紗命・2
ラフな格好に着替えた二人は、山手線内の南側に足を運んでいた。
自作の釣竿と銛を背負った東条は、所々に顔を出す草木に覆われた瓦礫に跳び移り、紗命の手を引っ張り上げる。
山手線内の上半分と下半分では、その環境や生態もガラリと変わる。背の低い建物は海水に沈み、横断歩道を魚が渡っている。
「綺麗やなぁ。退廃的で結構好きかも」
「だろ? 俺も上よりこっちの方が好きなんだよな」
……にしても、海面上がったなぁ。
東条は瓦礫に腰を下ろし、釣り糸を垂らす。
この前のペルルの侵攻で、世界中の海抜が軒並み上昇したらしい。その影響もあるのだろうが、明らかに緑が減っている。
「……」
遠くに見える、三分の一ほどが沈んでしまった大学。良い思い出が多いわけではないが、それなりの出会いと別れがあった場所。
朧は今、北海道を探索しているらしい。猫目と風代と氷室さんはインスタを見る感じ、夏休みを満喫しているようだ。毒島は今や現場監督だし、アリスはまぁ、うちでゴロゴロしているか。
「あなたっ、引いてる引いてる!」
「おっ、よいしょぉ!」
「……お、美味しいのこれ?」
「美味しそう……ではないな」
東条はビチビチと跳ねるグロテスクな魚を餌にして、再度糸を垂らす。
第零特区の奪還は、国としても悲願であり、国が大規模な戦力を投入して推し進めているプロジェクトだ。その成果もあってか、凶悪なモンスターはここ数年で多きく数を減らした。
ただ、一度上昇してしまった魔素濃度が下がることは、まずない。努力どうこうではなく、自然の方が魔素に適応してしまうのだ。
地上のモンスターをいくら狩ろうと、海から流入するモンスターの進化や、飛行生物のモンスター化を止めるのは不可能に近い。
これからの第零特区は、水陸に適応したモンスターの領分になっていくのだろう。環境って面白い。
「あなたっ、海老っ、海老釣れたわ!」
「デッカ⁉︎ そいつ美味いぞ! 逃がすなよ⁉︎」
「この糸じゃ無理っ、切れちゃ、え⁉︎ アハハっ」
東条が海に飛び込み、暴れる巨大手長海老にチョークスリーパーをかける。
紗命はそんなアホな主人を手繰り寄せながら、お腹を抱えて笑うのだった。
マイホームの頂上に展開した漆黒の上で、二人は満点の星空を見上げながら寝っ転がっていた。
大都会の中にぽっかりと空いた空白地帯。遠くには街の明かりが瞬いているのに、聞こえてくるのは獣の遠吠えだけ。世界中どこを探しても、こんな異質な場所はここだけだろう。
「ベヒモスはんねぇ、うちは見たことあらへんやんな?」
「んだな。でも考えてみ? 俺らがここで生活していた一ヶ月、確か一回も雨降ってないんだよ」
「あぁ、言われてみたら?」
ゴブキンを肉塊にした時には降っていた気がするが、あの時は近くに来ていたのかもしれない。
星の調和が行動原理にあるベヒモっさんは、白王と選帝者に特に目を光らせている。大罪の力に呑まれた俺を見に来ていたとしても、何ら不思議ではない。
「ベヒモっさん、力強すぎて雨雲を引き寄せちゃうのよ。逆台風の目みたいな存在」
「ずっと近くにはいたんやなぁ」
「……今思っても、よく生き残れたよな俺ら?」
「いやぁ、ほんまになぁ」
互いに笑い合い、紗命は東条の腕を引っ張ってその上に頭を乗せる。
「んでそのベヒモスはんに、あんたは鼻の下を伸ばしとったわけやけど」
「あ、|ほのはなひほほにふながふほへ《この話そこに繋がるのね》?」
指先で頬をグリグリしてくる笑顔の紗命に、東条は顔を引き攣らせる。
