5-2
「ただいまー」
「もぉー! 遅いよ、治!」
事務所に帰ると、ドタドタとサリィが玄関までやって来た。
そして、待ちくたびれたという事実を全面にアピールしてくる。
「悪い悪い、色々あって――」
「治、お酒くさい! 私をこんなに待たせておいて、自分はお酒とかいい度胸ね! こっちはお腹が空きすぎて、お腹と背中がくっつきそうなのよ!」
「え、お前飯食ってないの?」
てっきり、萌葉さんと食事を済ませていると思っていた。
あと、なんだ。お腹と背中がくっつきそうって、いちいち表現が可愛いな。
「そうよ! 萌葉さんお手製のオムライス(?)が冷蔵庫に入ったままなんだから!」
さすがは萌葉さん。そこまで用意をしてくれるとは、マジでお母さん。
実際は独身だけど。……あ、これはアフレコでお願いします。
「なんだよ、飯あるなら先に食ってくれてよかったのに」
「べ、別に? 治のことを待ってたわけじゃないけど? ここ数日は一緒にご飯食べてたから……なんか気分的によ! 深い意味はないから!」
なんじゃそりゃ。サリィは言い訳にもならない言い訳を口にする。
それがあまりにおかしくて、ついつい笑ってしまう。
「な、なに笑ってるのよ!」
「すまんすまん。まー、なんだ。待たせて悪かったな」
「うん……。その、治が帰ってきてくれてよかった」
さっきまでぷりぷり怒っていたのに、今度は照れ笑いをしながら上目でこちらを見る。
その表情があまりに愛おしいから、今の俺には直視できなかった。
「……おうよ。じゃあ、萌葉さんのオムライスあっためるから」
「やった! あ、治っ! それとだけど」
「ん?」
サリィは何かモジモジと言いにくそうにしている。
「も、もう一回言ってよ」
「何を?」
エスパーじゃないんだから、さすがに分からんぞ。
そんな繰り返し聞いて嬉しいようなことを言った覚えはないけどな。
「帰ってきたの挨拶!」
「あー、ただいま?」
それをもう一回聞いて、どうするつもり――――
「おかえりなさいっ!」
なんて二の句を継ぐ前に、サリィはとびっきりの笑顔で返しの挨拶を言葉にした。
まるで太陽みたい、そんな比喩表現がふさわしい最上の表情。
その顔を見て、自分の本心に気が付いてしまった。やっぱり、俺はサリィを手放したくない。いつまでもこいつと笑い合いたい、笑顔を見ていたい。
けど、それは俺のエゴだ。颯太から指摘され、ようやく自覚した。
……それは分かった、分かったけどさ。松郷さんとの話を伝えて、こいつが向こうに行きたいと答えたらどうすればいい?
それを「はいはい」と受け入れられるほど、俺は大人じゃない。
怖い、サリィを失うことが怖い。
だけど、それと同じくらいサリィの幸せを願ってしまう。
「ど、どうしたの……治?」
心配そうにこちらを覗き込むサリィ。
駄目だ、悪戯にこいつを不安にするような態度は慎まないと。
「いや、なんつーか。可愛いなって思って」
……はぁ!? 何言ってんだ俺!? バカなのか!?
本音を隠すための言い訳に、また別の本音を言ってどうするんだ。
「か、か、か、かわ……!?」
俺の言葉を咀嚼して、サリィは徐々に顔を赤くしていく。
そりゃもう真っ赤すぎて、頬っぺたで餅が焼けるんじゃないかと思うくらいだ。
「今のは忘れろっ! ほら、飯にするぞ!」
「ま、待ちなさいよ! ど、どういう意味か説明しなさい!」
戦略的撤退を試みたのだが、あろうことかサリィは追撃をしてきた。
「別に意味なんてない! 思ったことをそのまま口にしただけだ! 悪いか!?」
「わ、悪いわよ! ど、ドキドキして、心臓が止まりそうなのよ!」
「なら、大丈夫だな! 見たところ心臓は止まってないみたいだからな!」
なんかよく分からないが、いつの間にか言い合いに発展していた。
いかんいかん、いつものクールな俺になれ。何、小娘と等身大で言い合っているんだ。
「……そういえば、帰りが遅くなった『罰』がまだよね?」
「罰って、そんな大袈裟な」
「だめ、私すごく待ったんだから! うん、だから、罰として、さっきのもっかい!」
勘弁してくれ、こっちの理性が保たんっ。俺がクズ男って設定を忘れてないか、皆さん。我ながらよく耐えていると思いますよ?
