↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第六章 鉄の値段

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
99/106

第99話 利子

焼け跡の煙が見えたのは、四日目の昼過ぎだった。

門の前にトマが立っていた。

「……行ってきます、って、言ったな」

「ただいま」

「おう」

それから、トマは、知らない顔を二つ見つけた。

前掛けに巻尺を下げた、小柄な女。手足の長い痩せた若い男。

「どこから来た」

「ポルタから」

コレットが言った。

「壁を見に来たの」

トマは、焼け残った門柱と、その横の土の壁をちらりと見た。

「……なら、見ろ」

コレットは、もう門柱を見上げていた。

トマは、ニコに目を移した。

「どこから来た」

ニコは、少しだけ黙った。

袖の札には、触らなかった。

「橋から」

トマは、ニコの顔をしばらく見ていた。

「なら、入れ」


ゴードンは、門の内側にいた。

ネリの炉の横の壁に、あの盾が立てかけてあった。その前に樽が一つ。ゴードンは、樽の横に立っていた。

立って、待っていたのだと、ハルトは思った。

「帰ったか」

「はい。……ただいま、です」

「おう」

ゴードンは、トマと同じ返事をした。

それから、ハルトの後ろのユノとリュネを見た。ノエラを、ネリを、知らない二人を。

「全員か」

「全員です。……二人、増えました」

「そうか」

ゴードンは、何か言いかけた。

その途中で樽に手をついた。

ゆっくり腰を下ろした。

「……で、ポルタは、どうだった」

座ってから、ゴードンは続きを言った。

何でもない顔で。

マーサが、少し離れたところで、杖を握り直していた。

ハルトは、ゴードンの前にしゃがんだ。

立ったままでは、話しにくい気がした。


その夜、リュネが手帳を広げた。

ポルタの古い本屋で、三日かけて写してきた頁だった。帝国の字ではない、昔の字。リュネは、それを、ほとんど寝ずに読んだらしかった。

「代償のことが書いてあったの」

焚き火の前でリュネは言った。ゴードン、マーサ、ユノ、セラ、ハルト。延命の時と、同じ顔ぶれだった。

「代償は、借りみたいなものだって。……使った時に借りる。あとで返す」

「借り」

「そう。ゴードンさんのは、秋に一度に借りすぎたの。だから、取り立てが、遅れて、来てる」

リュネは、手帳の頁を指でなぞった。

「一度に返すと、崖。少しずつ返せば、坂道。……それは、この前、わかった」

ゴードンが鼻を鳴らした。

「利子つき、か」

「そう。利子つき」

リュネは言った。

カーラの顔が浮かんで、ハルトは少し笑いそうになった。

「でもね。もう一つ、書いてあったの」

リュネの声が少し低くなった。

「返す人が、増えれば。……一人の坂道は、もっと、なだらかに、なるって」

焚き火がぱちんと鳴った。

「この前は、糸が六本だった。ここにいる人と、ゴードンさん自身。……でも、ゴードンさんの名前と顔を知ってる人は、焼け跡に、もっと、いる」

リュネは、鍋の列のほうを見た。

まだ、夕飯の後の人たちが、火のまわりに残っていた。

「全員に聞いて」

リュネは、ハルトに言った。

「少しずつ持ってくれる人。……盟主の仕事でしょ」


鍋の列でハルトは聞いた。

ゴードンさんの借りを、少しずつ返すのを、手伝ってくれる人。少し重くなります。濡れた外套を一枚、肩にかけるくらい。

言い終わる前にウルリクが言った。

「何本、だ」

「え」

「何人いれば、いい。……数を言え」

ハルトは、リュネを見た。

リュネは、首を振った。

「多いほど、いい。……理論的には」

手が上がった。

ロブ。ベック。オット。ピム。アガタ。トマ。帝国の靴の四人。東の谷の男たち。陣の外れの村の男たち。樽に座った、腿を射られた男も。

ネリが上げた。コレットが、わけもわからないまま、ネリの横で上げた。ニコは、ちょっと迷ってから、上げた。

