20,夢の中
『結婚』という二文字が大嫌いだった。
得体の知れない、『常識』という皮を被ったお化けのように思っていた。
「いい歳なんだから」とか、「長年付き合ってるんでしょ?」とか、理由になってるのかどうか分からない理由を付けて迫ってくる波……そんなの怖いに決まってる。
すぐに答えなきゃと思うけど、言葉が……
「ごめん。焦った」
昴君が目を伏せて、手を放そうとした。
ぐっと握る。
「ごめん。私も焦ってる」
気持ちを少しだけでも言葉に……
「気持ちは嬉しい。けど、ちょっとだけ考えさせて?」
「分かった。でも、付き合ってるってことでいい?」
昴君は、『そこ』こだわるよね。
「うん。私は昴君の彼女です」
「ならいい」
昴君にとって、これが初めての恋愛なのだろう。
若いし、気分が盛り上がって、つい気が大きくなってしまっているのかも知れない。
結婚はタイミングが大事とは聞いたことがあるけど、こんな『ノリ』ではないはずだ。
昴君の恋愛感情に便乗したい気持ちに蓋をしつつ、彼にとっての最適解を選ばなくては……
強く握ってしまった手を少し緩める。
「すぐに答えられなくてごめんね。でも、大事なことだから」
「分かってる」
***
家に着いても彼は大人だった。
「お風呂沸かした。先に入る?」
「ううん、後でいい」
社長宅でシャンパンを少し頂いたのが、呼び水になってしまったかも。
……もう少し飲みたい気分。
昨日の残りの赤ワインをグラスに注ぐ。
昴君は私との歳の差を知っていた。社長は昴君の決断を全面的に応援している。山室君にも京介君からも非難は浴びていない。
私を否定する声はどこからも浴びていないのに、私は私を肯定できない。
(やっぱり無理だよ……)
昴君の母親より年上の私。
本当に息子みたいな歳の差に、私は耐えられる気がしない。
昴君を心から素敵な男性だと思うと同時に、私にはそんなことを思う資格は無いのだと、男性と見ていい相手じゃないのだと痛感している。
「お先でした」
昴君が上がってきた。
「どうしたの?」
Tシャツにハーフパンツという格好で、首にバスタオルを巻いて、私の隣に座る。
お風呂上がりの匂いだけで、この子の若さを感じてしまい、悲鳴をあげたくなる。
「瑠璃?」
ずいっと顔を寄せられ、慌てて立ち上がる。
(あっぶな……唇があたるかと思った……)
「私もシャワー浴びて寝るね。お休み。また明日ね」
「ちょ……」
昴君の声は聞こえなかったことにした。
***
日々、目覚める度に、幸せと不幸せが比例して伸びていく感じ。
いつまで続くんだろう。
ちょっとした拷問のような時間。
「おはよう」
キッチンから香ばしい香りが漂っている。
「珈琲淹れてるの?」
珍しい。いつもお店で淹れるのに。
「今日は、ここで朝ご飯」
そう言って昴君はクロワッサンをオーブントースターに入れた。
スクランブルエッグとサラダがプレートに乗っている。
昴君が近付いてきて、私に両手を巻きつける。
「何考えてるの?」
「そんなの……」
いろいろだよ。
全部、あなたのことだけど。
「いいから座って」
淹れたての珈琲と焼きたてのクロワッサン。
今なら、なんでもしゃべってしまいそう。
「なんか悩んでる?」
昴君の声が遠くに聞こえる。
それくらい、この珈琲が美味しくて、思考が止まってた。
「んー」
ぼんやりした頭で必死で考える。
「私、おばさんだよなって」
「はあ?マジで言ってんの?」
思わず口から出た本音に、昴君の突っ込みで我に返る。
「あ、いや……」
恥ずかし過ぎる。
「そんなこと気にしてたの?」
「そんなことじゃないよ。私、昴君のお母さんより年上だったんだよ?ショックだったんだよ。非常識なことしてるって、再確認させられたって言うか……」
「関係ない。俺は、瑠璃しか無理だから」
