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獣な最強の女戦士はお嫁さんになりたい

作者:編乃肌
「なんだ、またいじめられて泣かされたのか、ミィ」
「よ、ようへいさん……」

 王城の庭でうずくまる幼い少女の前に屈み、男はよしよしとその頭を撫でる。
 少女の頭に生えている、赤茶の猫のような耳が、心地良さそうにピクピクと反応する。

「わ、わたしの耳や尻尾の色が、変だって……き、汚い色だって。勉強も武術もろくに出来ない、で、出来損ないだって、バカにされて……」
「おーおー、ガキのいじめはストレートだな。またあの小生意気な第一師団長息子と、その取り巻きか」

 コクリ、と少女が頷けば、男はやれやれと嘆息する。

「あんなもん、気にしなくていんだぞ?」
「で、でも、おうさまの子どもなのに、弱い獣だって……」

 ひたすら少女は、尻尾をぷるぷるさせながら泣きじゃくる。


 ――――ここは人の身体に獣の特性を宿す、『獣人』と呼ばれる種族が治める国。


 少女・ミィーシャルはその獣人国の王族で第14子。
 しかし、力がすべてと考える些か脳筋気味なこの国では、生まれつきひ弱な彼女は周囲から軽んじられていた。

 加えて他の王族はすべて、王と同じ『獅子型』、もしくは母方の力を受け継ぎ『狐型』や『虎型』の特性持ちなのに反して、王の亡き9番目の妻から生まれたミィーシャルは『猫型』の獣人。
 獣の特性のひとつである耳と尻尾は、明るく美しい皆と違い、珍しいが地味でくすんだ赤茶色だ。

 獣の力もろくに発揮できず、他の兄弟たちには冷遇され、王宮に出入りしている貴族の子供らにはいじめられる日々。

 いつもかばってくれるのは、目の前の『人間』の男だけだ。

「ミィは弱いっていうか優しいからな。そこに浸け込まれるんだよ。それに俺は、お前の毛色好きだぞ。綺麗な夕焼け色だ。俺の髪とも似ていて、お揃いだしな」

 「って、これだと俺、自分の髪を褒めてることになるな」と眉を寄せる男に、ミィーシャルはようやく涙を引っ込めて笑った。


 長年睨み合っていた隣り合わせの『獣人の国』と『人間の国』が、友好関係を結んだのは比較的最近の話。

 だが培ったわだかまりは簡単に解消とはいかず、互いの国民には和平に不満を持つ者も多い。
 そこで友好の証として、両国の王同士が交わした協約が、『それぞれの国で最も信頼がおける強い者を、互いの国に期間限定で王の護衛として送り合う』というものだった。


 様々な反対を押し切り、前代未聞の協約は実行された。
 そこで人間の国からやってきたのが、この男である。


 元は人間の王の懐刀で、『王の騎士』なる存在だったらしいが、現在は流れ者の傭兵。だが旧友でもある人間側の王のたっての願いで、交換護衛任務という特殊過ぎる仕事を引き受けたとか。

 当然だが腕は立ち、背中に負う大剣を軽々と振う。
 物怖じしない気さくな性格と圧倒的な強さが気に入られ、あっという間に獣の王の信頼も得てしまった。

 褐色の肌に、見上げるほどに高い背。鍛えられた逞しい体躯。風に靡く襟足の長い赤髪を一括りにし、精悍な顔つきで快活に笑う。
 歳のほどは20代半ばと聞くが、目の下に一筋走る大きな切り傷も、彼の戦士としての風格を煽り、もっと年上にも幼いミィーシャルには感じる。


 ――――ミィーシャルは男が大好きだった。


 いじめられているところを助けてもらったことが出会い。それからミィーシャルは懐き、また男もなにかとミィーシャルを気に掛けてくれている。

 男は『似ている』と言ったが、自分の醜い髪や耳の色なんかより、男の炎のような赤髪の方が、ミィーシャルは何倍も美しいと思う。
 黒曜石みたいな黒い瞳も綺麗だ。傍にいると漂うお日様の匂いも落ち着く。
 彼が「ミィ」と口にすれば、誰にもまともに呼ばれない名が、途端に特別な響きを帯びる。やさしく頭を撫でられると、幸せな気持ちになるのだ。


