第93話 剪定
--- カイン視点 ---
石の台の向こうに、五人が座っていた。
右から、十七。それから、二十三、三十一。あとの二人は、扉の数字だけ、覚えていた。名前は、ゆうべ、ゼノビアが読んだ。
五人目は、若かった。
ハルと同じくらいか。もう少し、下か。
鉄の板に置いた手が震えていた。
カインは、それを見た。
見て、灰色の右手を自分の板に置いた。
技師が紙を広げた。
数字を読み上げようとして、口を開いた。
その前に、床の石が盛り上がっていた。
一本。二本。
三本目で技師が数字を読んだ。
カインは、それを聞いて、四本目を立てた。
溝が光った。
光は、五つに分かれて、流れていった。
台の向こうで、誰かが短く声を上げた。
若い声だった。
カインは、顔を上げなかった。
上げなくても、もう止まらないことは、知っていた。
部屋へ戻される途中だった。
回廊の角で、技師が黒い外套の男と話していた。胸に細い銀の鎖。
カインは、足を止めなかった。
止めなくても、声は、聞こえた。
「板の溝が、浅く、なる」
技師の声だった。
「倍で、流せば、倍ですり減る。……冬の終わりから、二枚替えた。次の鉄が要る」
「焼け跡の鉄は」
「取り返せなかった。……知っているだろう」
黒い外套の男は、少し黙った。
「なら、買う」
「どこから」
「東の商人どもから。……ポルタに人をやってある。あそこは、誰にでも、売る」
カインは、回廊の唯一の窓の前を通りすぎた。
焼け跡、という、言葉だけが耳に残った。
あそこに鉄がある。
あそこに誰がいるのか。
カインは、知っていた。
知っていて、何も考えないことにした。
それも、前より上手くなっていた。
昼の粥は、全部、食べた。
もう、空の椀を見つめることはなかった。
食べ終わって、匙を置いて、それから、思い出す。食べたことを。
扉が叩かれた。
ゼノビアが、帳簿を抱えて、立っていた。
「読みますか」
「ああ」
ゼノビアは、五つの名前を読んだ。
カインは、全部、聞いた。
一度で。
五つ目の名前を口の中で繰り返した。若い声の主の名前だった。
覚えた。
ゼノビアは、帳簿を閉じなかった。
カインの顔を見ていた。
いつもより、少し長く。
「……何だ」
「いいえ」
ゼノビアは、言った。
「今日は、一度で、聞かれたので」
それだけ、言って、扉を閉めた。
回廊でペンの音がした。
短かった。
流した日の夕方は、中庭でミアに会える。
それが条件だった。
花壇の芽は、膝の高さまで伸びていた。
茎が、一本の根元から、何本も分かれていた。細い茎ばかりだった。
十七が、花壇の縁に座っていた。
ガルドの鋏を膝に置いて。
ミアが、その横に、しゃがんでいた。
ミアは、カインを見て、立ち上がった。
走らなかった。
「……カインお兄ちゃん」
「ああ」
ミアは、カインの外套の端をつかんだ。
それから、花壇の前へ引っぱった。
「これ」
ミアは、芽を指さした。
「ふえたの」
「増えたな」
「いっぱい」
十七が鼻を鳴らした。
「増えすぎだ」
十七は、鋏をカインに差し出した。
左手で。
人差し指の灰色は、二節目を越えていた。中指は、一節目まで。薬指の先が白くくすんでいた。
カインは、その手を見た。
目を、そらさなかった。
鋏を受け取った。
「一本にしろ」
十七が言った。
「この太いのを残す。ほかは、根元から、切る」
カインは、茎を見た。
どれも細かった。どれが太いのか、よくわからなかった。
「全部、育てたら、全部、細くなる」
十七は、言った。
「根っこが、吸う水は、決まってる。……分けたら、一本ずつは、痩せる。花は、つかねえ」
「全部、切るのか」
「一本残す」
十七は、指で一本の茎を示した。
ほかとほとんど変わらない茎だった。
「これだ。……ほかは、切れ」
カインは、鋏を開いた。
一本目の細い、茎の根元に刃を当てた。
切った。
二本目。三本目。
四本目。
鋏の音が、中庭に小さく響いた。
七本目を、切った時、十七が言った。
「……迷わねえな」
カインの手が止まった。
「最初の冬は」
十七は、言った。
「枯れた、茎、一本、切るのに、あんた、ずいぶん、かかった。……俺が、止めた、くらいだ」
カインは、鋏を見た。
ガルドの鋏。
刃の間に細い緑の汁がついていた。
「上手く、なったよ。若いの」
十七は、そう言って、灰色の指で膝を掻いた。
褒めたのだと、思う。
カインは、何も言えなかった。
足もとに、切った、茎が落ちていた。
七本。
ミアが、しゃがんで、それを拾った。
一本ずつ。
小さな手に七本全部。
それから、花壇の隅へ行った。
土を指で掘った。
小さな穴を七つ。
切った茎を、一本ずつそこに差した。
「……ミア」
カインは、言った。
ミアは、振り返らなかった。
土を茎の根元に寄せていた。両手で。丁寧に。
「つかねえよ」
十七が言った。
「根が、ねえ。……枯れる」
ミアは、手を止めなかった。
七本目を差して、土を寄せて。
それから、立ち上がって、カインを見た。
「これも」
ミアは、言った。
「いきてるよ」
それだけ、だった。
それ以上、何も言わなかった。
ミアは、またカインの外套の端をつかんだ。
花壇の真ん中の一本と、隅の七本を見ていた。
かわるがわる。
カインは、ミアの目を見られなかった。
見られなかったことに、驚かなかった。
夜、窓のない部屋で、カインは寝台に座っていた。
眠れるはずだった。
流した日は、眠れる。体が軽い。もう、何日もそうだった。
眠れなかった。
右手を見た。
肘までの灰色。
肘から、上へは、のぼっていない。冬から、ずっと。
今朝のことを思い出した。
技師が、数字を読む前に石が立っていた。
自分が立てた。
読み上げを待たなかった。
いつから、だ。
カインは、考えた。
最初の日は、待った。十七の指を見て、手が止まりそうになった。
ミアが、来た日は、待った。窓枠をつかんで、手を離して、それから、待った。
その後は。
思い出せなかった。
いつ、待つのを、やめたのか。
いつ、五人目の震える手を見ても、手が止まらなくなったのか。
(……慣れた、のか)
その考えは、静かに来た。
驚くほど、静かに。
鋏の音が耳に残っていた。一本目と、七本目が同じ音だった。
『……迷わねえな』
(一人で、決めるな)
いつかの声を思い出そうとした。
声は、来なかった。
来なかったことに、気づくまで少しかかった。
カインは、寝台に横になった。
天井の石を見ていた。
明日は、流さない、日だった。
二日に一度。明日は、流さない。
だから、明日は、ミアに会えない。
カインは、目を閉じた。
閉じて、気づいた。
自分が、明後日を、数えていることに。
流す、日を。
待っている、ことに。




