう一度言わされるなんて。
怖いけど、さっきほどじゃない。
だって昴君がキラキラと輝く瞳で見つめてくれているから。
「私と結婚してください」