「ただいま」
「そっちじゃないし!」
だから、こんな風に素っ惚けても許されると思うんだ。
「あーはいはい、可愛い可愛い」
「なんかテキトー!!」
ぷくー、と頬を膨らませるサリィ。そういうところだよ、ったく。
「いちいち可愛い仕草すんな。襲うぞ、こら」
膨らんだサリィの頬を人差し指で押す。「ぷっ」と間抜けな音がサリィの口から漏れる。
「何すんのよ! それに……不意打ち、ずるいよ」
「こういうのはな、思った時その瞬間に言うんだよ。それがモテ男の秘訣」
「じゃあ、また言ってくれる……の?」
ねだるようなサリィの上目遣い。うるうるとした瞳に吸い込まれそうになる。
くそ、一日に何回言わせる気だ。
「き、気が向いたらな。ほら、飯にしようぜ!」
「あー!! ちょっと待ちなさいよ!」
抗議するサリィをシカトして事務所の中に入り込む。
自分の口角が上がっていることに気が付く。そうなんだよ、この当たり前になりつつある光景が堪らなく愛おしいんだ。
だからこそ、この時間が愛おしいからこそ……胸が痛かった。
「美味しかったー! ナポリタンの時もそうだったけど、この赤い液体……たしかケチャップよね? この甘さと酸味がクセになるのよね!」
「やれやれ、お前は食事ひとつでご機嫌になれて羨ましいな」
萌葉さんの作り置きしてくれたオムライスを堪能させてもらった。
相変わらず料理の腕はピカイチだ。この技量があれば男の胃袋を掴むのもたやすい気がするが、そう簡単にもいかないのが婚活の難しい所。あ、これもアフレコで。
「人を食いしん坊みたいに言わないでよね! こっちのご飯が美味しすぎるのがいけないのよ。お昼に萌葉さんと食べたお寿司(?)って料理も美味しかったし!」
「ちょっと待て、寿司だと? 質問だ、サリィ。その寿司は回っていたか?」
とてつもなく嫌な予感がするぞ。
「え、回る? 目の前で料理人のおじさんが作ってくれたけど」
「なるほど……。ちなみに場所とか覚えているか?」
「えーと、たしか、ギンザ(?)って場所だったと思うわ!」
「あのアマ!」
銀座で回らない寿司なんて、もう絶対に高級店じゃんかよ。
え、なに、怖すぎるんだけど。この後いくら請求されることになるの?
「あと、治にお土産ってことで、ケーキも買ってきたわよ!」
「きっと、その代金も俺持ちなんだろうな……当然。それで、サリィの分もあるのか?」
「うん! 萌葉さんが食後に二人で食べなさいって!」
「やっぱお母さんだろ、あの人」
今すぐにケーキを食べたいと言わんばかりに、サリィは目をキラキラとさせていた。
ついでに尻尾もご機嫌に揺れている。本当に分かりやすい。
「じゃあ、コーヒーでも入れるか。サリィはケーキを皿に乗っけてくれ」
「了解っ!」
「…………」
駄目だろ、俺。ちゃんと話をしないと。
しっかりサリィの意思を確認しないと先に進めないだろ。心地よいからっていつまでもぬるま湯に浸かっていたら、そのうち風邪を引いてしまう。
「治? さっきから何か変じゃない?」
「……あぁ、ちょっとな。なぁ、サリィ。ケーキ食ってから少し話があるんだ」
ようやく言葉にできた。最後の一押しはサリィのおかげだ。
やっぱり、サリィには笑っていてほしいから。こいつを不安にするようなことは、どんな形であれ許容できない。
「は、話……?」
「大丈夫。お前にとっては、良い話だと思うからさ」
俺のエゴなんてサリィの笑顔の前では一文の価値もない。
今日まで好き勝手にやってきた。自分の幸福こそが至上命題。だけど、自分よりも幸せになってほしい存在に出会ってしまった。
家族以外でこんなことを思ったのは初めてだった。
そして皮肉にも、そんな唯一無二な存在を俺は失おうとしている。
「う、うん……? 分かったわ」
サリィはなんの話だろうと首を傾げていた。
「んじゃ、ケーキを食おうぜ」
これがサリィとの最後の食事かもしれない。
今日で見納めだとしたら、最後は笑った顔を見せてほしいな。




