13,もう料理なんてしないなんて言わないよ絶対
家にいても気まずいだけだし、この辺の散策も兼ねて買い物に出掛けた。
さっきの蕎麦屋を通り抜けると商店街があって、更に行くと大型スーパーがあるようだった。
エコバッグを片手にたらたらと歩く。
夕飯はなにがいいだろうか……昴君は料理ができる……見栄を張らず私らしく……幻滅されたらそれはそれでいいのだから……
「そうだドライカレーにしよう」
ひき肉と夏野菜、赤いカレー缶を買った。
「ふん♪ふん♪ふん♪」
私でも失敗しない料理だから、安心して調理ができる。
玄関を開けたら、昴君が飛んできた。
「どうしたの?」
「別に」
「変なの。夕飯買ってきたよ。カレー作るね」
手を洗って、エプロンを探しに部屋に戻った。
玉葱とニンジン、ズッキーニを刻んで……工程を思い浮かべながら、キッチンに戻ると、昴君が既に立っていた。
「いいよ。私やるから」
今日は私のと自分のと、引っ越しを二人分こなしたんだもんね。疲れてるでしょ。
「キーマカレー?」
「あ。うん」
って言ったけど、キーマカレーとドライカレーって違うんだっけ?
「スパイス持ってる」
カレー缶を買ってきたから大丈夫だよって、言おうと思って、はっと息を飲む。
とんでもない数の小瓶が箱にびっちりと並んでいる。
「カレー好きだから」
ちょっと待って!インド人じゃないんだから、こんなの持ってないでしょ、普通……
逆立ちしたって太刀打ちできないってこういうことを言うんだろうな。
「じゃ、味付けはお願いできる?私、野菜刻むから」
抵抗しても無駄だから、さっさと降参して、昴君にお願いしちゃった。
「瑠璃さん」
「なあに?」
「出て行かないで」
「へ?」
玉葱の皮を剝く手が止まる。
「勝手に出て行かないで」
顔を覗き込まれて、目を合わせられると、動けなくなった。
「約束して」
黙って頷く。
こんな風に真っ直ぐ思いをぶつけられたことが無かったんだと思う。
弘春とはどうやってコミュニケーションを取っていたのか思い出せない。
「トマト買った?」
「あ、ごめん。買ってないや」
缶詰はこの前、使い切っちゃったし……
「私、買ってくるよ」
「一緒に行く」
『どうしようもなく嬉しい』のと、『どうにかして距離を取らないと』の狭間で押しつぶされそうだ。
いち早く玄関で靴を履いた昴君に「行こ」と声をかけられ、エプロンを外して追いかけた。
***
「へえ。お店みたいな香りがするね」
昴君は、たぶんインド人もびっくりのスパイス使いの名人だと思う。
「こんなの使わないか……」
赤い缶を見て苦笑いしてると、「使うよ」と平然と言ってたけど……嘘だね。
昴君はカレー缶を開けて、匂いを嗅いで、少し舐めて、何か考えていた。
きっと再現できちゃうんだろうな。
なんて恐ろしい子なんだ。
「昴君、家でも料理してたの?」
「たまに。カレーは週一」
「あのね……週一でカレーは『たまに』とは言わないの」
「ふーん」
「昴君、ちょいちょいズレてるよね」
「そう?」
「そうだよ。普通じゃない」
「……それはそうかも」
初めて同意してくれた私の意見は『あなたは普通じゃない』だなんて、私も一体どこまでこの子を傷付ければ気が済むんだと、自分で自分を殴ってやりたい気分になった。
「ごめん。ちょっと言い過ぎた。変わってるところはあるけど、昴君は普通の男の子だよね」
「女アレルギーなんて普通じゃない」
「それは……アレルギーは人それぞれだし、ね?きっと良くなるよ。大きくなると自然と治る人いるって聞いたことあるし」
「別にいいよ。治んなくても」
「諦めるのはまだ早いって。ほら、私を皮切りにさ、改善されていくかもしれないし、ね?」
「いいって。瑠璃さんいれば、それでいい」
ドツボ。
「昴君、あのね……」
「聞きたくない」
「え」