 大好きな、大好きなようへいさん。


 でもそんな彼が、もうすぐいなくなることをミィーシャルは知っていた。

「俺が国に帰ったら、お前のことだけが心配だ。変に無理しなくていいが、もうちっと強くなれよー」
「……わたしが強くなったら、ようへいさんは嬉しいですか」
「ん? そりゃな」

 ぐっと、ミィーシャルは涙を拭って拳を握り、意を決して口にする。

「そ、それならわたし、強くなります。誰よりも、誰よりも強くなって、二度と泣きませんから。だから、あの……強くなったら、わたしをようへいさんの、お、お嫁さんにしてくれませんか!?」

 男は予想外の申し出に面食らった。

 だが震えながらも真剣な少女の様子は、幼いからと適当に茶化していいものでもない。こんなふうに、強く自分の意思を少女が現したのもはじめてのことだった。

 獣人と人間の歳の取り方は一緒だ。とりあえず男は「お前、いまいくつだっけ?」と問い掛け、「8歳です!」と返ってきた言葉に「マジかよ軽く10以上も下じゃねぇか」と痛む頭を押さえる。

「お、おねがいします、ようへいさん!」

 少女に引く様子はない。
 男はどうしたものかと悩み悩んだ末……諦めたように息を吐いた。

「そうだなあ……ちゃんと強い女になれたらな」
「! ほ、ほんとうですか!? 約束ですよ、ぜったいにお嫁さんにしてください!」
「ああ」

 ポンポンと大きな掌で、男は少女の頭をもう一度だけ撫でた。「ちゃんと強くなれたら迎えにきてやるよ」という男の言葉に、少女は何度も嬉しそうに頷いた。


 こうして、柔らかに吹く風が青々とした木々を揺らし、甘い花の香りが満ちた庭の中で、ひとつの約束は取り交わされたのだった。



 時は流れて――――それから十年後。



「い、いいんですね、団長」
「ああ、かまわない。どこからでもかかってくるといい」

 ここは『獣人の国』の王城。その広大な敷地の内部に位置する、兵士たちの訓練場だ。

 小窓があるくらいで目立つ物はなにもない広い空間。その真ん中では、木刀を構える豹の耳と尻尾を持つ少年と、こちらは丸腰の赤茶の猫耳と尻尾を持つ少女が相対していた。

「団長ー! 手加減してやれよー!」
「丸腰の女相手に瞬殺されんなよ、セルジュ!」
「どっちもほどほどにがんばれー」

 二人を取り囲む周囲からヤジが飛ぶ。

 セルジュと呼ばれた新米兵士の少年は齢14。今日をもって、憧れだった第一師団に配属され、今は歓迎の余興として、団長である少女――――ミィーシャル=ガーディアと一試合することとなった。

 しかし、セルジュより四つ上でまだ若く、女性の身で団長という地位に就くミィーシャルは、武器などは持っていない。木刀を持たされた自分を相手に、余裕綽々な態度だ。

 『武神』と称される彼女の強さは耳にしている。
 だがいくらなんでも、己を侮りすぎではないかとセルジュは悔しく思う。

「いきます……!」

 躊躇いを捨て、セルジュは木刀を打ち込んだ。男にしては小柄で力に欠けるセルジュだが、素早さには自信がある。
 一撃、二撃と振う攻撃は速い。だがミィーシャルはしなやかな筋肉のついた身体を捻らせ、最小限の動きで躱していく。隙をついて木刀を蹴り上げ、カンッと床を打つ獲物にセルジュが気を取られたところで、ミィーシャルは鳩尾に強烈な掌底を叩き込んだ。

