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暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第六章 鉄の値段

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第100話 一度

--- セラ視点 ---

夜の見張りは、見ることが務めだ。

考えることではない。

セラは、焼けた門柱の横に立っていた。トマは寝ている。夜の半分は、セラが持つ。冬からそう決めていた。誰に言われたのでもない。

焚き火の跡に、まだ赤いものが残っていた。

糸は、もう消えていた。

それでも、胸の奥に、細い何かが残っている気がした。濡れた外套を一枚、肩にかけられたような重さ。

あの老人の分だ。

それは、構わない。

構わないのは、それではなかった。

左手が、震えていた。

外套の脇で。いつもより、強く。


ハルトたちがポルタへ行っていた十二日のあいだ、セラは門を預かった。

朝は、倉の裏の稽古場に出た。

ベックが上を見る。槍を四十年振ったという年寄りの兵が、突きを見せる。樽に座った男が、足を見る。三人で一人分の師匠だと、ベックは言っていた。

セラは、四人目になった。

槍ではなかった。剣の型だった。若い男たちの何人かは、剣を持つことになる。ネリの炉が穂先を打ちきれない分、帝国の陣から拾った古い剣が、倉に残っていた。

セラは、木の棒を持った。

右手で。

右手は、ぶれなかった。構えも、振りも、引きも。十年かけて体に入れたものは、棒でも同じだった。

若い男たちは、黙って見ていた。

一人が言った。

「……騎士様の剣、見てみてえな」

サビナの真似だった。悪気はなかった。

セラは、答えなかった。

棒を、左手に持ち替えることも、しなかった。


外套の内側に、紙が一枚ある。

セラは、焚き火の跡のそばに膝をついた。赤いものの明かりで、紙を広げた。

折り目が、すり切れかけていた。

増援の要請。住民の避難勧告。日付は、ベルナが落ちる六日前。差出人の欄に、自分の名前。受け取った者の欄に、評議会の印。

原本は、市庁舎と一緒に燃えた。

写しは、これ一枚しかない。

これを出せば、評議会が知っていたことの証になる。知っていて、何もしなかったことの。

セラは、何度もそう考えた。

ベルナにいた頃も。扉を掘っていた半年のあいだも。百八十六を数えた日も。

出せば、証になる。

だが、証は、裁く者がいて、初めて証になる。

今のベルナに、裁く者はいない。帝国の町の評議会を、帝国が裁くことはない。

それに。

証が立っても、扉の内側の百八十六は、戻らない。

三十八人の行き先も、わからない。

セラは、紙を折った。

折り目の、とおりに。

外套の内側に戻した。

誰にも、見せなかった。

今夜も。


足音がした。

セラは、立ち上がった。

ハルトだった。

天幕から出てきたらしかった。外套を肩に引っかけただけで、髪に寝癖がついていた。十五歳の顔だった。盟主の顔では、なかった。

「眠れなくて」

ハルトは言った。

「……指が」

右手を、少し持ち上げた。

灰色の手。握れない手。

「寝てる間に、また、動くかもしれないって。……思ったら、眠れなくて」

セラは、その手を見た。

さっき、焚き火の前で、ユノの手の中で、一度だけ曲がった指。

セラは、見ていた。門柱の陰から。

見たことに、まだ、名前をつけられずにいた。

「動いたか」

「動かないです」

ハルトは、少し笑った。

「一度、だけ」

セラは、しばらく黙っていた。

規律の言葉を探した。

見つからなかった。

「一度は、数ではない」

セラは言った。

ハルトが、顔を上げた。

「一度で、何かを決めるな。……二度目が来るまで、待て。それが、来なくても」

ハルトは、セラを見ていた。

「待つのも、務めだ」

ハルトは、頷いた。

「はい」

それから、ハルトは、何か言いかけた。

「セラさん。……もし、いつか」

そこで、止まった。

背中の剣の柄に、左手が触れていた。レオニスの、右の剣。結び目に、右の手で、と書いてあると、セラは聞いていた。

ハルトは、続きを言わなかった。

言わずに、頭を下げた。

「おやすみなさい」

天幕へ、戻っていった。


もし、いつか。

その先は、セラにもわかった。

右手で、剣を持てるようになったら。

それを教える者が、要る。

ゴードンは、もう二十歩で息が上がる。座って話す年寄りになった。冬に、セラに言った。稽古を、つけてやってくれ、と。

盾の持ち方なら、冬のあいだに教えた。

剣は、まだだった。

剣を教える者は、剣を持たなければならない。棒では、教えられないことがある。刃の重さ。抜く時の、鞘との擦れ。振り下ろした後に、刃が自分の手首に返してくるもの。

セラの剣は、ベルナの西門の詰所にある。

布に包んで、置いてきた。

セラは、門柱に立てかけてあった木の棒を取った。

左手で。

握った。

震えた。

棒は軽い。刃もない。それでも、柄を握る形を、手が覚えていた。覚えているから、震えた。

一つ。

セラは、数えた。

谷の出口で、リュネの霧を数えた時と同じように。

二つ。三つ。

震えは、止まらなかった。

十まで数えて、セラは、棒を下ろした。

止まらなかった。

それは、わかっていた。

それでも、十まで、握っていた。

冬には、三つで離した。

それが、数かどうかは、わからなかった。

一度なのかも、しれなかった。


東の空が、白みはじめた。

門の外の道に、影が一つ見えた。

走っていた。よろけながら。

セラは、棒を持ったまま、門の前に出た。

男だった。泥だらけの外套。息が上がりきっていた。

顔に、見覚えがあった。

東の谷の男だった。春に、谷に残って畑を起こすと言った四人の一人。

物音で、トマが起きてきた。

「どこから、来た」

男は、門柱にすがって、膝をついた。

「……東の、谷から」

「なら、入れ」

男は、入らなかった。

その場で、顔を上げた。

「丘の、上に」

男は言った。

「杭が、立った。……谷を、見下ろす、丘の上に。黒い、外套の、連中が、何十人も」

セラの左手が、棒を握り直した。

震えたまま。

「柵だ。……でかい、柵を、建てる、気だ」

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