19.父と娘
そっと身体を離したチャールズは、扉の隙間から外へと消えるように姿を消した。
「待って、お願い!」
駆け足で扉に向かったジェシカだったが、無情にも彼女を待たずに扉は閉まった。涙を流しながら、ジェシカは力なくその場に座り込んだ。そんな彼女の後ろ姿を見つめる一人の男性がいた。
「…やぁ、チャーリー。こんな夜中にどこに行くの?」
大きな正門へと続く煉瓦が連なる一本道を歩いていたチャールズは、不意に掛けられた言葉に足を止めてその人物に視線を向けた。土色の建物がでんと腰を構えるその場所に、トンネルのような通路があるすぐ側でエドマンドが腕を組んで建物に寄りかかっていた。
「魔法や魔術が効かない体質という人間は厄介なものだな…」
友人を見やりながら、チャールズが困ったものだと呟いた。そんな彼の言葉が聞こえたのか、エドマンドは作り笑いをその顔に浮かべてさらりと言った。
「まぁね、厄介ではあるけど使い方によっては便利なんだよ?例えば、睡眠魔法を宮殿中にかけて、こっそり誰にも見つからないようにどこかに行こうとしている誰かさんを引き止める時とかさ。…チャールズ、質問に答えてくれるかな」
「一緒にいるのは、ジェシカの為にならない」
彼を静かに見やっていたチャールズは、小さくそう言った。
「何故?」
首を傾げてチャールズを見つめ返すエドマンド。まるで呟くように視線を逸らしてチャールズが言った。
「ただの父と娘の関係にはもう戻れないから」
「父と娘、ねぇ…」
ふっと笑って呟くようにそう言ったエドマンドは、寄りかかっていた建物から身体を起こして衣類を叩いた。ゆっくりと視線を上げた彼は、不思議そうに彼を見つめている。
「誰と誰が?」
「…俺とジェシカに決まっているだろ。ジェシカの戸籍の手続きをしたのはエドマンドだろうが」
頭が悪いのかと言わんばかりに顔をしかめたチャールズは、非難するように言った。エドマンドは、ゆっくりと歩みを進めて彼の数歩前で立ち止まると、おどけたように首をすくめて言い返した。
「そりゃあ、確かに手続きをしたよ?…君とジェシカちゃんの、じゃないけどね」
「…どういうことだ?」
「結局ジェシカちゃんはチャールズに言わなかったんだね。まぁ、だからこんなにややこしいことになってるわけだけど」
チャールズの質問には答えず、一人ぶつぶつと呟いたエドマンドがにっこりと笑顔を浮かべた。
「君とジェシカちゃんは、書類上でも親子じゃない。彼女の本当の父はね…」
「…僕だよ、チャールズ」
まるで内緒話をするように声を潜めたエドマンドの言葉の後を引き継いだのは、馴染みのある柔らかな声だった。その声に反射的に振り返ったチャールズの瞳が、驚いたように見開かれた。チャールズが纏う黒い外套と違いがあまりない、同じような外套を纏ったポールがそこにいた。
「驚くのも無理はないかな?」
苦笑をまじえてそう言ったポールは、可愛い弟を見つめる兄のようだ。
「あの日、僕が役所に行ったのはさ、チャーリー。君が言っているとおりジェシカちゃんの手続きのためなんだけど…まぁ、厳密に言ったらジェシカちゃんの戸籍登録をするためだったんだ」
思考が追い付かないというように眼を白黒させるチャールズ。そんな彼を見つめて、ポールは少し首を傾げて笑った。
「可愛い名前をつけてくれて、礼を言うよ。ありがとう、チャールズ。騙したみたいになってしまったけれど、あの子は正真正銘、僕の血の繋がった娘だよ」
その言葉を聞いたチャールズが、酷く傷ついたような表情で口を開いた。
「…ジェシカを捨てたのはアンタなのか」
「捨てた訳じゃないさ、本当さ」
冷ややかなその言葉に、ポールが悲しそうな表情を浮かべて言い返した。
「いつの頃だったかな。珍しく遠征を受けた年の暮れに、海の向こう、それは小さな小さな国に一人で渡ったんだ。とても良い国だったんだけれど、周りの諸国の内戦の影響を諸に受けてね。僕は良くしてもらったそこの人達に何か出来ないかと思った。…海も荒れに荒れてね、しばらくその国に滞在することになってから、あの子の母親に出会った」
