5-4
「松郷さん、俺決めました」
「……後悔はないかな? 昨日の今日だ。もう少しゆっくり考えても――」
「俺、サリィと一緒にいたいです」
電話越しに、自分の意思を松郷さんにはっきりと伝えた。
「……もう一度確認だ。その選択に後悔はないかな? この先、君を待っているのは計り知れないような困難だよ。そんな中で最後まで彼女を守り切れるかい?」
松郷さんは俺の覚悟を試すように、低く重い声で問いかけてくる。
まるで、俺の歩む道がどんなものか知っているかのような物言い。この道の何万歩も先に松郷さんの姿がある――そんな錯覚に陥る。
「はい、この命にかえても」
命一つでサリィと一緒にいられるなら安い買い物だ。
いや、買い物って表現は良くないか。商品みたいな扱いをしたらサリィが怒りそうだ。
「そうか」
松郷さんは短くそう応じた。心なしか笑いが漏れるような声。
それは呆れか、諦めか、それとも懐かしさか。
「すみません、せっかくの好意を無碍にしてしまって」
「いや、いいんだ。野老澤くんの覚悟が伝わってよかったよ。それに立場上、あとは好き勝手にしてくれとも言えないからね。引き続きサポートはさせてもらうよ」
「ありがとうございます。虫のいい話ですが、ご助力いただけるのは有難いです」
堂々と宣言した後に言うのもあれだが、俺には異世界人に対する知見は全くない。
松郷さんのような本職の人に力を貸してもらえるなら万々歳だ。サリィの幸せを追求する上で、何も自分一人でと意固地になることもない。
「ははは、任せてくれ。――――だけど、君も経営者なら『只より高いものはない』、なんて言葉に同意してくれるんじゃないかな?」
「……自分に何か、お手伝いできることがありますかね」
対価のない取引ほど恐ろしいものはない。
『恩義』という概念は曖昧だ。恩には相場が存在しない。
だから、「あの時助けてやったよな」の一言で、過大・過剰な要求を突き付けられる可能性がある。むしろ、◯◯という条件に××を提供すると明文化してもらった方がいい。
それに、ただ貰いっぱなしってのも決まりが悪いしな。
「うん、その辺りの話をしよう。今日このあと時間はあるかい? 今度はサリィさんも交えて話ができればと思うのだけれど」
「はい、大丈夫です。また、あの日本語学校に伺えばいいですか?」
「いや、今日は今から言う場所に来てほしくてね。新宿の――」
松郷さんに指定された住所をメモする。
それから具体的な集合時間などの話をして、「それじゃあ、また後で」という松郷さんの言で通話は終了した。
「ふぅー」
「電話、終わった?」
タイミングを見計らって、サリィが声を掛けてくる。
「一応な。ただ、この後ちょっと二人で行くところができた」
「分かった! あ、それと治っ!」
「どうした?」
「べ、別に命は賭けなくてもいいからね? 一緒にいてくれればそれでいいからっ!」
顔を朱色に染めながら、サリィはそんな小恥ずかしいことを口にした。どうやら、俺と松郷さんとの会話に文字通り聞き耳を立てていたらしい。
「……うるせーよ」
「あー照れてるー!!」
「照れてないっつの! ほら、早く準備するぞ!」
なんで小娘の言葉一つで顔色を変えにゃいけないのか。俺は言うまでもないことを何度も繰り返したくないだけだ。
昨日の夜、確かに自分の想いを伝えた。それが全てで、これ以上言葉はいらない。
「……ただ、これだけは言っとく。男に二言はないってな」
「え、それって……」
さっきの言葉に対するアンサーだ。リップサービスもここまで。
「はい、この話終わり。お前も早く着替えろ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! それってどう言う意味よー!!」
サリィの抗議は無視する。
だから、言うまでもないことを何度も繰り返すのは好きじゃないって。
「このビル、だな」
「ちょ、これデカすぎない!?」
都庁前駅から歩くこと数分。
コンクリートジャングルの合間を縫うようにして歩いて、松郷さんに指定された超高層ビルの前にたどり着いた。
高身長の俺でも見上げると首の角度がほぼ直角になる。ちっこいサリィには、首を直角にしてなおかつ背中を反らすことで、ようやく視界に収められる高さだ。
「今からあの中に入るんだぞ。ここで驚いてたら心臓が持たん」
スケールに圧倒されているサリィを言い励ます。異世界人の文明がどれほど発展しているのかは知らないが、この様子を見るに摩天楼ってもんはまだ存在していないようだ。