 グッと短い呻き声をあげ、セルジュが床に膝をついて試合は決した。
 歓声が上がり、拍手の音が辺りを覆う。

「さっすが俺たちの団長! 新人も全然惜しくないけど惜しかったぞー!」
「やっぱハンデをもっと設けるべきだったか……」

 一気に騒ぎ出す周囲を気にも留めず、ミィーシャルは癖の強い夕焼け色の長い髪を掻き上げて、腹を押さえて蹲るセルジュに「立てるか?」と手を差し出した。

「は、はい」
「……筋は悪くない。注意力に欠ける点を直し、ひとつひとつの動作を基礎から鍛えれば、お前はもっと強くなれる。いい試合だった、ありがとう」
「! いえ、あの、えっと!」

 ふわりと微笑まれ、セルジュは頬を染めて狼狽する。

 ここ十年の間で磨かれたミィーシャルの美貌は、武人としてのストイックさも合わさり、独特の色香を放っている。セルジュは口をパクパクさせながら、それでもなんとか礼を述べ、その手を取って立ち上がった。

 ミィーシャルは「改めてようこそ、第一師団に」とだけ言い残し、尻尾を揺らめかせ盛り上がる団員たちの輪に入っていく。

 そんな彼女をポーと立ち竦んだまま見つめるセルジュの背を、先輩団員二人が左右から気安げに叩く。

「よーう、お疲れ。どうだ、うちの団長は? 超強いだろ」
「おまけに美人。身分も教養も強さもあって、なのに性格は気さくだからな。惚れたか? 新人」
「ほ……!」

 あからさまに慌てふためくセルジュを、先輩二人はからからと笑い飛ばす。
 この二人はミィーシャルよりも年上だが、年下の少女が自分たちの団の長を務めていることに、一切不満はないようだ。

 声を潜めて、先輩の一人がセルジュに「でもな」と耳打ちする。

「ここだけの話。あの団長、昔はか弱い泣き虫な女の子だったそうだぜ。兄弟や周りの貴族らにいつもいじめられていたとか」
「え!? とてもそんなふうには……!」
「ある日を境に生まれ変わったらしいぜ。ちなみに一番団長をいじめていた『元いじめっ子』の姿が、今はあれだ」

 先輩の視線の先には、ミィーシャルに恭しく水を差し出す美男子の姿があった。

 アシンメトリーに整えられた銀髪に、切れ長の青の瞳、立派な灰色の耳と尻尾を生やす狼型の獣人である彼は、副団長のウィグ=ウルフラ。

 前第一師団長の息子であり、ミィーシャルとは同い年の幼馴染み。頭が切れて実力は申し分ないが、常に冷酷非情と噂される人物だ。セルジュも初対面の際、その冷ややかな目で一瞥され震え上がったものである。

 だがミィーシャルに対する彼の態度は、『冷酷』とはほど遠い。

「団長、お疲れ様です。水をどうぞ」
「ありがとう、ウィグ」
「……あの、団長はこのあと、その、お暇でしょうか。もし良かったら、俺と食事でも……」
「すまない、ミラム村の子供たちに剣術を教える約束をしているんだ。そのまま向かう予定だし、またの機会にお願いする」
「そ、それでしたら俺もご一緒に!」
「いや、それは悪い。ウィグにはいつも仕事を任せているし、休めるときに休んでくれ。食事は他の団員を連れていってあげて」
「…………はい」

 取り付く島もない。
 ウィグのしょげる尻尾は、狼というより主人にかまってもらえない大型犬のようだ。

 あまりにイメージと違う副団長の姿に、セルジュは目を丸くする。

「ミィーシャル団長が、団長の座をかけてウィグ副団長と決闘して、こてんぱんに伸してからあんな感じになったらしいぞ。それまでミィーシャル団長を散々馬鹿にしていじめていたのが、今ではあの有様」
「というか、昔から実は惚れてたんじゃねぇか? ほら、好きな子ほどいじめるって奴。無意識だったのが覚醒したというか……でも団長はあんな感じで、副団長の淡い恋心にはまったく気付かない。第一師団の別名は『副団長の実りそうもない恋を応援しよう団』だということを覚えておけ、新人」
「は、はあ……」

