↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第六章 鉄の値段

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
97/106

第97話 九

--- ゼノビア視点 ---

ポルタからの早馬の手紙は、議会の四日後に、宿の卓の上に置かれていた。

封は切ってあった。

ハインツが切ったのだ、とゼノビアは思った。切ってから、ここに置いた。読ませるために。

「読んでくれていい」

窓辺の椅子で、ハインツが言った。柔らかい色の上着。手には茶の碗。

「君の帳簿のために、届いたようなものだから」

ゼノビアは手紙を開いた。

書いたのは、東の陣の新しい柵の注文主だった。将軍の館の、新しい主。字は若く、勢いがあり、ところどころ筆圧で紙が破れかけていた。

前腕を斬られた手で書いたのだろう。ゼノビアは、それも数に入れた。


手紙の中身は、整っていた。

ポルタの議会は、両者を同じ部屋に呼んだ。

帝国の申し出は、相場の倍。同盟が焼け跡の鉄を買わないことを条件に。東の陣の柵の仕事も、同盟の組合に任せる。

反乱軍の盟主は、灰色の腕の少年だった。自分で、鉄は帝国の荷車から取ったと言った。御者が一人死んだ、とも。

ゼノビアは、そこで一度、目を止めた。

値を下げる話を、自分からする交渉人はいない。

あの少年は、交渉をしていないのだ。

先を読んだ。

反乱軍の軍師は、倍の値には触れなかった。代わりに、東の谷の話をした。

――軍師は帳面を開かず、東の谷の年寄りの数と、子供の数を言った。谷が残れば来年も塩を買う、帝国の値は一度きりだ、と。議会は三日考えると答えた。

ゼノビアは、その一行を、二度読んだ。

帳面を開かずに。

あの人は、いつも帳面を開いていた。図書室でも、演習の前の晩でも。数は紙の上にあるもので、頭の中にあるものではない、と言っていた。紙の上にある数だけが、間違えずにすむ、と。

その人が、帳面を開かずに、子供の数を言った。

紙を見ずに言える数は、何度も数えた数だけだ。

ゼノビアは、手紙を卓に置いた。


「どう読む」

ハインツが聞いた。

「議会は、反乱軍と取引をします」

ゼノビアは答えた。

「倍の値は、商人には一度きりの儲けです。ポルタは、一度きりの儲けで動く町ではありません。……三日考えると言ったのは、断る理由を探しているのではなく、帝国に角を立てない言い方を探しているのです」

「同じ読みだ」

ハインツは、茶を一口飲んだ。

「止めますか」

「止めない」

ハインツは言った。

あっさりと。

「ポルタは秤の町だ。秤を傾けようとして重りを足すと、向こうも足す。足し合いになる。……それは、商人の土俵だよ。こちらが負ける」

ハインツは碗を置いた。

「取引は、まとまっていい。紙の上では」

「紙の上では」

「荷が届かなければ、取引はなかったのと同じだ」

ハインツは、窓の外を見た。帝都の屋根の向こうに、工匠街の九本の煙突。

「ポルタから焼け跡まで、四日の道だそうだね。最初の荷は、一番、目立つ。ポルタの商人も、反乱軍も、最初の荷が届くかどうかを見ている。……届かなければ、二度目の荷は、出ない」

ゼノビアは、何も言わなかった。

「東の陣は、春の兵で、まだ四百近くある。割れた列は並べ直した。将軍の古い兵は、もういないからね。並べやすくなった」

ハインツは、ゼノビアを見た。

穏やかな目だった。

「それから、焼け跡の東の外れに、将軍の娘がいるそうだ。陣の斥候が見てきた」

「……はい」

「急がなくていい」

ハインツは言った。

「娘は、荷の後でいい。順番は、大事だよ。……一度に二つ取ろうとすると、どちらも、取りこぼす」


宿を出たのは、夕方だった。

工房の回廊へは戻らず、ゼノビアは、自分の部屋で帳簿を開いた。

カインの頁。

日付。流した量。五つの名前。

「ミア」の欄。会った。

その日の行の端に、ゼノビアは、小さく書き足した。

一度で、聞いた。

先日の行だった。五つの名前を、彼は一度で聞いた。五つ目の名前を、口の中で繰り返していた。

覚えたのだ。覚えることに、慣れたのだ。

聞き落とさなくなったのは、聞くことに、もう、痛みがないからかもしれなかった。

ゼノビアは、その考えを書かなかった。

書いたら、正確ではなくなる。


頁をめくった。

ノエラの頁。

一番上に、百四十一。去年の秋、ノエラの策が帳面から消そうとした、川下の村の数。消されずに、全員が村へ帰った数。

その下に、種麦。

ゼノビアは、ペンを持ったまま、長いあいだ、その二つを見ていた。

それから、三つ目を書いた。

九。

東の谷の、子供の数だった。

書いてから、ゼノビアは気づいた。

自分も、子供を、数で書いた。

百四十一と同じ字の大きさで。種麦と同じ並びで。九、と。

あの人は、子供を、数で言った。でも、数のまま言ったのではなかった。塩を買う九人として。来年も、再来年も、そこにいる九人として。

ゼノビアの帳簿には、九、としか書いていない。

ペン先が、頁の上で止まった。

九の横に、何かを書き足そうとした。

何を書けばいいのか、わからなかった。

名前は知らない。顔も知らない。東の谷がどこにあるのかは、地図で知っているだけだ。

ゼノビアは、ペンを置いた。

九、のままにした。

正確な帳簿というのは、こういうことだ、と思った。

知らないことは、書かない。

知らないことしか、ない時も。


夜更け、扉が叩かれた。

将軍の軍の、古い書記だった。

頼まれていない写しを、いつものように一枚だけ持っていた。

「東の陣への、命令です」

書記は言った。

それだけ言って、写しを置き、帰っていった。

ゼノビアは写しを読んだ。

――ポルタより焼け跡へ向かう、最初の荷の列を見張ること。道は四日。荷が焼け跡に着く前に、止めること。荷を守る者は、問わない。

日付は、今日だった。

ゼノビアは、写しを、ノエラの頁に挟んだ。

九、の上に。

伝える相手は、いなかった。

伝える手も、なかった。

ゼノビアにできることは、数えることだけだった。荷の列が何台で、守る者が何人で、四日の道のどこに谷があるか。

数えれば、わかる。

それが、いつも、いちばん、怖かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。