↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
暁の盾 〜分け合う者と、背負う者〜  作者: 旬花祝桃
第三章 借り物の盾

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/103

第58話 旗の下

夜明け前に、焼けた門の前に全員が集まった。

全員といっても、百六十六人だった。

ノエラがそう数えた。


旗は、新しかった。

マーサが、夜のうちに、縫ったのだった。

荷車の底に残っていた、橙の布と、藍の布。古い天幕の切れ端と、誰かの外套の裏地。色は、少しずつ、ばらばらだった。

竿は、焼け残りの物見の櫓の柱だった。ベックとロブが、門の前の土に深く突き立てた。

尾根の東の端には、もう一本の旗が立っていた。

レオニスの墓の上の旗。

ここからは、小さく、黒い点にしか、見えなかった。

その旗は、そこに置いておく。

そう決めたのは、ハルトではなかった。昨日の夜、竈の前でみんなで決めた。


ウルリクが、担架の上から、身を起こした。

ロブが背中を支えた。

「始める前に、一つ、話しておく」

ウルリクの声は、大きくなかった。

それでも、門の前の全員が静かになった。

「この旗が、なんで、暁なのか。……知らん奴が、増えたからな」

ウルリクは、東の空を見た。

まだ藍色だった。尾根の縁だけが、ほんの少し白んでいた。

「七年前だ。俺の村が焼けた」


「帝国の徴発だった。麦を出せと言われて、出せる麦がなかった。……それで、夜に火が来た」

ウルリクは、淡々と、言った。

「村の男は、ほとんど、その場でやられた。俺は、脚を斬られた。こっちの脚だ」

ウルリクは、折れていないほうの脚を叩いた。

古い傷のある脚だった。

「残ったのは、年寄りと、女と、子供と。脚の動かん男が一人。……三十人と、少しだ」

ハルトは、ウルリクの顔を見ていた。

皮肉も鼻を鳴らす音もなかった。

「そこへ、若いのが、一人、来た。どこから来たのかは、知らん。旅の途中だと言った。背中に、剣を二本、背負ってた」

ウルリクの目が、少しだけ細くなった。

「そいつは、燃えてる村を見て、何も聞かずに、子供を二人、担いだ。それから、俺に肩を貸した」


「一晩じゅう、歩いた」

ウルリクは、言った。

「どこへ行けばいいのか、誰も知らなかった。帝国の松明が、後ろから、ついてきた。……年寄りが、途中で、もう歩けん、置いていけ、と言った」

ウルリクは、息を吐いた。

「そいつは、置いていかなかった。年寄りを背負って、子供を前に歩かせて、脚の動かん男に、肩を貸したまま。……一人で、全部、持とうとした」

ノエラの指が、肩の剣の結び目の上で止まった。

「途中でそいつが倒れかけた。それで、俺が言った。……あんた一人で、全部、持てるわけがないだろう、ってな」

ウルリクは、少しだけ口の端を上げた。

「そしたら、そいつは、笑った。……そうだな、って。それから、年寄りを、俺の背中に、半分、預けた。子供を女たちに預けた。全員で、持ち合って、歩いた」


「夜が明けた」

東の空が、少しずつ明るくなり始めていた。

「丘の上に出た。帝国の松明は、もう、ついてきてなかった。……三十人と少し、全員、いた」

ウルリクは、門の前の新しい旗を見上げた。

「そいつは、焼けた村から子供が持ってきた、橙の布を借りた。祭りの日に、戸口に掛けてた布だそうだ。焦げてた。……それと、自分の外套の藍の裏地を裂いた」

橙と、藍。

「二枚を、結んで、拾った棒の先につけた。それが最初の旗だ」

ウルリクは、言った。

「そいつは、こう言った。……夜は、一人じゃ、越えられない。だから、朝の旗だ」


誰も何も言わなかった。

ハルトは、ウルリクを見ていた。

それから、尾根の東の端の小さな黒い点を見た。

一人で、全部、持とうとした人。

それを、半分、預けた人。

(それでも、最後は)