 なんか思ったより愉快な団に来ちゃったなあ……と、いまだ落ち込むウィグからそっと目を逸らし、新人団員のセルジュは曖昧な笑みを浮かべた。




 ウィグの誘いも軽く断り、訓練棟の隅でミラム村に行く準備を進めるミィーシャルは、先ほどの試合を思い返してふぅと息を吐いた。

 自分の体捌きはまだまだ甘いな、もっと鍛えなければ……と、恒例の自己反省会をする。
 周囲からすればどこが甘いの!? と突っ込みたいところだが、ミィーシャル自身は自分の強さに満足などいっていない。


 この程度では――――到底まだ、『彼』の横に並べない。


(ようへいさん……)

 心の中で、ずっと想い続ける彼の笑顔を浮かべる。
 今の強いミィーシャルが在るのは、すべては遠い過去の約束のためだ。

 ――――傭兵の男が自分の国に帰ってから、まだ幼かった当時のミィーシャルは、どうすれば彼が望むような『強い女』になれるかを考えた。


 まず、ミィーシャルは現国王であり、武に優れた一番上の兄に、武術全般を教えて欲しいと懇願した。
 弱い妹を忌み嫌う兄は最初、素気なく断ったが、ミィーシャルは諦めなかった。しつこく頭を下げ続け、ついに折れた兄に弟子入りを果たしたのだ。
 厳しい特訓に耐え、ミィーシャルはまず物理的に強くなった。兄にも認められ、「お前は私の誇り高き一番弟子だ」と言わしめるほど。今のミィーシャルの表での堅い話し方は兄譲りだ。

 あと兄は立派なシスコンになった。


 次に、ミィーシャルは国一番の美姫と名高い、二番目の姉に美しくなる方法を尋ねた。
 『強さ』はもちろん、女としての魅力も磨く必要があると考えたのだ。姉は最初、醜い毛色で小汚い妹の願いを一蹴したが、食い下がられ最終的には絆された。
 あらゆる美容法により磨かれたミィーシャルの容姿を、馬鹿にする者などもういない。「一番美しいのはワタクシだけど、次は貴方にしておいてあげるわ」と姉に言わしめるほど。今では一緒に美容体操をするほど仲が良い。

 あと姉は立派なシスコンになった。


 そのように、自分を嫌うが、なにかしら秀でた面のある他の兄弟たちに、ミィーシャルは恥も外聞もかなぐり捨て教えを乞い、多方面で成長していったのである。

 そしてみんな立派なシスコンになった。


(だけど、傭兵さんはまだ遠い。……今はなにをしてるのかな。前に手紙が返ってきたの、いつだっけ)

 ミィーシャルと傭兵の男は、手紙のやり取りをしている。
 といっても、自国に帰ってからも男は流れ者。居場所を突き止めるだけでも一苦労だが、そこは諜報部隊長を勤める『鳥型』の獣人である弟が協力してくれた。

『ボクの部隊なら、居場所を探って手紙くらい届けられますよ。あんな野蛮な男に執着することが、ボクには理解に苦しみますが……まあ、やってあげてもいいです。か、勘違いしないでくださいね! 姉さんのためじゃありませんから!』

 ミィーシャルの弟はシスコンでありツンデレであった。

 頻繁にとはいかないが、ミィーシャルは頼んで手紙を送り続けた。すると、男からも簡素だがちゃんと返事は来るのだ。


 『兄様に褒められました』と送れば、『頑張ったな』と。
 『姉様と仲良くなりました』と送れば、『良かったな』と。
 一番新しいやり取りは、『第一師団長に就任しました』と報告し、『強くなったな』と一言もらえた。


 男からの手紙は、すべてミィーシャルの宝物だ。
 だが聞きたくても聞けない、文字にならない言葉がずっとある。

 黒衣の団服の上から胸に手を当て、ミィーシャルはぎゅっと拳を握りしめた。


 ――――ようへいさんは、あの約束を覚えていますか?