「ママだの乳だの魔乳だの、何なん? 戦いすぎて頭壊れちゃった? それともここに詰まっとるんは、帰る女の乳すら覚えられへん、夏の虫以下のちっぽけな脳みそなわけ?」
「覚えられまふ。ここをキャンプ地としまふ」
「まったく、何回身を焼かれれば気が済むのか。今回はどうしよっか?」
胸に顔をうずめてくるエロガキの頭を撫でながら、紗命は優しい声で微笑む。
「反省したのでなしという方向には」
「ならへんなぁ。お仕置きは絶対やからなぁ」
「……えっと、長引かないのでお願いします」
「長引かへんのかぁ」
「この前のは勘弁してください。一週間勃たなくなって死がちらついたんで。ほんと、あれだけは」
「ふふっ、本当に死にそうな勢いだったから、あの毒はもう使わへんよ」
少し考えていた紗命が、「せや!」と何か良いこと(東条にとっては悪いこと)を思いついたのか、むくりと起き上がる。
彼女の手の平に生成された虹色の毒を見て、東条は息を呑む。
何だこの毒々しいとかを超越した色の毒は? さすがにこんな劇物を飲ませるわけ。
「飲んで」
飲ませるわけあった。さすが俺の妻だ。イカれてやがる。
「あの、効果は?」
「飲んだら教えてあげる」
「……はい。いただきます」
……甘くて、トロミがある。ネクターみたいだ。ネクターかな? ネクターだったら良いな。
虹色の毒を一気飲みした東条は、なぜかワクワクしている紗命を不安気な目で見る。
「あの、効果は……」
「ん? うん。実はこの前、あなたが買うたエッチな漫画を読んだんやけどな?」
「うん、うん、勝手に読んじゃダメでしょーって。おいこらどうやってあのファイル開いた?」
「アリスはんがな? 面白いもん見つけた〜って」
「はい処刑。あいつの性癖SNSでバラ、すッ⁉︎ ッッ⁉︎」
途端、目を見開き固まった東条に、紗命の頬が怪しく緩む。
「あ、効いてきた? やっぱりうちが調教しとるだけあって、効き遅いなぁ。これからはもうちょい強めてもええかも」
「なッ、んだ、これ⁉︎」
できるだけゆっくりと動こうとする東条の手に、紗命が指を絡めた。
「やめっ、ッッぐぅ⁉︎」
瞬間、指を始発点として、東条の全身に鳥肌が立った。
血管の中を電流が走ったような、脳が沸騰するような感覚。これは、まさかっ。
「ほらぁ、何やっけ? 対魔忍? の子達がよう使われとる薬物」
「おまぇッ、まさかぁッ⁉︎」
「感度三千倍の、お・く・す・り♡」
「――嫌だァ‼︎ 助けて誰かぁ⁉︎ ヒィん⁉︎ これは男が使っても何の需要もあふんっ⁉︎ 嫌だぁああ⁉︎」
「はい脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」
「んほぉぉおおおおおッッ♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
永遠に感じられた夜も更け、東雲の空に薄明かりが差す。
テント越しに朝の訪れを悟った東条は、沈みかけていた意識をゆっくりと浮上させた。
……あれから、どれくらい経った? 時間の感覚がない。力なく垂れた腕が、ビチャっ、と床に落ちる。
虹色の毒と、二人の体液で水浸しになった床に仰向けで倒れたまま、東条は揺れるランタンをぼんやりと見つめる。
テント内部には、異常な湿度と甘ったるい臭いが充満していた。
水を口に含んだ紗命が、東条に覆い被さり口移しで水を飲ませる。
その際に迸る快楽の波で、朦朧としていた東条の意識が無理やり覚醒させられた。
「ブハッ、ハァっ、ハァっ、た、頼むっ……少し、休ませて……」
「だ〜め」
耳元で囁かれた声と、胸をなぞる指に、体が硬直して言うことを聞かなくなる。
