11,決戦はハイヒール
「今から行ってみる?」
「へ?どこに?」
「部屋だけど」
「ああ……」
まだ定時には早いけど、今日は通常業務の範囲を越えて働いてもらった。
「そうだね。今日はもう終わりにしようか。私も疲れちゃったし」
山室君に直帰する旨を伝えて、いつもと違う電車に乗った。
「……え。いいところじゃない?……すごく広くない?……あのさ……昴君、本当にここなの?」
昴君に案内されて、鍵を開けて入った部屋は、立派過ぎるほどに立派だった。
「ちょっと引くよ。こんなの借りられないって……」
「じじいが空き屋で困ってたけど」
「それは通常の家賃設定だと、ってことだよね?私に10万なんて破格の値段言っちゃって、きっと後悔しておられるよ。お断りしてきます」
「はあ?俺を通せっつったろ?」
「そうだけど……」
昴君は珈琲のセンスが神がかっているだけでなく、お家柄も相当なんだった。
一般庶民の感覚が分からないんだろうな。
「いつ来る?」
「いや……待って……」
「待ってどうなる?」
「他探すことにする。申し訳ないんだけど、社長にはお断りしていただける?私、やっぱりここをお借りすることは出来ないよ。いろいろ心配してくれてありがとうね」
「無責任」
「へ?」
「一旦受けて、勝手に蹴った」
「そんな言い方しないでよ。知らなかったんだもの、こんなに凄い物件だったなんて」
「じゃ、店長、自分で返して来て」
鍵を渡される。
「……」
はて。俺を通せと言ったり、自分で返せと言ったり、昴君だって……
「無責任」
「なんでそうなるんだよ」
いけない。傷つけちゃったかも。
悲し気な昴君の表情に胸が痛む。
「一旦来ればいいだろ?次探すなら、それからにすれば?」
平行線をたどった私と昴君の主張は、私が折れることで片が付いた。
改めて部屋を案内してもらう。
家電は完璧に揃っていて、冷蔵庫、洗濯機、お掃除ロボットまである。
据付のウォークインクローゼットに、セミダブルかな、大きなベッド。
テレビ、ソファはもちろん、リクライニングチェアまで……
「あの、やっぱり……」
断ろうとするたびに、ものすごい睨んでくるから、もう言えない。
「引っ越し手伝う」
「大丈夫だよ。洋服まとめて来るだけだから」
「キッチン」
「あ、そうか。調理道具は必須だね。あと、洗面所のものもか……」
昴君に指摘してもらわなければ、忘れてたかも。
「車出す」
「いいってば。それくらい自分でできるから」
ムッとした顔が可愛くって、心配してくれるのが嬉しくって、つい笑ってしまった。
「なんで笑うんだよ」
「なんでだろうね」
「週末行く」
この子の強引なところは、どうしようもないんだな。
「じゃ、お願いします」
***
自室でスーツケースに洋服を詰めていく。
「あ、そうだ」
弘春にメールを送る。
『今週末出て行きます。残っているものは、そちらで処分してください』
こんな感じかな。
シューズクローゼットを開けて、この際だから、あまり履かない靴は処分してしまおうと思う。
友達の結婚式の参列用に買ったピンヒールのパンプス。
履いてないといえば履いてないけど、捨てちゃうのもな……また、買う羽目になりそうだし……迷いながら足を入れる。
ちょうどお腹も空いてきたし、このまま買い物にでも行くか。
お買い物バッグを取って、家を出た。
この女心はいくつになっても変わらないってことか……
すっと背筋が伸びて、しゃなりしゃなりと女を振りまきながら歩きたくなる。
華奢な靴が、私の女っぷりを一段上げてくれている気がした。
いつものスーパーで、
いつもの食材を、
いつものように。
でも、違う。
今の私はちょっといい女風。
(なーんて)
調子に乗ってるとこけそうだから、そろそろ……
「瑠璃」
