表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生では王宮を救いませんので、お好きに滅んでくださいませ  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/10

第1話 お好きになさってくださいませ


 ——ああ、私、死んだんでした。


 天蓋の刺繍が目に入った瞬間、そう思った。

 薄紫の布地に銀糸で縫い取られた百合の花。これは侯爵家の寝室の天蓋だ。見間違えるはずがない。十九年間、毎朝この天井を見て起きていたのだから。


 でも、おかしい。

 私が最後に見た天井は、王宮地下書庫の黴びた石天井だったはず。


 体を起こす。両手を見る。

 若い。しわがない。インクの染みもない。三十二歳まで毎日毎日、法令書を書き続けた手ではなかった。


 ——十九歳の手だ。


 断罪の日の朝。

 前世で、この日から全てが始まった。エドヴァルト殿下に不敬罪を宣告され、婚約を破棄され、地下書庫に押し込められ、十三年間ただ書類を書き続けて、最後は誰にも看取られずに倒れた。


 過労死。


 死因が過労死というのは、あまりにも地味な死に方だと思う。

 剣で刺されたわけでもなく、毒を盛られたわけでもない。ただ、心臓が止まった。法令の草稿を握ったまま、机に突っ伏して、それきり。


 笑えない。本当に、笑えない。


 十三年分の法令を書いた。徴税制度を作った。通商条約の更新手続きを設計した。地方行政の記録様式を統一した。

 全部、宰相閣下の名前で提出された。

 書類には私の魔法印が刻まれていたはずだけれど、あの方は鑑定士による確認を一度も許可しなかった。善意だったのかもしれない。政争に巻き込みたくなかったのかもしれない。


 結果は同じだ。

 私の三十二年間は、存在しなかったことになった。


「ソフィーア様、お支度のお時間でございます」


 扉の向こうから侍女の声がする。

 そうだった。今日は断罪の日だ。あの大広間で、エドヴァルト殿下がもっともらしい顔をして、不敬罪の証拠とやらを読み上げる。マリアンヌが作った偽物の証拠を。

 前世の私は、あの場で必死に弁明した。無実を訴えた。涙まで流した。

 何の意味もなかった。


 ——今度は、違う。


 鏡の前に立って、髪を整える。

 侍女が差し出すドレスに袖を通しながら、頭の中では別のことを考えていた。


 手持ちの貯金。

 三万レン。前世で十三年間働いた給金のほとんどを使わなかった——使う暇がなかったというのが正しい。今世の私の口座にも同額があるはず。


 荷物。

 最低限の着替えと、書きかけの個人日誌。それだけでいい。


 行き先。

 前世で一度だけ、地方行政記録の整備のために訪れた辺境の修道院。国境近くの、小さな修道院だった。あの庭で飲んだ薬草茶の味を、十三年間ずっと覚えている。

 三十二年の人生で唯一、穏やかだった半日。


 ——あそこに行こう。


    ◇


 王宮大広間。


 燭台の炎が揺れている。左右に並ぶ貴族たちの視線が、入場した私に集中した。

 広間の奥に、エドヴァルト殿下が立っている。隣にマリアンヌ。金色の髪を揺らして、心配そうな顔を作っている。上手いものだ、と思った。前世では騙された顔だ。


 殿下が口を開く。


「ソフィーア。今日、この場に集まっていただいたのは——」


「もう結構です」


 殿下の言葉が止まった。

 広間が静まり返る。


「殿下がおっしゃりたいことは存じております。不敬罪の嫌疑、婚約の解消、そして私への処分。そういったことでしょう?」


「……なぜそれを」


「どちらでも構いませんわ」


 左手の薬指から、婚約指輪を外す。

 小さな音を立てて、テーブルに置いた。


「婚約破棄でも追放でも、お好きになさってくださいませ。書類が必要でしたら、こちらで用意いたしましょうか? ——ああ、それとも宰相閣下にお願いした方がよろしいかしら。書類関係はあちらがご担当でいらっしゃいますものね」


 皮肉が口をついて出た。

 前世の私には言えなかった台詞だ。でも今の私には、十三年間地下書庫で書類を書き続けた記憶がある。あの生活にもう一度戻る気はない。一秒たりとも。


 エドヴァルト殿下が何か言おうとしている。

 マリアンヌの顔が強張っている。

 貴族たちがざわめいている。


 全部、どうでもいい。


「それでは、失礼いたします」


 背を向けた。

 一度も振り返らなかった。

 広間の扉が閉まる音が、やけに大きく響いた。


    ◇


 馬車に揺られて七日。


 王都を出る時、不思議と涙は出なかった。

 十九年間暮らした屋敷にも、四年間通った学院にも、未練がない。前世の記憶が上書きしてしまったからかもしれない。あの屋敷で過ごした十九年より、地下書庫で過ごした十三年の方がずっと長く感じる。


 窓の外に、麦畑が広がっている。

 春の陽射しが眩しい。地下書庫には窓がなかったから、この明るさだけで少し目が痛くなる。


 ——二度目の人生は、自分のために使う。


 誰かのために書類を書かない。誰かのために制度を整えない。誰かのために徹夜しない。

 もう二度と。


 聖ベルタ修道院は、記憶の通りの場所にあった。


 石造りの小さな建物。手入れの行き届いた薬草園。白い壁に蔦が絡まっている。前世で訪れた時と変わらない景色に、胸の奥がほんの少しだけ緩んだ。


「まあ。お客様ですか?」


 門を開けてくれたのは、白髪の修道院長だった。穏やかな目元に見覚えがある。


「院長先生。突然の訪問をお許しください。しばらくの間、こちらに身を置かせていただけないかと——」


「ソフィーアさん、でしたね。以前、記録庫の整理にいらした」


 覚えていてくれた。

 前世で一度会っただけの私を。


「お入りなさい。ちょうど薬草茶を淹れたところですよ」


 あの味だ、と思った。

 たった半日の記憶を頼りに、七日間馬車に揺られてきた。馬鹿みたいだ。でも、他に行く場所がなかった。


 修道院の中は静かだった。

 夕暮れの光が回廊に差し込んで、石の床を橙色に染めている。マルタ院長に案内されて中庭を横切り、客室へ向かう途中——


 礼拝堂の片隅に、小さな影が見えた。


 四つか、五つくらいの女の子。

 栗色の髪を揺らして、古びた木の椅子に座っている。膝を抱えて、じっとこちらを見ていた。


 目が合った。


 銀の瞳。

 この世界で、銀の瞳を持つ血筋はひとつしかない。


「……おねえちゃん、だぁれ?」


 小さな声だった。

 少女が身じろぎした拍子に、袖がずれた。細い腕に、淡く光る紋様が一瞬だけ見えた。


 王家の、紋章。


 足が止まる。

 心臓が一回、強く鳴った。


 ——なぜ、こんなところに。


 修道院長が振り返る。

 少女が私を見上げている。銀色の目に、夕陽の光が映り込んでいた。


 二度目の人生は、自分のために生きると決めたばかりだった。

 なのに。


 この子の瞳から、目が離せない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
検索結果を上から順に読んでるけど、AI任せとしか思えない作品が多くてげんなりする…公開する前に推敲することすらしないのか 死に戻ってるのに、戻る前の貯金が13年前の主人公の口座にあるとかホラーやん。 …
そもそもよいですか? 死に戻り19歳。 過去の13年の功績はありません。 断罪後の地下事務作業の実績ありません。 お話が破綻しています。
13年間の貯金?? 時が戻ってるなら貯金もなかったことになるのでは???
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