「っ、っテメェ、いい加減に……しろ、よッ」
「まぁ怖いわぁ。えい」
「グゥ⁉︎」
紗命は嗜虐的で恍惚とした表情を浮かべ、彼の体を弄ぶ。
「気張りやぁ? 今日はあなたで遊ぶんやさかい」
「今日……今日⁉︎ 一、日⁉︎ 嘘だよな……?」
「まだまだ試したいおもちゃもあるし、ぎょうさん勉強してきたんやさかい、安心して身を任せてくださいな?」
「嫌じゃァアアア‼︎ ンホォオオオオオオオッッッ⁉︎」
東条の絶叫と、紗命の狂笑は、日が落ちるまで続いたとか。
東条は地を駆けながら、ガドリングガンのように乱射される毒の弾丸から逃げる。脚部にのみ雷装を纏い――刹那、弾丸の雨を掻い潜り、紗命の首に掌底を放った。
直後カウンターシールドが爆散し、周囲に猛毒が飛び散る。
俺に攻撃を当てるには、俺が攻撃すると同時に攻撃をする必要がある。そのために最も効率的なのがカウンターなわけだが。
大きく飛び退いた東条は、シュ〜シュ〜と煙を上げる右手を振って毒を散らした。よくもまぁ簡単にやってくれるよ。
「鈍ってはないみたいだな?」
「ふふっ。生憎うちには、良い喧嘩相手がおるからなぁ」
「ならもうちょっとギア上げるぜ?」
「上からな物言いやなぁ? 昨日はあないに情けない声で鳴いていたのになぁ? 世界を救った英雄にあるまじき醜態やったなぁ?」
紗命の操る毒が虹色に変化し、東条の纏う漆黒がゾクゾクと粟立つ。
昨日の行為は、彼の中でしっかりとトラウマして刻まれてしまっていた。
「ハハハッ。……マジで分からせてやる」
「きゃ〜怖いわぁ」
地面を突き破り生えた毒の剣山を蒸発させ、東条は爆炎を纏って突っ込む。
そんな彼を、両手を大きく広げて迎える紗命。
毒と炎の竜巻が衝突し、夏空に虹が掛かった。
「あらぁ、可愛いなぁ。温泉好きなん?」
「キュィッ」「ピィ〜」「ヌムヌム」
頭にタオルだの石だの風呂桶だのを乗せた湯煙ラッコに並んで、東条と紗命もほっと一息吐いて温まる。
「む?」「らっシャ、あで? 東条さんと妻さん、いらっしゃいまセ」
「よ〜う」「お邪魔しますぅ」
驚きラーメンを吹き出す客を脇目に、東条と紗命は食券を買って列に並ぶ。
席に着いてコールをして、いざ着丼。
「よく来たな東条 桐将、東条 紗命。これは我からのサービスだ。感謝しろ」
「不破ァ‼︎ 勝手にサービスすんじゃねぇ⁉︎」
大将の平手打ちがファフニールのツノを引っ叩く。
「貴様、寸胴の中で溺れ死ぬ呪いをかけてやろうか」
「怖ぇこと言うな‼︎ すいやせんねお客さん、代金はいりやせんので」
「おいそこの貴様、本当に大盛りを食えるんだろうな? 残したら呪い殺すぞ」
「不破ァ‼︎ お客さんに失礼だろうがボケェ‼︎」
「お待たせしましタ。ありがとうございましター」
モンスターと人間が一緒に働く、摩訶不思議な空間。大将の怒声と客の笑い声は、店の外まで響いていた。
「はぁ〜、お腹いっぱい」
「こういう罪深い飯も良いもんだろ?」
「たまには、ね」
アイスを舐めながら、紗命は自身の体を嗅ぐ。
「それに全身臭くなるし、絶対デートで行く場所じゃなかったやろぉ」
「ニンニク臭い女ってのも、それはそれで趣があると思うけどな」
「あんたの性癖は聞いとらんよ。帰ったらもう一回お風呂行こ?」
「あいよ〜」
アイスを齧る東条は、臭いを気にして離れようとする紗命を笑いながら抱き寄せる。
「明日は帰らなきゃだし、やりたいこと他にないか?」
「ん〜……ゆっくり過ごしたい」
「だな! ニンニク臭いキスしようぜ〜」
「はーなーれーてー」
「嫌です〜」