 その一言だけは……いつまでたっても手紙に綴れない。

(……わかってる。ようへいさんは優しいから、私が変わるきっかけを潰さないよう、幼い私のワガママをきいてくれただけだってことくらい。あんな約束、もう忘れてるかも。彼の隣には今ごろ、別の女の人がいる可能性だってある。この想いが独りよがりなのも、知ってる。……それでも)

 つい作業を止めて、ミィーシャルが物思いに耽っていると、そこでバンッとドアが開く音が響いた。


「団長! 城門前で、通行許可書のない怪しげな人間の男を捕らえました!」


 次いで聞こえた声に、ザワッと周囲に緊張が走る。

 獣人と人間の関係は、婚姻を結ぶことも公に認められ、互いの国の行き来はいまや自由だ。
 だが王都に入るには許可書が必要であり、王城ともなれば警備は厳しい。
 報告に現れた団員は、縄を引っ張り、捕らえたという男を室内に入れた。男は麻縄でぐるぐる巻きにされている。

 ミィーシャルは確認するため近づこうとするが、そんな彼女を守るように、ウィグが前に立った。鋭い声で「何者だ」と男に尋ねる。

「ひでーな、忘れたのかよ。ミィをいじめてた、陰険いじめっこ小僧」
「は? ……もしや、お前」

 ウィグが微かに切れ長の目を見開く。
 耳朶を打った、懐かしい耳通りの良い低い声に、ミィーシャルの耳と尻尾がピン! と立ち上がった。


 もしかして。
 もしかして、もしかして、もしかして。


「――――ようへい、さん?」
「おう、久しぶりだな、ミィ」


 そろそろと、ミィーシャルはウィグの背中から顔を出す。視界に飛び込んできたのは、ずっと会いたくて堪らなかった男の姿。

 記憶より幾分か老けたが、瞳に宿る覇気や、『ミィと同じ色だ』と言ってくれた、夕焼け色の襟足の長い髪は変わらない。自分を『ミィ』という愛称で呼ぶのも彼だけ。
 縄に縛られているのに飄々とした態度も、目の下に走る切り傷も、自分を呼ぶその声も。すべてミィーシャルの知る『ようへいさん』のままだ。


 優しく、大好きな男に「綺麗になったな」と笑いかけられ――――そこで、ミィーシャルは限界を迎えた。


「い……」
「団長?」
「いやあああああああああああ!!!」
「団長ぉ!?」


 甲高い叫びを挙げ、ミィーシャルは隣接している倉庫へと続く扉の向こうへ、一目散に逃げ込んだ。普段は凛としている彼女の、らしからぬ乙女な悲鳴に、団員達は唖然とする。

 武器や防具などが仕舞ってある埃臭い倉庫の中で、ミィーシャルは扉に背を預け、頭を抱えてしゃがみ込んだ。尻尾や耳は小刻みに震えている。

 彼女は今、大パニック中であった。

(なんで、どうしてようへいさんが!? これは夢? 夢であって欲しい。だ、だって今の私、髪はボサボサだし汗臭いし、身形も男みたいで……ようへいさんと再会するなら、強く綺麗になった私を見てもらうはずだったのに。こ、こんなみっともない姿を、ようへいさんに見られるなんて……っ)

 消えちゃいたい……! と、我を忘れて完全に素に戻ったミィーシャルは、縮こまって震え続けている。衝撃のあまり、根っこの泣き虫が顔を出し、目尻には涙まで溜まっていた。

