第68話 自分で返す
朝になっても、体は、温まらなかった。
炭焼き小屋の焚き火に、手をかざしても、熱は、皮膚の上で止まった。内側まで入ってこなかった。
ユノが、ハルトの外套の前を、上から、もう一度合わせた。
「歩ける?」
「歩ける」
ハルトは、立った。
膝が少し震えた。寒さのせいだった。
小屋の外では、ロブが、小屋の戸板を二枚外して、縄で組んでいた。
ベックを、乗せる、担架だった。
剣を捨てた四人の帝国の靴の男たちが、黙ってその縄を引いていた。
誰が、言ったわけでもなかった。
麦の袋は、七つ、雪の上に並んでいた。
ハルトは、袋を見た。
それから、焚き火の手前にいた、四人を見た。
四人目の男。ベックの組にいた男。それから、名前を、ゆうべ、聞いた二人。
「担架は、ロブたちと、焼け跡へ」
ハルトは、言った。
「麦は、村へ。……俺が一緒に行きます」
四人目の男が、袋の前にしゃがんだ。
一つ、背負った。
もう一つ、背負った。
「自分で返す」
男は、言った。
「あんたが、背負って、行ったら。……また、あんたの後ろだ」
ベックの組にいた男も、袋を背負った。残りの二人も。
七つの袋は、四人の背中に、全部、乗った。
ハルトの背中には、何も乗らなかった。
ロブが、担架の前の縄を肩にかけた。
「先に行ってるぞ」
ロブは、言った。
「アガタの婆さまに、怒られる準備、しとけよ」
担架の上で、ベックが片方の目を開けた。
何も言わなかった。
ベックの組にいた男を、少しだけ見た。
それから、また目を閉じた。
川下の村は、雪の中に、低く、うずくまっていた。
秋に麦束を積んで柵を継ぎ足した場所には、もう、柵はなかった。雪が、全部、平らにしていた。
広場の奥に、石造りの麦の倉があった。
壁の厚い、入口が一つだけの倉。
扉の前に、村の人たちが集まっていた。
知らせに来た男がいた。その横に、背の曲がった、年寄りの男がいた。村長だった。
四人は、扉の前で袋を下ろした。
一つずつ。
七つ。
誰も何も言わなかった。
扉の隙間から、小さな顔がのぞいていた。
秋の収穫祭の夜に、麦わらの冠を、かぶっていた女の子だった。
四人目の男が、雪の上に膝をついた。
「……悪かった」
男は、言った。
あの夜の「悪いな」とは、違う言葉だった。
ベックの組にいた男も膝をついた。残りの二人も。
村長は、しばらく四人を見ていた。
それから、ハルトを見た。
「あれは、旗団か」
知らせに来た男が、聞いたのと、同じ言葉だった。
ハルトは、少し考えた。
「旗団を出た人たちでした」
ハルトは、言った。
「でも、戻ってきます。……今日から、また旗団です」
村長は、白い眉を動かした。
「なら、旗団が、盗んで、旗団が、返しに来た、ってことか」
「はい」
「……妙な、話だ」
村長は、袋の山に近づいた。
一つ、二つ、三つ、と、数えた。
七つまで、数えて、手を止めた。
「四つは、もらう」
村長は、言った。
「三つは、持って、帰れ。……冬の終わりに、足りなくなるんだろう」
ハルトは、目を見開いた。
「なんで、知って」
「知らせに行った奴が、粥を、食わせてもらって、帰ってきた。……あの焼け跡の鍋の量を、見りゃ、わかる」
村長は、後ろを振り返った。
村の若い男が、何人か、並んでいた。
秋に、柵の内側で、鍬や、鎌を握っていた顔だった。
「その代わり」
村長は、言った。
「こいつらを食わせてやってくれ」
若い男たちが一歩前に出た。
六人だった。
「旗団へ行く」
一人が言った。
「秋に守ってもらった。……今度は、こっちが守る番だ」
ハルトは、六人の顔を見た。
知っている顔もあった。名前は、知らなかった。
「名前を教えてください」
ハルトは、言った。
「一人ずつ。……全部、覚えるので」
焼け跡に着いたのは、日が落ちる頃だった。
焦げた門柱の横に、トマが立っていた。
麦の袋を、三つだけ背負った四人が、門の前で止まった。
四人目の男が口を開きかけた。
何か、言おうとした。
トマが先に言った。
「言わなくていい」
男の口が閉じた。
トマは、それ以上、何も言わなかった。
ただ、門柱の横から、半歩どいた。
四人は、門柱の間を抜けた。
四人目の男は、通り過ぎる時に、トマの横で一度だけ立ち止まった。
「……あんたが言ったんだ」
男は、言った。
