10,スコールは突然に
昨日のスコールから予期せず起こった、昴君の訪問と宿泊。
上司として間違ったことはしていないはずだ。
これと言って問題になるような事はなかった……はずだ。
昴君が着ていたスウェットを洗濯機に放り込む。
「楽しかったな」
困ったことに、私は昴君と同じ空間にいるのがとても心地よかった。
恋愛対象になり得ない歳の差が、ある種の安心感をもたらしているのかも知れない。
弘春には、なんかこう……もっと『異性』を意識していたように思う。
そう言えば、ここに越してきたきっかけもスコールだった。
私がキーホルダーをあげた30歳のクリスマス。
「え?プロポーズ」
急にそんなことを言われ、面食らった。
「なんで?違うけど……」
「なんだ。『一緒に住みましょう』的なことかと思ったわ」
照れ笑いをする弘春に聞いた。
「焦った?残念?」
「うーん……どちらかというと……残念」
付き合い始めて10年が経っていたから、結婚も視野に入れて同棲を検討し始めた。
ところが、それぞれの生活リズムに則った日常を送る中で、引っ越しを考えるのは面倒で、うやむやになりかけていた。
そんな時、昨日と同じような電車が止まるほどのスコールにあった。
「最悪だな」
ようやく休みを合わせて、私のバースデーパーティーを弘春が自宅で開いてくれていた。
「帰れないかも」
絶望的な気分だった。翌日の出勤に備えて、今日中に帰りたいと思っていたから。
「なんか、ごめん」
「謝らなくていいよ。雨は弘春のせいじゃないし」
その日は泊って、翌朝、帰宅途中に考えた。
なかなか合わない休日。
せっかく会っても、帰宅を気にしなければならないデート。
時間も精神的にもロスが多い気がして、本気で同棲を考え始めたんだった。
「結局、結婚はしなかったわけだけど……」
***
6時ちょうどに出勤した。
昴君は真剣な顔でローストした豆を齧っていた。
「へえ。そうやって味を覚えてるの?」
「はい」
一粒差し出してくれるけど……私はやらないんだけど……
受け取って齧ってみる。
粉々になったカスみたいなのを飲み込めない。
「出しなよ」
そう、昴君がペーパーを渡してくれた。
出していいんだ……ほっとして『ペッペ』とした。
「良くない」
「ん?」
良いも悪いも、私にはよく分からないんだけど。
「なにが?」
「ローストの具合が悪い」
袋を見てみると、本店から支給されてくるブレンドの豆だった。
「そうなの?本部に言った方がいいと思う?」
「店長、そんなことできんの?」
「やるよ。品質の悪いものをお客さんに出すなんて不誠実だもん」
「ふーん」
だけど、どこがどう悪いのか……ちゃんと伝えられる自信がない。
「あのさ、正確に報告をしたいから、一緒に来てくれない?」
「げっ」
「嫌かも知れないけど、昴君から説明してもらえないかな?私じゃ……情けないんだけど……どこが良くないか分からないから……」
『ふー』と鼻から大きく息を吐いて、昴君は「オッケー」と言ってくれた。
「君たちは朝から何の密談をしているんですか?」
山室君がからかってくる。
「おはよう。なんかね、豆の品質が良くないって昴君が言うんだけど、山室君、気付いた?」
「いや……いつの入荷分から?」
瞬時に真面目な顔になって、昴君の手元を覗き込んだ。
「昨日の入荷分、まだ店頭に出てない」
「そうか。焙煎の具合か?」
「たぶん」
山室君は豆をクンクン嗅いで「俺には分からん」と言った。
たぶん、それくらい機微なことなんだと思う。
だけど、気付いてしまった以上、無視するわけにもいかない。
「朝のラッシュは外せないから、午後、一緒に本部に来てくれる?」
「はい」
***
微妙にずっとパグってる昴君を連れて本社ビルに来た。
「そんな怖い顔しないで」
「客じゃねえし」
「分かるけど、喧嘩腰じゃ伝わる話も伝わらないから。お願いね」
会議室で20分も待たされて、ようやく品質管理課の課長とスタッフが2名で訪れた。