「あ、山室君。お疲れ様。今帰り?」
「まあな」
上から下まで2往復見られた。
「昴はやめとけ」
「なんのこと?」
「完全に落ちちゃってんだろ。さっさと引き揚げろ」
そんなつもりは……ないと思うけど……
「今さら若作りしたって、所詮、43歳だろ。自分の歳考えろよ」
「まだ、誕生日きてないから……42歳だもん」
「そういうことを言ってんじゃないの。分かってんだろ?それとも彼氏にフラれてヤケになってんの?」
そんな意地悪な言い方しなくてもいいのに。
ふんっと振り返ってスタスタと歩き出した。
ちょっと昴君みたいなことしてるって思う。
「おい、瑠璃。ちょっと飲んでくか?」
「引っ越しの準備があるから、帰る」
追い付いて隣を歩く山室君なんて、見ない。
「どこに引っ越すの?」
「言いたくない。ごめんね」
山室君に知られたくない。
悪いことしてるわけじゃないのに、悪者みたいに言われたくない。
「待てって。怒んなよ」
怒ってる訳じゃなかった。
ただ、傷ついた。
分かってることを、敢えて指摘されて、ショックだったんだな。
「ふぅ」
さすがに泣いたりしない。
もうこんなことで涙する歳じゃない。
呆然とキッチンに立ち、お湯を沸かす。
冷蔵庫に残っている野菜をみじん切りにして、買ってきたひき肉と炒める。
保存してあったトマト缶を出して鍋に開け、いつのか分からないローリエを入れる。
冷蔵庫を空にするべく、ケチャップやソースもふんだんに入れる。
やることが無くなったから、弱火のまま放って、洗面台に移動した。
弘春のストックもいっぱい残っている棚から、自分の物だけ取り出して鞄に入れた。
どういうわけか頬を伝ってくる涙を拭きながら、タオル類も仕分けしていく。
「もうよく見えない……うぅ」
今になって、山室君に腹が立って来る。
「あんな言い方することないじゃん!」
大きな声で文句を言う。
それがいけなかったんだと思う。
もう、堰を切ったように涙も鼻水も嗚咽も止めどなく溢れだしてどうしようもなかった。
***
「おはよう、昴君」
「おはよ、てんちょ……泣いた?」
そんなダイレクトに言わなくても。
「いいえ」
「嘘つけ」
もう、笑うしかない。
「なにされた?」
「なにも」
「そんなに嫌なら、もう一週ずらす?」
一瞬、昴君がなにを言っているのか分からなくて固まった。
「あ、引っ越し?嫌じゃない、嫌じゃないよ。そういうんじゃないから」
「そっか」
困った顔をしながら、昴君が珈琲をカップに注いでくれた。
「ブレンドの豆、更にブレンドした」
「え?」
いつもと同じ香りだけど……
「あ」
「違うだろ?」
確かに。昨日、言われてみれば少し足りないかもって思ってた甘味が調整されている。
「昴君がやったの?」
「はい」
「なにしたの?」
「極秘です」
吹き出してしまった。
昨日の課長と同じ口調!
「ここでは今日からこれを出そう。本店には報告しません。あくまで『極秘』でお願いしますね」
「はい」
年齢差とか、育ちの違いとか、昴君自身にはそんなこと少しも感じないのに。
朝の癒しのひととき。
この時間が大好きになった。
シャッターを開ける音がして、山室君が来たことを知る。
「これ、あっちでいただくね」
そう言い残して、逃げるように更衣室へ向かう。
昨日の今日で、山室君と面と向かって話す勇気はない。
少なくとも『今』は。
それにしても類まれなる昴君の才能には驚かされる。
店内にある他の豆を足したのだろうけど……
「こうなる?」
謎だな。
昴君は謎がないようで、謎だらけだ。
私はきっとその『謎』に惹かれている。
気になって仕方がないんだと思う。
「よしっ!」
金曜日だ。頑張ろう。
明日は引っ越しだから、仕事じゃなくても昴君に会えるんだし。