「あの夜。言ってから、行けって」
トマは、頷いた。
男は、門の内側へ入っていった。
それから、トマは、ハルトの後ろの六人の若い男たちを見た。
「どこから来た」
トマは、言った。
出ていく者と、戻る者と、入ってくる者。
同じ門で、トマは、三つの言葉を使い分けた。
アガタの天幕の前に、人が集まっていた。
ハルトが中へ入ると、薬草と、血と、湯の匂いがした。
ベックが寝台に寝ていた。
脇腹に、厚く、布が巻かれていた。矢は、もうなかった。
アガタが、手を桶で洗っていた。
「抜いた」
アガタは、言った。
「嬢ちゃんが、凍らせとらなんだら、着く前に、血が、全部、出とった」
天幕の隅で、リュネが、毛布にくるまって、震えていた。
「……寒いのは、雪のせい。魔法のせいじゃ、ないから」
リュネは、言った。
「ばか。誰も、そんなこと、聞いてない」
ハルトは、何も言っていなかった。
アガタは、手を、拭きながら、ベックを見下ろした。
「助かる」
アガタは、言った。
それから、少し間を置いた。
「じゃが、脇の筋を矢が裂いとる。……槍は、前のようには、振れんぞ。突くのは、できる。振り回すのは、もうだめじゃ」
ベックは、天幕の天井を見ていた。
「……そうか」
それだけ、言った。
寝台の横に、ベックの組にいた男が座っていた。
炭焼き小屋から、ずっと離れなかった。
ベックは、片方の目だけ、その男に向けた。
「おまえ」
「……はい」
「明日から、新しいのが来るんだろう」
男は、ハルトを見た。
ハルトは、頷いた。
「川下の村から、六人。……それと、戻ってきた、四人」
ベックは、また天井を見た。
「なら、俺が教える」
ベックは、言った。
「振れなくても、口は、動く。……おまえも、こっちに立て。教わる側じゃ、ない」
男の肩が震えた。
ハルトは、天幕を出た。
外の空気は、冷たかった。
でも、もう、体の内側まで凍っているような感じは、しなかった。
その夜、鍋の列で、ハルトは、全員に話した。
炭焼き小屋で何があったか。
北へ行った二人のこと。戻ってきた四人のこと。川下の村の六人のこと。村長が、三つの袋を返してくれたこと。
それから、剣を捨てた、四人の帝国の靴の男たちのこと。
四人は、炊事場の外れで、雪の上に座らされていた。
「吊るせばいい、と言う奴もいるだろうな」
担架の上でウルリクが言った。
「帝国の兵だ。盟主と、ベックを射った」
鍋の列が静かになった。
ハルトは、四人のほうを見た。
担架の縄を、黙って引いていた手を思い出した。
「みんなに、聞きます」
ハルトは、言った。
それから、もう一言、足した。
「俺は、吊るしたくないです。……でも、まだ仲間とも呼べないです」
話し合いは、長くかかった。
決まったのは、こうだった。
四人は、冬のあいだ、焼け跡にいる。布は、巻かない。薪を割り、雪をかき、水を汲む。春になったら、出ていくか、残るか、自分で言う。
それまで、ベックの組の誰かが、必ず、横にいる。
竈の陰で、カーラが、指輪の手で頬杖をついていた。
「甘いわね、盾の坊や」
カーラは、言った。
それから、四人の帝国の靴を、ちらりと、見た。
「……でも、銀の鎖の陣の中の話は、あの人たちのほうが、私より、新しいかもね」
夜更けに、ノエラが帳面を持ってきた。
「数えました」
ノエラは、言った。
「戻った人が、四人。新しく来た人が、六人。……ベックは、数から、外していません」
ハルトは、頷いた。
「百七十七」
ノエラは、言った。
「戦える人の頁です」
ノエラは、それから、ずいぶん後ろの頁を開いた。
門を出た人の頁だった。
四つの名前の横に、ピムと同じ、小さな丸が増えていた。
北へ行った二つの名前の横には、何も、ついていなかった。
線もなかった。
「この二人は」
ハルトが言いかけた。
「言ってから、行ったので」
ノエラは、言った。
「線は、引きません。……帰ってくる時は、言わなくていい、ので」
ハルトは、少し笑った。
まだ、体は、冷えていた。
ノエラは、帳面を、閉じかけて、止めた。
「もう一つ、数えました」
声の調子が変わっていた。
「逃げた二人が、東の陣に着くまで。雪の道で四日」
ノエラの炭筆が指の間で止まった。
「陣から、ここまで兵を出すなら。……春より、先です」