「わざわざお越しいただいて……確認しましたが、生産現場の方では何も変えていないと言ってまして、こう言ってはアレですが、気のせいなんじゃないかと……」
少し身を乗り出した昴君の腕を押さえる。
「分かっています。きっとほんの少しの変化なのだと思います。だからこそ、今なら原因を突きとめて、修正が可能なんじゃないでしょうか?放置をすれば、これが我が社の『顔』となる味に成り代わってしまいます」
鼻をポリポリと掻きながら、課長が面倒臭そうに資料を捲っている。
「見せてください」
昴君が初めて敬語を使った。
「それはできないよ。これは品管の極秘資料なんだから」
「ちょっと待ってください。同じ珈琲を販売している社員に対して、品質管理を『極秘』って……すみませんが、私にもその資料を見せてください」
はなから相手にされてない感じが気に入らなかった。
だから私もちょっとムキになっていたかもしれない。
「いくら繁盛店の店長だからって、ずいぶんと勝手を言いますね。本件は調べた結果、『問題ない』という回答に達したんですよ。今日は、もうお引き取りください。お疲れ様でした」
なすすべなく追い返されてしまった。
私はパグを超えて、ブルドック顔になっていたはずだ。
自分でも鼻息が荒いのが分かっていた。
「ごめんね。まさか、こんな対応されると思ってなくて」
「別に」
エレベーターに乗り込み、目を瞑る。
苛々し過ぎて、どうにかなりそうだ。
チーン
ドアが開いて、足を踏み出し、おかしいな?と気付く。
「え?どこ?」
見たことないフロアに戸惑っていると、昴君に手を繋がれた。
「こっち」
長い廊下を進んで、曲がって、また進んだ。
大きな扉が開け放たれている。
結婚式の会場みたいだ。
「じじい」
部屋に入って左を向くと、社長がデスクに座っておられた。
「ひぇっ」
変な声が出て、慌てて、昴君の手を振りほどく。
「今度はなんだ」
こちらを見ることもなく、社長が言った。
「あいつクビ」
「ふっ。またそれか……」
社長が笑いながらこっちを見て、私の存在に気付いた。
「渡邊さんもいらしたんですね。失礼しました。今日は、なにか問題でも?」
本部に報告するとは言ったけど、社長に直談判することになるなんて……思ってもなかったんですけど……
「品管の課長、クビ」
「だから昴、お前が気にくわないという理由で社員を解雇していたら、お前の店舗以外、社員が居なくなってしまうよ」
「うるさい」
社長はしかめた眉毛に手を当てて、小さく顔を振った。
「あの……お言葉ですが、今日の品管の課長の態度はないと思います。店舗からの声に全く聞く耳を持ってもらえませんでした」
「なにがあったんだ?」
「本店から仕入れた豆の異変に昴君が気付いたんです。それを報告に上がったのですが、調査する様子もなく『問題ない』と結論付けられてしまい、資料すら見せてもらえず……真摯な対応とは言い難かったので、昴君が怒るのも無理はないかと」
「なるほど。昴、根拠は?」
「ブレンドの豆がまずい」
「どうまずい?」
「くそまずい」
「なにが変わったんだ?」
「ブラジル減って、コロンビアばっか。あと、焙煎の機械が壊れてるか、ロースターが変わった」
そう言って、昴君は部屋を出て行こうとする。
「ちょっと待ちなさい、昴」
社長に呼び止められ、昴君が振り返った。
「ほら、例の」
そう言って、社長が昴君に鍵を渡した。
あ、そうだ。
「すっかり、お礼が後になってしまって申し訳ありません。この度はお部屋を貸していただけることになりまして、誠にありがとうございます」
「いえいえ。使ってない部屋だったんで、入居者が出来てよかったですよ。これは、あくまで私個人の所有物なので、会社とは無関係なことをお忘れなく」
「恐れ入ります。また、改めて、契約のお話をさせていただきに伺います」
「せっかくですが、私はあまり時間を取れないので、その辺は全て昴を経由してください」
「はい。承知しました。そのようにさせていただきます」