言われて見れば、ジェシカと良く似ているその顔を伏せて、ポールは静かに言葉を続けた。
「…気立てが良くて、良く笑う素敵な女性だよ。彼女に恋心を抱くのに時間はかからなくて、何度も彼女がいる国に足を運んだ。結婚を申し込もうと思った時も、数え切れないほどあった…だけど、一緒になることはなかなか困難だった」
真冬の寒さに包まれた王宮の一角に、冬特有の北風が吹き付けた。
「彼女の家は代々続いた魔女の家系だった。その国にいる唯一の魔女だったために、国に従う義務があった。おまけに僕は第一魔法使い。王宮を長いこと離れるなど不可能だ。…そんなときだよ、あの子が彼女のお腹の中にいると分かったのは」
身動きもせずに佇むチャールズとエドマンドが言葉を口にしないことを確認して、ポールが淡々と言葉を続けた。
「彼女は産んだ、あの子を。父親のいない子として。周りの人達の反応はそれはそれは冷たいもので。彼女に心無い言葉を浴びせて、彼女を追いつめたんだ。僕はね、チャールズ。あの子を捨てた訳でも、要らない子などと思ったことは一度もないよ。だけど、あの子の母親とあの子自身を守るにはこの方法しかなかったんだ。君に託すという方法しかね」
――君なら、大切な娘を幸せにしてくれると思ったから。
そんな想いが聞こえてくるようだった。
「エドマンドは良く僕にボヤいてた。チャールズの女性不信が酷いと。それを思い出したのは、あの子を腕に抱いた時だった。この子ならば、君に人並みの幸せを与えてくれるのじゃないかって。だから、あの日君が通るであろう道に置いてみたんだ」
「ジェシカちゃんを見て、最初はポールの娘だなんて分からなかった。けど、ジェシカちゃんを腕に抱くチャールズを見てたら、もしかしたらって思ってさ。ポールに慌てて確認しに行ったら、悪びれもなく肯定するんだもん。腰を抜かすかと思ったよ」
苦笑を含みながらそう呟いたエドマンドを振り返り、チャールズが眉間に皺を寄せて言った。
「…お前もか」
「やだなぁ、僕は無実だよ。発起人は確かに僕だけどさ。だって、君ったら女性不信にもほどかあるよ。良い人を紹介する度に酷い対応なんだから。それをポールに言ったんだ、チャールズにはもう赤ん坊か老婆しか相手がいないかもしれないって」
でも、さすがに老婆は無理だよね~って冗談で言ったから。とおどけたように続けた。
長い付き合いである彼を睨み付けるチャールズに、ポールは優しく言い聞かせるように言った。
「エドマンドが悪いんじゃない。僕の独断でしたことだ。だから、彼を怒るのは見当違いだよ」
ややふてくされたようにポールに向き直ったチャールズに、にっこりと笑いかけた。
「チャールズ、あの子を幸せにしてくれるだろう?」
「…俺にどうしろというんだ」
「難しいことなど一つも言ってない筈だよ。ただ、あの子の側で一緒に笑って…ごく普通の幸せを二人でこれからも作って行って欲しいだけさ。…自分に素直になるんだよ、チャールズ。さぁ、彼女が待ってるよ」
ポールがそう言って、身体をずらして背後を振り返った。
王宮へと向かうだだっ広い道の先に、金髪の少女が一人静かに佇んでいる。左右には深緑の生け垣が並び、等間隔に葉を実らせてもいない木々が等間隔に並ぶ。そんな場所に、冬特有の風がどこからともなく吹き付けて彼女の長い髪と上着を舞上げる。チャールズはじっと彼女を見つめるとゆっくりと足を進め、やがて駆け足で彼女の元へと向かった。彼女もまた同じく。まるで二人は引き寄せられるかのように。
「…しかし、友人がまさかあんなに歳の離れた少女が好みだったなんて」
そんな二人を微笑ましく見つめていたポールの元に、エドマンドの小さな呟きが耳に届いた。おや、とポールは首を傾げて隣に並んだ彼を見やった。
「なんだい、エドマンド。君でも驚くことがあるのかい」
その問いに、そりゃあそうさと首をすくめた彼は、さらりと付け加えた。
「かなりの衝撃だよ」
「…そうかい」
そう言って二人は小さく笑い合った。




