12,決戦はハイヒール
昴君は8時ちょうどにやって来た。
「これ持ってくやつ?」
返事を待たずに、キャリーケースに重たい鞄を器用に乗せて運んでくれる。
私も小さいバッグをいくつか同時に持って、ついてゆく。
「お休みの日にごめんね」
引っ越し業者でも配送会社でも、自分で手配できたのに、昴君の手伝ってくれるという言葉に甘えてしまった。
家具の移動がないと、引っ越しはこんなにも簡単なのかと拍子抜けする。
「忘れ物ない?」
「うん。たぶん大丈夫。ま、弘春の引っ越しの時に手伝いに来ることになるだろうし」
不用意に彼の名前を口走ったことを後悔しながら、シートベルトを締めた。
「この車、昴君のなの?」
「じじいがくれた」
「あはは。さすがだね。我が社の御曹司とは知らずに、偉そうなこと言ってごめんね。会社の人には昴君の素性は内緒なの?」
「言うわけないだろ」
「言ったらいいんじゃない?そしたら、もっとちゃんと話を聞いてもらえるかもよ?」
私は先日の豆の進言を無下に扱われたことが気に入らなかった。
せっかく昴君が異変に気が付いて、わざわざ本社に足を運んだのにあの始末だもの。
「知ってたら、違う態度取るのかよ」
「そういうこともあるんじゃない?」
「店長は、今と違う態度取るのかよ」
「さあ、どうだろ。私はもう知ってしまったからね。昴君が私の態度が変わったかどうか考えてみてよ」
そう言ったけど、返事は聞かせてもらえなかった。
***
あっという間に新居に荷物を運び終わった。
まだ10時にもなってない。
「お礼にどこかに食事でもって思ったんだけど……ちょっと、お昼には早いよね」
「いい。俺、次あるから」
「あ。そうだったの?忙しいところ、ごめんね」
昴君はさっさと靴を履いて行ってしまった。
残念だけど、お礼は今度、改めてってことで。
リビングが大きめの2LDKだ。
リビングダイニングを中心に、両端に個室がある。
右の部屋は大きいウォークインクローゼットが備え付けられていて、ベッドがある。
一方、左は部屋自体は大きいが、収納が無く、家具は何もない。
右の部屋を使わせてもらうことにして、荷物を運び込む。
とりあえずスマホのスピーカーで音楽を流しつつ、靴と鞄を玄関のクローゼットへ。
半分どころか、四分の一も埋まらなかった。
洋服はすぐに着るものをハンガーにかけて、季節外れのものは鞄に入れたまましまった。
食器と調理器具をキッチンに収納したところで、チャイムが鳴った。
「NHKかな?」
インターホンを見たけど、誰もいなかった。
12時か……お昼でも食べに行こうかな……
ガチャ
玄関が開いて、昴君が入ってくる。
「え?忘れ物?」
一瞬目が合って、無視される。
「こんにちは!」
「よろしくお願いします!」
昴君の後ろから、引っ越し業者の人たちが元気に挨拶をしながら入って来た。
「どういうこと?」
昴君を捕まえて問い詰める。
「俺も住む」
「はあ?!なに言ってんの?嘘でしょ?」
「嘘じゃない」
私たちの不自然なやり取りに、引っ越し業者が立ち止まっている。
「あ、持ってきたのここ入れてください」
私と反対側の部屋を指さす。
「ちょっと!聞いてないんですけど!」
「言ってない」
「あのねぇ!こんなの困るよ。昴君と同棲するなんて、他の人にどう思われるか……」
肩を押されて、私の部屋に押し込められる。
「作業の邪魔になるから」
頭に血が昇っていくのが分かる。
(落ち着け。冷静に)
時間をかけて自分を取り戻してるうちに、嵐のように引っ越し業者は過ぎ去った。
「瑠璃さん」
優しい声で昴君が言った。
「店じゃないから、店長って呼ばない」
くらくらする。
「昼飯行こ。蕎麦がいい」
***
私は昨日のハイヒールを履いて出た。
歳の差を実感させなければと思った。
「あのね、昴君、私はお友達じゃないのよ。職場の上司なの。昴君が親切でやってくれているのは知ってるけど、やっぱりちょっと距離感がおかしいと思うの」
「どうして?」
……言葉に詰まる。
(どうして?)
その質問が『どうして?』なのよ、私には。
迷わず歩く昴君に付いて行くと、蕎麦屋の行列に並んでいた。
「すごい人気だね」
あまりにも普通な昴君に腹を立てるのを忘れてしまいそうだった。
「天ザルが最高」
「へえ。美味しそう。私も冷たいお蕎麦をいただこうかな。ねえ、いつから一緒に住むことにしてたの?」
「最初っから」
「社長にもそう伝えてあったの?私と住むって、社長に言ったの?」
「うん」
「分かってて、社長はお部屋を貸してくださったの?昴君は社長と住んでたんでしょ?」
「うん」
『当然』のように首を縦に振る、20歳も年下の男の子の扱い方が分からない。
「付き合っても無いのに女性と一緒に住むなんて、良くないんじゃない?」
「付き合えばいいじゃん」
正気を失いそうだ。
ぐっと足先に力を込める。
「私はあなたと親子ほども年が離れてるんだよ?」
「だから?」
「はたから見たら、私たちはカップルになり得ないの」
「関係ない」
「関係なくない。私には関係あるの。私はそういう『世間体』っていうのを気にするの。それに……昴君は恋愛対象にならないわ」
言いながら、どうしてこんなに苦しいのか自分でも分からなかった。
***
お通夜のようにお蕎麦を食べて、しんみりと帰ってきた。
私の気持ちが沈んでいる理由は分かってる。
言って、気付いてしまった。
昴君はもう私の恋愛対象になってしまっている。
昴君が好きだ。
だから、こんな気持ちになっている。
でも、それを認めるわけにはいかない。
昴君は『女アレルギー』を発症させない私に好感を持ってくれている。
おそらく、彼の人生で、私のような女性に会ったことが無いのだろう。
ひょっとすると『運命』のように感じているのかも知れないけど……
次の住まいを探しつつ、昴君が勘違いに気付くよう働きかけていくしかなさそうだ。
「珈琲いる?」
「うん。いただこうかな」
ポーカーフェイスの昴君だけど、さすがにしょげてるのが分かる。
「さっきは、きつい言い方してごめんね。昴君には感謝してるの。会社への貢献度は高いし、あなたの努力が職場の雰囲気を良くしてくれてるし、個人的にも……」
「個人的にも?」
「嬉しくないわけじゃないの。むしろ、光栄って言うか。こんなに若い男の子から好意を持ってもらえて、一緒に住もうなんて提案をもらって……」
「嬉しい?」
「そう。嬉しいよ。だけど、私は昴君の運命の相手じゃない。あなたには引き続き、相応しい相手を探し続けて欲しいな」
昴君がマグカップを持って、ソファの隣に座った。
太ももの外側や、二の腕がぴったりとくっ付く距離。
(……近いから!)
思ってはいるけど、動けないまま、カップを受け取った。
「初キス」
「へ?」
「瑠璃さんとだった」
あの朝、店内での出来事がフラッシュバックする。
「あれは……ほら、実験的な、アレルギー反応を確かめたい的な感じだったでしょ?感情がこもってないキスはノーカウントでいいんじゃない?」
「違うし」
そう言って昴君は自室に入ってしまった。
20代の男子だものね、多感な時期だと思う。
気持ちは嬉しいけど、私はそれを受け取ってはならない。
一時の感情で彼を後悔させないためにも、気を引き締めなくてはと思った。