「知らない爺さんだけど」

ニコは言った。

「さっき、橋の話を聞いてくれたから」

窪地のほうから、イゾルデが来ていた。

何も言わずに、手を上げた。

その後ろで、年かさの古い兵と年寄りの兵も。

ゴードンは、樽に座ったまま、その手を見ていた。

長いあいだ、見ていた。

「……好きにしろ」

声が少し揺れていた。


糸は、数えきれなかった。

ハルトの胸の奥から、名前と顔の繋がった全員へ。細い光が、焚き火のまわりに、窪地のほうへ、鍋の列の端まで伸びていった。

一番太い糸は、ゴードンへ。

ハルトは、引かなかった。

引きたかった。ゴードンの肩が、昔より細いのが見えたから。

でも、引かなかった。

待った。

重さが来た。

濡れた外套を、何枚も重ねたような重さだった。

それが、糸の数だけ、分かれていった。百と少し。一人あたりは、薄い雨に打たれたくらいの冷たさだった。

それでも、なくなったわけではなかった。

ロブが肩をすくめた。ピムが、鍋の柄を握り直した。樽の男が杖に体を預けた。

糸の向こうでリュネの声がした。

「……あった」

小さな声だった。

「急なところ。……ここ。ここも」

リュネの手が、宙で、何かを撫でるように動いていた。

「みんなの分でならせる」

ゴードンが息を吐いた。

長い息だった。

「……外套が」

ゴードンは言った。

「また、一枚減った」

マーサが口元を押さえた。


ユノが、ハルトの右手を包んでいた。

いつものように。

境目が温かかった。

いつもより、長く。

その時だった。

指先に何かが来た。

痛みではなかった。冷たさでもなかった。

人差し指の先。ずっと、石のように何も感じなかったところに。

小さな虫が、一度だけ這ったような。

ハルトは、自分の手を見た。

灰色の指が、ユノの手の中で、ほんの少しだけ曲がった。

一度だけ。

「……え」

ユノの手が止まった。

ユノも見ていた。

「ハル。今」

リュネが振り向いた。

糸の向こうから、ハルトの手を見た。

「……今、動いた?」

ハルトは、答えられなかった。

もう一度動かそうとした。

動かなかった。

ユノが手を包み直した。もう一度境目が温かくなった。

指は、もう動かなかった。

でも、一度は、動いた。

リュネが、手帳に何かを書いた。

震える字だった。

「指先。一度。……ユノが、包んでる時」

リュネは、声に出して書いた。

それから、ペンを止めた。

「急な回復じゃ、ない」

リュネは、自分に言い聞かせるように言った。

「一度だけ。……でも、記録は、記録よ」

ハルトは、喉の奥が熱くなるのを感じた。

涙は、出なかった。

ユノは、泣いていた。声を出さずに。ハルトの手を包んだまま。


糸がほどけた後、ゴードンは立ち上がった。

一度で。

盾の前まで歩いた。三歩。

それから、盾の前でハルトと話した。何の話だったか、後になってもよく覚えていない。ポルタの塩の山の話。ニコの札の話。

途中で、ゴードンは、また樽に手をついた。

座った。

「年寄りはな」

ゴードンは言った。

「座って、話すもんだ」

ハルトは、頷いた。

ゴードンの前にしゃがんだ。

「……はい」

離れたところで、リュネが、また手帳に書いていた。

坂道。なだらか。

それから、一行、足した。

それでも、下り。


焚き火から少し離れた、門柱の陰にセラが立っていた。

糸は、セラにも届いていた。

セラは、ハルトの右手を見ていた。

いつから見ていたのかは、わからなかった。

「……動いたのか」

セラは言った。

硬い声だった。

ハルトは、頷いた。

「一度だけです」

セラは、しばらく黙っていた。

それから、背を向けた。

門のほうへ歩いていった。

左手が、外套の脇で震えていた。

いつもより、強く。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。