「ミィ」

 そんな彼女の真後ろ、扉越しで囁くように呼ぶ声が響く。

 さらにその後ろでは、「あ! お前、いつの間に縄を……!」と狼狽する団員達の声も聞こえるが、ミィーシャルの全神経は、すぐ後ろにいるだろう、焦がれていた男の存在へと向いていた。

「よ、ようへいさん……」
「驚かせちまってごめんな。遠回しに、お前に近々会いに行くことを、手紙で伝えたつもりだったんだが、遠回し過ぎたみたいだ」

 え……と暫し思考し、ミィーシャルは遅れて気付く。
 前回の男からの手紙で、『強くなったな』と言ってもらえた。そして遠い昔、ミィーシャルと男が交わした約束は、『ミィーシャルが強い女になれたら、男が迎えに来る』というものだった。


 それならば――――男は約束のことをしっかり覚えていて、それを実行しにきてくれたということだ。


 ミィーシャルの頬はブワッと赤くなる。胸中を駆け巡る歓喜と期待。

「よ、ようへいさんは、私との約束を覚えていてくれたんですね」
「ああ。許可の申請が面倒で、適当に侵入したら捕まったけどな」
「それなら、その、私をやっと、ようへいさんの……っ」

 お嫁さんに、とミィーシャルが心臓が破裂しそうになりながら口にする前に、男が「それなんだがな」と言葉を切る。

「お前はまだ、俺なんかの嫁になりたいのか?」
「え……」

 扉の向こうの男の声は、感情の篭らない平坦なものだ。上がっていたミィーシャルの身体の熱が一気に冷える。
 男は淡々と言葉を続ける。

「今のお前なら、俺なんかより良い相手はいくらでもいるだろ。こんなオッサンより、そこで俺をスゲー目で睨んでる、いじめっこ小僧みたいな、若くて頼りがいのある奴の嫁になった方が、お前は幸せになれるんじゃねぇか」
「な……なんでそんなこと言うんですか! ようへいさんは、私をお嫁さんにしてくれるために、迎えに来てくれたんじゃないの? ほ、他に想う方がいるなら、そう言ってくれたら……!」
「そんな奴はいねぇよ。……俺はそんな奴を、つくらないようにしてきたからな」

 男は自嘲染みた声で苦笑する。
 「ちょっと昔話をしていいか?」と問われ、ミィーシャルは膝を抱えて頷いた。見えていないはずなのに、了承の意は扉を隔てて伝わったらしく、男はミィーシャルの初めて聞く己の過去を話してくれた。



 その昔、男は人間の王の傍で、彼を守護する『王の騎士』と呼ばれていた。
 これはミィーシャルも知っていることだ。男は貴族の出であり、男と人間の国の王、そして王妃は、幼い頃からの親しき間柄でもあったとか。

 ちなみに、男の初恋で長らくの想い人は王妃様だったという余談に、ミィーシャルは軽く嫉妬したがそこは割愛しておく。

 友である者が王という座に就き、初恋の人が王妃となった日。
 男もまた、必ず二人を支え導く『王の騎士』となることを誓った。

 だがそんな折りに、王の暗殺未遂事件が起こる。

 首謀者は、前王の時代に私腹を肥やし、現王政になって落ち目になった大臣家の者だ。彼らは刺客を王と王妃に放った。
 その刺客は……男の最も信頼する部下だった。
 家族を人質に取られ、命令に従うしかなかったという。男は部下であった者と相対し、動揺した隙をつかれ、王妃に怪我を負わせてしまう。
 まだまだ男も若く青かった故の甘さだ。目の下の傷もこのときについたものである。

 幸い王妃は軽傷で、首謀者は捕えられた。刺客であった部下の者は、男に一言謝罪すると、その場で喉を掻き切って自害した。

 すべての責任を取り、男は地位を辞し、このときから流れ者の一傭兵と成り下がった。

 だが男に復帰の機会を与えようと考えたのか。
 獣人国と友好を結ぶために重要な『交換護衛任務』を、王はわざわざ男に命じた。傭兵として男を買ったとも言える。渋りながらも、男は最終的にその仕事を引き受けた。


