第59話 ねむれない夜の花
--- ミア視点 ---
カインお兄ちゃんは、わらわなくなった。
前から、あんまり、わらわなかった。
でも、今は、ぜんぜん、わらわない。
ミアは、それを見ていた。
あさごはんのパンが、ひとつ、のこっていた。
カインお兄ちゃんの、おさらの上に。
ちぎってもいなかった。
イゾルデおねえちゃんが、それを見て、なにか言おうとして、やめた。
ミアは、じぶんのパンを、はんぶんに、ちぎった。
ハル兄が、むかし、そうしていた。ユノお姉ちゃんも。
はんぶんを、カインお兄ちゃんの、おさらにのせた。
カインお兄ちゃんは、それを見た。
それから、ミアを見た。
「……ありがとう」
カインお兄ちゃんは、はんぶんの、はんぶんだけ、たべた。
のこりは、おさらの上にあった。
ミアは、それを見ていた。
ぎんの、くさりの人たちは、きゃくまにいた。
くろい、がいとう。むねに、ほそい、ぎんのくさり。
ろうかで、その人たちの、こえがきこえた。
ミアは、はしらの、かげにかくれた。
そのこえを、しっていた。
なつのはじめ。おにわで、きいたこえ。
ミアは、いきをとめた。
こえは、ろうかの、むこうへいった。
ミアは、しばらく、はしらの、かげから、でられなかった。
イゾルデおねえちゃんが、さがしにきた。
「ミア。どうしたの」
ミアは、くびをふった。
いえなかった。
いわないことが、ミアには、あった。
しゅっぱつの日のあさ。
まだくらかった。
カインお兄ちゃんが、ミアのへやの、とびらを、たたいた。
「おにわにいこう」
ミアは、くつをはいた。
カインお兄ちゃんの、ひだりての、ゆびをにぎった。
みぎてじゃ、なかった。
みぎては、はいいろで、つめたい。カインお兄ちゃんは、みぎてでミアの手をにぎらない。
やくそうの、おにわは、しずかだった。
つちの、においがした。
しょうぐんの、おにわ。
しょうぐんは、いない。
みんな、さがしている。まだ、みつからない。
カインお兄ちゃんは、はたけのまえに、しゃがんだ。
ミアも、となりに、しゃがんだ。
カインお兄ちゃんは、くさを、ひとつずつ、ゆびでさした。
「これは、ねつをさげる」
「これは、きずに、ぬる」
それから、さいごのひとつ。
ちいさな、しろい、花。
「これは、ねむれない夜に。花を、かわかして、まくらの、したにいれる」
カインお兄ちゃんは、その花のなまえを言った。
ミアのしらない、ことば。
ながくて、まるい、ひびき。
「いってみろ」
ミアは、言った。
まちがえた。
カインお兄ちゃんが、もういちど、言った。
ゆっくり。
ミアは、もういちど、言った。
こんどは、あっていた。
カインお兄ちゃんが、うなずいた。
「しょうぐんが、おしえてくれた。……しょうぐんは、この花のなまえを、わすれたんだ」
ミアは、カインお兄ちゃんを見た。
「なんで」
「わからない」
カインお兄ちゃんは、花を見ていた。
「だから、おれがおぼえた。しょうぐんが、わすれたら、おれが、おしえる、って、やくそくした」
カインお兄ちゃんは、ミアを見た。
「おれが、わすれたら」
ことばが、そこでとまった。
カインお兄ちゃんのくちが、ちょっとだけ、うごかなかった。
「……ミアが、おしえてくれ」
ミアは、うなずいた。
なにも言わなかった。
言わないで、もういちど、こころの、なかでなまえを言った。
ながくて、まるい、ひびき。
おぼえた。
カインお兄ちゃんは、白い花を、ひとつ、つんだ。
ミアのてのひらに、のせた。
「かわかして、まくらのしたに」
ミアは、てのひらの花を見た。
ちいさくて、かるかった。
「カインお兄ちゃんの、ぶんは」
ミアは、言った。
カインお兄ちゃんは、くびをふった。
「おれは、いい」
ミアは、花を見た。
それから、カインお兄ちゃんを見た。
カインお兄ちゃんの目の下がくろかった。
ずっと、くろかった。
ミアは、なにも言わなかった。
もんのまえに、うまがいた。
くさりの人たちのうま。
それから、カインお兄ちゃんのうま。
イゾルデおねえちゃんが、もんのまえに立っていた。
けんを、こしにさげて。
目があかかった。でも、ないていなかった。
カインお兄ちゃんは、イゾルデおねえちゃんの、まえでとまった。
まえ、だった。
よこじゃ、なかった。
「……ミアを」
「わかってる」
イゾルデおねえちゃんは、言った。
「あなたに言われなくても」
カインお兄ちゃんは、すこしだけ、下を見た。
それから、イゾルデおねえちゃんの、よこに、すこしだけ、ずれた。
よこに立った。
ほんの、すこしのあいだ。
ふたりとも、なにも言わなかった。
カインお兄ちゃんが、ミアのまえに、しゃがんだ。
ミアのてくびを見た。
ぎんはいいろの、くみひも。
カインお兄ちゃんの、てくびにも、おなじのが、あった。
「きれたら、ねがいがかなう」
カインお兄ちゃんが言った。
ミアが、むかし、言ったことば。
「……まだ、きれてないな」
ミアは、くびをふった。
きれて、ない。
ミアの、ねがいは、まだ、かなって、ない。
カインお兄ちゃんの、ねがいも。
カインお兄ちゃんは、ひだりての、ゆびで、ミアのあたまを、いちど、なでた。
かるかった。
それから、たちあがった。
うまにのった。
ふりかえらなかった。
ミアは、それを見ていた。
ずっと見ていた。
うまのせなかが、ちいさく、なって。
みちの、まがりかどで、見えなく、なるまで。
ひとりで、いかないで。
あの夜、そう言った。
ミアは、今は、言わなかった。
言っても、カインお兄ちゃんは、いく。
それを、ミアは、もうしっていた。
その夜、ミアは、白い花を、まどべに、ならべた。
かわかすために。
イゾルデおねえちゃんが、それを見た。
「なに、それ」
ミアは、花のなまえを言った。
ながくて、まるい、ひびき。
イゾルデおねえちゃんの目が、おおきく、なった。
「……それ、父上のおにわの」
イゾルデおねえちゃんは、まどべに、しゃがんだ。
ミアのとなりに。
「その、なまえ。……父上が、言ってたの、きいたこと、ある。ずっとむかし。母上が、いたころ」
イゾルデおねえちゃんは、花を見ていた。
ながいこと。
「わすれてた。わたしも」
ミアは、もういちど、なまえを言った。
イゾルデおねえちゃんが、それを、くりかえした。
まちがえた。
ミアが、もういちど、言った。
ゆっくり。
カインお兄ちゃんが、そうしてくれたように。
ミアのまくらの、したには、あした、花がはいる。
かわいたら、いれる。そう、きめていた。
カインお兄ちゃんの、まくらの、したには、なにもなかった。
カインお兄ちゃんは、今夜、どこで、ねるんだろう。
ミアは、まどの、そとを見た。
みちの、むこうは、くらかった。
ミアは、なまえを言った。
だれにも、きこえない、こえで。
わすれない、ように。