最後は、殿に一人で残った。

自分で決めて。

ハルトは、それを、責めることが、できなかった。

できなかったけれど、同じことは、しないと思った。

「……あの人は、七年かけて、また、一人で全部持つようになっちまった」

ウルリクは、言った。

「旗が大きくなるほどな。……だから、盟主」

ウルリクがハルトを見た。

「あんたの三つの条件を、聞いた時。俺は、あの丘の上を思い出した」

ウルリクは、担架に背中を戻した。

「話は、それだけだ」


ノエラが前に出た。

肩から、右の剣を下ろした。

鞘ごと。不格好な結び目は、ほどかないまま。

ノエラは、剣を両手で持った。

ハルトの前に立った。

「数えて、決めました」

ノエラは、言った。

「あの人に言われました。おまえが数えて、決めろ、と。……この六日間、ずっと数えていました」

ノエラは、帳面を開かなかった。

「誰に渡せば、この剣が、一人で全部持たずに、済むのか」

ノエラは、剣を差し出した。

ハルトは、右手を上げようとした。

上がらなかった。

開いたまま、閉じない指。

ハルトは、左手を出した。

左手で受け取った。

重かった。

鞘の革の擦り切れた手触りがわかった。レオニスの背中で、何年も擦れてきた革だった。

結び目が指に当たった。

ノエラが、結んだ、結び目だった。

「……ほどかないんですか」

ハルトが言うと、ノエラは、首を振った。

「あなたが、ほどいてください。いつか。……右の手で」

ハルトは、自分の右手を見た。

それから、頷いた。


ハルトは、剣を背中に回した。

ユノが手伝った。革紐を肩に掛けた。

右の剣は、まだ抜けない。

抜く手がない。

それでも、背中に重さがあった。

ハルトは、門の前の百六十六人を見た。

全員の顔がこちらを見ていた。

窪地の夜と、同じように。

けれど、窪地の夜とは、違った。

ハルトは、その顔を、一つずつ、見た。

知っている顔。知らない顔。昨日、名前を覚えた顔。

(全部は、まだ、覚えてない)

それでも、見た。

一つずつ。

「……俺は、レオニスさんの、代わりは、しません」

声が門の前に広がった。

「一人では、決めません。決めたことは、全部、見せます」

それから、少しだけ迷った。

迷ってから、言った。

「だから、半分、持ってください」


東の空から、日が出た。

尾根の縁から、橙が、藍を押し上げてきた。

新しい旗が、その色の中ではためいた。

誰かが膝を叩いた。

それが、一つ、二つと、増えていった。

拍手ではなかった。

ただ、そこにいる、という音だった。


その時、リュネが立ち上がった。

ユノの肩を借りて。

毛布を、肩から、落とした。

手に何かを持っていた。

橙と藍の布だった。

マーサが旗を縫った、残りの切れ端だった。

リュネは、誰にも何も言わなかった。

自分の左の手首に布を当てた。

右手と、歯で。

一度で結んだ。

小さくて、固い、きれいな結び目だった。

リュネは、手首を下ろした。

それから、ハルトを見た。

「……研究のため、って言うのやめる」

声は、まだ、かすれていた。

けれど、震えては、いなかった。

「ここにいるのは、私が、決めたから。……あんたの右手も、ロブの目も、帳面の空いてる欄も。全部、私が数に入れる」

ユノが、リュネの肩を、支えたまま、目を丸くしていた。

ハルトは、何か、言おうとした。

言葉が出なかった。

出ないかわりに、喉の奥が熱くなった。

ノエラが帳面を開いた。

炭筆で何かを書いた。

それから、顔を上げて、言った。

「魔導兵長。それと、術理研究の主任」

ノエラは、門の前の全員を見た。

「……異議のある人は、今、言ってください。決めたことは、全部、見せるそうですから」

誰も何も言わなかった。

ロブが、片目をこすりながら、言った。

「魔導師様じゃ、なくなるのか」

「ばか」

リュネが言った。

それで、何人かが笑った。

窪地の朝から、初めて、誰かが笑った。


その夜、ハルトは、ノエラの帳面を見せてもらった。

日付と、ハルトの名前と、三つの条件。

その下に新しい行があった。

リュネ。魔導兵長、術理研究主任。異議なし。

ノエラは、頁をめくった。

名前の頁。その一番下の短い一文の上に、ノエラの手が置かれていた。

「それは」

ハルトが言うと、ノエラは、手を動かさなかった。

「あの人が、最後に書いたものです」

ノエラは、言った。

「私が、数えなくてもいいと思った時に、読め、と言われました」

ノエラは、帳面を閉じた。

「……まだ、読めません」

焚き火の向こうで、新しい旗が夜風に鳴っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。