経済力と技術力の極致みたいなものだからな、これ。
「そ、そうね」
「――ほら、行くぞ」
まだ覚悟が決まらないサリィの手を握って、ぐいぐいと引っ張っていくことにした。
こういうのは勢いが大事。飛び込んでみると案外そうでもないことが多い。
「ちょ!? て、て、手!」
「別に初めてってわけでもないんだから騒ぐなよ」
「そ、そうだけど!」
サリィは驚愕、不満、羞恥を織り交ぜた複雑な表情をしている。
だけど、決して手を振り解こうとはしなかった。
「やぁやぁ、野老澤くん。昨日ぶり」
「どうも、わざわざ出迎えてもらってすみません」
館内に足を踏み入れると、俺たちを見つけた松郷さんが駆け寄ってきた。
今回の目的地は入館証がないと立ち入ることができないらしく、まずは松郷さんと合流して入館証を受け取ってから向かうという運びになっている。
「いやいや、最近は運動不足でお腹が出てきてしまってね。若い頃みたいに体重が減らないんだよ。だからこうして動く機会ってのは貴重で――って、そんなことはどうでもいいよね。えーと、そちらがサリィさん? 初めまして、松郷と申します」
基礎代謝の低下を嘆いていた松郷さんだが、俺の後ろに控えていたサリィの姿を確認すると、優しい笑みを浮かべて丁寧にお辞儀をした。
「初めまして! サ、サリィです!」
松郷さんの挨拶にサリィも慇懃に応じた。
「今日はわざわざ足を運んでくれてありがとう。……それにしても、ははは、なるほどね。野老澤くんが君を手放さない理由が分かった気がするよ」
松郷さんは揶揄うような視線をこちらに向けてきた。
俺にはその意図が分かってしまい、かつ決して否定ができない事実だったので、バツの悪い気分になる。
「ええ、まぁ、見てくれだけはいいですからね」
「素直に褒めなさいよ!」
俺の言葉にサリィは不平不満を口にする。
松郷さんはそんな俺たちのやり取りを微笑ましそうに眺めていた。
「君たちを見ていると、セフィレムと出会った頃の自分を思い出すよ。――その野老澤くん、君の気持ちを試すようなことをしてすまなかったね」
「……いえ、むしろありがとうございます。松郷さんのおかげで、ちゃんとこいつと向き合うことができましたから」
俺はペコリと頭を下げた。それにサリィも続く。
感謝こそすれ恨む気持ちなど毛頭ない。松郷さんのおかげで、俺たちは互いの気持ちを確認することができたのだから。
「そう言ってもらえると嬉しいよ。さて、立ち話もなんだ。さっそく、君たち二人を連れて行きたい場所があるんだ」
松郷さんは俺たち二人に入館証を手渡すと、後をついてくるように促した。
セキュリティゲートを通って、エレベーターで四○階へ向かう。
高層階への移動に伴う気圧の変化で耳がキーンとする。
サリィは「何これ」と初めての体験に驚きながら、帽子越しに耳を押さえていた。
一分もかからずに四○階に到着し、フロアに足を踏み入れる。
外観も圧倒的ではあるが、内装にもかなり力が入っているな。床には高級感ある鈍色のカーペット、壁は嫌味のない柔らかな白で塗装されている。
そして、窓際は一面ガラス張りになっており、新宿……いや、東京という街を一望できるようになっていた。
「うわー、すごいすごい!!」
サリィはガラスに顔をくっつけて、眼下に広がる街並みを物珍しそうに眺めていた。
ったく、子供じゃないんだからと呆れながらも、楽しそうにはしゃぐサリィを愛おしく思ってしまう。
「目が完全に保護者のソレですよ、野老澤くん」
「……そんな分かりやすい顔をしてましたか」
「うん、なんかもう『ごちそうさま』って感じだよ」
松郷さんはニコニコとニヤニヤの中間くらいの顔で笑っている。
言い訳がましい言葉はポンポンと浮かんでくるが、それは焼け石に水というか、見苦しいものになりそうなので言わないでおく。実際のところ自覚はあるからな。
「あいつにはオフレコでお願いします」
「はは、もう少し素直になった方がサリィさんも喜ぶのでは?」
「余計なお世話っすよ。ほら、サリィ! 早くしないと置いてくぞー!!」
年上のお偉いさんとか関係なく悪態をついてしまった。しかし、松郷さんはそれで気を悪くするどころか、むしろ楽しそうにしている。
はぁ、なんかこの人とは長い付き合いになりそうだな……。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
