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暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第五章 空の館

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第85話 一人で下りた道

「何が欲しいんですか」

ハルトは、聞いた。

薬草の庭の塀の内側だった。

イゾルデは、すぐには、答えなかった。

庭の芽を見ていた。

「父の最後を」

イゾルデは、言った。

「聞かせて。……剣を、折った、あなたの口から」

ハルトは、イゾルデを見た。

「報告なら、聞いた。何度も」

イゾルデの声は、平らだった。

「反乱軍の盾の小僧。将軍の剣が折れた。将軍は、退いた。行方が知れない。……戦死。名簿から、消した」

イゾルデは、指を折るように言葉を並べた。

「全部、紙の言葉。……父が、何を言って、どんな顔をしていたのか。誰も知らない」

風が塀の上を通った。

「あなたは、見たんでしょう」


塀の陰に腰を下ろした。

ハルトとイゾルデと。

少し離れて、ゴードンが石に座っていた。マーサが、その横に。セラは、庭の入口に立っていた。

ハルトは、話しはじめた。

うまく、話せる気は、しなかった。

「沢の出口でした。……夕方で。松明の列が、来て」

「父は、先頭にいた?」

「はい」

イゾルデは、小さく頷いた。

「いつもそう。……後ろから、命令する人じゃ、なかった」

「最初に言いました。旗の主は、最後まで、退かなかった、って」

ハルトは、言った。

レオニスさんのことだった。

「立派な男だった、って」

イゾルデは、何も言わなかった。

でも、膝の上の手が少しだけ握られた。

「それから、剣を抜いて。……構えないで、下げたままで」

「構えないのよ、父は」

イゾルデが言った。

「構えたら、相手に、手の内を、見せる、って」

ハルトは、続けた。

一太刀目で、盾の真ん中を、撫でられたこと。盾が、割れずに、残ったこと。二太刀目。三太刀目。

みんなの糸のこと。

「俺、一人じゃ、なかったんです」

ハルトは、言った。

「剣を、振ったのは、俺だけど。……振り方は、ゴードンさんに、教わったもので。風は、ユノ姉で。間合いは、ベックで。重さは、ロブで。どこを、打てばいいかは、ネリが。足元は、リュネが」

イゾルデがハルトを見た。

「みんなで折ったんです。……俺一人の剣じゃ、届かなかった」

イゾルデは、長いこと、黙っていた。

「……それで」

「将軍は、膝を、つきませんでした」

ハルトは、言った。

「折れた剣を握ったまま。血が、出ていて。……でも、立っていました」

イゾルデの喉が動いた。

「俺の盾が、割れていて。将軍は、それを見て」

ハルトは、その声を思い出した。

低い声だった。

「割れる前に、何を守るのか、決めておけと、言ったな。……決めていたか、って」

イゾルデの目が見開かれた。

「捕虜交換の、時に言われたんです。受けるだけの盾は、いずれ、割れる、って。……俺は、答えられませんでした。息が、続かなくて」

ハルトは、うつむいた。

「今も。……ちゃんと、答えられるか、わかりません」


「最後は」

イゾルデが言った。

声がかすれていた。

「最後は、どうしたの」

「退け、と、言いました。後ろの兵に。……今日は、ここまでだ、って」

ハルトは、顔を上げた。

「それから、背中を向けて。誰の肩も、借りないで。一人で、沢の道を下りていきました」

イゾルデは、動かなかった。

「一度も振り返りませんでした」

風が吹いた。

果樹の白い花びらが、塀を越えて、芽の上に落ちた。

イゾルデは、それを見ていた。

「……一人で」

イゾルデは、言った。

「一人で下りていったのね」

「はい」

「肩も借りないで」

「はい」

イゾルデは、膝を抱えた。

額を膝につけた。

泣いている、のでは、なかった。

肩は、震えていなかった。

ただ、そうしていた。

長いこと。

ハルトは、何も言わなかった。

何を言えばいいのか、わからなかった。

だから、横に座っていた。

庭の入口でセラが立っていた。

左手を外套の外に出したまま。

その手が少し震えていた。

セラは、それを隠さなかった。

イゾルデのほうを、見ないように、していた。


やがて、イゾルデは、顔を上げた。

目は、赤かった。でも、濡れては、いなかった。

「父らしい」

イゾルデは、言った。

「最後まで、誰にも、何も、渡さないで。……一人で決めて、一人で行く」

小さく笑った。

笑いの形を、しただけ、だった。

「あの人、館の中では、一度も剣を抜かなかったのよ。……ずっと、何かを一人で持ってた」

イゾルデは、立ち上がった。

外套の裾を払った。

「遺体は、ない」

イゾルデは、言った。

誰にともなく。

「なら、私は、弔わない。……弔うのは、この目で見てからにする」

それから、ハルトを見下ろした。

「払ってもらったわ。……父の剣を折った人」


イゾルデは、ゴードンの前に立った。

上着の内側から、何かを出した。

細い組み紐だった。

茶と黒の。

太さが揃っていなかった。編み目が、ところどころ、詰まっていた。

「ミアから。……お父さんに」

ゴードンは、それを見た。

手を出さなかった。

出せなかったのだと、ハルトは、思った。

マーサが、ゴードンの手首をそっと持ち上げた。

イゾルデが、その掌に組み紐をのせた。

「お父さんの分が、なかったって。……みんなに、結んだけど、お父さんは、あの時、いなかったから、って」

ゴードンの指が組み紐を包んだ。

大きな指だった。

「茶と黒」

イゾルデは、言った。

「お父さんの盾の色。……木と鉄、って。あの子が自分で選んだの」

ゴードンは、何も言わなかった。

組み紐を見ていた。

太さの揃わないところを。詰まった、編み目を。

親指で、一つずつ、なぞった。

「……下手くそだな」

ゴードンは、言った。

声が揺れていた。

「毎晩、ほどいて、また編んだのよ」

イゾルデは、言った。

「私が、やったほうが、早いって、言ったら。……あの子、首を振った」

マーサが口元を押さえた。

それから、笑った。

泣きながら、笑った。

「あの子、字も下手なのよ」

マーサは、言った。

「二階の壁。……見た?」

イゾルデが頷いた。

ハルトも頷いた。

マーサは、杖をついて、立ち上がった。

「見に行くわ。……あなたも来なさい」

ゴードンは、組み紐を握ったまま、立ち上がった。

一度で。

館のほうへ歩き出した。

マーサの歩く速さで。

二人の背中が、館の扉の中に消えた。


しばらくして、二階の窓から、声が聞こえた。

何を、言っているのかは、わからなかった。

マーサの声だった。

それから、低い声が一つ。

ゴードンの声だった。

ハルトは、窓を見なかった。

ユノが横に来ていた。何も言わずに、ハルトの灰色の手に触れた。

境目が少し温かかった。


日が、傾いた頃、ヤンが戻ってきた。

庭の入口でハルトを呼んだ。

「東の陣が動いています」

ヤンは、言った。

「荷を、まとめています。天幕を、半分、畳んで。……近い道のほうへ」

ノエラが、いつの間にか、ヤンの後ろにいた。

「帰り道を塞ぎに来ます」

ノエラは、言った。

「館から、一日。……狭い、谷の出口です」

イゾルデが二人を見た。

「迎えに来るのよ」

イゾルデは、言った。

「新しい主は、帰り道で、私を、迎えに、上がる、って、言ってた」

イゾルデは、腰の剣に手を置いた。

「あなたたちと、一緒に、いる私を。……どういう、顔で迎えに来るのかしらね」

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