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暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第五章 空の館

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第80話 首輪

--- カイン視点 ---

中庭の花壇に芽が出ていた。

枯れた茎の根元から。緑とも、白ともつかない、小さな芽が。

十七の男が、花壇の縁に膝をついていた。

小さな鋏で、枯れた茎を一本ずつ切っていた。

ガルドの鋏だった。

カインが貸した。

「春だ」

男は、言った。

「芽が、出たら、切っていい。……言ったろ」

男の左手の人差し指は、もう一節ではなかった。

二節目の半ばまで。灰色がのぼっていた。

カインは、それを見た。

見て、目を、そらさなかった。

そらさないことだけが、自分にできることだと思っていた。


冬の終わりから、流す日が増えた。

三日に一度が、二日に一度になった。受け皿は、二人が三人になり、四人になった。

扉の数字は、増えた。

夜ごとに、回廊の暗がりで、ゼノビアが名前を読んだ。

カインは、一つずつ、聞いた。

覚えようとした。

全部は、覚えられなかった。

その代わりに、腹が減るようになった。

粥を、半分、食べる日が続いた。眠れる夜が続いた。

灰色は、肘で止まったままだった。

(……ハルには、行っていない)

その考えは、もう先に来ても、驚かなくなっていた。


その朝、中庭へ下りる回廊の窓の前で、カインは足を止めた。

回廊で、ただ一つ、外の見える窓だった。工房の門が見下ろせた。

門の前に馬車が止まっていた。

黒い外套の男が二人降りた。胸に細い銀の鎖。

その後ろから、小さな影が一つ降りてきた。

栗色の髪を二つに結んでいた。

右の結び目にだけ、赤いリボンがあった。

左は、紐だけだった。

女の子は、門を見上げた。

九本の煙突を。

それから、男の一人に背中を押されて、門の中へ入っていった。

カインは、窓枠をつかんでいた。

左手で。

指の関節が白くなっていた。

金色が、目の奥で灯りかけていた。

石に、何かを、させる前に。カインは、手を離した。


技師は、止めなかった。

止められないのだと、わかっていたのだと思う。回廊の先の扉の前で、黒い外套の男が一人待っていた。

違った。

黒い外套では、なかった。

柔らかい色の上着だった。胸に、鎖は、なかった。

「やあ」

男は、言った。

穏やかな声だった。

「君が来ると思っていた。……ハインツだ。会うのは、初めてだね」

「約束が違う」

カインは、言った。

前置きは、しなかった。

「あの子は、館に置く。そういう、取引だった」

ハインツは、少しだけ首をかしげた。

「そうだね。館に、置く、という約束だった」

ハインツは、言った。

「でも、館には、もう新しい主がいる。将軍は、名簿から、消えた。……将軍の館は、もう、どこにも、ないんだよ」

カインは、何も言えなかった。

「館が、館であるうちの約束だった。……僕は、そう、読んでいる」

ハインツは、窓のほうを見た。

「新しい主は、子供の扱いを知らない人でね。放っておけば、あの子は、もっと、悪いところへ行った」

「……どこへ」

「それは、もう考えなくていい」

ハインツは、微笑んだ。

「君のそばに置こう。中庭の見える、部屋に。食事も、眠る場所も僕が用意する。……誰にも、手は、出させない」

カインは、待った。

その後に何が来るのか。

わかっていた。

「その代わり」

ハインツは、言った。

「流す量を増やしてほしい。技師の言う量の倍を。……君の灰色は、増えない。それは、もう、わかっているだろう?」

カインは、ハインツを見た。

ハインツは、目を、そらさなかった。

穏やかな目だった。値踏みする目では、なかった。

もっと、悪かった。

わかっている、目だった。

カインが、何と答えるかを。

(……一人で、決めるな)

誰の声だったのか。

ガルドか。イゾルデか。

それとも、もっと、ずっと昔の。

カインは、その声を聞いた。

聞いて、それでも。

「……わかった」

カインは、言った。

ハインツは、頷いた。

「ありがとう。……会うのは、今日、流した後に。それから、流した日に一度ずつ」

ハインツは、歩き出しかけて、振り返った。

「優しい人と取引をするのは、気が楽だよ。……約束を守ってくれるから」


その日、流す部屋の石の台の向こうに、四人が座っていた。

カインは、灰色の右手を鉄の板に置いた。

技師が、いつもの、倍の数字を読み上げた。

床の石が盛り上がった。

柱になった。もう一本。もう一本。

溝が光った。

光は、四つに分かれて、流れていった。

カインには、何も来なかった。

冷たさも。痛みも。

何も。

台の向こうで、誰かが短く息を呑んだ。

カインは、顔を上げなかった。

上げたら、止まる、と思った。

止まったら、あの子は、どこへ行くのか。


部屋に戻された。

昼の食事が運ばれてきた。麦の粥と、薄い汁と黒いパン。

カインは、匙を取った。

気づいた時には、椀の底が見えていた。

半分では、なかった。

全部、だった。

カインは、空の椀を見た。

体が軽かった。冬のあいだずっと背中に乗っていたものが、どこかへ消えたように。

消えたのでは、ない。

あの四人のところへ行ったのだ。

わかっていた。

わかっているのに、体は、軽かった。

扉が叩かれた。

ゼノビアだった。帳簿を胸に抱えていた。

「読みますか」

カインは、頷いた。

ゼノビアは、扉の前に立ったまま、四つの名前を読んだ。

一つ目。二つ目。

三つ目の途中で、カインは、気づいた。

聞いていなかった。

門の前の馬車を思い出していた。片方だけの赤いリボンを。

「……もう一度」

カインは、言った。

ゼノビアは、何も聞かなかった。

最初から、もう一度読んだ。

四つ目の名前を読み終えた後、ゼノビアは、帳簿を閉じなかった。

空の椀を見ていた。

「館の子供が来たそうですね」

ゼノビアは、言った。

カインは、答えなかった。

ゼノビアは、少しだけ黙った。

それから、帳簿を閉じた。

扉が閉まった。

回廊でペンの音がした。

いつもより、長く。


夕方の中庭は、壁の影で半分暗かった。

花壇の前に小さな背中があった。

十七の男が、その横に、しゃがんでいた。芽を指さして、何かを話していた。

女の子が振り返った。

「……カインお兄ちゃん」

ミアだった。

背が少し伸びていた。頬のそばかすは、そのままだった。

ミアは、走らなかった。

ゆっくり歩いてきた。

カインの前で止まった。

見上げた。

カインは、膝をついた。

「……ミア」

「イゾルデおねえちゃんが、ね」

ミアは、言った。

「さいごまで、いっしょに、いてくれたの。……でも、ここには、こられなかったの」

「そうか」

ミアは、外套の内側から、何かを出した。

小さな包み。黒いパンのかけら。

馬車の中でもらったのだと、ミアは言った。

ミアは、それを二つに割った。

小さいほうを、自分に。

大きいほうを、カインに。

「はんぶんこ」

カインは、それを受け取った。

食べた。

味は、よく、わからなかった。

それでも、全部、食べた。

ミアは、それを見ていた。

それから、カインの後ろを見た。

花壇の縁に十七の男が座っていた。

鋏を、持った、左手。

二節目まで灰色の指。

ミアの目が、その指から、カインの右腕へ動いた。

肘までの灰色へ。

もう一度男の指へ。

ミアは、何も言わなかった。

ただ、カインの外套の端を小さな手でつかんだ。

見ていた。

ずっと見ていた。

カインは、ミアの目を見られなかった。

壁の上の空で、九本の煙突の煙が、夕焼けに溶けていた。

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