サリィには完全に八つ当たりです。まぁ、こいつのせいでもあるからな。
ちょっとは可愛らしさを抑えろよ、まったく(めっちゃ理不尽)。
「さて、今日の目的地はここだよ」
松郷さんが右手で指し示す先には、目的地であろう施設の入口部分が見える。
そこのエリアから床が大理石のタイルとなっており、フロアと施設の境界線をまざまざと主張していた。
壁のプレートには『会員制バー 集い』と厳かなフォントで文字が彫られている。
「松郷さん、自分金ないっすよ」
「もちろん会計は私持ちだけど、君も正直な人だね……」
俺の情けない言葉に松郷さんは苦笑していた。
「けど、あれだよ。中は見た目ほど仰々しくないから安心して」
そのまま松郷さんの背中を追って、煌びやかな空間に足を踏み入れる。
――――いやいや、中身も外見の通りじゃないか。
ハイカラで洒落ている。高級ホテルのエントランスみたいな感じ、というのか。雑草魂の俺とは正反対すぎる。
「ちょ、話と違うじゃないですか。めちゃくちゃ仰々しいっすよ、ここ。真面目にドレスコードとか大丈夫なんです?」
俺もサリィもカジュアルな服装をしている。それがこの空間とあまりにもミスマッチで、図々しい俺でも気になってしまう。
「カモフラージュというのかな。ここまではそういう風に作っていてね。……あ、見えてきた。あそこで受付をして中に入れば、私の言いたいことが伝わると思うよ」
正面に大理石を使った長方形のカウンターが見えてきた。
カウンターの奥には黒のスーツに身を纏った、明るい髪色をした女性の姿があり、俺たちのことを視認すると深々と頭を下げて一礼する。
「久しぶり、ミーナさん」
「松郷さん! ご無沙汰しております!」
カウンターの前に立つと、女性の姿がはっきりと確認できた。
明らかに日本人とは異なる彫りの深い顔、スラッとしたモデルのような体躯、自然な発色でサラサラとしたブロンドの髪。
THE・金髪外国人のお姉さんがそこにいた。
しかし、そんな見た目とは裏腹に流暢な日本語で会話をしている。
「紹介するよ、こちらの二人が野老澤くんとサリィさん。それと、『集い』の受付をしてもらっているミーナさん」
松郷さんが間を持って、初顔合わせ同士の両者を繋いでくれた。
「どうも初めまして。わたくし、ミーナと申します! 以後お見知り置きを!」
「ご丁寧にどうも、野老澤治です。こっちがサリィです」
意外と気さくな人のようだ。最初は面を食らったが少し安心した。
ミーナさんに続いて、俺とサリィも「よろしくお願いします」と頭を下げる。
「じゃあ、ミーナさん三人で入店させてもらうよ。――そうだ。中に入る前に二人にはここがどういう場所かを知ってもらおうかな。ミーナさん、アレをお願いできる?」
「えぇ、お安い御用ですよ!」
「アレ……?」
俺の疑問に対して、松郷さんは「まぁ、見てて」といたずらっ子のような顔をしていた。
「ではでは、お二人ともご注目~」
松郷さんの言葉を受けて、ミーナさんは首に巻いていたスカーフを解く。
すると、ガムテープでぐるぐる巻きになっている肌が露出する。
「え、その首……どうしたんですか……?」
俺が口を開く前に、サリィが当然の疑問を口にする。
首にガムテープを巻くとか普通ではない。包帯ならまだしも、ガムテープがどういった目的で巻かれているのか、皆目見当もつかなかった。
「あ、別に怪我してるとかじゃないんですよ! えーと、ですね。こうやって接着してないと外れちゃうんですよ~。――――ほら、こんな具合に」
『ぎゃああああああああああ!!』
衝撃な光景に自分たちでも信じられない声量で叫んだ。
だって、それも無理はない。ミーナさんが首のガムテープを剥がすと、首が胴体から切り離されたのだから。しかも、そんな首のない胴体が自由落下していく首を両腕でキャッチしてしまったら、もう何が何だか分からない。
「もぉー、松郷さんもお人が悪いんですから」
「あはは、二人とも想定通りの反応をありがとう」
松郷さんは首だけになったミーナさんと笑い合っていた。
『いやいやいやいやいや!?』
胴体から切り離された首が普通に会話をしていること、それを見て表情を崩さない松郷さんの存在、その全てが間違っている。
「ごめんごめん。実はね、ミーナさんは『デュラハン』なんだよ。端的に言ってしまえば、サリィさんと同じ異世界人というわけだ」
松郷さんの言っていることを、咀嚼して飲み込むまで暫し時間を要した。