「どうせ、文句しか言わないんだろ?聞きたくない」
そう言われてしまうと……
「ごめんね。そうだよね。カレーできた?」
「もうすぐ」
「あのさ……今更で恥ずかしいんだけど、キーマカレーってなに?ドライカレーとは違うの?」
それから私はみっちりと昴君の講義を受けて、ほんの少しカレーの知識を深めることができた。
話しながら昴君は珈琲も淹れてくれた。
「カレーに合う珈琲」
「そんなのできるの?!」
ついはしゃいでしまった。
「スパイスに負けない強い香りと、甘さが特徴」
「ほほーん!めっちゃ楽しみ!ありがとう、昴君。ホント楽しみ!」
テンション上がりっぱなしのまま食卓に着く。
「「いただきます」」
昴君が持って来た、カレー皿とスプーンで一口。
昴君が見ている。
き、緊張する。
「うんまっ!」
「だろ?」
子どものように笑う、目の前の男の子にどんどん心を持って行かれる。
せっかくなので、珈琲もいただく。
「え?なんで、なんで?」
混乱がそのまま言葉になって出てきた。
「だろ?」
「凄いよ!昴君!ほんと、君、天才だよ!」
「言い過ぎ」
ゲラゲラと大きな声で笑っている。
こんな姿、初めて見た。
どうしよう。
好き。
***
もうずっと。
ヒリヒリと胸の奥が痛い。
眠れなくて、何度も寝返りを打つ。
同棲の初夜、リビングの向こう側で昴君が寝ている。
普段はベッドでは絶対にしないようにしているスマホを見てしまう。
明日も休みだから、つい気が緩んだ。
音を切って、充電器に差したまま放っておけばよかった。
手の平に納まっている画面に、弘春からの着信。
出ようかどうか、赤と緑のボタンを眺めている。
さっさと切れればいいのに、しつこく鳴り続けている。
「もしもし」
逃げていても仕方がない。
『遅くにごめん。寝てた?』
「まだ。なにか用?」
『メール見て、驚いて。もう引っ越したのか?』
「うん。知り合いが物件紹介してくれて、今はそこにいる」
『そっか。よかったな。俺さ、鍵を置いて来ちゃったから、申し訳ないんだけど、明日、鍵受け取れないかな?できれば、引っ越しの話もしたいんだけど』
「そうだね。明日、何時?」
驚くほど冷静だった。
長年一緒にいて、周りからは『事実婚』なんて言われ方もしてた仲なのに、別れはあっけなく、私はもう他の男の人のことを考えているなんて。自分でもちょっと呆れる。
『そっちに合わせる。でも、可能なら、午後一でどう?』
「構わないよ。家で待ってるから、1時以降に来るようにして」
『ありがとう』
電話を切って、今度こそ見ないと誓って画面を伏せた。
音を立てないようにキッチンに行く。
お水を一杯欲しかった。
「眠れないの?」
「あ、ごめん。起こしちゃった?」
「いや」
コップを持って、自室に向かう。
「俺、眠れなくて」
「ふふ。天井変わると眠れない?」
「そんな感じ」
昴君らしいなって思った。すごく繊細だよね。
「おしゃべりしない?」
私も弘春のことは考えたくない。
「うん。瑠璃さん、お酒飲める?」
「ちょっとならね」
なにを作ってくれるんだろう。
ドキドキしながら待ってしまった。
「甘さ控えめ、アルコール高め」
そう言って、珈琲カップを置いてくれた。
「アイリッシュコーヒー?」
「そ。好き?」
「大好き」
「熱いから気を付けて」
そっと鼻を近付ける。
危うい香り。
ゆっくりと口をつける。
あー……完全にノックアウトだな。
気持ちがとろけて、魂がどっかに抜け出てしまいそう。
「どう?」
「すごく美味しい」
嬉しそうに笑ってる。
ずっとそうしてて欲しい。
でも、私はこれを壊してしまう。
「明日、弘春に会うね」
「なんで?」
「鍵を渡しにあっちに行くから」
「俺も行く」
「だめ。来ないで」
「帰って来る?」
「もちろん」
「なるはやでお願いします」
「ははは。善処します」