そう断言してくれることが、どれだけ嬉しくて苦しいか、君には分からないだろうな。
たっぷりの日差しがリビングに差し込む。
だからそこに影が映る。色濃く。
「和食がよかった?」
「まさか。最高だよ。ありがとうね」
差し出してくれている愛に応えないなんて、愚か者のすることだ。
思考回路を断ち切ろう。
頭で考えちゃ駄目だ。
「じゃ、早く食べて行こうよ」
「うん」
前を見ると、パンくずを顔中に付けている昴君の顔があった。
お皿の周りに飛び散って、テーブルにも……
「ふふ。どうしてそんなに散らかるの?」
「これを綺麗に食べるなんて不可能」
そう言って、顔を汚したまま平然と食べ進めている。
「だからって、ちょっとは気を遣った方がいいんじゃない?」
ティッシュの箱を渡したけど、押し返された。
「食い終わったら顔洗うからいい」
その食べっぷりが可愛くて、夢中で食べてる様子が可愛すぎて……もうっ……
「昴君は飾らないんだね」
「は?これでも思いっきり頑張ってるっつーの」
「そうなの?」
「瑠璃に好かれたくて必死だよ」
「……もう……充分……好きだよ……」
恥ずかしがってる場合じゃない。
なりふり構って、お高く止まって、そんな余裕こいてる場合じゃない。
決死の覚悟で絞りだした告白に、昴君はあんぐりと口を開けて笑っていた。
***
「……ちょう、……店長!」
「あ。ごめん。ぼうっとしてた」
「なんっすか、2人して。忙しいんっすから、しっかりして欲しーっす」
「ごめんね。京介君。で?なんだっけ?」
「だーかーらぁ!本社から電話っす!」
(ひぇー!)
慌てて奥の事務所で受話器を取る。
「お電話代わりました。渡邊です」
「忙しいところ申し訳ないね。昴のじじいだが……」
「へ?社長?」
「いや。私用で会社の電話を使ってすまないね。昴がちっとも返信をくれないので……瑠璃さん、今度、私とも連絡先を交換してくれないかな?」
「は、はい」
「それでね、ちょっと瑠璃さんにお願いと言うか……昴を説得してもらいたいことがあってね……」
「なんでしょう?」
お役に立てることがあれば、なんでもしたい。
「母親の結婚式に出席するように言ってもらえないだろうか」
「え?」
「あなたに頼むのは筋違いだと分かっているんだが。昴がどうしても言う事を聞いてくれずに参っている。一人で来たくないなら、瑠璃さんも一緒に来てもらって構わないんだが……」
「あの。それは、ちょっと」
「まあ、遅かれ早かれ家族になるのだから、構わんよな?それまで、娘が今度の旦那と一緒にいるかどうかの方がよっぽど怪しい。あはは」
笑い事じゃないと思いますが……
「昴君にお話してみます」
「手間をかけさせて申し訳ない。ありがとう。よろしく」
そう言って電話が切れた。
あれ?お母さんって2度離婚されているって聞いたような……3度目ってことなの?
店内に戻り昴君を探す。
レジが空いてきていて、テーブル席を片付けていた。
「昴君」
今、切り出していいのか迷ったけど、ずっと心に留めておくには重すぎるから……
「お母さまの結婚式参列しないの?」
「は?なんで知ってんの?」
「社長からお電話をいただいて」
「あのじじい……行かねえよ。どうせ、すぐ別れるんだし」
「どうしてそうなるの?」
「これまでずっとそうだったからだよ。今回だけ例外なんてことないだろ?」
たぶん、これまでたくさん傷ついてきたんだね。
「私も一緒に行ってもいいって社長が、もし昴君がよければ……」
「マジで?!」
「しっ!声が大きい」
昴君は握ってたダスターを口に当てた。
「汚いよ」
昴君の手を下げる。
「なら行く。瑠璃と行く。じじいに返事してくる!」
こんな形で昴君のお母さんに会うなんて複雑ではあるけど、真面目にお付き合いをさせてもらうんだから挨拶は避けては通れないもんね。
腹を括った。




