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後編

 裸のまま床で目を覚ました俺は、自分が着るはずだったローブが掛けられているのに気づいて小さく微笑んだ。

「優しいな、あいつは……」

 精子提供者の肉体を保存するように組まれたプログラム……そうは解っていても、しなやかな指先が目覚めを恐れるようにそっと動くさまを思えば心のどこかが妙にざわめく。

 地球を旅立ってどのぐらいたったのだろう。肉体の時間を止めて旅をする身にそれを知る手立ては無いが、そもそも地球は未だにこの仕事を必要としているのだろうか。

(そもそも地球がまだ有るかどうかすら怪しいと言うのに?)

 苦笑が漏れる。

 俺が旅立ったころの地球はひどい有様だった。数少ない女は金持ちに大事に囲われて、俺たち貧乏人には縁すらない存在だ。女の代用品はやたらと開発されたが、それだって金次第。

 日照った男ばっかりが集まった社会なんてろくなモンじゃない。溜まったもんを吐き出そうとするようにドンパチばかり。生まれた子供も女なら政府に保護されて大事に育てられるが、男なら……俺は父親に捨てられ、小さなころから男娼として街角に立つしかなかった。数え切れないほどの男の相手をしたが、誰一人として『愛情』を支払ってくれるやつはいなかった。

 だから俺は『愛』を知らない。

 そうでなければこんな仕事、やっていられるはずが無いだろう? カオリを抱くのはあくまで生理的な欲求の代償だ。精子を提供する動物になる見返りに少しばかりキモチイイコトをするための道具なんだぞ、あれは……

 自動ドアが静かに開き、カオリが入ってきた。


 湯気の立つコーヒーを持ったカオリはタケルに向かって微笑む。頬の人口筋肉を複雑に引き上げ、目元は逆に引き下げる。彼の好みに合わせて首を18度の角度に傾げれば、タケルが心底から切なくため息を吐いた。

「受精は成功したんだな」

「ええ、問題なく」

「じゃあ俺はもう……用無しか?」

 答えの代わりにコーヒーカップが手渡される。

 包み込んだカップの熱を掌に移しながら、タケルはただ黙り込んでいた。

「……カオリ……」

 ためらいがちに上げられた視線を、彼女は正面から覗き込む。レンズがピントを合わせる小さな駆動音が聞こえた。

「なあに?」

 抑揚のパターンまでを完全にプログラムされた音声は流暢で、そして、甘い。

 その声に手を伸ばして、白い頬に触れて……タケルはひどくきっぱりとした口調を音声認識機能に吹き込む。

「今回は俺も起きていようと思う」

 カオリが震えた。

 彼女は機械だ。プログラムされた行動パターン、プログラムされた感情、プログラムされた言語域。だから、それが何らかのプログラムであることは解っているのだが、今まで見たことも無い行動のパターンであった。

 首をゆっくりと横に振り、何かを語ろうと唇をわななかせる。

「俺と、お前の子供を育ててみたい。普通の生活っていうのをしてみたいんだ」

「だめっ!」

 実に人間的な金切り声が軟質素材の唇を割く。だが次に続く言葉は人工知能が事務的に伝える単なる音声に過ぎない。

「航行中の不測の事故、および加齢による肉体の損傷は最小限に抑えなくてはならない。もし乗員に造反の意思アリと認められタ場合はコレヲスミヤカニ……」

「カオリ? おい、カオリ!」

 両肩をがくがくと揺すればその瞳にうっすらと水分が滲む。

「やっぱり、泣いているんじゃないか」

「ですから、私にそんな機能はありません。これは洗浄液の余剰を放出しているだけ……」

「もう何も言うな。今まですまなかった」

 薄々気づいてはいた。もし本当に地球からの移民が来るようなことがあれば、『先住民』は邪魔になる。環境に適応できるような子供がいたとしても、経過観察期間を過ぎればおそらく……カオリ自身の手によって……

「それに、お前が保有している冷凍卵子の残りも、もう少ないはずだ」

 もたれかかるように抱きついてくる大きな肩を受け入れた彼女は、もう無機質なものではない。ため息に混ぜて言葉アナログを呟く。

「あなた……」

 デジタルの演算式がどのようにしてその言葉を選ばせたのかは解らなかった。最も解ったところで、タケルには解析などするつもりも無いだろう。

「今まで俺たちがこの宇宙船ふねに乗り合わせていたのは仕事のためだった。でも、そうじゃない関係を俺は望んでいるんだ」

「仕事じゃ……ない?」

「普通にお前を愛し、共に暮らしてみたい。体だけじゃなく、お前の全てを見てみたい。何て言うんだろうな、こういう関係」

「恋人……」

「そうか、これが……」

 カオリが人間でないことさえ些少に感じられる。この広い宇宙にたった二人で放り出された無情の身の上さえもが運命だと思える。

「やっと解った。いままでお前に聞かせたのは全て嘘だったが、今回は本当だ」

 タケルはすうっと静かに息を吸い込み、抱きしめたカオリの温もりに言葉の一滴も漏らさず注ぎ込む。

「愛してる」

 なんて重たい一言だろう、囁くだけで精一杯だ。

「頼む、何か言ってくれ。プログラムじゃなく、お前の言葉で」

 それが不可能な願いだとは知っていても願わずにいられない。

「カオリ……」

 言葉をねだる唇は桃色に艶めく軟質素材に塞がれた。

「んむ?」

 もぐりこむ舌が言葉よりも雄弁に語る。

 彼女を求めて伸ばされたタケルの腕ががくっと力なく落ちた。

「!」

「少量の弛緩剤を投与。捕縛準備完了」

 遠のく意識の中、冷凍睡眠コールドスリープの準備を始めた自動医療システムが立てる不穏なモーター音が聞こえた。そして、女の『模倣品』の悲しみに震える呟きも……

「お願い、私を一人にしないで……」

 彼女はこのあてどない旅が終わる日を恐れている。

……それは、彼との永遠の別れ。

 金属とプラスチックで作られたアンドロイドと違って人間は儚く、時間は残酷だ。コールドスリープをかけなければ彼はあっという間に老いさらばえ、彼女を悠久の中に置いて朽ちてしまうだろう。そんなことは耐えられない、だって……

「アイシテイルノ」

 0と1の演算式が導き出したたった一つの真実。

だがそれは、永いまどろみに落ち込んでゆく彼の耳には届かなかった。


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