 そして、獣人の国へとやってきた男はそこで――――ある少女と出会うのだ。


 いじめられていた少女を助けたのは、ただの偶然でほんの少しの気まぐれだ。
 だがそこから懐かれ、つい男も要らぬ面倒を見るようになる。『ようへいさん、ようへいさん』と、自分の後を必死に追おうとする少女に、自然と情が移ってしまう。

 少女が寄せる、裏表のない全幅の信頼と好意は、自分でも気づかぬ間に、男に安らぎのような感情を与えていた。
 誰にも明かさぬ胸中で、ずっと過去の自責の念に駆られていた男の内側に、それは緩やかに降り積もっていたのだ。



「……お前は、俺に救われたとか思っているのかもしれないが、俺の方こそ、お前に救われてたんだよ」

 静かに呟いた男の言葉は、ミィーシャルの耳に柔らかく響く。


 だが最初はもちろん、大切だとは感じても、年下の幼い少女だ。男のそれは親愛に近かった。
 別れ際に交した約束だって、ミィーシャルが推測したとおり、己を変えようとする少女の指標に、その約束がなればいいと思ってしただけだった。

 だけど、そこから10年間。
 男の元には、絶えることなく少女からの手紙が届いた。

 びっしりと丁寧に綴られたそれは、彼女の成長の記録だ。筆ベタな男はろくな返事をなかなか出せなかったが、いつしか少女からの手紙が届くことを、男は心待ちにするようになった。

 嘘がつけない少女の性格は男だって知っている。
 実際にあの泣き虫だった少女は、手紙にあるように、血の滲むような努力をしたのだろう――――それはすべて、男の『お嫁さん』とやらに、なりたいがためだけに。

 愚直なまでに一途なその想いは、手紙を通り越して、ちゃんと男に届いていた。

 もともと己の心を救ってくれた少女だ。
 その彼女から、十年という長い月日、変わらぬ愛情を注がれ続けてみろ。


 ……愛しく思うなと、言う方が難しい。


「俺はずっと、守ると誓った相手に怪我を負わせたことも、大事な仲間の抱えるものに最後まで気付けなかったことも、引き摺りまくって後悔していた。こんな俺に大切なもんを持つ資格はねぇし、持っても守れる気がしねぇって、ずっと逃げてた臆病者だ。とんだヘタレ野郎なんだよ。……そんな俺が、いま一番大切にしたくて、誰よりも幸せになって欲しいのが、お前だ、ミィ」
「ようへい、さん」
「お前は俺より遥かに強いぞ。もう最強だ。……さっきの話を聞いて、それでもまだ、お前はこんな根暗なオッサンの嫁になりたいのか?」

 ミィーシャルはぐっと唇を噛みしめた。
 そして勢いよく立ち上がり、派手な音を立てて倉庫のドアを開く。

 驚いたように目を見開く男の顔は、なるほど、記憶の中の凛然とした姿よりも、幾分か情けなくミィーシャルの目には映る。

 だけどそれがなおさら、より一層『好き』だと感じてしまう。

 ミィーシャルはそのまま男めがけて飛び込んだ。二つの夕焼け色の髪が交じって靡く。上手く受け止めてくれた男の逞しい胸にしがみ付きながら、ミィーシャルは「逆効果ですから!」と叫んだ。

「そんな話をして、私がようへいさんを諦めると思ったんですか? 逆効果ですから! 私はいま、貴方を抱き締めたくて仕方がありません! なんなんですか、なんで私ばっかり、惚れ直さないといけないんですか!? 強い貴方も弱い貴方も、好きに決まっているじゃないですか! 私はずっとずっと、貴方のお嫁さんになりたくて……ここまで……っ」

 昂ぶった感情の柵が決壊し、二度と泣かないと約束したのに、ミィーシャルは大粒の涙を流して泣きじゃくる。それを拭うこともせず、ポカポカと男の胸を叩き続けている。

 なお、鍛えられた男の胸筋だからポカポカという効果音で済んでいるだけで、他の者がこの攻撃を受けたら、軽く肋骨の一、二本は逝っている。
 ミィーシャルは素に戻っても、外側はちゃんと獣人国最強の女戦士である。

 男は甘んじて叩かれ終わると、武骨な手で昔のようにミィーシャルの頭を撫でた。

「……本当に、俺でいいんだな? 歳も離れていて、人種も違う。それでも、お前は俺で」
「当たり前じゃないですか!」

 即答し、潤んだ目で自分を睨み上げてくるミィーシャルに、男は「適わねぇなあ」と笑う。

 近くでよく見れば、ミィーシャルの皮膚には細かな傷跡が至るところにあった。いくら美に気を付けていても、武人として傷を負うことは避けられない。

 だけどその傷さえ、男にとっては愛でるべきものだ。それはすべて彼女が、己のために頑張ってくれた軌跡なのだから。

 堪らない愛しさを抱えながら、男は彼女の耳元で囁くように告げる。

「――――リュカだ、俺の名前。夫婦になるんだから、今度からはそっちで呼んでくれ」
「! リュ、リュカ!」
「ああ、ミィーシャル。……改めて、俺から言うな」


 俺の、嫁さんになってくれねぇか? 


 リュカの問い掛けに、ミィーシャルはまた涙を溢れさせる。

 それは、ミィーシャルがなにより焦がれ、待ち望んでいた言葉だった。

 ぎゅっとリュカに抱き付き、尻尾をこれでもかというくらい激しく振りながら、「はい!」と力一杯返事をする。
 そして大好きな人の腕の中で、泣き虫だった彼女は、美しく花開くように微笑んだ。




 ……そんな大団円っぽい光景の一方で。  
 展開についていけず、置いてけぼりを喰らっているのは第一師団の面々である。 

 完全に蚊帳の外に放り出された彼らは、ポカンと立ち竦むばかり。
 目の前で繰り広げられるやり取りにも、別人のような自分たちの団長の姿にも、脳の処理が追い付かない。

 だけど、これが祝福すべき場面であることだけは、なんとなくわかった。

 基本的に第一師団は、ノリが良く空気が読め、そして団長のことが大好きな集団である。一人がおずおずと拍手すれば、それにまた一人と続き、誰かが「お幸せにな、団長!」と叫べば、「俺らの団長をこれ以上泣かしたら承知しねぇぞ、畜生!」と、リュカに激励が飛ぶ。
 セルジュなんて、わけがわからないまま、それでも感動して鼻を啜っている。これで彼ももう立派な第一師団の一員だ。

 いつの間にか訓練場は、すっかり暖かな空気に包まれていた。


 しかし……ひとつの恋が叶うとき、また別の恋が散ることもある。


「いやーよかった、よかった。よくわかんねぇけど、もう団長が幸せそうならそれで……って、あれ、副団長? 副団長!? た、大変だ! 副団長が息をしていない!」
「失恋のショックが強すぎたんだ……! 誰か早く医療班を呼べ!」
「ダメです! もう……意識が……っ」
「しっかりしてください、副団長! 副団長おおおおおおお!」




 ――――こうして1人の犠牲を払い、長年の想いを叶えた二人の結婚式は、数ヶ月後に獣人と人間、双方入り乱れて盛大に行われた。
 男は第一師団に入団し、後にもうひとりの副団長として活躍することになる。人間と獣人双方の関係性の強化にも、二人の婚姻は大々的に報じられた。

 後に両国で『最強夫婦』と称される彼等は、ときにやっかみや妨害を受けながらも、末永く幸せに暮らしたらしい。

「愛してっぞ、ミィ」
「私もです、リュカ」

 『大好きな人のお嫁さんになる』という夢を叶えた少女は、ともに年老いるまで、夫の横で幸福そうに笑っていた。

 
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